2019.04.18

脳の進化過程から人類史500万年を見直す~ミッシングリンクは脳進化にはなかった?

第3回は人類史を見ていく上で必ず登場するミッシングリンクについて脳の進化論の観点から言及してみたいと思います。

まず学説から言われている人類の進化史です。
約500万年―600万年前にサルから分岐し、2足歩行、道具を操るようになり猿人と呼ばれる種(アウストラロピテクス)が登場した。その後原人(ホモハビルス)が登場するのが250万年前。またホモハビルスの後に新人(ネアンデルタール、ホモサピエンス)が登場する30万年前と人類史的には大きく3つの段階に分かれている。

下記はブログの中に「化石人類の脳」という記事があり、それが比較的分かり易いので紹介しておきたい。

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posted by tanog at : 2019年04月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2019.04.11

脳の進化過程から人類史500万年を見直す~猿人は地上に降りたのか、落ちたのか?

人類の歴史を押さえる上でサルと人を分ける起点を設定する事が重要である。
サルは木に登れる、人類は木に登れない(2足方向ができる)をサルと人類の分岐点と見る説も多い。それ自身が分岐点かどうかの議論は置いておくとして、なぜ人は木に登れないのかを押さえておきたい。

学者は、「人類はサルが進化した高等種である」という前提がある。なので木に登れるサルが木に登れなくなったことを「木から下りたサル」というように解釈する説が多い。
こんなニュースがある。2017年の記事で、未だにサルが地上に降りた理由を学者達は延々と議論している。リンクより引用します。

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posted by tanog at : 2019年04月11日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2019.04.04

脳の進化過程から人類史500万年を見直す

人類史は現在の学説では600万年前とも500万年前とも言われている。

サルが木から下りて2足歩行をできるようになった事が確認されたのがその時代という事で認識されてきた。脳の容量は猿人のアウストラロピテクスの段階で375ccでチンパンジーの350ccからわずか25cc大きくなったに過ぎない。サルから人類への進化は2足歩行がまず始まり⇒脳の容量UPという理屈だ。しかし現在の人類の種であるホモサピエンスは最大遡っても30万年前、同様にネアンデルタール人やデニソワ人も同様の時代に登場した。それらの新人に繋がる種(中間種の人類)は見つかっていない。

ホモサピエンスの脳容量は最終的には1350ccとサル時代の脳容量からは4倍以上に大きくなっているが、人類の脳が500ccを超えたのはホモハビルス時代の150万年前~20万年前の期間に過ぎないつまり、人類の脳は500万年前から徐々に順調に大きくなったのではなく、約400万年間は殆どサル時代と変わらず、50万年前前後を起点に何らかの要因で急激に大きくなったのである。

人類とサルを分ける最大の違いは2足歩行だろうか?おそらく誰に聞いてもサルと人類を分ける起点は脳の容量であると考えるに違いない。つまり、人類史を500万年前としてよいのか、を改めて脳の進化という観点で見直してみる必要があるのではないか?

下記のブログでも同様な疑問が書かれている。リンクより引用

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2019.03.29

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第7回~アスファルトは素材の特性を知り尽くした縄文人の知恵の結晶

第7回はこのシリーズ最終回、縄文のアスファルトを扱います。

縄文時代のアスファルトは天然アスファルトで、接着剤、顔料、防腐材として重宝されました。古代エジプトではBC3000年頃に防腐剤としてアスファルトがミイラの製作に用いられていたのは有名な話ですが、縄文時代7000年前から既にアスファルトの使用が確認されています。縄文人の観察力の凄さと、天然素材への同化力の高さを示す話としても紹介します。実際日本で精製したアスファルトが使われたのは大正時代、実に縄文時代から大正時代までこの天然アスファルトは使い続けてきたのです。そういう意味で縄文時代の人々は現代以上の科学者であった可能性が伺えます。
今回も「縄文探検隊の記録」から紹介します。岡村道男さんの語りから始まります。

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2019.03.20

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第6回 世界最古の漆芸は「機能と美の一体化」だった

第6回は漆の話です。

漆と言えば江戸時代の装飾多彩な漆の器を思い浮かべますが、この漆、実は日本が世界最古の漆利用の発生地なのです。約9000年前の北海道の垣ノ島B遺跡で発掘され、その後7000年前頃には東北地方含めて多数漆の利用が発見されています。漆とは漆の樹液から取り、赤、黒と木材や繊維に塗り重ね着色する装飾材として使われました。

大陸では中国の可母渡遺跡での6500年前が最古でその後の発見でも8000年前までしか遡れず、現時点では縄文の漆が世界最古と言われています。従ってこの漆の利用や発見は大陸から由来したものではなく縄文人オリジナルなものとされています。
9000年前と言えば縄文草創期、定住が始まったばかりにも関わらず既に装飾の為の漆が使われていた。定住化した時点でかなり高度な文化が同時に表れていた事の証ではないかと思われるのです。

今回も「縄文探検隊の記録」から紹介します。

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2019.03.15

アイヌは何故文字を持たなかったのか?

縄文人は文字を持ちませんでした。 現在も残存するアイヌも文字を持たない民族です。

アイヌ語で「神」のことを「カムイ」と言います。 アイヌの人々は、自分たちに生きる糧や恵みをもたらし、時に恐ろしい災いをもたらす大自然を神として万物への祈りを捧げ、祭礼を行ってきました。 また、文字を持たないアイヌは、神話や伝説などを口伝えで受け継いできました。 代表的なアイヌの口承文芸として「ユカラ」が知られています。

アイヌの人々が使うアイヌ語は、子音の数が極端に少ないなど、日本語とはまったく異なる言語です。 しかし、「ニセコ(切り立った崖)」や「知床(地の果て)」など、北海道の地名にはアイヌ語が元になったものが多く、「トナカイ」「ラッコ」「シシャモ」などもアイヌ語です。 現在、アイヌ語を母語として話すことのできる人はわずか数人とされ、ユネスコによって「極めて深刻」な消滅の危機にある言語と認定されています。

では、アイヌとはどういう民族なのか?何故アイヌは文字を持たなかったのか?

追求してみたいと想います。

 

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2019.03.14

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第5回~クリが縄文人を作った、縄文人がクリを作った

クリと縄文社会は密接に繋がっている。
縄文中期の巨大集落、三内丸山ではくりの栽培が盛んに行われていた事は有名な話だ。今回はこのクリをテーマにどのようにクリと縄文人が繋がり相互に繁栄したかを追いかけていきたい。
今回も「縄文探検隊の記録」からの紹介ですが、少し方法を変えて、本文はこちらで書き、それを示す記事を間に入れていきます。>は著書からの抜粋です。

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2019.03.07

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第4回~土偶”ビーナスと仮面”は何を語っているか

縄文時代を象徴するのが土偶。

しかし縄文時代の研究が進む中で、未だなんの為の存在かという事が明らかになっていないのがこの土偶です。様々な説がありますが決定的なものがない。なんの為にというのは個人のお守りから集落の守護象徴だったり、シャーマンの印だったり、安産の祈りのものだったりと説は複数存在し、実際には多様な目的があったのではないかと思われます。いわば土偶とは縄文人の精神世界そのものを現している。
その中で今回の記事では国宝土偶である「縄文のビーナス」「仮面の女神」について書かれた興味深い記事を紹介します。

~「縄文探検隊の記録」より

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2019.02.28

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」 第3回 翡翠の道を追う(後半)

2週間前に翡翠の記事の前半を入れたのですが、それからかなり時間が経ってしまいました。私事で年度末の仕事が立て込んだというのもあるのですが、いけませんね。継続していきます。

さて、前回の記事では翡翠とは何か、日本列島の翡翠は硬玉と呼ばれ同時期の中国の軟玉に比べ硬度があり、加工が難しく、宝石としての価値ははるかに高いものでした。さらにその用途は装飾品からシャーマンの象徴だったり、それを保有する集落、集団としてのステイタスの表現にも使われたとされています。

また、翡翠を語る上で最も縄文的で現在の日本人にも通じるものとして工芸的な職人センター、さらに贈与を最大の価値とする独特の文化がありました。そしてその贈与を担ったのが運搬人です。舟や陸路を使い、その専門の運び屋が明らかに存在していたのです。

彼ら、運び屋とは何か、何の為に危険を冒して貴重な品々を遠方に運んだのか?

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2019.02.07

「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」 第2回 翡翠の道を追う(前半)

翡翠が縄文時代を通じて最も価値が高く、重宝であった事は既知の事です。
翡翠の道と言われるように全国北は北海道から南は沖縄まで糸魚川で採掘された翡翠が確認されており、黒曜石と並んで縄文贈与の象徴物とされています。
しかしこの翡翠についての採掘から利用方法、移動手段の情報(=ディテール)はこれまであまり注目してきませんでした。今回も「縄文探検隊の記録」の中から翡翠に関して書かれた記事を紹介してみます。

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