2006年10月26日
自然を利用する天水農耕と、自然を克服する灌漑農耕
メソポタミア地方では紀元前約4、5千年前にウバイド文化が起こります。時はちょうどそれまでの小氷期時代に温暖な地域を求めてメソポタミア一体に南下してきた人々が、その後のヒプシサーマル/クライマティック・オプティマムと呼ばれる長い温暖の時期に作った文化だと推測されています。
さて、この時代にはメソポタミア南部の低地帯を中心とした"灌漑農耕”と、北部の"天水農耕"の2種類の農耕様式があったようです。その後のシュメール文明を支えていったのは、後に再び寒冷化が始まり(紀元前3700年前ごろ)乾燥化が進んでいった南部だったようです。
何故北部メソポタミアではなく、南部の方が発展していったのでしょう。
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以下引用
>紀元前3700年頃になると、ヒプシサーマルが終了し、寒冷化が始まる。同時に、北緯35度以北は湿潤化し、北緯35度以南の北半球は乾燥化した。このため、アナトリア高原での降水量が増え、チグリス・ユーフラテス川の水量が豊富になったため、乾燥化のため水を渇望する下流域の農民が大河に集中した。人々が集中すると、争いごとが増えるので、それを調停する宗教的権威の高い媒介者が必要となる。そして、指導者のもとでの組織的な灌漑農耕が必要になってくる。こうして、より大規模な灌漑農耕と神殿建設を特徴とするシュメール都市文明が紀元前3100年ごろに成立する。チグリス川は流れが急で、氾濫を起こしやすいので、都市国家は、主として、ユーフラテス川の流域に作られた。
シュメール文明が栄えたのは、メソポタミア南部であって、北部ではない。北メソポタミアの年間雨量が250ミリを超えるのに対して、南メソポタミアは100ミリ以下の乾燥地帯である。灌漑農耕と神殿建設がもっとも必要なところから都市国家が生まれたということである。(「シュメール文明の遺産」より)<
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/post_111.html
>大河流域では農耕に適した土地は河川流域に限定されます。そこで運河や水路をつくって耕作地を拡大していく必要性ができます。すると大規模な治水工事を行う為には人的管理がどうしても必要になり、王、聖職者、平民といった社会階層化が促されることになります。これが灌漑農耕地帯の特徴でもあり、宿命でもあるといえます。(「彩文土器からのメッセージ」より)<
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-03.html
つまり寒冷化→乾燥化して、水を求めて人々が集中してきて、ますます収穫量を上げる必要が高まったわけです。また、神殿建設の材料となる石や木材といった資源や、宝飾品の元となる鉱物が取れず、もっぱら周辺部族との交易によってそれらを確保していました。
よってこれらの問題を解決するために、もっともっと灌漑面積を増やすことで収穫高を上げ、また資材、鉱物をたくさん輸入する為に交易範囲を広げてきたわけですね。こうして南部から北部へ、やがてはメソポタミア全域まで繁栄していったものと思われます。
この時、交易の邪魔になる周辺の国を滅ぼしてまで交易域を拡大していった意識の発現は、灌漑農耕ゆえに王、聖職者、平民といった社会階層化が促されていったことととも関連がありそうです。
投稿者 saah : 2006年10月26日 22:06
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コメント
こんばんは!
ウバイド文化って不思議ですね。ウバイド文化は南部から発祥して、北部含むメソポタミア全体に拡がったらしいですが、武器らしきものが発掘されていないので、力で押していったというよりは、人のいないところに拠点を築いて次第に縄張りを拡大していったのかもしれませんね。
ただ、ウバイド終末期になると防壁のようなものが出始めているので(掠奪闘争?)だいぶ様子が変わってきますよね。
投稿者 Hiroshi : 2006年10月28日 18:56
hiroshiさん、こんにちは。
ウバイド文化の広がりの原因は色々考えられますね。
もともとウバイド人(という人種がいたかどうかは不明ですが、ウバイド文化の担い手という意味で使わせてもらいます)は、それ以前の小氷河期のころから、寒い北部より、少しでも暖かな南部に南下してきたと考えられ、とするとウバイド文化が南部から北上するに当たり、その地域には何かしらの部族がちらほら存在していると考えられるのではないでしょうか。
ただ、ウバイド文化の広がりの頃、既に北部の部族をも”侵略=支配”したのかどうかはちょっと怪しいですね。
友好的に文化が広がるのではなく、”侵略”となると、もう少し違った原因が必要ですね。
投稿者 saah : 2006年10月30日 11:43
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