/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2007年01月31日

縄文中期の土偶たち

土偶とひとことにいっても、土偶が爆発的に作られるようになったのは、縄文中期からでした。(早、前期の土偶は全体の約2%)( 「はるかなる縄文」さんの年表を参考にさせていただいています。)

縄文中期につくられた土偶のなかから、土器につけられた人面土偶を紹介します。

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大明神原遺跡(縄文中期の集落)から出土した「把手付深鉢土器」です。
「水野の縄文写真館」さんよりお借りしました


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縄文時代中期前半 3000-2500 BCE 長野県梨ノ木遺跡 茅野市尖石縄文考古館顔面把手付土器ともいう。深鉢のふちに、同時代の土偶と同じような顔がついている。人面把手付土器も意図的に壊されたようにばらばらになっていることが多く、土偶と似たような機能を持っていた可能性がある。
中期の勝坂文化圏で出土する人面付深鉢や人面付釣手型土器は、それぞれ、食物の調理と火を灯す用途に使われたものらしい。いずれも妊婦のような形をしており、人面把手付深鉢の中には子を出産しつつある姿が描かれているものもあるので、これらの土器は<容器としての女性>を象徴しているといえる。(写真:人面把手付深鉢/中期前半/長野県梨ノ木遺跡/茅野市尖石縄文考古館)
「Steps to an Ecology of Spirits」より引用させていただきました。

次は人面土器のそっくりさんを紹介!クリックしてから続きをどうぞ :m030:
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posted by bunchan : | |

2007年01月30日

縄文人とマムシ

>三角頭で銭形といえばマムシである。この怖い毒蛇を口縁部にわざわざ付けたのは何故だろう?
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                 蛇体把手付深鉢
          (写真は遥かなる縄文さんからお借りしました。)

この土器にも、見事なマムシが飾られていますが、縄文の人たちは、マムシをどのように感じていたのでしょう?
なるほどと思える記事があったので紹介したいと思います。

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posted by naoto : | |

2007年01月29日

シュメール人の都市国家統合手法

メソポタミア地方の都市国家を統合したシュメール人は、どのような手法で統合したのであろうか?

古代シュメール人が、メソポタミア地方を統合する手法は、武力で強制的に服従させたイメージを持っていましたが、かなり高度な統治方法を持っていたようです。
この頃のメソポタミアでは各都市毎に守護神を持っており、その守護神信仰を上手に利用したものと理解できます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.htmlのメソポタミア宗教史によると

>2.シュメール人による神々
すべてのものに宿る神々は、それぞれの格を数字で表していた。最高は60で、格が下がるごとに数が減っていくのである。この世に共通するものに関する神はそれだけ格が上で、各都市の神とは主従の関係をなしていたと思われる。・・・・・・・・

によく表わされています。

大集団の統合手法は、力を背景として、各都市の守護神に序列を付けを行いそして民衆の統合軸であった守護神宗教を多いに利用したのでしょう。

その事は、宗教の語源が「参加すること、結合すること」にあったことを思うと理解できます。

>「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。
参考フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

posted by ryou : | |

2007年01月28日

縄文:黒曜石が贈与品になったのはなぜか?

さーねです :m029:
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先日、tanoさんよりご指導受けまして… :cry: 改めて、縄文時代の贈与・交易に関して、一つずつ積上げていけたらと思います :D :m051:

今日は、その品となった「黒曜石」

ただ、どうも縄文時代は交易?とか言われてますが…贈与と交易はだいぶ違いますので…以下の大事な認識を るいネットで確認。

黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②
「贈与」と「掠奪・収奪」と「交易(交換取引)」

ここでは、贈与品として考えたいと思います。

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黒曜石って何?実は、縄文の人々にとっては最も必要で貴重な加工具であったのです :m051:

posted by sawatan : | |

まずは神々の役割に序列を与えた

古代メソポタミアにおいては、近隣の国々を次から次へとその支配下に置き、被支配部族を統治 :tikara: するのに信仰心を上手く利用したことが当時の神々の神話 :m260: からうかがえます。

今日はかつての神々の役割を見ながら、神々の役割づくりと、人々をどうやって序列統合していったのか、その辺の関係を見てみたいと思います。

続きを読みたい方はまず下 :m118: のボタンを押して下さいね。宜しく♪ :nihi:
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posted by saah : | |

2007年01月27日

縄文の海洋技術:自然の注視が可能にした

縄文人の海上航海の道具である丸木舟は、現在、150例以上発見されています。 :lol:
 三内丸山遺跡では、縄文時代前期から中期(約5,500年前~4,000年前)の大集落跡が見つかっています。
 特に縄文時代の大集落跡からは膨大な出土物が出ているが、その中でも目を引くのが 巨大なヒスイ の珠だ。 ヒスイは青森では産出されずおよそ500kmも離れた新潟県の糸魚川周辺からはるばる運ばれてきた物だ。 黒曜石 を原料とした石器類も多数出土しているが、黒曜石もはるばる北海道から運ばれてきた。更には岩手県からは、琥珀が運ばれてきている。
 また、横須賀市平坂貝塚から出土した無文土器(平坂式土器)と同じタイプの土器が伊豆大島で住居跡とともに大量に発見されたり、横須賀市の久里浜伝福寺裏で見つかった丸木舟は一緒に紀伊半島方面の土器も見つかっています。

 これらから縄文人が海を使って広範囲で盛んに交易していたことが分かり、海人として高度な航海技術を身に付け海洋(黒潮)文化を担っていたことがわかります。
縄文人が船で沖へ乗り出し、漁を行っていた証拠も三内丸山から見つかっている。なんと1メートルもある真鯛の骨で、縄文人が沿岸ばかりでなく遥か沖合まで出向いて漁を行っていた事の証だ。もっと広範な交易活動は現在幾つかの説が発表されています。
「縄文人の大航海」 を参照して下さい。

このような広範な活動を支えた「縄文の海洋技術」はどのようなものなのでしょうか。
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posted by mukai : | |

メソポタミヤの守護神は男優位?

メソポタミアの守護神は支配者の正当化の為に作られたと同時に、その統治が男主導でなければならない事を観念的に固定しようとしているのではないか?

守護神は人格化されていて男神女神があるが、記録に残っている守護神を見ると・・・

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美の女神イナンナ(画像は南風博物館さんから引用)

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posted by nandeya : | |

2007年01月26日

縄文の祭り ~地域性と集団形態による差異~

 自然の中に生き、その恵みと厳しさの双方を知っていた縄文世界の人々にとって、村の安泰と子孫の繁栄は、自分たちの人智を超えた、切実な願望であったに違いない。彼らは、彼らを取り巻く自然界のあらゆるものに“いのち”を感じ、あるときは収穫の恵みに感謝の念を捧げ、またあるときは不順な天候の好転を願って、あらゆる場面で素朴な祈りを捧げた。このような自然崇拝は、先史時代の諸民族に普遍的な原始宗教のかたちだが、縄文人は年々の季節の移り変わりに、いのちそのものの“よみがえり”を感じ中期段階には家族共同体レベルの直接的な“まつり”と、集落共同体レベルの“祭祀” が、次第に分化していく。(http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/jyomon/j33maturinochi1.html

 縄文の“まつり”がどのように変化していったのか ??各時代の代表的な出土品、地域性を比較することで見えてくるものがありそうです。
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posted by dai1028 : | |

船泊縄文人の海上ネットワークは交易か?

こんにちは。
北海道は礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡って知ってますか?
日本最北端の縄文後期の遺跡です(3800~3500年前)。

場所はココ↓
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写真は「日本人はるかな旅展」よりお借りしました。


その船泊遺跡では、イモガイ、タカラガイ、マクラガイといった九州や沖縄のように暖かい海の貝で作られた装飾品が出土しています。他にも、新潟県の糸魚川産のヒスイのペンダントなども発見されています。

写真は↓↓ キレイですね :m030: (上がマクラガイ、下がヒスイですヨ。)
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さらに、礼文島といえば周りは海。海といえば魚。彼らは魚を捕まえるための銛と、その先端につける矢じりの接着に、天然のアスファルトを使っていたようです。天然アスファルトの産地は限られており、秋田や新潟などの国内産ではなく、さらに北方のサハリン産である可能性が高いようです。

写真はコチラ↓
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船泊遺跡の人たちが船に乗って南方や新潟やサハリンへと渡ったのでしょうか? それとも南方や新潟やサハリンの人たちが渉ってきたのでしょうか?(当時サハリンにも人が住んでた???)
いずれにしても、かなり広範囲の交流があったのは間違いないですね。


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posted by nishipa : | |

2007年01月25日

宗教と観念支配

時代による都市や国家の支配形態を探るには、その時の宗教の変化が参考になります。宗教はそもそも、人々の行動に大きな影響を与える観念ですから、その観念を巧みに操れば、民衆を服従させることも可能になるわけです。このような観念操作はいつ頃から始まっていたのでしょう。 :roll:

posted by hiroshi : | |

縄文の食料庫・どんぐり

今では殆ど食用にすることは無くなりましたが、縄文人の1万年に渡る食生活を支えたのは、でんぷん質に富むどんぐりと言われています。 :wink:
<どんぐりとは、ブナ科という大きなグループのうち、コナラ属、シイ属、マテバシイ属に入れられる植物 :m178: の果実のことです>http://www.rekihaku.ac.jp/kodomo/5/tayori22.html

しかし、「どんぐり」と一言で言っても下の絵のように、その種類は20種類に及ぶそうです。
koho22.jpg


posted by ryujin : | |

2007年01月24日

直立二足歩行のプラスとマイナス

 どうも、こんばんは。カッピカピです。

 今日は、昨日のちわわさんの記事を受けて、類人猿の中で人類のみが獲得した「直立二足歩行」について書いてみたいと思います。

 なぜ、人類のみが「直立二足歩行」をするようになったのだろうと不思議に思う方もいると思いますが、今回はその問題の前に「直立二足歩行」の利点(プラス)と欠点(マイナス)について調べた結果を書いてみたいと思います。

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posted by hi-ro : | |

2007年01月23日

人類の起源を語った神話

お久しぶりの ちわわ です。

今では食物連鎖の頂点に立ち、世界で65億人にまで膨れ上がった人類ですが、人類の起源は何なのか?
古代の人達は神話でさまざまな説を語っています。

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 世界各地に、人類の起源を語った神話がある。中国の神話では、女神が泥から人間をつくったとある。最初はひとりづつ丁寧に作っていたのだが、やがて面倒になったのか、泥の中に綱をひきずって、跳ね上げた土をそのまま人間にしたのだそうだ。きちんと作ったものは富貴な人となり、いいかげんに作ったものは卑賤な人間になったという。
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 また、キリスト教徒が「旧約聖書」とよぶユダヤ教の聖典では、神が土の塵からアダムという男がつくられ、アダムの肋骨からイブとよばれる女がつくられたとある。その他、北欧神話は木から、マヤの神話はトウモロコシから人間が生まれたと語っている。

http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history01.html

 残念ながら、そのような夢とロマン(?)にあふれた神話群は、現在ではあまり面白みのない「進化論」にとってかわられ、忘れられてしまっています。人類とは猿から枝分かれした種で、生物学上は霊長目のなかのヒト科ヒト属となり、ヒト科をほかのサルたちと区別するポイントは、「直立二足歩行をする」かどうかで、脳の大きさなどは分類には関係ないそうです。

実現論では人類の起源は「樹上から落ちたカタワの猿」と定義していますが、直立2足歩行は人類にとって何故必要だったのでしょうか。

posted by tiwawa : | |

北の古代史~続縄文

先日のエントリーで、tanoさんが、縄文時代の区分を紹介されていますが、北海道においては、本州の縄文時代が終わった後も、縄文時代が続いており、さらにその次に「続縄文」という時代があったようです。
実は、何を隠そう私も「続縄文」という言葉を知ったのは、つい最近のことでして、「えっ、縄文時代には続きがあったの?」と、ちょっと驚いたので、調べてみました。

まずは、北海道における時代区分。

約30,000年前~10,000年前  :旧石器文化
約10,000年前~約1,800年前 :縄文文化(早~晩期までの5期区分)
約1800年~1500年前       :続縄文文化
約1200年~600年前        :擦文文化 
約1200年~600年前        :オホーツク文化
約600年~200年前         :アイヌ文化
約200年~現在            :近・現代(和人による支配、同化政策)



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http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nyumon.html
(アイヌ文化入門より)
 
 
上記年表をみると、本州が弥生に入ったあとも、しばらくは縄文時代が続いた後に、続縄文時代に入ったことがわかります。

では、縄文文化と、続縄文文化との違いはどこにあるのでしょうか。


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posted by yuyu : | |

2007年01月22日

古代市場1:貨幣(コイン)の始まり~国家(支配者)が発行した~

こんにちは、Hiroshiです。
最近縄文と文明も、縄文・メソポタミアから中国も含め範囲が広がってきましたね。
さらに深く追求するため、数回にわたって古代の市場を追求してみたいと思います。ここでは西アジアから地中海が舞台になると思います。

まずみなさんが普段使っている“お金”(貨幣、コイン)の起源から入りたいとおもいます。
お金っていつ頃なんのためにできてきたのでしょうか?

まずは、世界で最初のお金(コイン)はこれ!
lydia_s.jpg
[■リディア王国 BC7世紀頃 1/3ステーターEL貨(4.7g , 11mm)
 表:咆哮するライオンの頭部 裏:不定形の刻印]

>ヘロドトスほか古来の伝承が伝えていることは、円型の金属片に刻印を打ったコインの発明はリュディアのギュゲス王の仕事であったということである。彼は紀元前670年に金73%、銀27%の合金であるエレクトロンのコインを作成したのである。(『文明の「血液」』)

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posted by ihiro : | |

2007年01月21日

中国文明の王位継承=世襲制とは?

縄文ブログ :m027: 最近盛り上がってきましたねー :m051: さーねです :wink:

今日は、中国文明。中国奇貨居くべし「王位継承パターン」という記事。世襲制=生涯固定の身分制度確立過程の仮説です。

>古代王朝の王位継承について、『夏王朝 王権誕生の考古学』に興味深い学説が紹介されていましたので、ここで取り上げてみたいと思います。これは立命館大学の吉本道雅氏の説です。

有力者たちの中から王を選出する「王位」の出現…英雄時代(五帝)
特定の氏族が王位を独占する 「王朝」 の出現
氏族(王族)内の特定の家系が王位を独占し、兄弟が順番に王位を継承商王朝初期
王の子が優先的な王位継承権を持つ親子相続「王統」 の確立夏王朝・商王朝後期
王があらかじめ自分の子から太子を指名西周王朝

ポチっと :m051: :m118: :m118: お願いしマース :D
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posted by sawatan : | |

2007年01月20日

中国の夏王朝はあったのか?

中国の夏王朝があったのかがまだ確定されていません。遺跡が見つかっていないという理由です。

人民中国特集記事「姿現した中国最古の王朝の都」
で中国河南省偃師の二里頭村の遺跡が夏王朝の遺跡ではないかと、特集記事を載せています。
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放射性炭素の崩壊を利用した年代測定法が次第に精度を増し、二里頭遺跡の年代は紀元前1900年ごろから紀元前1500年ごろであることが分かってきた。二里頭遺跡が商によって滅ぼされた夏王朝である可能性が非常に大きくなった。 

1990年までに行われた合計41回の発掘の結果、二カ所の宮殿址が全面的に姿を現した。このほか、廟建築址二カ所、中小の住居址五十余、青銅器の工房址、大量の青銅器、トルコ石の象嵌を施した青銅製の牌飾などが出土した。これによって夏王朝が二里頭に存在したことは、もはや疑う余地がなくなったのである。

夏王朝の特徴のひとつに世襲制のはじまりがあります。

 『史記』などによると、夏王朝は、禹によって建てられた。その前の帝王である尭は舜に、舜は禹に位を禅譲した。禅譲とは、天子がその位を世襲せずに、有徳者に譲ることをいう。
 禹は東方に巡狩して会稽で崩じたが、10年間、政治を任せていた「益」に位を授けた。しかし「益」は三年間の喪があけると位を禹の子の「啓」に譲った。諸侯は「益」を去り、「啓」のもとに集まり、「啓」は天子の位に就いた。天子の位の禅譲は、このときから世襲に変わる。「啓」は初代の世襲制の皇帝である。

中国の古代地理書である『水経注』には、夏の帝王「啓」が「地望」というところに住んだことが記載されています。専門家は新砦遺跡がこの「地望」に完全に符合すると判断しているそうです。

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posted by norio : | |

2007年01月18日

縄文土器体系化の祖、山内先生のお話

次に土器分類を考え出した山内清男氏(1902-1970)のお話です。縄文をかじった事のある人なら当然、この方を知ってますよね。
山内(やまのうち)氏を知らない人は(土器を発見したモースと並んで)モグリです。この方は縄文学の祖と言われるほどの人物です。どの程度凄かったか・・・この投稿を読みながらイメージしてみてください。

以下は東大総合研究博物館のHPより抜粋させていただきました。

山内清男の先史学研究の最大の業績は、綿密な観察に裏打ちされた縄文土器の分類にもとづく、日本先史時代の編年体系の設立にあった。
考古学・先史学に限らず、時間的経過の中で事象の変化生成を明らかにする学問においては、その時間経過の体系=編年を持つことは必須の要件である。日本考古学においてこのような編年体系確立の必要性が認識されはじめたのは大正末期から昭和の初年にかけてのことであり、この時期はまた日本における科学的考古学の確立をみた時期でもあった。

次に・・・・なぜ山内先生が体系化を試みたのか、

日本列島に存在する縄文土器が、単一なものではなく、さまざまな変化を有するものであることはすでに明治時代より知られていた。
しかしながらそれらの変化がいかなる原因によって生じたのかという点については、年代差、地域差、文化系統ないし部族の差によるとするなど、さまざまな解釈が行われていた。山内はこれら乱立する諸見解の中から、新らしい方法に基く編年体系の確立を指向した。

~以上抜粋

モースが大森貝塚で初めて縄文遺跡を発掘したのが1877年、それから遺跡の発掘が進んで50年、きっとたくさんの縄文資料が有象無象に錯綜していたのが山内氏の時代だったのでしょう。
まずはそれを整理したい、体系化したいという当事の考古学の期待に応えたのが山内氏の研究だったのです。

ホーっ、なるほど!orそれがどうしたと思った方↓して進んで下さい。山内先生の原文掲載もあります。
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posted by tano : | |

2007年01月17日

縄文時代はなんで土器で区分されているの?

以前にこのブログでも紹介されましたが縄文時代の現在のオーソライズされている時代区分は土器で行われている事は皆さんご存知でしょうか?

復習ですが土器による縄文時代の区分は以下のようになっています。

10000年~12500年前 縄文草創期
7000年~10000年前  縄文早期
 4500年~6000年前  縄文前期
 3500年~4500年前  縄文中期
 3000年~3500年前  縄文後期
 2300年~3000年前  縄文晩期
 2300年前~       弥生時代

どうやって土くれのような土器で時代区分を?と疑問を持たれた、もたれなかった方、この時代区分を考え出した山内清男(やものうちすがお)氏の紹介と併せて少し勉強下さい。

まず大雑把にどんな土器の特徴があるのでしょうか?

土器にだんだん興味が沸いてきた人 :roll: 、ちょっと↓押してから進んでね
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posted by tano : | |

2007年01月16日

叉状研歯(しゃじょうけんし)って!?

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東京大学コレクションII  哺乳類-人類- よりお借りした写真です↑

前歯のところを見てください。 
この前歯のぎざぎざは、叉状研歯(しゃじょうけんし)っていうのです。
わざわざ健康な歯を削ってこのようにしているんです :m251: すっごいきれいな模様といえなくもないのですが、これって隠れたお洒落 :m034: だったのでしょうか??

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posted by bunchan : | |

2007年01月14日

神々の変遷~自然神・・・水の神”龍”

http://astro.ysc.go.jp/izumo/dragon.html#sento自然神の中でも水の神 :m007: とされる”龍”は、ちょっと変わった位置付けの神であるようです。 :nihi:
世界の各地に”龍”伝説がありますが、その姿や、位置づけなど、様々です。
しかも「水の神」=自然神でありながら、時と所を変えると、龍=皇帝の意味に使われたりしています。

今日はその中から代表的な”龍”を紹介したいと思います。
お急ぎ :m071: の方も、まずは下 :m118: のボタンを押してから次にお進み下さい :m299:
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posted by saah : | |

2007年01月13日

たたら製鉄は日本ならではの製鉄技術?

みつこさんの記事の「鉄器の流通」のコメントの中からたたら製鉄の話が出てきました。
日本の製鉄の始まりであり、日本にしかないこの製法について詳しく書かれたブログがありましたので紹介したいと思います。

ブログのタイトルは

「もののけ姫」を読み解く

です。⇒このブログは読み物としてもかなり面白いですので時間があればぜひ一読下さい。
その中の たたら製鉄の記事です。もののけ姫の映画を見た人はたたら鉄を踏むシーンを思い浮かべながら読んでください。

日本の製鉄は太古より行われていた。日本には、原材料となる鉄鉱石は乏しかったが、火山国の特性として上質の砂鉄が大量に採掘出来た。このため、砂鉄を炊いて鉄塊を精製する特殊な製鉄技術が発達した。この日本独特の製鉄技術を「タタラ製鉄」と呼ぶ。  タタラとは、神話時代から使われていた古い言葉であり、今も地名に残っている。タタラには、年代順に「蹈鞴」「鑪」「高殿」などの漢字が当てられた。「蹈鞴」は、「鞴」を「蹈む」という意味。「鑪」は製鉄に使う溶鉱炉の意味。「高殿」は製鉄用の特殊な建物(後述)を示す。漢字の推移は、そのままタタラの発展を示すものでもある。  タタラ製鉄は、諸外国で行われた鉄鉱石の製鉄に比して、はるかに硬度と柔軟性に富む上質の鉄を作り出す技術であった。不純物が混在している鉄鉱石に比して、砂鉄は原料段階で不純物を除去出来る。砂鉄自身の純度が高ければ、極上の鉄塊を作ることが出来るのだ。タタラ製鉄で出来た鉄塊は、現在の製鉄技術を駆使しても及ばないと言われるほど高純度なのである。世界最高峰の鉄刀と言われ、各国に輸出されていた日本刀も、タタラ製鉄なればこそ出来たのである

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「ふみふいご」(右)と、改良された「てんびんふいご」(左)。これらを合理的な装置に改良したのが「たたら炉」である。(鉄の語る日本の歴史上/飯田賢一/そしえて文庫)

ではそのたたら製鉄とはどうやって作ったのでしょうか?

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posted by tano : | |

王の神格化も段階がある?

王の神格化にも段階があるようです。

メソポタミアにおいてはナラム・シンのように神格化した王は、実は数が少ないそうです。
又ナラム・シンという名も「シン神の最愛の者」と言う意味で人間社会の運命を大神にとりなす神つまり個人神のような立場の神に神格化されたと考えられているようです。
つまりこの段階は大神(最高神)との同一化までいっていない :roll:
では何時、どこで :m134:

さて 続きの前に
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posted by dokidoki : | |

2007年01月12日

精霊信仰の変化:カーバ神殿の黒石

メソポタミヤの信仰ではシュメール以降の人格神の神話が有名ですが、そういう神話ができる前はどうだったのだろうか? 
ところがメソポタミヤ地域では「信仰」とよべるものはなかなか見あたらないので、範囲を広げて遊牧部族の信仰はどうだったか?をみた方が有効かもしれません。

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そこで、イスラムの聖地のさらに昔々を探ってみます。

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posted by nandeya : | |

縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?

今晩は、さーねです。今日は縄文です :wink:
まずは、改めて、縄文で追究していく課題を確認 :P

今年の「縄文ー古代ブログ」を振り返って

tanoさんのこの課題整理で♪非常にわかりやすい!再度、抜けている部分や真相を明らかにしていきましょう!ということで、まだ追究されていない縄文時代の贈与・交易について調べてみました。

やはり、人口が最も増加しながらも、寒冷化という外圧に直面した縄文中期以降に発達したのではないでしょうか?
寒冷化という外圧に再度直面し、みんなが生き延びるためには?⇒他の集団の良いところを取り入れよう!という意識になったのではないでしょうか :m050:

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出土したヒスイ⇒祭りのための装飾品 :m052: 精霊が宿るお守り :m052:

以上のような仮説を立てながら、関係する史実を追ってみました。考古学や人類学上の資料も、やはり人々の意識と合わせて考えるとより生きてきますねー :o

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posted by sawatan : | |

2007年01月11日

縄文人はどんな服装だったのか?

かつては毛皮を腰に巻いて、原始的な生活をしていたと考えられていた事もあったようですが、実際には想像以上に洗練された服装をしていた ことが分かってきました。かなりおしゃれな人々であったようです。

Jyoumon_Fuku1.jpg

以下は縄文人の服装について良くまとまっているサイトです。
縄文人は刺青もしていたようです。これにはかなり驚きです。 :shock:

詳しくは 縄文世界 を覗いてね!

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posted by mrran : | |

守護神の格付けと都市間の序列は関係ある?

初投稿の、ぶんと申します。みつこさん同様、少しづつですが勉強していきたいと思います。よろしくお願いします :blush:

今回は、hiroshiさん (12月22日投稿)の投稿

>2.自然神信仰が人格神信仰に変わったのはなんで?

について。特に、

神たちは数字によって格が決められていたようです。あたかも人間社会を神の世界に投影したようです。その背景はなんでしょうか?

について、調べてみたと思います :o
ねらいとしては、メソポタミア神話の神様とその格付け、そして、その神を守護神としていた都市について調べることで、守護神の格付けが都市間の序列と関係があるのかどうか?が見えてくればと思うのですが・・・
今回はその一歩目ということで・・・都市がどのランクの神を守護神としているのか調べてみました。

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posted by bunbun : | |

2007年01月10日

鉄器の流通

明けましておめでとうございます :m227: :m226: みつこ :D です。
今年も少しづつですが、このブログで勉強していきたいと思います :m103:

さて、今日は古代の鉄について調べてみました~。
弥生時代はこれまでの石器に変わって鉄器が普及して、農業の生産効率を飛躍的に上げることになるのでしたよね。
でもその普及にも、やはり段階があるようです :roll: 。

一緒に勉強 :m061: :m060: って思ってくれた方は、ぽちっとお願いしますね。
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posted by mituko : | |

2007年01月09日

縄文人に学ぶ現代人

初投稿~(実は違いますが・・・)
○といいます。今後ともよろしくです :lol:

さて、タイトルにあります通り今回は縄文人に学ぶというお話を :m039:

「縄文人に何を学ぶのさっ!!」と思ったそこのアナタ。はい、続きを読みましょう。


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posted by maru : | |

2007年01月07日

波状的に遊牧民がやってきた古代中国 ~殷(商)・周~

殷は、存在がはっきりしている最初の中国古代国家と言われている。
その成り立ちは西方からの遊牧民による征服王朝のようだ。

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[紀元前1500年前頃の部族分布](中国通史より拝借)※商は殷を示す
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posted by ihiro : | |

2007年01月06日

中国文明最古王朝の「商」~市場の起源は支配者の正当化から始まった!

今晩は、さーねです。正月明け、最初の記事はやはり「起源」もので :wink:

中国文明最古の国家「商」の市場の起源を追ってみたいと思います。(ちなみに、夏王朝が伝説上の最古の王朝と言われておりますが、やはり伝説上ですから…^^;)

「商」王朝は、商業・商人の起源ともされていて、探ってみると面白いのでは?(ちなみに日本では、殷王朝と呼ばれています)

まずは、起源を解明するために。るいネットでの有力な仮説投稿を軸に考えてみたいと思います。

国家需要が基盤となり市場が形成された

>たとえ武力支配国家といえども、共認なしには統合し得ない。したがって、シュメールの部族連合や都市国家においても、力による制圧の後、支配者の正当化としての観念、すなわち守護神信仰を創り出した。
守護神信仰も精霊信仰と比べれば本源価値を大部分失っており、万人にすんなりとは共認され難い。そこで、さらに正当化するために感覚にも訴える手法をとった。支配者の力を正当化する観念=守護神信仰を具現化するもの、それが神殿であった。したがって、国家事業は軍事、農業基盤整備、神殿造営が中心となった。

商王朝を調べてみると、なんとこの仮説にピッタリなことか!

まずは、信仰を軸とした政治=支配構造

>殷部族の長である王は、祭祀・農耕・政治・軍事など全般にわたって、占いに現れた神意に基づいて決定する祭政一致の政治を行った。殷は武力による征服と商業活動によって繁栄し、王は豪壮な宮殿や大規模な王墓を造った。
(理解する世界史より)

生贄には、時には人も…それくらい信仰による支配だったと言われています。

1.jpg
青銅器 殷(商)
(紀元前17世紀~同11世紀)
高さ133センチ、足の高さ46センチ、壁の厚さ6センチ、重さ875キロ
→祭祀に利用されたという青銅器 :shock: 生贄用 :m050: でかいっ :shock: :m051:

:m118: :m118: 続きは押してからどうぞ :m118: :m118:

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posted by sawatan : | |

黒潮に乗って

tanoです。今日から仕事始め。長い正月休暇をいただいて体調万全です。今年も頑張れそう~ :-)
さて今年最初の投稿は正月のマグロドラマに感動して海洋民の話から・・・

日本人の起源は、るいネットの「スンダランド海洋航海民」や「日本人の渡来経路(縄文時代以前)」などにあるように、スンダランドから黒潮に乗ってやってきた人々を基層に持つとされている。(柳田国男が唱えた「海上の道」。)今回このルートを確かめるべく、黒潮の海流調査が行われた。昨年の調査結果と共に紹介してみたい。

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