2007年01月23日

人類の起源を語った神話

お久しぶりの ちわわ です。

今では食物連鎖の頂点に立ち、世界で65億人にまで膨れ上がった人類ですが、人類の起源は何なのか?
古代の人達は神話でさまざまな説を語っています。

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 世界各地に、人類の起源を語った神話がある。中国の神話では、女神が泥から人間をつくったとある。最初はひとりづつ丁寧に作っていたのだが、やがて面倒になったのか、泥の中に綱をひきずって、跳ね上げた土をそのまま人間にしたのだそうだ。きちんと作ったものは富貴な人となり、いいかげんに作ったものは卑賤な人間になったという。
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 また、キリスト教徒が「旧約聖書」とよぶユダヤ教の聖典では、神が土の塵からアダムという男がつくられ、アダムの肋骨からイブとよばれる女がつくられたとある。その他、北欧神話は木から、マヤの神話はトウモロコシから人間が生まれたと語っている。

http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history01.html

 残念ながら、そのような夢とロマン(?)にあふれた神話群は、現在ではあまり面白みのない「進化論」にとってかわられ、忘れられてしまっています。人類とは猿から枝分かれした種で、生物学上は霊長目のなかのヒト科ヒト属となり、ヒト科をほかのサルたちと区別するポイントは、「直立二足歩行をする」かどうかで、脳の大きさなどは分類には関係ないそうです。

実現論では人類の起源は「樹上から落ちたカタワの猿」と定義していますが、直立2足歩行は人類にとって何故必要だったのでしょうか。

投稿者 tiwawa : 2007年01月23日 21:53  

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コメント

私が興味があるのはなぜ古代宗教はどれも進化論を否定しているのかという事です。
また、当事の人が本当に泥とか骨から人ができたと思っていたのでしょうか?
現代人は進化論があるからそれがおかしいと思えるのですが、当時の人は人は最初から人だと思っていたのでしょうか。

誰かわかる人がいればお答え願います。(^^)

投稿者 tano : 2007年01月24日 22:06

 そうじゃないと思いますよ。古宗教は進化論は否定も肯定もされていません。しかし、アニミズムなどは動物と人間の連続性に含みを残した宗教感覚だと思います。
 その連続性的感性を強引に断ち切ったのが、現在の世界宗教に多く見られ、特にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などはそうだと思います。
 アニミズムは交通手段が貧弱で限られた時代において、動物を過度に採取すると、未来が維持できなくなるといった感覚をもった部族が地球上で優位になった時代だと思われます。自分たちがなれ親しんだ行動範囲内において乱獲をした部族は、滅亡に追いやられ、自然選択的に遠いアニミズム時代の部族は自然とのバランスをとるものが主流となった。
 しかし、劣勢だった、乱獲部族も道具をはじめ交通手段を発明した時点から、広い地理を見据えると、獲物が無尽蔵に見え始めた。それで乱獲の正当性を確信まで高めた宗教をもつものが、人間と動物の断絶性を強調し成功したので、現在はその思想が主流になっている。
 翻って、日本神話において、動物を人間にとって近いもの(動物への愛情をもって扱っているところ)が特に出雲神話で多く語られている。因幡の白兎などもその代表だと思う。

投稿者 島根ファン : 2008年12月02日 02:49

>そうじゃないと思いますよ。古宗教は進化論は否定も肯定もされていません。しかし、アニミズムなどは動物と人間の連続性に含みを残した宗教感覚だと思います。

”連続性”というのは言いえていますね。
動物や植物の中に生かされている感覚がアニミズムだと思います。ですから、生かされている対象を絶滅、消滅させるような事は絶対にできなかったのだと思います。
それとアニミズムと古代宗教の違いは現実を対象化するか否かだと思います。アニミズムとは言い換えれば徹底的に自然界を注視する考え方であり、現実肯定そのものです。対して古代宗教は現実ではないあの世や神観念が必要であり、総じて現実否定がベースにあると言えるでしょう。

日本人の可能性はこの縄文時代に培ったアニミズムの思考方法などもあるのではないでしょうか?

島根ファンさんの記事からふとそんな事を考えました。

投稿者 tano : 2008年12月02日 22:42

 境界を決めて人が時間を管理する稲作国家が誕生したとき、その外側を取り巻くアニミズム的な縄文精神は、心の内側に仕舞い込まれたのだろうと思います。
 その証拠として、『古事記』の因幡の白兎が『日本書紀』では消えた代わりに、編年体の歴史書に一直線ではない流れ方をする時間が混入したのではないでしょうか?

投稿者 高塚タツ : 2008年12月04日 15:53

>その証拠として、『古事記』の因幡の白兎が『日本書紀』では消えた代わりに、編年体の歴史書に一直線ではない流れ方をする時間が混入したのではないでしょうか?

意味深ですね。
心の内側に仕舞い込まれたということは、いまだに消えてはいないということですね!私たちのどこにそれが仕舞い込まれているのか、探していくのも結構楽しい作業だったりして・・・。

投稿者 tano : 2008年12月05日 00:33

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