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2007年02月28日
弥生期の人口増は大量渡来か、それとも稲作化によるものか?
こんにちは、simasannです。
弥生から古墳時代にかけて、下表のように急激に人口が増えていったことは、ご存知の方も多いと思います。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/hito.htmより引用
これについては、このブログでも以前tanoさんが投稿している、 「二重構造モデル」を提唱する埴原和郎さんの①「100万人規模の大量の渡来人によるもの」とする説と、
九州大学大学院の中橋孝博教授と九州歯科大学の飯塚勝助教授らが提唱する②「少数の渡来人による水稲耕作化と長寿命化によるもの」の2つの説があります。
考古学では「少数渡来」、人類学では「大量渡来」というように、現在もなお論争が続いています。
それぞれの主張は、そして、どっちがホント?、知りたいと思った方は、ポチッとお願いします。
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posted by simasan : 22:53 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年02月27日
弥生時代の海上交通事情
こんばんは~bunchanです :P
弥生時代の仕事といえば稲作。でも稲作だけが生業ではなかったのです。大陸との交易も行っていたんですよ~。
縄文時代の複数の遺跡からは丸木船が発掘されています。

丸木船:画像は「弥生ミュージアム」さんからお借りしました
弥生時代の人々は、近隣地域を行き来するための川や沼、湖などの運行には縄文時代以来の丸木舟を、遠方への航海には弥生時代に登場した準構造船を利用していたものと思われます。

準構造船:画像は「弥生ミュージアム」さんからお借りしました
この準構造船を使って弥生時代の人は大陸へ航海していたのです。
確かに縄文時代の丸木船にくらべて作りもしっかりしていますよね :m034:
が、しかし、この航海はかなりたいへんなものでした・・・
posted by bunchan : 22:57 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年02月22日
寒冷化により、まず穀物栽培に転換した
こんばんは。
『縄文晩期の気候変動が農耕につながった?』と、以前tanoさんの投稿にありましたが、今日は「生業からみた縄文から弥生」さんの論文から検証してみたいと思います。
さーねさんが前に、堅果類食糧について書かれていますが、縄文から弥生にかけての生業類型は概ね、
狩猟傾斜型→植物採集傾斜型→植物採集+雑・穀物栽培型→水稲栽培型(農耕)へと推移していきます。
ここで用語の定義ですが、
○栽培とは、植物の生殖を管理すること。
○農耕とは、デンプンの供給源としてのメジャーフードとなりうる栽培型植物の栽培を指す。
採集、栽培、農耕は明確に異なることが分かりますね。
さてどのように、採集→栽培→農耕へと推移していったか見ていきましょう。
posted by nishipa : 23:15 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月21日
貨幣もバイリンガル?!
こんばんは :m017: みつこ :D です。
さーねさんの記事『殷(商)王朝~貝貨という幻想』とても興味深かったです。
で、貨幣についてあれこれネットサーフィンしていたら、同じ参考HP :m108: で面白い記事を発見しました!
先日のなんでや劇場で「王様交易(大遠征交易)」と名づけられた、古代交易の代表格シルクロードにまつわる貨幣です!
シルクロードのどのあたりかって言いますと、、、、
このあたり :m118: :m118: :m118:

どんな貨幣~ :m050: って思った方はポチっと応援の後、読んでね。
posted by mituko : 01:17 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年02月18日
古代中国:祖先信仰による支配体制
弥生時代には祖先(祖霊)信仰が、日本にも来ていたのですね。
では、本場中国の祖先信仰と、支配体制の関係はどうなっていたのでしょうか?
古代中国では、殷や周の王が土地支配の拠点として都市国家をどんどん作り、そこへ諸侯や身内を派遣して支配していましたが、彼らを秩序化していたのが祖先信仰(宗法)だったようです。
↓応援よろしくお願いします
![]()
posted by ihiro : 16:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月17日
中国文明:殷(商)王朝~貝貨という幻想
今晩は :m027: さーねです :wink:
前回のなんでや劇場~市場の起源~から、市場の前提である幻想共認を追ってみたいと思います :m029:
その中で注目したのが、中国文明最古の貨幣と言われる「貝貨」です :m042:
殷(商)王朝の支配構造から考えると、中国において、市場の元となる幻想の起源が、貴重品とされたこの「貝貨」であったのではないか :m050:
最古の貨幣は実は…幻想そのものだった :m051:
ぜひ、ポチっと![]()

殷(商)王朝の貝貨
(世界最古の貨幣~貝貨)
posted by sawatan : 23:01 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年02月14日
環壕はなぜ忽然と姿を消したのか?
弥生時代の人々の意識を解明する上で、「環壕」が忽然と消え去ってしまった原因をおさえておく必要があると思います。
今回は、「環壕の起源」「環壕を普及化したのは誰か?」「環壕の目的」を、邪馬台国の道から紹介したいと思います。

高島 日本最大の環壕集落として知られる吉野ケ里遺跡は紀元前3、4世紀から紀元3世紀までの約700年間、継続的に存在した。その初期の環壕が遺跡南側で確認されているが、形状はどうも韓半島にも類例がある楕(だ)円形のようだ。
沈 韓半島における環壕集落の成立は吉野ケ里遺跡より古く、その後、日本でいう弥生後期まで続いている。
韓国南岸には多くの環壕集落が確認されており、その中に環壕の形状が楕円形もある。南山(ナムサン)遺跡などがそうで、吉野ケ里遺跡のように大きくはないが、成立年代も同じとみている。形状や成立年代など類似点は多く、日本の環壕集落の起源は韓半島の可能性が高い。
西谷 関係の深さを感じさせる遺物も多い。福岡市の板付遺跡に代表される弥生時代初期の環壕集落から出土する磨製石器と同じ形式のものが検丹里(コムタンリ)環壕集落で確認されている。磨製石器のほかにも韓半島に源流を持つ支石墓が吉野ケ里遺跡の近くにある。環壕だけでなく付随する遺物や遺構までそっくりだ。やはりルーツは韓国と考えたほうが自然だろう。
引き続き、「環壕を普及化したのは誰か?」「環壕の目的」を紹介します。
続きを読む前に、ぽちっとお願いします :D
posted by naoto : 20:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
弥生時代のクニの形成過程
おはようございます、tanoです。久しぶりに弥生に戻ってまいりました。
今日は弥生時代のクニの形成について考えてみたいと思います。
弥生時代は縄文晩期に渡来した中国・朝鮮系渡来人によって作られました。
弥生時代の特徴は集団規模の拡大と階層化の登場です。
弥生ミュージアムではクニの形成を以下の4段階に分けています
■第一段階 農業開始期
■第二段階 クニの成立期
■第三段階 クニの相互期
■第四段階 クニの連合期
【この4つの段階は大きくは以下のようになります。】
渡来人の定住・農耕の開始
:m118:
人口の増加=集団規模の拡大
:m118:
環濠集落の成立
:m118:
中核的環濠集落の成立
:m118:
中核的環濠集落の中身の拡充
:m118:
環濠集落の消滅
:m118:
古墳の登場
???なぜ集落が消滅したのでしょう?
これには祖霊信仰と武器の祭器化が絡んできます。 :roll:
上記を流れを詳しく図解化風に書いてみました。
続きを読みたい人はポチッと押してみてください(関係ないけど)
posted by tano : 09:01 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年02月13日
弥生時代に持ち込まれた祖霊信仰
こんばんは~ :m017: 最近信仰ってなんだろう~?と追求中のbunchanです :m072:
ひとことで「信仰」といっても、いろんな信仰があります。
始源人類の最初の信仰は、「精霊信仰」でした。
精霊信仰とは、万物の背後に霊を見るというもの。あらゆる自然を注視し、それは観念機能の獲得にもつながっていくものでした。縄文人もこの精霊信仰をしていたと思われます。縄文から弥生に時代が移ったとき、弥生時代にもたらされたのが「祖霊信仰」でした。もともとは皆同じように墓に葬られていたのですが、特定の人の墓に特別な副葬品(銅鏡など)を一緒に埋葬したりやがてはその特定の人の祭祀を行ったりして先祖を祭るようになっていきました。

福岡県須玖岡本遺跡出土の前漢鏡(草葉文鏡)のレプリカ「弥生ミュージアム」 さんよりおりしています。
「祖霊信仰」ってなに?どこからきたの?
続きを読む前にクリックお願いします :m030:
posted by bunchan : 21:48 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年02月09日
縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い
今晩は。さーねです :wink:
今日は、『生業からみた縄文から弥生』の中で、堅果類食料の違いから東西の生活様式の違いを解明していきたいと思います :m050:
まずは、堅果類食料の種類と分布をおおまかにまとめてみました。
(詳しくは、『生業からみた縄文から弥生』を参考に)
●照葉樹林-アカガシ・アラカシ(水さらし),シイノキ(処理不要)
⇒西日本では、メジャーフード。縄文中後期の関東には存在したが、中部・東北には分布していなかった。
●落葉樹林-クリ・オニグルミ(処理不要),クヌギ(水さらし),ミズナラ・コナラ・トチノキ(水さらし+加熱)
⇒ほぼ列島全域に分布。(北海道を除く)
※『生業からみた縄文から弥生』の2 植物質食糧の種類より
※食べるために、”何も処理不要”・”水さらし”・”加熱(=アク抜き)”に分けています。
>・西日本の照葉樹林帯でも落葉性のコナラ・ミズナラ・クリ・クヌギを利用できる環境にあったことがわかるのである。
>・東日本の海岸部も照葉性のカシ・シイ類を利用できる環境にあったのである。
概ね、東西分布の違いはあったものの、上記に挙げた堅果類食料を採取する状況にはあった。ただし、標高が高く他地域に比較して寒い中部・東北のみ限られていたという状況です。
では、なぜ東西の生活様式に違いが出たのか :m050: :o
:m118: ポチっと押してから :m051: :m118:
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posted by sawatan : 20:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年02月08日
神の位置づけと統治の方法はどんな関係があるのか
周辺諸国を征服し従えていった王が、その行為の正当化の為に上手く神の存在を利用した様子が前回までのレポートで伺えましたが、今日は神格化した王と、統治の関係がその後どうなっていったのかを調べてみました。
王=神にまでなり、絶対的権力を手にした王は、その後支配下の国の民をどのように統治していったのでしょう?
次に進む前に、ポチッとご協力お願いします。
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posted by saah : 23:16 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月06日
「贈り物」の起源?!アカに見る食料分配
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一日平均2~5時間で食料を確保することができ、農耕をしないのか?との質問に「ふんだんにモンゴンゴの実 :m078: があるのに、何でわざわざ作物 :m146: を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという狩猟採取民。あとの時間は、歌 :m027: や踊り :m113: など余暇?を過ごしていたりするそうです。
う~ん、うらやましいような。。。
でもでも、それで集団が統合できたの :m052: ってずーっと疑問だった、みつこ :D です。
外圧が低下した狩猟採集民がどのように集団を統合していたか?
その社会システムがわかる研究を見つけましたので、報告しまーす!
山口大学の北西功一氏のHPより「中央アフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民アカ」についての記事から引用させてもらいました。とても詳しくて嬉しくなりました~ :m106:
注目したのは、彼らの「食料分配」。
彼らは獲得した食料を成員に平等に(?)分配しているのですが、、。
さて、いかに?
ぜひ、読んでね :m001: その前に応援もよろしくお願いします :m072:
posted by mituko : 23:36 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年02月05日
中国文明~手掛かりとなる史料
中国文明では、様々な史料の名前がありますが、どうも今までどんなものかがわかりませんでした^^;
今日は、中国文明解明のカギとなりそうな歴史書を紹介します。
・『ト辞』ボクジと読みます。
・『国語』普通に読んでください。
・『春秋』これも普通に。
・『晏子春秋』アンシシュンジュウと読みます。
・『史記』これは有名ですねー⇒司○○さんの著ですね :m049:

ト辞:獣骨に刻まれた甲骨文字
今日参考にしたのは、中国歴史奇貨居くべしさんと世界史小事典(山川出版社)です。
中国歴史奇貨居くべし によれば、歴史書の他に、思想書・兵書・文学書(伝説)等があるようです。こっちもぜひ参考に :m051:
posted by sawatan : 19:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
西ローマ帝国の滅亡(民族の玉突き)
こんばんわ。初めまして、たかあつです。
古代のヨーロッパはどうやってできていったのでしょうか?
その秘密は古代ローマにあります。
古代ローマは世界支配に新しい形を示したとされる。それ以前は先進国が後発国を支配して覇権国となったが、ローマになってそれが逆転し、後発国が先進国を支配することで覇権国となるという形があることを示したといわれる。それとてヘレニズム世界が先駆けであったといえなくはない。このローマも、その将軍小スキピオ(前185-129)がカルタゴの劫火をみながら、「ローマの運命もいつかはこうなるだろう」といったようになる。
それは、ローマ帝国の住むすべての自由民が首都ローマ人と同じように市民権を持つこととなり、また属州の支配者たちがローマの貴族や騎士と同じように振る舞い、その領地を自前のポリスとして運営するようになると、ローマ帝国は分裂するしかなくなる。それを「蛮族」に一撃されて瓦解する。<海上交易の世界と歴史

時代を遡って前2世紀中頃、ローマでグラックス兄弟が改革を試みていた頃ユーラシア大陸の東端、中国では漢帝国が栄えていました。(武帝という皇帝の時代)この以前から中国北方の草原地帯では匈奴(きょうど・フンヌ)という遊牧国家があり、中国を圧迫していましたが、武帝の時代になってはじめて北方遠征で匈奴に勝利します。 :m051:
負けた匈奴は漢に追われる形で西に移動を開始しました。・・・さてここからヨーロッパが作られていきます。
posted by taka-atu : 13:39 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年02月04日
商王朝における信仰観念と支配構造
こんにちは、今回は中国の勉強です。
先の「中国の夏王朝はあったのか?」や「中国文明の王位継承=世襲制とは?」では、夏王朝から世襲制が始まった、とありますね。
続いて、商(殷)王朝は最初の古代国家と言われていますが、どのような信仰観念と支配構造だったのでしょうか?
集団間を支配、統合するためには、世襲制をはじめとする制度を実現するための、力と観念が必要ですね。
るいネットの「信仰・宗教観念の成立構造整理」では、精霊信仰~守護神信仰~古代宗教までの流れを以下のように整理されています。(分かりやすいですよ)
>■精霊信仰
自然への畏れ敬い
>■守護神信仰①(自然神の登場)
遊牧~父系制転換
⇒集団第一・私益第一意識・(集団)正当化観念
↓
「守護神=自然神信仰」
>■守護神信仰②(人格神の登場)
同類圧力(略奪闘争)=他部族との相対比較、差異意識
+
自集団の私益第一=自集団の正義正当化
↓
「守護神=人格神信仰」
>■守護神信仰③(信託者=王→最高神と王の同一化)
1.武力支配・異民族支配の成立=支配正当化
↓
守護神の信託者=王
2.支配体制の維持⇒王の絶対性を物語化(共認支配)
↓
神官・知識階級の専門職化
3.更に広範囲の武力支配・異民族支配=帝国の成立⇒絶対的な支配正当化
↓
最高神と王の同一化「王=神」
>■古代宗教
序列体制=生涯固定の身分制度の確立
posted by nishipa : 17:27 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月03日
土偶は縄文人が観た精霊の姿
みなさん、多彩な表情の土偶に何を感じますか?



(写真は「庁鼻和窯ほーむぺーじ」さんからお借りしました)
こんばんは、くまなです。 :D
土偶は、縄文人が思い描いた「精霊」そのものではないでしょうか。
その豊かな表情を見ていると、そんな感じがしてきませんか?
土偶=精霊だと考えれば、その異様さも多彩さも納得できます⇒参照土偶の写真集(上記写真)、縄文人の表情
土偶の多くは女性(多くは妊婦)を表わしています。
産む性としての女性に精霊との近しさを見出していくのは自然だし、その偉業に集団が感謝し、精霊にも感謝したことは容易に想像できる。成熟した女性のチャネリング能力が精霊との近さを感じさせたこともあるでしょう。
土偶の多くは目はつり上がっています。参考⇒縄文中期の土偶たち
縄文人にとって、精霊(≒自然)は厳しいものでもある。だからこそ祈り、応望する。そして精霊は期待に応えてくれる。だから怒り一辺倒ではない。そのような精霊の存在が、土偶の表情に表れているように思います。
土偶の多くは割られています。割ることを前提に作られているようです。
どうして精霊を‘割って’しまうのでしょうか?
posted by kumana : 17:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年02月02日
神様にも人気、不人気があった。
アッシリアの事ですから、釈迦や孔子が生まれる少し前の話。
前にも登場したナラム・シンがいたアッカドの時代からすると1500年も後の事です。
元々アッシリアはアッシュールの市神である「アッシュール」が最高神であったのですが、アッシリアがバビロンを制覇した後は、元々はバビロンの市神であった「マルドゥーク」にその位置がとって替えられたようです。なぜでしょう :m134:
征服された側が征服した側の神様を信仰する様に強いられるのは分かりやすけど、どうしてその逆が起こったのか?不思議な気がしませんか :m134: :m134:
posted by dokidoki : 12:07 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月01日
地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった!
こんばんわ、tanoです。 :-) 今日は新聞ネタです。1月25日の毎日新聞に掲載されていました。
「今から3万年以上も前、地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった--。こんな学説を信じられるだろうか。 :roll: 」
いかにも新聞ネタっぽいですが我慢して読んでみてください。
後期旧石器時代(約4万年前~1万5000年前=注)の初めごろの遺跡から、関東地方を中心に「環状ブロック群」と呼ばれる遺構が見つかっている。石器が集中する地点をブロックという。そのブロックが円形を描き、直径10メートルほどから、大きなものは50メートル以上に及ぶ。下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(群馬県伊勢崎市)で初めて確認され、現在全国で約100カ所が知られる。

研究者は何らかの集落跡と考えている。例えば、下触牛伏遺跡に詳しい小菅将夫・岩宿博物館学芸員は同遺跡には20個の石器ブロックがあり、一つを1家族4、5人として70~80人から100人の集落を想定する。はるか後の縄文時代の一般的な集落よりずっと大規模だ。

なになに! :shock: って関心が湧いてきた人、ぽちっとお願いします
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posted by tano : 18:02 | コメント (3) | トラックバック (0)