/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2007年03月31日

弥生時代の身分制度(番外編)-奴婢、軽罪は妻子没収、重罪は一族にも刑が及ぶ

:D くまなです

今回は階級社会の番外編として「奴婢」です。

私たちが奴隷と言われて思い浮かべる‘鎖につながれて重労働を強いられる’人々がいたとすれば、この奴婢と呼ばれる人たちで、罪を犯した人々です。奴婢の「奴」が男で、「婢」が女。


卑弥呼が死んだときに奴婢100名余りが殺され一緒に埋葬されたと、魏志倭人伝の記述があります。

彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人

●和訳:この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。

殉葬は、古代殷(商)で行われた習慣で、のちの朝鮮でも表れます。
それを卑弥呼(の一族)も行ったということです。

下は、古代殷(商)での殉葬の跡です。

W020060901429107754713.jpg

(写真はリンクよりお借りしました。)

殉葬制度については、加耶の歴史文化を参照してください。


奴婢は犯罪者ってことですが、当時の犯罪って?

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posted by kumana : | |

2007年03月30日

弥生時代の身分制度(2/2)-生口は偉い人への貢ぎ物

こんばんは、くまなです :D

前回に引き続き、弥生時代の身分制度です。
今回は、一般に奴隷と言われている‘生口’が中心になります。

生口は、当時、卑弥呼や台与(卑弥呼の後継者)らが、魏(当時の中国)に献上した貢ぎ物 :m176: の中に含まれています。


mitugimono.JPG

表は、サイト邪馬台国とは何だろうか?魏志倭人伝の語る日本を参考に追加作成しました。

弥生時代には、日本から中国への貢物として「生口」という人間が何度も送り込まれています。
魏志倭人伝での生口に関する記述を紹介します。

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posted by kumana : | |

2007年03月29日

弥生時代の身分制度(1/2)-下戸は道で大人に出会ったら草むらに退く

こんばんは、くまなです。 :D

弥生時代の日本には、中国・朝鮮から渡来人とともに身分制度がやってきたようです。


魏志倭人伝によると、1700~1800年前の日本(倭国)には、大人下戸生口という身分階級がありました。(※魏志倭人伝は、正式には『三国志』魏書・烏丸鮮卑東夷伝中・倭人の条)


53.jpg
図は、弥生ミュージアムさんからお借りしました。⇒参考:社会組織・階層


魏志倭人伝は当時の中国(西晋)の官僚である陳寿が自らの見聞や使者・地元民からの伝聞をもとに編纂したものです。
(参考:魏志倭人伝とは?)

今回は魏志倭人伝にある大人下戸に関する記述と現代和訳を以下に紹介します。(参考サイト:魏志倭人伝の原文と対話型和訳

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posted by kumana : | |

2007年03月28日

漢字の到来・・・文章語としての日本語

さて、日本語の一番のポイントは漢字文化の到来です。
漢字とは言うまでもなく中国の文化ですが、楽浪郡という朝鮮の民族国家の亡命者を介して日本に移入されました。
それまでは縄文語だったわけで、通常、言語を変えるという事は魂を売るに等しい事です。漢字文化を注入されながらも日本流に加工して使いこなしたのです。

ここでも1万年に渡る日本人の精神性が発揮されます。

再び司馬先生の文章を掲載します。

「文章語としての日本語」より

古代、朝鮮半島に、漢の直轄領がありました。これが、楽浪郡であった・・・。紀元前108年からほぼ400年つづいた特別な地域でした。ここに、中国から役人や学者、あるいは画家や建築家などがやってきて、中国文明を移植しました。中国文明を牛乳にたとえるならば、楽浪郡はコンデンス・ミルクのように濃縮された文明の缶詰でした。ところが、4世紀初頭に楽浪郡がほろびます。すでに力を蓄えていた地元の朝鮮民族が、古代的な民族国家をつくります。失業した楽浪郡の知識人や技術者たちあるいはその子孫たちは、その後、朝鮮の民族国家に貢献するとともに、日本にもやってきました。

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posted by tano : | |

縄文言語と日本人の精神性

縄文語ってどんな言葉だったんでしょうか?
司馬遼太郎の随筆の中に母音が中心の言語だったのではないかと書かれています。所謂、あ・い・う・え・お・・・ですね。

母音中心の言語は広く南~東南アジアに共通するようです。

日本語の系譜をわかりやすく書いたものに過去のるいネットの投稿(リンク)があります。

ところで、縄文語はどのような言葉であったのか。
 これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。
~国立民族学博物館 崎山 理教授の研究を紹介するHPの引用

司馬遼太郎氏は縄文言語と日本人の精神性を以下のように表現しています。 :roll:
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posted by tano : | |

2007年03月24日

文字の発明から英雄伝説へ・・・・その目的は?

文字が発達し文書として残されるようになり、更に進化(?)して「物語」というものが作られるようになりますが、その中でも古代の物語で代表的なものが叙事詩と呼ばれるものですね。内容は英雄伝説的なものが多いようです。
メソポタミアでいうと、想像上のウルク王、ギルガメシュについて書かれた「ギルガメシュ叙事詩」が有名です。

今日はその内容を見ながら、この時代以降に多く出てくる叙事詩がどのような目的で書かれるようになったのかを考えてみたいと思います。

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posted by saah : | |

2007年03月23日

文字の起源 メソポタミア編

言語学者でない私でも、文字の起源には興味が沸きます。 :-)

文字自体がいくつかの意味を表すのが「表意文字」。文字自体には意味がなく、それらがいくつか組み合わさって意味を成すのを「表音文字」というんだそうです。 :-)

日本語は、表意文字の漢字と表音文字のカナを駆使して表現されています。一方英語は表音文字だけの組み合わせです。 :roll:

最近の絵文字などは、表意文字を超えて感情や空気感までもを伝えようとしているんでしょうかね? :roll:

遡ること数千年、紀元前のメソポタミアの文字の変遷について、お馴染み「南風博物館」に興味深い内容をを見つけたので紹介します。続きを読む前にクリックして!  byヒロシ
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posted by hiroshi : | |

2007年03月22日

中国文明&縄文:漢字はなんで必要になったか?~支配のためだった?

みつこさん⇒ぴんぐ~さん⇒さーねが勝手にバトン受け取りました :wink:
以前、さーねも中国文明~なぜ漢字=表意文字か?超国家を統合するためだった!?で、文字ネタ調べてみましたが、今日は漢字文化圏の文字として焦点を当てたいと思います :m051:

:m118: いつも応援あざーっす :m118:
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神代文字:日本において漢字伝来以前に存在した文字 :m052: :m052: :m052: しかし、学会では後の信仰のために捏造されたものと言われています。(ウィキペディア参照)
(写真は、神代文字より)

posted by sawatan : | |

国家・市場を統合するのに文字が不可欠だった!

こんにちは、みつこさんからバトンを受け取ったぴんぐ~ :D です
昨日とはうって変わって今日はとってもいい陽気 :m005: 小春日和です :m036:

昨日のみつこさんの記事、なるほど~ :m103: です。
交易が始まって市場社会になると、文字が必要になってくるんですね

では、今日はその「文字」によって発展を遂げた古代ギリシアの事例を紹介したいと思います。

続きに行く前にクリックお願いします。

  :m118:   :m118:

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posted by pingu : | |

2007年03月21日

文字の起源は市場にあった?

こんばんは~ :m017:  まだまだ寒いですね。みつこ :D です。

私たちは今文字を当たり前に使っていますが、その起源って意外と新しいんですよ。

言語(コミュニケーション語) :m185: :m186: の起源は、それこそ人類の観念機能獲得時にまで遡れるほど、古い(500万年以上も昔です)のですが、文字記号 :m057: :m062: となるとわずか5000年くらいしか遡らないのです。

というか、アイヌのように文字を持たない民もいるんです。
驚きです :shock:
すべて口承で済んで、文字は必要ではなかったということなんでしょうね。

なので、なぜ文字記号(文字の起源?)が登場したか :m050:  その必然性に、2回シリーズで迫ってみようと思います。

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posted by mituko : | |

2007年03月20日

馬の家畜化により製鉄技術向上と戦争が激化した

 こんにちは、ベジ紀です。

 カッピカピさんやtanoさんが投稿されていますが、馬の家畜化は羊、牛、山羊に比べ、遅かったようですね。

 それには、馬はなかなかいうことを聞かず、しかも乗りづらく、乗ったら乗ったで、すぐに振り落とされる。しかも、うかつに馬の後ろに立てば、ものすごい力で蹴り上げられる。
 などなど、様々な理由がありそうですが、遊牧民が馬に着目したのは、その力にあったのではないでしょうか。
 そして彼らは、その馬の力を引き出すために、技術と道具を次々に生み出していった。


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posted by jomon10 : | |

2007年03月18日

ヨーロッパの基層:ヴァイキング=海賊が支配層を形成した

ヨーロッパが周辺国や、未開世界から掠奪して、富の蓄積や市場拡大を
繰り返していく原点は、どうもヴァイキングではないかと考えられる。

ヴァイキング以降のヨーロッパ侵略史を概観すると、
・9c~10c:ヴァイキング
       → ヨーロッパ各地で掠奪と王朝形成 
          →ビザンツ、イスラム交易でイスラム銀貨獲得
・11c~13c:十字軍  
       → イスラム、ビザンツ侵略
          →北イタリアの諸都市に富(原資)集積 
            →ルネッサンス
・14c~17c:大航海時代
       →世界侵略→絶対主義王政
               
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posted by ihiro : | |

2007年03月17日

中国針灸の歴史

 中国針灸の歴史はどんなものであったのでしょうか。
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西洋医学は(科学としての医学 :m256: )です。これに対して鍼灸医学は自然の医学 :m019: と言われています。厳しい自然の中で病気と戦って得た経験、膨大な臨床数に基ずく結果の集大成なのです。鍼灸について初めて記載されたのはいまから約2000年前です。 鍼灸治療の経験はそれより数千年はさかのぼると言われています。中国文明の発祥地である黄河で生まれました。
なんと最初は竹や石器などを使用していたそうです。
そして金属が発明されて金属の鍼を使うようになりました。

 古代中国人の様子を具体的にイメージしてみましょう。外傷を受けたり、痛みを覚え本能的にその部位に手を当てたり、圧したり揉んだり、あるいはなめたり、さらには泥をぬったり、木の葉を張ったりしたと思われます。やがて文明が進歩し、火を利用し、磨製石器を使用するようになりました。鉄器が発達するようになると金属製の針が治療に応用されることになりました。こうして時間の経過と工夫とで、共にそれらの経験が集積されていったと考えらます。

  :o イメージしてみると本当に自然の中で生まれてきた治療法だと理解できますね。 :m005: :m006: :m007: :m008:

小澤

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posted by norio : | |

商業の発展により、身分制度(士農工商)が強化された

こんばんはetoです。少し間が空きましたね( :m108: )
暖かくなってきたことだし、がんばっていきましょう :m051: :m030:

今日は、中国の勉強をしました。
「士農工商」といえば、江戸時代の身分制で有名ですね。
でもその起源は古く、中国の春秋戦国時代(BC500年頃)にあります。

どのようにして身分制ができたのでしょう?

>中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」を重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の儒教である。(ウィキペディア

時代を追って見ていくと、
●周時代の様子をmaeyanさんが以下のように書かれています。
>この貴族制の確立に伴い、貴族は王族を凌ぐ勢力 を持ち始めます。
>土地経済の発展は、地方豪族の勢力を拡大させ、中央支配の力を弱めていきます。

土地経済の発展により、地方豪族が力を持ち始め、一方で中央支配の力が弱まり、王族は支配の危機感が増大していることが伺えます。

続いて、春秋戦国~漢までの様子を見ていきましょう。

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posted by nishipa : | |

2007年03月08日

馬家畜化の発展には草原が適していた

:D こんばんわ。tanoです。
馬の話しになっていますので以前調べた馬の投稿を紹介します。

中央アジアの冶金交易になくてはならないものが運送手段である。すでに同時期、馬の利用が始まっていた事を著書「中央ユーラシアの考古学」では解説している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中央ユーラシアにはじまって世界史に大きな影響を与えたことのひとつは、馬利用の開始とその伝播の問題である。これには馬の肉、皮、毛、骨、乳利用もあるけど大きなことは人間に労働力を提供する役畜としてである。役畜としての馬は大きく言えば騎馬、牽引、駄載の3つの形態がある。馬の背は歴史を作った。
現在わかっていて、今後も訂正しないであろう事実の大筋は以下の3点である。

1.馬の家畜化時期は羊、牛、山羊より遅い
2.馬家畜化の場所は中央ユーラシア草原地帯である。
3.馬のユーラシア全域への伝播は大きく関係したのは騎馬ではなく、車輪ー馬車の牽引であるらしい。馬車の普及は前2千年半ば頃であり、騎馬の普及はすこし後であろう。

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馬の家畜化はまだはっきりしていない。現在家畜馬の先祖種はおおまかには元々アルプス~カフカス~パミュールの北方に棲息した動物であって、ここを舞台に家畜化されたものには違いない。
家畜馬の先祖についてはタルパン馬とモウコノウマの2種が長らく議論の中心であるが決定打はない。

%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%9E.bmp←モウコノウマの写真です。

posted by tano : | |

2007年03月07日

騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?

こんにちは、カッピカピです。

 昨日のちわわさんの記事を受けて、遊牧民族と馬の関係について少し調べてみました。

 馬が家畜化されたのは、紀元前3000年~4000年頃と言われており、現存する家畜の中で、家畜化が最も遅かったそうです。

 馬の人類への貢献度としてもっとも大きな比重を占めるのは、この動物の労働としての有用性の高さだと言われています。

 すなわち・・・

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posted by hi-ro : | |

女性はなぜ装飾品が好きなの?

>しかし、生産力が発達して、さらに様々な生産物に余剰が生じてくると、首長や王、神殿などが余剰生産物の一部あるいは全部を占有するようになる。その結果、共同体の交易は次第に首長や王が取り仕切る交易となる。それは、共同体全体の必需品ばかりでなく、首長や王が必要とする奢侈品の調達が目指される。<古代海上貿易の形態 http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page012.html

古代史の交易を見てみると必需品に対する余力が生じると奢侈品の交易も盛んになってきます。そのほとんどが女性の為の宝石のような装飾品だったようですが、そもそもなぜ女性は装飾品が好きなのでしょうか :m050:

以前心理学本に次のような内容が書かれていました。
>第1印象は男女共に5秒で決まる。しかし、その間に平均22.5回も目を動かし男性の特徴をくまなく観察できる女性に対し、男性はその半分の12.8回とおよそ半分。つまり、観察力が劣っている男性は宝石のような目立つものについ目がいってしまい、宝石を身に付けた女性自身を魅力的と感じ、惹きつけられてしまう。つまり、女性は “魅力的な男性を惹き付け優れた子孫を残すために本能的に宝石を身に付けていた<

…孔雀の羽と同じってこと…
:m052:

posted by taka-atu : | |

2007年03月06日

馬が強大な軍事国家を作り出した。

こんにちわちわわです。

狩猟・採集で犬が活躍したように、家畜の歴史は人間と深い関わりを持ちます。では、馬は人間とどのように関わってきたのでしょうか。
images.jpg

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posted by tiwawa : | |

2007年03月04日

古代中国:神聖政治から王による政治支配へ

中国の古代王朝は、伝説の夏王朝から、商(殷)、周へと移行していく中で、その政治スタイルも変貌をとげていきます。以下、「中国奇貨居くべし」(http://www.h3.dion.ne.jp/~china/)から、紹介していきます。

大きな流れは、古代的な神聖政治から、王 :m261: による政治的支配への転換です。

商王朝では諸氏族の勢力を力の背景としており、政治的な秩序は確立されていなかった為、それそれの氏族が行っていた祭祀を、王が独占して行うことで、政治力を行使していた様です。
従って、王朝の神聖性の確立と維持が、政権の最重要事項となっていたのです。(=神聖政治)

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つづきは、ぽちっとしてみてからどうぞ。
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posted by maeyan : | |