2007年03月04日

古代中国:神聖政治から王による政治支配へ

中国の古代王朝は、伝説の夏王朝から、商(殷)、周へと移行していく中で、その政治スタイルも変貌をとげていきます。以下、「中国奇貨居くべし」(http://www.h3.dion.ne.jp/~china/)から、紹介していきます。

大きな流れは、古代的な神聖政治から、王 m261 による政治的支配への転換です。

商王朝では諸氏族の勢力を力の背景としており、政治的な秩序は確立されていなかった為、それそれの氏族が行っていた祭祀を、王が独占して行うことで、政治力を行使していた様です。
従って、王朝の神聖性の確立と維持が、政権の最重要事項となっていたのです。(=神聖政治)

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商王朝を滅ぼして成立した周王朝でも、当初は神聖政治が踏襲されていました。やがて王朝が安定していく中で、官職が世襲される様になり、6代目共王の王朝以降は官僚制が確立していきます。

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新王が先王の任命した職事を、そのまま引き継ぐことを命じるものであり、すべて世襲・譜代の関係によって、その君臣関係が規定されました。いわゆる貴族社会の形成が見られるのです。

そして社会の基礎構造が、なお氏族を基本としたものであったため、官職の多くは世襲でした。そのため王室と氏族の関係は、古代の祭祀関係だけでなく、その職事を通じて固定的に結合するように変化していきました。また氏族の族長の地位が世襲されるときも同様に、王室は新族長を任命する形をとったのです。このような譜代関係によって、王室への忠誠という観念が生まれてきたのです。

この貴族制の確立に伴い、貴族は王族を凌ぐ勢力 tikara を持ち始めます。

共・懿王期で確立した貴族制を支えるものは、土地経済の発展でした。貴族制による法の秩序は、出自関係を超えたものとして規範化され、土地経済はこのような法の規制と保護のもとに発展していきました。

土地経済の発展は、地方豪族の勢力を拡大させ、中央支配の力を弱めていきます。

孝王期には大土地所有が発展し、王畿をはなれた地では、急速に大土地所有が進展していったのです。周辺の雄族は、開拓を進めることで広大な地域を領有支配することができました。

すでにその新勢力は周王室の力では統御しがたいものになっていたのです。

所在の古代氏族は、このような領主経済の発展のもとに、次第にその独立性を失い、隷属化し、やがて吸収され崩壊していったであろうと思われます。

そして、商周以来の氏族制を基礎とする社会は10代目王朝で大崩壊し、共和制へと移行していきます。それ以降の3代は、王朝は復活したけれど、形だけの豪族による王朝支配となっています。

ここに至るまでの200年ちょっとで、王朝の神聖性はなくなり、政権における王の力もなくなり、政治的支配の形だけが固定されていった様です。

投稿者 maeyan : 2007年03月04日 21:46

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