2007年04月05日
飢饉に見舞われた遊牧民の例
くまなです。
前回は、神だのみも、王への支援要請も叶わなかった遊牧民が決死航→死にもの狂いの戦い、あるいは都市定住、離散→夜盗化へと踏み出すことを紹介しました。今回は、そのような部族の実例を紹介します。
ところで、アラビア半島はそもそも乾燥している地域です。
旱魃っていったいどのぐらいの頻度で起こっていたのでしょうか?
参考になるデータがあります。
表 近世以降のアラビア半島の主な旱魃と飢饉

(出典:丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
近世以降では、10~20年に一度は旱魃→飢饉に見舞われていたようです。
人生のうち何度も飢饉→餓死の恐怖に見舞われるわけですから、過酷な外圧状況だといっていいでしょう。
さらに、その状況では、一帯の部族が決死航を開始するわけですから、自然外圧だけでなく、部族同士の同類圧力も凄まじいはずです。まさに死にもの狂いの戦いです。
その具体事例を見てみましょう。
アナザ族、シャンマル族
半島中央と最北部の両方に領土を保持しているが、元々ナジド中央部にいた部族の一部が飢饉や旱魃に必死の覚悟で北に向かって切り開いた飛地が成功した例で、中央アラビアの諸部族の中には数多くの失敗例があることであろう。
参考:1970年代のアラビア半島(中近東フィールドノート②より)
ヒラール族
1050年、半島から出てエジプトにわたり、チュニジアの砂漠で勢力をふるったヒラール族(⇒参照リンク)は、その英雄譚とロマンスから「バヌー・ヒラール物語」を生んでいるが、この部族も旱魃と飢饉に耐えかねての移動がもとであった。(レディ・アン・ブラント「遍歴のアラビア」より)
フドル族
今はその部族名すら知られていないフドル族は、かつてはザフィール族に隣接して勇名を轟かせていたが、1674年に、ベドウィンの伝承でジャルマーンと呼ばれる破滅的飢饉に襲われ、中央アラビアから東方へ移住し、部族解体してしまったことをJ.Philbyは伝えている。
(引用は、丸井英二編「飢餓」堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
移動or離散した遊牧民の一部は、都市周辺に定住します。
それを思わせる痕跡があります。

(「セム系部族社会の形成」より)
この研究は検証段階ですが、
イシン・ラルサ時代(約4000年前)のメソポタミア南部の古代都市ウルとその周辺の遺跡について、小さなキャンプを営んでいた遊牧集団が、都市の一部に入り込んだり、そこから離脱して別のキャンプを開設したりする過程を検証しようとしています。
研究成果に期待しましょう。
さて、遊牧民の飢饉に際しての行動を見てきました。
西洋人の精神文化の根幹部分を垣間見た感じです。
では、日本人は飢饉に際してどのように行動したのでしょうか
投稿者 kumana : 2007年04月05日 22:50 Tweet
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