2007年06月11日

縄文人は3000年前に朝鮮人と交流していた、稲作もそのころ伝わったと考えられる?

◎日本で稲作が開始されたのは従来言われていた2000年前ごろから遡り3000年前ごろではな
いかというのが最近の説です。
 3000年前にすでに稲作の始まっていた朝鮮半島と縄文人の交流があった。


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代表的な縄文遺跡である三内丸山集落が約4000年前ごろ急激に衰退し始めます。
(以下は「熱帯ジャポニカの稲作が西日本に・縄文人の朝鮮半島へ」からの紹介です)

その原因はそのころから始まった日本列島の寒冷化にあるようです。 その結果、縄文人に豊かな食生活を保証したブナ林に代表される落葉広葉樹林、中でも栽培化された 栗林が一挙に減退しました。

それまで豊かな森の恵みを享受していた縄文人に食料危機が訪れます。
縄文時代の人口を推計している小山修三氏(国立民族学博物館教授)のデータによると、4000年前にピークだった26万人あまりの人口は、その後減少して、3000年前頃までに半減してしまうのである。

まさに縄文の危機到来といったところだが、この人口の減少を東日本と西日本に分けてみると、さらに面白いことがわかってくる。
減っているのは東日本だけで、西日本は全然減少しておらずほぼ横ばいなのです。もともと西日本の方が人口が少ないということもあるが、それにしても興味深い。熱帯ジャポニカの稲作が西日本にしか普及しなかったという推測と、妙に符合する。

日本列島が寒冷化による食糧危機の真っ只中にあった3000年前頃、水田稲作は朝鮮半島の南端にまで到達していた

豊かで安定した食料を供給してくれる水田が、対馬からわずか50キロのところまでやってきていたのである。水田稲作という縄文人たちにとっての未知の営みだった。実は3000年前頃から縄文人たちは、九州あたりから朝鮮半島南部までの海を越えていたことがわかってきた。

対馬からほど近いこの慶尚南道や釜山広域市で、最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚(とむさむどん)では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は、縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。(冒頭の写真)

つい先日も、北朝鮮からの難民が小船に乗って日本海を越えてやってきたのは、記憶に新しいところです。

日本と僅か50キロしか離れていない訳ですから、縄文の昔から、いや実はもっとその以前から朝鮮とは交流があったと見るべきでしょうね。
と考えれば、すでに3000年前には朝鮮半島で行われていた稲作が、それほどの年月を経ずして日本に伝わったと考えるのがむしろ普通ですね。

投稿者 ryujin : 2007年06月11日 22:43

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コメント

なるほど!

北米大陸までいっている縄文人だから、朝鮮半島なんか朝飯まえって感じですね。

それで、縄文人は種をもらって稲作をすぐ始めたんでしょうか?

投稿者 Hiroshi : 2007年06月12日 00:00

紀元前2000年頃のベトナムのドンソン文化に先行する遺跡からも、青銅器とともにジャポニカの籾が出土しているので、環シナ海の黒潮にのった稲作の伝来の可能性もありそうですね。稲作の道は、渤海湾から朝鮮経由の道と、東シナ海から直接に伝わった道の二つのル-トが、古来からあったのでしょうね。

二つのルートの共通項は、少なくとも西日本経由であり熱帯ジャポニカの稲作が西日本に普及する必然性はありそうです。

三内丸山遺跡には上記の環シナ海の黒潮にのった土器の系譜(目玉の大きな土器)がありますが、稲作はなんで東北まで伝播しなかったのでしょうか?

投稿者 sakai : 2007年06月16日 21:05

>三内丸山遺跡には上記の環シナ海の黒潮にのった土器の系譜(目玉の大きな土器)がありますが、稲作はなんで東北まで伝播しなかったのでしょうか?

るいネットでいくつか議論されてきています。縄文時代には常に稲作が伝播されて拡大する機会はありました。しかし拡がらなかったのです。

なぜ縄文時代に農耕が拡がらなかったか、代表的な投稿の「縄文人と農耕」を読んでみてください。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=5135

投稿者 tano : 2007年06月17日 01:00

はじめまして。

私は古文書ヲシテ文献を研究しております。
摂ブログでも、文献を元に稲籾がどこから来たかご紹介しました。
お読み頂ければ幸いです。

投稿者 びーちぇ : 2007年07月09日 18:42

てか三千年もまえに朝鮮人なんて民族概念あるわきゃあないでしょうが

投稿者 ホラフキ : 2007年07月17日 12:54

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