2007年07月01日
中国文明:森に囲まれた殷墟~霊的儀礼としての狩猟
今晩は、さーねです
殷については、このブログで色々調べられてきましたが、その支配の構造や祭祀の状況などがクローズアップされてきました。今日は、殷時代の生活をより鮮明にする上で、当時の気候・自然環境と狩猟について紹介したいと思います
参考にさせて頂いたサイトは、原宗子のホームページのちょっと覗こう!!古代中国の環境です
学生向けの講義用レポートのようで、量はありますが面白いです

なんと、古代、殷墟の周りは森だった
今日、見渡す限りの麦畑やトウモロコシ畑が広がる殷墟周辺、つまり、自然の森林など稀有な場所に、100年の間、2,3日おきに狩猟ができ、収穫がある(卜辞には、鹿やイノシシ、水牛に近い動物などが、数十頭~数頭捕獲できたという記録が残る)ようなしんりんが広がっていたという状況である。
原宗子のホームページより
原宗子のホームページより抜粋していきます
●まずは、殷時代の気候と自然環境から。古代の土壌より、当時の気候・自然環境を予測されています
★中国 土壌分類用語(1970年代) 0~30cm:現代農耕土層 30~50cm:遅く堆積し土層不明確な黄土:2000年前頃から堆積 40~100cm:褐土類に属する古土壌:2000~3000年前頃堆積。春秋戦国・秦漢期文化層 100~150cm:褐土から棕壌に移行する過程の土壌、ないし棕壌の古土壌:3000~8000年前に堆積。新石器時代中晩期、夏・殷・周(早期)の文化層褐土とは、日本語では「肉桂色土」と呼び、主に落葉広葉樹を主とする森林で形成される土である。また「棕壌」とは、日本語では「褐色土」と呼び、主に針葉樹と落葉広葉樹の混合林で形成される土である。よって、新石器時代から周王朝の初期にかけては、針葉樹林ないし針葉樹と落葉広葉樹の混合林が広がり、春秋戦国から秦漢期にかけては、主に落葉広葉樹林の広がる地帯であったことが推定できるのである。つまり、古代の華北は、今日に比べ、総体的に、より暖かく湿潤であったことが想定できる。
華北地方とは、殷の支配の中心で、現在では、北京市,河北省,河南省,山西省,内蒙古自治区の黄河下流です。見渡す限り畑である現状と明らかに違いますね~どうも、殷墟の写真を見ていると、平原のようなイメージがありますが、実は森に囲まれていた。僕自身は結構な気付きでした
●そう考えると、生産様式として狩猟があったはず
甲骨文にその手掛かりがあります。かなり長いので、ポイントを抜粋します
>…王が狩猟(「田」という文字で示される場合が多い)をすることに関係する甲骨を取り上げ、精緻な考証されたのが松丸道雄氏の「殷墟卜辞中の田猟地について」という論文である。氏によれば、狩猟に関する卜辞は、第1期には比較的少なく、第4期と5期に激増するとされる。>同一の骨片に数日にわたって断続的に狩猟したことを記すものがあり、その中には、2日連続して異なる場所で狩猟することを占っているものがあるので、これらの地名相互は、1日で行ける場所だと解る。
>通常、殷王は狩猟地から狩猟地へと移動したのではなく、狩猟地と王宮とを一日で往復し、翌日また別の土地に出かけたと推定できる。
>王宮近くの狩猟地名は、「殷王がその支配秩序下の諸族・諸方の名をもって自己の邑の周辺の田猟地に命名し、その地で田猟をおこなうことを通じて、それら諸族・諸方の支配の維持存続を計ろうとしたような観念の存在が想定しうるかもしれない。」(松丸道雄氏)
>近年になって、この松丸氏の見解を敷衍・発展させ、これらの田猟地の地名は、王都の近くに、殷の服属する諸侯・諸族の村があったことを示すもので、殷王がそれらの村で頻繁に田猟したのは、霊的威圧の儀礼であった、という見解を提起されたのが、平勢隆郎氏である。
原宗子のホームページでも、甲骨文に記された狩猟場所は、1330ヶ所あるそうです。狩猟という生産様式は、武力を見せ付ける⇒支配様式として取り入れたという説はとても説得力があります。まして、森林が多いと考えれば、狩猟にはもってこいな環境にあったわけです。
よく考えると、江戸時代には鷹場というのがありますよね。要は、将軍様が鷹を使って狩りをする場所のことです。殷で言う「田猟地」も同じだと思います。これも、強さを見せるための儀礼でしょう
しかし、ちょっと不思議なことがあります
実は、中国は農耕が始まったのが、10000年前と言われています。
るいネットの
古代中国の社会(1)~農耕社会の発生
古代中国の社会(2)~農耕集団の組織化
恐らく、黄河下流域は、原宗子さんの説が正しければ、森の伐採が必要だった。逆に、森を切り開いてまで、農耕という生産様式を獲得しようとしたのはなぜか
次は、農耕社会の発生について追究してみようと思います
投稿者 sawatan : 2007年07月01日 13:00
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コメント
今、黄河流域は猛烈な砂漠化に悩まされているようです。
黄河自体もう水がかれて水無川にらしいし。森林が生い茂っていたというのは驚きですね。
ただ、今砂漠になっているメソポタミアや禿山ばかりのギリシャも昔は森林だったらしいから、大文明の地ってそんなもんかもしれません。
何が一番の原因かはわかりませんが、農業とともに家畜の放牧なども大きく影響しているのではないかという気がしてます。
次回の記事楽しみです。
投稿者 Hiroshi : 2007年07月04日 18:54
Hiroshiさん
実は、黄河流域は元々肥沃な土地ではないんですよね。
古代農業発祥=肥沃な土地という先入観がどうもあるようです。
厳密に事実を調べてみたいと思います。
投稿者 さーね : 2007年07月04日 22:18
文明の発祥の地は、大河の肥沃な土地というのが一般的です。
しかし中南米などの古代文明は海岸~山間地で文明?を築き海の幸山の幸を上手く利用していたようです。
日本の縄文時代も同様のようですね。
現在の文明は、西洋の都合の良い定義であり、西洋人以外の人で改めて文明の定義をする必要を強く感じます。
その為にも事実の追求は必要ですね。頑張ってください。
投稿者 中年のおじさん : 2007年07月06日 22:29
中年のおじさん
>現在の文明は、西洋の都合の良い定義であり、西洋人以外の人で改めて文明の定義をする必要を強く感じます。
同感です。西洋の歴史の考え方からは、理想のようなものを感じてしまいます。外圧状況も含めて、事実は何か?を追究していきましょう!
投稿者 さーね : 2007年07月07日 10:21
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