2007年09月13日

マヤ文明って何?

アメリカには、15世紀にヨーロッパの貿易商人や侵略者がやってくるまで、ユーラシア大陸の文明とは別に進化した文明があります。
南米のインカだけでなく、中央アメリカにも広い地域を統合しピラミッドなどの遺跡を残したマヤ・アステカといった文明があり、これらは古代文明社会全体を俯瞰するためには注目すべき文明だと思います。
そこでインカに続いて「マヤ」を見ていきたいと思います。 Shocked

というのは、アメリカの古代文明といっても地域と時代によってかなり違う様相を呈しており、それぞれの文明を掴む必要があるからです。例えば南米では、ナスカやワリといった地域の文明が興った後に14世紀にインカが南米東地域の全域を中央集権的に統合しますが、一方、中央アメリカのマヤやアステカはそうではありません。

 「マヤ」は、ジャングルに2000年間にわたって栄えた都市国家文明として有名ですが、一体どういう社会だったのでしょうか?  
なぜ、2000年間栄え、統一国家とならずに衰退したのでしょうか?
(都市国家と一言でいってもメソポタミヤのシュメールもあれば、日本の縄文や弥生、古墳時代もあります。)

 また、マヤには戦争や死を掛けたスポーツ関する多くの記録があるし、(アステカほどではないにせよ)生贄もかなり行われていました。戦いや死に対する意識はどのようなものだったのでしょうか?

いろんななんで?が出てきますが、
まずはマヤってどんなところ? Confused

CASLL8L8.jpg
↑NHKさんから借用

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<マヤ文明が栄えた場所・面積>
メキシコ湾とカリブ海に突き出たユカタン半島とその付け根の太平洋に面した地域です。
現在の国で言えば、メキシコ南部、ニカラグア、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス北西部、エル・サルバドルを含む一帯で、面積は約30万k㎡(日本と同じくらい)

<気候・地形>
北緯15度付近の熱帯で、高地をのぞく大半がジャングルです。

雨季があり雨が非常に多い地域で、平均年間降雨量は2000~3000ミリ。(一部では4000ミリ!) 雨の多い日本でも1000ミリ程度ですから世界的に見ても雨の多さは抜きん出ています。

地形的には、川沿いの低湿地と、海抜800mまでの石灰岩の台地および太平洋側の高地(山脈)による地形ですが、ピラミッドが築かれて生活圏があったのは石灰岩の台地部です。
CAGYMN0N.jpg
  ↑マヤの位置と代表的な都市国家遺跡:実松克義氏HPから借用

<マヤ文明の時代>
紀元前から15世紀にヨーロッパの侵略者よって滅ぼされるまで2000年もの間、この地域で多数の都市国家が栄えました。

[BC600~AD250:先古典期]
農耕定住村落の確立後数百年で発達した都市国家文明 
  → 一部を除いて都市国家群が衰退した。

[AD250~AD1000:古典期] 
マヤが非常に栄えた時代
  →ティカルをはじめ古典期に栄えた都市国家が衰退

[AD1000~AD1500:後古典期]
マヤの衰退期(古典期の都市国家に替わって新しい都市国家が生まれた。)
  →ヨーロッパ人に滅ぼされる。

CAAJX084.jpg
↑マヤの都市国家の象徴:ピラミッド(中部のティカル):ラテンアメリカ博物館さんから借用

<マヤ文明の特徴>
都市国家? マヤは2000年間にわたって栄えた文明ですが、一つの王朝国家が栄え続けたのではなく、多数の都市国家(同時期に60~70都市)が栄えたというのが特徴です。(道路網は整備されています)


食料生産は? マヤの食料は主にトウモロコシで、中小河川、湖沼、湧き水などの灌漑農業、段々畑、焼き畑農業が行われていました。

文字は? マヤ文字と呼ばれる絵文字が使われていました。(現在では80%程度が解読できるようになりました。)CA7QMGPC.jpg
                        ↑マヤ文字です。

道具は? マヤでは、金属を使わず、洗練された石器を使っていました。それで写真のような石造大建造物を作るなんてすごいですね。

by tamura

投稿者 nandeya : 2007年09月13日 22:11

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コメント

>都市国家? マヤは2000年間にわたって栄えた文明ですが、一つの王朝国家が栄え続けたのではなく、多数の都市国家(同時期に60~70都市)が栄えたというのが特徴です。

へぇ~
たくさんの都市国家があったのですね。
広域国家に統合されずに、小都市のままだったということですね。
メソポタミアみたいに、都市国家間の戦争とかあまりなかったのでしょうか?


投稿者 Hiroshi : 2007年09月14日 12:29

>都市国家? マヤは2000年間にわたって栄えた文明ですが、一つの王朝国家が栄え続けたのではなく、多数の都市国家(同時期に60~70都市)が栄えたというのが特徴です。

ギリシャ・メソポタミャ・中国等の事例のように多数の都市国家が統合されて国が成立するのが、歴史の法則のように思っていましたが、2千年間共存したのは驚きですね。

しかし、マヤ文明は、統一王朝なしで滅び去ったミステリアスな文明で有名ですね。
マヤもアメリカインディアン(多くの部族が共存を図っている中で)が西洋文明によって一気に滅ぼされた歴史と同じではないかと思います。

投稿者 中年のおじさん : 2007年09月14日 13:33

マヤ文字というのは80%もわかっているのですね~。
ということは結構いろんなことがわかってきそうですね。
ヨーロッパの文明が今日の歴史の世界では主流となってしまっているので、マヤ文明についてはあまり取り上げられてこなかってような気がします。こういう歴史が掘り下げられてくると歴史の世界も楽しくなりそうです。

投稿者 ロマーヌス : 2007年09月15日 09:02

マヤでは、都市国家間の戦争はかなりあったようです。流儀に則ったスポーツのような戦いの記録もありますが、一方略奪のごとく瞬時に攻め滅ぼされ、そのままジャングルに埋もれていった都市も発掘されつつあります。
文字記録に加えてレリーフや絵画による戦いの記録もあって考察が進んできていますが、アステカ(現在のメキシコ)からの侵略者の影響も示唆されており、日本と中国の関係のように輻輳的に歴史を見る必要がありそうです。
ローマ帝国でもそうだと思いますが、より侵略的な部族が他の部族との拮抗のなかで、新しい統合様式を模索していたのかもしれません。

投稿者 tamura : 2007年09月23日 03:53

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