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2007年11月30日
弓矢の発明前夜、日本の黒曜石が大陸に運ばれた理由!
Simasanです。 :D
前回は「縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?」
を扱いましたが、今回は、2万年前までの寒冷化、その後の温暖化という気候変動と、黒曜石によって劇的に変化した狩猟技術の発達が、以降の縄文集団の生活に大きく影響を与えたのではないか?という仮説の下に、その流れを詳しく調べてみました。
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posted by simasan : 21:37 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月28日
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
:D くまなです
日本における戦争の起源~戦争の考古学的証拠~で、日本における戦争の起源をやりましたが、世界についての起源に触れていなかったので、佐原真の「戦争の考古学」から、世界の戦争起源について紹介します。
日本の起源のところでも扱いましたが、考古学は、どのような考古学的事実をもって、戦争のあった社会、あるいは戦争を知っていた社会を認識するか。以下の中からひとつでも有力な証拠があれば、たがいに補いあって証拠となる、としています。(本格的な城、城塞は除く)
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
③-殺傷(されたあとを留める)人骨
④-武器の副葬=遺体に副えて武器を葬る
⑤-武器形祭器=武器の形を模した祭り・儀式の道具
⑥-戦士・戦争場面の造型
「戦争の考古学」では、世界各地で戦争の起源を考古学はどうとらえているかを紹介している。これを、概ね5000年前のものまでを、時系列で表にまとめました。
posted by kumana : 17:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月27日
土器は男性が作ったか、女性が作ったか?
土器は男が作ったか、女が作ったか?これはよく議論されるテーマです。
川崎 保氏の縄文「ムラ」の考古学にこのテーマについて書かれていた部分がありましたので紹介します。
まずはG・Pマードックの調査による現存する世界224の民族(1989)の
男女比生業表を以下に示します。
男:女

この比率を見れば、土器の製作は女性である可能性が高いと言えます。
posted by tano : 23:21 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年11月23日
アステカ てどんなとこ パート2
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo23.html
現在のメキシコを中心にした文明はアステカ以前にいくつもあったことが分かっています。そこでちょっと歴史を復習してみたいと思います。
マヤは以前の紹介のように、かなり古くから連続的に繋がっていますが、 :アステカはどうでしょうか?
posted by dokidoki : 22:05 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月22日
奥深き縄文ワールド

「亀ヶ岡遺跡遮光式土器」の迫力ある巨大なレプリカ(亀ヶ岡駅前)
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」と、故岡本太郎がかつて表現した縄文土器の天衣無縫なデザインについては、おなじみの火焔土器の写真で見知ってはいましたが、ここで紹介するサイトを見て改めてその「激越さ」と、ユニークさに驚きを新たにしました。
是非皆さんもこの「縄文ワールド」をストレートに楽しんでいただきたいと思いますので、さわりの写真をいくつかシリーズで紹介させてもらいます。
posted by ryujin : 23:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月20日
「黄金の国」ジパングと「黄金時代」のオランダ
以前、東インド会社についてのエントリーhttp://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000306.htmlがありましたが、今回は東インド会社に縁の深い(?)ある国と、日本の関係について、ちょっと調べてみました。
・・・勿体つけてもタイトルに書いてあるんですが(笑)
その国とは「オランダ」!!
ヨーロッパの雄といえば、皆さんイギリスやフランス、中世であればポルトガルを思い出すでしょうが、意外や意外(?)実はオランダもすごかったんです。決してチューリップと風車だけが有名なわけじゃないんです!
今日はちょっと中世オランダのお勉強・・・その前に :m027: いつもの :m027:
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posted by maru : 21:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
釣針の歴史から縄文人の工夫思考を垣間見る
こんばんは。最近、縄文人が使っていた、道具に興味があって、ちょこちょこ本やHP等を見たりしていますが、少し整理を兼ねてエントリーしてみたいと思います。
参考にさせていただいている「縄文の生態史観」(西田正規氏著)によれば、道具類の大きな分類は、縄文人の生活用途に応じて下記のように分類できます。
○漁労、狩猟、採取用具
○調理食用具
○住用具
○加工用具
○着用具
○呪術、葬送用具
○施設、その他
その中で、生きていくうえで、もっとも重要な、食料を獲得するための漁労、狩猟、採取用具
に関する道具を上げてみます。
・弓矢
・ワナ
・槍(やり)
・鹿笛
・漁網
・ヤナ
・ウケ
・モリ
・ヤス
・釣針
・握り棒
・打製石斧
・鹿角斧
・運搬具
・船
現代人が思いつく以上に、多様な種類の道具を駆使して、獲物の獲得を行っていたことが伺えます。
その中でも特に今回は、現代人にもっともなじみのある道具の一つである、釣り(釣針)を取り上げて、もう少し縄文人にせまって見たいと思います。
↓応援よろしくです!
posted by yuyu : 20:57 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月19日
中国文明:秩序の原理~血の盟い~
先日、Hiroshiさんが書かれた記事中国の特有の人間関係 「幇」に中国という国の本質が隠されているようです。今日は、その源流を追ってみようと思い、「中国古代の文化 白川 静著 講談社学術文庫」を参考に調べてみました :m061:

白川先生は、漢字の本でも著名な先生ですね。文字から、中国古代の社会背景などを解き明かすあたりは、なかなか読み応えがあります :m051:
:m118: 今日も応援よろしくお願いします :m051: :m118:
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posted by sawatan : 19:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月18日
元来は『黒いアテナ』、近代ヨーロッパが「白いアテナ」に偽造した
こんばんは、Hiroshiです。中国追求のあいまに、久々にヨーロッパ方面の話題をひとつ。
年々マスコミの捏造報道や偏向報道が明らかになってきていますが、もうすこしスケールの大きい捏造のお話。西洋文明の源流といえば、多くの人は古代ギリシャの文明を思い浮かべますよね。しかし最近それは近代ヨーロッパによる偽造・改ざんであるという事が分かってきた。

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posted by ihiro : 12:30 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年11月17日
教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表
遊牧の起源を押える為に、るいNETWORK掲示版の「遊牧の起源と特異性」の有用な投稿を、頭を整理する為に以前に投稿した「教科書では教えてくれない中国年表」に追記して見ました。
この作業を通じて感じたことは、遊牧における各々の時代の投稿内容が、実に良く連関していることが分かりました。
更に驚いたことは、「遊牧の起源と特異性」の年表が、先に投稿した「黄河文明と長江文明」の年表に繋がったことです。又、この2つの年表を繋げたのは、BC11000年:ヤンガードリアスの寒冷化、BC6500年:ローレンスタイド氷床融解、BC4000年:北緯35度以南の乾燥・砂漠化、BC2000年:火山爆発で灰が空を覆う。といった大きな環境変化でした。この人類史を知りたい方は是非、見てください!!!遊牧の起源を追求したい人はポチッと押してね!
「教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表」
ファイルをダウンロード
年表の構成は、時代毎に、「気候変動=環境外圧」⇒エポック⇒闘争区分(ここは中国のみの記載です)⇒交易・情報伝播⇒黄河文明⇒長江文明⇒中央アジア・モンゴル(遊牧の変遷)⇒西アジア(遊牧の変遷)を見ていくようにしています。追記した中央アジア・モンゴル、西アジアに青色で網掛けしています。又、追記した文字は濃い緑色で記載しています。最上段の気候変動、環境外圧の欄の青文字と関連しながら見ていくと、遊牧民族の発生から騎馬民族への変遷過程が見えてくると思います。
基本的に生物は外圧適応態と言われていますが、この年表を通じて人類も例外では無かったと理解出来ます。尚、年表に記載されている参考NO(例msg:○○○)の投稿を張り付けておきます。
(尚、【 】内は私の疑問で、投稿とは関係ありません。)
時間を要しますが一読しながら年表を見ると、教科書には書かれていない西アジア~中央アジア~中国の歴史が、そして遊牧民族の起源が見えてくると思います。
皆様の役にたてば嬉しいです。一緒に追求して行きましょう。
・投稿「131588」:環境史からみた西アジア(農耕~略奪の起源)
・投稿「85771」:ステップ地帯へ拡散して同類闘争を回避したレヴァント南部の採集部族→遊牧の起源?
・投稿84104:農耕・牧畜が始まった地域における自然圧力の変化(気候変動)
・投稿52477:ステップ遊牧民と砂漠・オアシス遊牧民の起源
・投稿94845:西アジアの気候変動①(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期)
・投稿131577: 5800年~4200年前の西アジア(乾燥化による略奪闘争の開始)
・投稿52832:最初の遊牧民は徒歩移動
・投稿92143:遊牧民族の登場から私権国家の成立まで
・投稿152412:遊牧と騎乗
・投稿141984:遊牧は牧畜の遠征から始まった
posted by sakashun : 19:12 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月15日
生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観
:D くまなです。
今回は、縄文人の末裔と云われるアイヌの思想から、縄文人の世界観に迫ってみようと思います。
naotoさんが「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」のなかで“沖縄の人々やアイヌこそ、渡来系との混血が少なく、近縁性を保ち続けたようです。やはり、彼らこそ縄文人の系列といえるかもしれませんね”とおっしゃられているように、アイヌの人々が縄文人の文化を色濃く残していることは間違いないと思います。(ただし、アイヌは沖縄とは出自が違う北方系縄文人を継承していると考えられます。)
今回はアイヌの文化のなかでも、彼らにとって重要な儀式である「イオマンテ」に注目してみます。
:m118: イオマンテに行く前にポチッと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : 21:40 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月14日
縄文時代後期になぜ無文土器が登場したのか?
縄文土器には様々な文様が施されています。縄文土器と言えば必ず文様が描かれているよいうのは定説です。特に中期から晩期にかけて土器の文様も形も緻密になり一つの土器を仕上げるのにかなりの手間をかけていた事が容易に想像できます。
しかし、その縄文晩期にあたる長野県の大清水遺跡で大量の無文土器が発見されています。
なぜ文様のない土器が登場したのでしょう?
前回も紹介させていただいた、川崎保氏の「縄文ムラの考古学」から今回も報告させていただきます。
実は大量の無文土器にはトチの実が関係しているのです。

posted by tano : 21:48 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月13日
シャーマンは神官の始まりか?
縄文人の意識の基底部に、「万物の背後に精霊を観る」という精霊信仰があったことは疑いようがないと思います。
しかし、この精霊信仰も、晩期頃には、シャーマニズムへと変質していくようです。
シャーマンがプロ化するのと同時に、縄文社会に広がっていった抜歯の風習。
両者の関係を追ってみたいと思います。
《引用開始》
巨大石棒の生産は、中期縄文の中心地域・中部山地で盛況を見たが、おそらく、共同体にかかる負担が、大きすぎたからだろう、人口減少の激しくなった、後期に入って衰え、晩期には、ほとんど見られなくなってしまう。
もちろん、石は千年たっても腐らない。
一つ作ってしまえば、補充の必要も、そうはあるまい。
だが石棒作りが衰えれば、信仰そのものの変質は当然である。
陽気な男祭りの祝祭性は薄らぎ、陰気で、もったいぶったシャーマニズムが、勢いを得る。
続きはポチッとしてからお願いします :roll:
posted by naoto : 22:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月12日
タバコの伝播は大航海時代から
またまた大航海時代のお話です :m041:
大航海時代では世界中で農作物や人、物などが今までになく行き交うようになりました。そこで初めて南米から世界へとタバコが広まっていくのです。
コロンブスの探検隊は、新大陸に到達し、友好のしるしとして、先住民にガラス玉と鏡を贈ると、彼らは返礼に珍しい果物などとともに「香り高い乾燥した葉」を差し出しました。
これが、ヨーロッパの人が手にした初めての :m275: タバコ :m275: です。
posted by pingu : 23:50 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月11日
アステカってどんなところ?
インカ文明、マヤ文明とくれば、次はアステカ文明ですかね。でも、アステカってどこ?
インカ帝国は、南米ペルーの山岳にマチュピチュを築きました。マヤ文明は中米のジャングルの真っ只中でした。今回はこれら2つの文明に引き続いて「アステカ文明」について調べてみます。
三つの文明の共通点や相違点がどのように生まれたのかを探求していくことで、国家統合や人間の原点に迫れたら面白いですね。
太陽の暦石
都があったテスココ湖
posted by hiroshi : 21:59 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年11月10日
「日本考古学の発祥」に感じたこと
縄文ファンのみなさま今晩は。
今日は、考古学の基礎情報をお届けします。
下の写真の「考古学発祥の地」って、どこだかご存知ですか?
何を今さら!常識じゃん!っていう方は少しご辛抱を :wink:

答えは、東京は大田区の大森駅にこの碑があります。
そう、大森貝塚の地ですね。
この貝塚を最初に発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース。
腕足類という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、初めて上京した6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見したそうです。詳しくはコチラ
大森停車場を過ぎた線路脇、鉄道建設のため削られた斜面に貝が大量に露出しているのを見たモースは、それが貝塚であることを直感し見逃さなかったようです。
明治5年に開通して以来多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、誰も古代人が捨てた貝の堆積した物だとは気付かなかったわけですね。もし、モースが海側の座席に座っていたら貝塚の発見はもっと遅れており、日本の考古学の始まりも数十年は遅れていたのかもしれませんね。これってスゴイ!


貝殻が堆積している様子 発掘の様子
モースの大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
ちなみに、大森貝塚からは縄文式後期の土器や土偶、石斧、石鏃、骨角器など、動物の骨はサル、シカ、犬、鯨を含む大量の貝殻などが発掘されています。モースは発見された土器に“cord mark pottery”と名づけ、その和訳から“縄文(土器)”という言葉が生まれたそーです。
大森貝塚といえば学校でも習ったし、なにより大森の隣の駅に会社があってすぐ近くなのですが、外国人が、しかも電車の中から発見したというのは全く知りませんでしたし、驚きでした。
なにも遺跡の発見など大それたことではなく、普段私たちが何気なく暮らしながらも見過ごしてしまっている大事なことって、実はいっぱいあるんじゃないかな~って思いました。
「なんか気になるなー」、「それって本当かな~?」、「何でそうなんだろう?」、「なんか違うような気がするな~」などなど、ついつい曖昧にしてしまい時間が経つと忘れてしまいます(そんなことありませんか?)。 そう感じたら、潜在思念の囁きにフタをせず、耳を傾け、とことん探ってみることが大事だなー、などと感じる今日この頃、、、etoでした。
注)実際に貝塚があった場所は大森駅から徒歩5分ほどの距離にあり、モース達が大森駅で降りて発掘に向かったことから"Shell Mounds of Omori"と報告し、大森貝塚となっているわけですが、住所は品川区大井でして、例によって大田区と品川区との間で“ご当地争い”があったとかなかったとか、、、そんなのどーでもいいです。
最後まで読んでいただいてありがとう♪ 応援お願いいたします。
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posted by nishipa : 19:10 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月09日
『日本人』と『大麻』の関係3

みなさんこんばんわ! :m042:
前回の
に引き続き今回も
から引用させていただきます。
posted by mrran : 19:31 | コメント (0) | トラックバック (1)
2007年11月08日
なんで縄文人は物を大切にしたのか?
最近、読んでいる本の中で、ふと気付いた一文がありました。
>縄文人は物を大切にした(環境考古学事始 安田喜憲著 洋泉社新書より)
それに比べて、現代社会はなんと物を無精に扱っているか?いかに無駄を生み出しているか?皆さん実感しているところだと思います :-(
環境問題が叫ばれている中、それら問題も市場拡大・利益第一の中で宣伝文句として利用されてしまい、問題は一向に解決する様子さえ見せない :confused:
置かれた状況は全く違うだろうが、なんで縄文人は物を大切にしたのか?そこに学んでみたいと思います :o
縄文早期の木器です♪
歴史事実から得るものはたくさんある :m051:
今日も応援よろしくです :m118:
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posted by sawatan : 21:15 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年11月07日
縄文時代の野菜って?
こんばんは~ :m017: 。みつこです :D 。

みなさん、野菜 :m270: 食べてますか?
なかなか外食、コンビニ食が多い人は十分に取れているとはいいがたい、、、ですよね。
ところで、縄文人ってどんな野菜を食べてたのかな~?
栗、どんぐり、、などの木の実は当然として、葉っぱものってあったのかなぁ?
そんな疑問が沸いたので、調べてみました~☆
応援のあと、読んでくださいね :m021:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 22:26 | コメント (6) | トラックバック (0)
大航海時代にヨーロッパ人がもたらしたもの=病原菌
こんにちわちわわです。
今回も大航海時代にからんだ話題から。
大航海時代、ポルトガル、スペインの中南米への進出により、インカ帝国やアステカ帝国はあっという間に滅ぼされます。その理由の一つが銃火による圧倒的な戦力であることは言うまでもありませんが、もっと恐ろしいのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌です。コルテスによる征服の直前、メキシコ中央部の人口は2500万でしたが、50年後には265万人に激減しています。
また、ペルーでも、80~90%の人口が失われたと言われています。
これは、現地人が奴隷化され、金銀採掘やサトウキビ栽培で酷使されたことも一因で、確かに多数の死者がでているようですが、ヨーロッパ人がもたらした天然痘、はしか、マラリアなどによってアメリカ大陸の住民が受けた影響のほうが、はるかに甚大でした。
⇒
古くから牧畜を行い、他国との交流も盛んだったヨーロッパ人はある程度病原菌に対する免疫力を高めていたのに対し、中南米大陸の人達はこれまで他の大陸の人と接することが無かったために、免疫力が無かったのです
アフリカ大陸の黒人を奴隷として大量につれてきたのも、現地人の人口減少により、労働力が圧倒的に不足したためで、同じく植民地化されたアジアの国々は免疫力を持っていたため現地人で労働力を確保でき、奴隷貿易の対象にならなかったのが大きく異なるところです。
他国と接触の無かった日本でも古くから疫病は恐ろしいものとされてきましたが、大量死にいたる本因は飢饉による飢餓によるもので、本格的に疫病が蔓延するのは中国大陸に戦争に赴くようになる明治後期から大正時代あたりです。
幸いな事にこのころには既に西洋医学がもたらされ抗体物質の投与も可能で、アメリカ大陸のような悲劇は回避できたものと思われます。
もう一つ、日本人の他国と異なるところは、非常に清潔だったところです。清掃の習慣の無い中国などとは決定的に異なります。
posted by tiwawa : 00:02 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月03日
中国:数々の歴史書の輩出は何を意味しているか?
歴史事実を発掘するという作業は大変だなと思う今日この頃 :nihi: 中国は、発掘調査と共に、やはり数々の歴史書から当時の社会背景をしっかりと押さえ、その上で読み解くという作業が一定必要だと思う :tikara: 最近、中国の歴史書の代表格『史記』を読んでみようと思い、以下の著書を読み進めているところです :o

『史記・貨殖列伝を読み解く 林田慎之助著 講談社』
中国は、歴史書の数でも有数の文明であると思うのですが、なぜ、そのような歴史書が数多く輩出されたのか?ここは実は不思議なところでもあります。それと共に、歴史書を読み解く上で、ここはしっかり押えておいた方がよい。その、手掛かりになりそうなところを今日は紹介しようと思います :o
発憤著書ということばがある。文字通り、憤りを発して書物を著すという意味のことばであるが、これを最初に使ったのは、司馬遷であった。司馬遷は、思想・文学を言語に表現した著作を創造する動機には、作者の側に発憤の心的状況が存在していたと考えるもので、中国の古典的作品を創造した著者たちのおかれた状況に照らしてみても、発憤著書の動機説を認めざるをえないと語っている。
:m118: 歴史は事実を知ることが大事 :m051: :m118:
:m118: 今日も応援お願いします :m051: :m118:
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posted by sawatan : 22:29 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月02日
『日本人』と『大麻』の関係2
みなさんこんばんは
以前(2007年10月12日)に“『日本人』と『大麻』の関係” を紹介し、
>縄文時代、何故土器に大麻の縄の模様をつけたかについては又の機会に考察していきます!
>縄文時代も大麻のもつ神秘的な力について、認識していた可能性が高いですね。これについても又の機会に考察していきます!と書きました。

写真はネパールに自生するヘンプ(大麻)を、手紡ぎで2本取りにして撚り上げた糸です
今回は上記についてまさに考察されているサイトを見つけたのでまずは紹介します。
麻生結のひとりごと ←これね!
また、当ブログでは上記サイトを数回に亘って紹介しようと思いますが、全編を読みたい人や次投稿まで待ちきれない人は是非上記サイトまで訪れてください。
posted by mrran : 19:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年11月01日
縄文人は自然と一体だった
:D くまなです
これから数回にわたって「縄文人の精神世界」をテーマに、そこから派生するであろう思想、言語、祭り、土偶などに関して追求し、その全貌を明らかにしていきたいと考えています。
縄文時代は1万年ものあいだ続きました。その基底部には、自然を畏れ敬う精神世界があったと言われています。
現代人は、自然の摂理を冒涜し、地球環境を破壊し続け、滅亡の道へまっしぐらです。
そのような現代人が、自然の摂理に適った生き方・考え方をつかむ上で、縄文人の精神世界が参考になるのではないでしょうか。

縄文人は、どんな世界観を持っていたのか?
そこに同化し、つかむことが出来れば、すべてが繋がっていく可能性があります。
精神世界をつかむ上で重要なのが、置かれた外圧状況の把握です。
posted by kumana : 22:30 | コメント (5) | トラックバック (0)
