2007年11月23日

アステカ てどんなとこ パート2

CALF7744.gifhttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo23.html

  現在のメキシコを中心にした文明はアステカ以前にいくつもあったことが分かっています。そこでちょっと歴史を復習してみたいと思います。
マヤは以前の紹介のように、かなり古くから連続的に繋がっていますが、 :アステカはどうでしょうか?

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さてどんな文明があったのでしょう。
CAIT150Z.gifhttp://www.geocities.jp/bokata94/mesoam.htm

1:オルメカ文明 BC500年頃

メソアメリカ地域で最も古いとされているオルメカ文明は、現在のメキシコ湾岸のベラクルス周辺を中心に栄えました。この文明は、マヤを含めメソアメリカのほぼ全域に文化的な影響を与えています。

大きな頭だけの石造が有名ですね。かつては、アフリカ系ではないかとも言われ、論争を呼んだ物です。現在はアフリカの影響ではなく、現地の人々の特徴であるといわれています。インカ、マヤの原点です。

2:テオティワカン 

メキシコ中央高地のメキシコシティの近くにある巨大都市「テオティワカン」を中心としたティオティワカン文明。マヤの歴史にも登場します。

巨大な太陽のピラミットや月のピラミッドが有名です。メソアメリカの文明で唯一、碁盤の目の都市計画が行われているのが特徴です。

謎とされている古典期のマヤ文明の崩壊に先立って衰退しています。

3:トルテカ AD700年頃からAD1000年頃まで

ティオティワカンが衰退すると、トルテカ文明の時代になります。
メキシコシティの北にある「トゥーラ」を中心に栄えた文明で、その後のアステカ文明に大きな影響を与えた文明といわれています。マヤ文明、特に後古典期のマヤ文明に影響を与えていますね。


4:トトナカ AD300年頃からAD1100年頃まで

かつてのオルメカ文明が栄えた、ベラクルス市周辺に再び起こった文明がトトナカと呼ばれている。中心都市は「エル・タヒン」。メキシコ中央部でなくメキシコ湾岸部の文明。アステカ以前に衰退しているようですが、トルテカ~アステカに対しては敵対していた可能性があります。そのせいか、コルテスがアステカを征服する際にトトナカ人の協力を得たといわれています。

最後がアステカです。

このように、多様な文明の塗り重ねからアステカ文明が生まれています。

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ウィキペディアよりお借りしました
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AB


こう見てくると、メキシコ湾岸の文明と中央高地の文明とがしのぎを争った事が判ります。又アステカ帝国と呼ばれますが、上記の地図のように、実態はモザイク国家であり、その勢力範囲の中央に支配できない地域があったりして、インカの様に完全に統一しているわでは無いようです。
一説には、生贄を得る為に完全征服をせずに属国としていたとも言われています。

インカ、マヤ、アステカとそれぞれが違った統合形式をとったのはなぜ?
又新たな疑問がわいてきます。

投稿者 dokidoki : 2007年11月23日 22:05

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コメント

メソアメリカの文明も、色々な民族?によって支配されたのですね。しかしメソアメリカの民族は、同類のように思うのですが、どうでしょうか?4大文明のように異民族の侵攻に晒されとのとは異なるように思うのですが?

投稿者 中年のおじさん : 2007年11月29日 22:31

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