2008年01月15日

良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか?

こんばんわ。tanoです。 Smile
以下、2月号のニュートンに書かれていた記事の紹介です。中国ではかなりセンセーショナルな考古学ニュースのようで、中国探求グループが多いこのブログでもぜひ紹介しておきたいニュースです。下記の記事を読んで、当ブログの中国ファンの皆様ぜひ、この記事を元に良渚遺跡は果たして中国最古の王朝なのか意見を伺いたいと思います。
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>長江文明の良渚遺跡群で待望の城壁跡が発見された。

2007年12月3日、中国浙江省(チョーチアン省)杭州の良渚遺跡群で4300年以上前の巨大な城壁跡が発見されたと、中国共産党機関紙「人民日報」が伝えた。城壁内部の面積は約290㎡におよび、同国内で発見された最大級の新石器時代の集落跡と見られている。今回の発見により、同遺跡群は中国最古の国家である可能性が出てきた。

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中国浙江省杭州の良渚遺跡群は長江流域で行った長江文明(紀元前1万4千年―前千年頃)における一分化である。紀元前3300年ころから約1000年間程度継続したと考えられる。
同遺跡は1936年に発見され、のちの調査で多数の居住遺跡や大規模な建築土台や墳丘墓が存在する遺跡群であることが明らかにされた。その範囲は最大幅で東西約10キロメートル、南北幅約6キロメートルである。
また、同遺跡では精巧な玉器が大量に出土している。金属器が出現する前の当時の中国では、玉器が最高の礼器であり、その製作と使用を支配する者が宗教的権威や政治権力をにぎっていたと考えらている。それらのことから同遺跡群は高度な社会階層や文化をもつ都市として以前から注目されていた。
しかし、この遺跡群が国家レベルの都市であったことをより確実なものとする城壁や宮殿が見つかっておらず、その発見が待ち望まれていた。

このたび、浙江省文物考古学研究所になどによる18ヶ月にわたる調査の結果、ついに城跡跡が発見された。しかもその規模は東西約1500メートル、南北約1800メートルで城壁内部の面積は約290万㎡という巨大さである。金沢大学 中村慎一準教授が推測するには「城壁の外にも遺跡が濃密に分布しているので、実際の居住域はさらに広かったことが、確実です。その広さは「夏王朝(紀元前2070年~前1600年ごろ)」の王都と目される二里頭遺跡(河南省)の300万㎡をはるかに凌駕します。その支配下の人口も10万人に達していたでしょう」

近年の調査・研究により中国における国家の始まりは殷(紀元前1600年ころ成立)ではなく夏王朝という説が有力視されている。しかし、今回発見された城壁の年代は少なくとも4300年以上前と推測されているため、良渚遺跡群が国家といえる存在だったとすると、中国の王朝史はまたしても遡ることになる。「世界各地の事例を見ても、国家が形成される以前に数百万㎡の規模を持つ集落が出現する事例は、おそらく存在しません。今回の発見により、中国においても新石器時代に都市と国家が誕生していた可能性が高まったといえるでしょう」と中村準教授は語る。

国家が存在したとするならば、それは支配者としての「王」をいただく「王国」であったはずである。これまで同遺跡群ではそれを補強する宮殿が見つかっていない。今後は宮殿の探索をはじめとして、都市の内部構造の解明が大きな課題である。中国4000年の歴史がさらに遡る日は近いかもしれない。(ニュートン2月号より抜粋)

参考記事:浙江観光記事

さて、この記事を読んでどう思われましたでしょうか?
確かに良渚遺跡が最古の国家であるか否かは非常に興味深いところです。
中国は国家規模で埋蔵分化発掘に投資をしている国です。夏王朝を最古の王朝とする発掘調査も数年前からプロジェクト化して進めています。今回の良渚遺跡群の都市遺跡発掘もその流れでなされているのだと思います。しかし、国を挙げて歴史の解明に当たっている中国はまさに今、ばらばらになりかけている国家統合を中国という歴史遺産に託しているのではないでしょう。

今回の発掘は事実だと思いますが、これで中国の王朝史が遡ると小躍りするのはまだ早計だと思います。良渚遺跡は中国の南に位置し、戦争の歴史のない南方系の民族で構成されています。河母渡分化は長江文化の中期にあたり、稲作中心に呪術を統合軸として大規模な集落は形成されていました。しかしその事が権力体である王政国家とはどうしても直結しないのです。
中国の王朝社会はやはり遊牧北方民族初の夏―殷―周によって形成されてきたと見るのが正しいと今でも思っています。遊牧民族が発端となって略奪闘争を繰り返し国家形成に関与してきたのはるいネットでも度々取り上げられたように歴史の法則でもあります。

良渚遺跡跡を古代中国王朝とみなすには単に宮殿の発見をもって整合させるだけではなく、同時に以前、以後の歴史との論理整合性を計る必要があります。巨大な城壁は当時の良渚遺跡周辺の侵略外圧の高さを物語るものかもしれませんし、すでに周辺の侵略民族が入り込んで長江文明を変質さえていたかもしれません。また4300年前のこの巨大城壁に守られる形でその後の良渚文化(3200年前―2200年前)は発展したいう見方も成立します。
いずれにしても、この遺跡発掘をどう見るかは当ブログの敏腕記者に期待したいと思います。長江文明の中期以降は他の4大文明と同じと評したるいネットの投稿もありますので参考に読んでみてください。(tano)

るいネット参考投稿:4大文明も長江文明も5000年前で同時期

投稿者 tano : 2008年01月15日 22:42  

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コメント

tanoさん、最新NEWSありがとうございます。

同じ感覚なのですが、どうも、長江に王朝があるということに違和感があります。まだ、長江流域は発掘データも少ないでしょうし、やはりこの時代の外圧状況をまずは解明してみるのが良いでしょう。(後は、現在の中国考古の世界で、どの地域,時代の解明が重視されているか?研究動向を調べてみても面白いかもしれません。)

ともあれ、長江の歴史を解明する良いきっかけですね。しっかり、歴史事実を解明していきましょう。

投稿者 さーね : 2008年01月17日 22:02

返信ありがとうございます。
長江文明はこれまで4大文明からは除外されてきました。最近その歴史の古さと遺跡の豊富さから5大文明と呼ぶ学者も出てきています。文明とは都市ができるというのが条件のようですが、その為には当然周辺地域から搾取した土地や財産が必要です。結果、文明の誕生とは常に戦争の勃発と同義となるのでしょう。

長江の解明、面白そうですね。黄河文明と異なり文献は少ないですけど、新たな課題として追求していきましょう!

投稿者 tano : 2008年01月18日 00:37

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