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2008年02月29日
水田稲作は縄文人も求めていたから拡大した
縄文時代から弥生時代への変遷は縄文晩期のBC1000年ごろから北九州を中心に波状的に拡大していき弥生時代前期には近畿まで拡がっていきました。この1200年間が大きくは日本における私権社会への転換期に当たるのですが、この期間に何があったのか?どのようにして縄文社会は渡来人の文化に取り込まれていったのか?しばらく方々のサイトを探索して事実に相当する記事を集めていきたいと思います。
渡来人との融合、水田稲作の伝播により社会構造は大きく変化していきます。
今回はHP「日本人の起源」さんより紹介させていただきます。非常に的確に分析しており弥生前夜の水田稲作の伝播についての状況がよくわかります。リンク
水田稲作は大きくは渡来人の縄文人支配の結果ではありますが、そうではない、”縄文人が大陸に技術を盗みに行った”という歴史事象も残っています。以下、NHKレポートをまとめた記事です。ちょっと、とんでもですが・・・。
:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
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posted by tano : 00:51 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月28日
精霊が見えなくなったのはなんで?
今回は、祖霊信仰に潜む問題点を考えてみたいと思います。
精霊信仰(=事実観念)による技術の進展→生産性の上昇は、集団規模の拡大を生み出します。
その結果、それまではもっぱら自然外圧を主対象としてきた人々が、同類圧力という新たな外圧にさらされることになります。
同類圧力がもたらす緊張状態は、集団の結束強化を促すこととなります。
具体的には、拡大した集団を分割することによる共認強化と集団の多段階編成による統合強化を図ることとなります。
このとき、すべての人に備わっていた「万物の背後に霊を観る」能力が衰弱化の兆しを見せます。
いったい、何がおこったのでしょうか?
精霊信仰の真髄は、万物との同化にあります。
これを妨げるものは、「自我」しか考えられません。
同類闘争圧力の増加→「自我」に基づく自集団の正当化。
そのための正当化観念が「祖霊信仰」だったのではないでしょうか?
精霊信仰と違い、「祖霊信仰」は「善・悪」や「好き・嫌い」といった感応観念の地平にあります。
「祖霊信仰」を強めれば強めるほど、万物の背後の霊が観えなくなる。
かといって、自然への超越観が完全に失われた訳ではありません。
そこで登場したのがシャーマンという特殊(といっても、従来はみなが持っていた)能力を備えた人だったのでしょう。
応援よろしくお願いします :roll:
posted by naoto : 09:24 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月26日
縄文と弥生式土器の焼き方の違い
○縄文土器や弥生式土器は一体どうやって焼いていたのでしょうか。
縄文式土器のまだらな黒斑
弥生式土器の丸い黒斑
posted by ryujin : 22:39 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月25日
旧大陸における鉄器の発達の歴史
こんにちは。歴史書の中で最初に鉄器を武器として使用したのはヒッタイトですね。
その後メソポタミアから周辺地域に鉄器の使用が広がっていきますが、今日は旧大陸における鉄器の発達の歴史と、その背景について調べ調べてみました。
posted by saah : 10:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月23日
鉄や銅を使う必要が無かった文明の不思議
これまでインカ、マヤ、アステカと新大陸の文明を見てきましたが、旧大陸の文明と大きく違う点にスポットを当ててみたいと思いいます。
それはやはり、これらの文明が、石器を中心とした文明であることでしょう。旧大陸では石器から青銅器、鉄器と文明が推移して、現在に至っています。
ところが、新大陸では15世紀後半のコロンブス到来以前は石器中心でした。

金属が無かったわけではない。装飾品としては素敵なものが残っています。
やっぱり不思議です。
さあ、そのなぞに迫ります。お楽しみに?その前に
posted by dokidoki : 20:45 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月22日
「縄文」から引き継がれているものは何か?
当ロブログでちわわさんが『日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。』
で、それは 縄文時代の狩猟採集社会の精神世界 だ!と紹介されました。
私はそれが具体的にどのようなかたちで引き継がれているのかを調べてみました。
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↓ ↓ ↓
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posted by mukai : 18:30 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年02月21日
縄文人の注視する力
今日は、若干個人の感想レベルになってしまうかもしれませんが :m196: …先日アップされた縄文人、再生への祈りのこの部分。正直、現代社会に生きる自分にとっては驚きでした :shock:
実際、生まれた子どもは15歳になるまでにほとんど死んでしまう状況で、かつ、産んだ女性も命を落とすことがあるという状況で、無事生まれ、育っていくことへの祈りは切実であったろうと思います。
縄文人の平均寿命は本当に15才 :m052:
現代人の平均寿命の1/4にも満たない…
いかに、縄文人が生き延びたのか :m050: 改めて、身が震える想いです :confused:

環境研ミニ百科第30号 縄文人は、短命だった?
byさーね
:m118: 応援よろしくお願いしますっ :m049: :m118:
posted by sawatan : 21:31 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月19日
旧約聖書にみる、シュメール文化
こんばんは~ :m017: みつこ :D です。
ちょいと突然ではありますが、今日はメソポタミア文明について :nihi:
みなさん、『旧約聖書』 :m061: って知ってますか?
どのように神が人間を作ったか?とか、出エジプト記だとかが書かれてあるものです。ユダヤ教の聖典でもありますよね。
神 :m081: を正当化するために作られた『お話』だろう~って風にしか思っていなかったのですが、実はメソポタミア文明の担い手であるシュメール人たちの文化の影響も結構あるようなのです :shock:
案外そこを抽出すれば、当時のメソポタミアの様子をもっと探れるかもしれません :wink:
一緒に探ろう!って思われた方、ぜひポチっとお願いします :m023:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 23:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月16日
中国は周辺遊牧民が集積し単に膨れあがっただけの大国
先日のtanoさんのコメント :m196:
まずは中国がおかれてきた外圧状況を分析して、古代中国はなぜ大国となったのか?現代の中国はなぜその体質を変えることができないのか?環境の変化に適応できなかった恐竜のように超大国中国もまた激変する社会に適応できない事態を迎えているのかもしれません。
古代中国からここまでなぜ大国となったのか :m052: 少し、いろんな切り口でみていきたいと思います :m193:
今日は「民族」を視点にしてみたいと思います。現代中国は、漢民族+少数の55の民族から形成されています。これほど民族が多い国もかなり珍しいのではないでしょうか :m050: :m197:

byさーね
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posted by sawatan : 23:08 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月14日
縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか
:D くまなです
:m118: おもしろいデータを見つけました。

図は倭人の形成の日本人の時代変化からお借りしました。
このデータからわかることは、弥生時代に渡来した人々は、縄文人より高身長で全く異質であったことです。また、縄文人が現代人よりもちっちゃかったことがわかります。
それよりも :shock: 驚きなのは、江戸時代や明治時代の人々は縄文人よりもずっとちっちゃかったということです。男子で約155cm、女子で約145cmしかない。いまの小6から中1ぐらいの身長です。
なんでだろう?
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posted by kumana : 18:00 | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年02月13日
祖神(オヤガミ)はなぜ生まれたか?
縄文時代後期、集団規模が大きくなり、集団を分割せざるを得なくなったとき、彼らはどのように複数の集団を統合していたのでしょう。従来の精霊信仰を土台としつつも、新たに祖神(オヤガミ)という観念を生み出し、それによる統合を図っていたのではないでしょうか?
宗教的心情の起源を参照させて頂きました :roll:
当時の人間は森羅万象に隠れ身のカミの気配を感じており,いつもカミと共に生きているという実感を持っていた。自分たちが喜べばカミも喜ぶ,悲しいとき,辛いときは気持ちを切り替え,奮い立たせるために大騒ぎをする。自然という名のカミと苦楽を共にしていた。
自然に対する畏怖の念。自然に生きること。
いつ気が変わるかもしれないカミに翻弄されながらも,精一杯生きてきたのが,われわれの祖先の姿なのである。
縄文人の精霊信仰については、異論のないところです。
引き続き、沖縄・奄美諸島の習俗・伝説を見て行きたいと思います。
posted by naoto : 09:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月12日
本源集団の生産ー消費にセットで必要な相互扶助のシステム
こんばんわ。tanoです。
今日は縄文時代の生産シリーズ第2弾をお送りします。
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。
2番目の過剰生産のない縄文社会です。
縄文時代の生産と消費活動はどうだったんでしょう?
生産と消費の間に蓄財というものがあります。とかく現代は不安が多い世の中。
ある程度貯金がなければ不安になってしまいますよね。
しかし縄文社会には蓄財という観念がほとんどありませんでした。
なぜ蓄財をしなくても生きていけたのでしょう?
:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
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posted by tano : 22:10 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月07日
失われた2万年のアメリカ史(メソアメリカ)
今、メソアメリカ文明(マヤ・アステカ・インカ文明)がNHKや展示会で紹介され多いに注目されています。メソアメリカ文明は、我々が習った世界史の教科書に全く登場してこなかった地域であった為、未開民族の話程度に思っていましたが、
しかし・・・・
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posted by hiroshi : 22:45 | コメント (2) | トラックバック (0)
縄文時代:アクセサリーの意味~集団統合のために
現在では、アクセサリー :m034: は女性のみならず、男性もシルバーアクセサリー :m034: などを身に付けるようになりましたね。縄文時代も、同じ様に身に付ける装飾というものが出土しています。
現在は、自分をキレイに見せたり…というような意味合いであると思いますが、縄文時代はどんな意味があったのか :m052: 追求してみたいと思います :m049: :m193:

今日参考にさせて頂いた縄文世界さんのサイトより~土製耳飾~土のピアス!
byさーね :tikara:
日本のアクセサリーの起源っ :m050:
:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
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posted by sawatan : 21:18 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月05日
余剰が冨の集中と戦争をもたらすって本当?
こんにちわちわわです。
日本史の教科書では、概略すると、弥生時代に入って水稲栽培が広まると余剰生産物が生じ、すると冨が支配階級に集中し、戦争が発生する。と書いてあるようですが、本当でしょうか?

狩猟採集民から農耕転換した縄文人の集団内では、蔡紀のための統合者的存在はいると思われますが、自我が共認によって封鎖され、私有意識も存在していない集団内では、余剰が生じたからといって、冨の集中、ましてや戦争に直結するとは思えません。
問題は私有意識の有無にあると思います。
稲作を日本にもたらした渡来人は略奪で国を追われた私権闘争の経験者であり、既に私有意識を顕在化させた民族のはずで、彼らが稲作を生業とする生産集団の統合者に座る事によって、冨が私物として認識されるのであり、私権拡大の邪心によって他集団へ収奪に走るようになったのではないでしょうか。
大和朝廷の国家成立も私権拡大の過程であろうし、私婚制度が根付いているのも貴族階級のみであることからも、渡来人による覇権争いが弥生以降の日本の歴史なんだと思います。
posted by tiwawa : 23:53 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年02月04日
中国の人口が爆発したのはなんで?
十二億に達する中国の人口。そして海外にも5~6千万人といわれる華僑が存在する。急激に人口が増え始めたのは18世紀前後頃かららしい。
posted by ihiro : 23:41 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月03日
中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史③~夏王朝は羌族の手によるものか?
中国西北部の高地にいた古代羌族が、黄河上流に斉家文化、長江上流に三星堆文化を起したであろうことは前稿で書きました。今回はさらにその続きです。
●まずはトルコ石のお話から。
下の左の写真は斉家文化(BC2000)の玉製牌飾?らしく、右の写真は二里頭文化初期(BC1700頃)の青銅製牌飾です。(こちらよりお借りしました。)


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posted by nishipa : 18:51 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月02日
中国文明:中国考古学の実情
以前、tanoさんが投稿されていました良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか? :wink:
答えにはならないのですが、まずは、中国の考古学事情についての記事をアップしたいと思います。というのも、いろんな情報を集めてみると、どうもこの現実をおさえておかねばならないと感じました :confused:

道端に放置される土器片(All aboutより)
byさーね :m043:
本当の中国の姿は :m050:
応援よろしくお願い致します。 :m118:
posted by sawatan : 20:57 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月01日
縄文人の労働とはどうだったんだろう?
こんばんわ。tanoです。
年末に三内丸山の特集記事を書いてから1ヶ月放置していましたが、第2弾を再開したいと思います。
>第2弾で三内丸山の大きな経過、発祥、周辺との関係を見てきました。
次回はさらにその社会構造に迫ってみたいと思います。(三内丸山は語る2)
社会構造をいきなり書くと大変なので以下の3つの記事を紹介したいと思います
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。
今日は第1回で縄文人の労働観についてです。
posted by tano : 21:48 | コメント (2) | トラックバック (0)
