/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

« 2008年02月 | メイン | 2008年04月 »

2008年03月31日

縄文の黒曜石の流通は、交易とは似て非なるもの

前回、 「黒曜石の広がりは、交易か贈与か?」では、温暖化と人口増に伴い部族間の接触が頻繁になり、お互いの緊張関係を緩和する為に、自分達が大事にしているもの(黒曜石など)を贈与するようになったのでは、という仮設を立てましたが、そもそも交易と贈与とはどう違うのかというところにスポットをあて今回は追及してみた。

市場の始まりは交易からと言われるが、古代にあっては現在のように価格差を源泉に商人たちが利潤を得るために市場で商品を裁くという形態ではなかったようだ。
例えば、古代地中海に於いて、航海術で名を馳せた民族、フェニキア人の代表的な輸出品は紫の布や木材であった。これらは当時、一般庶民の生活には通常必要のないもので、要するに贅沢品であった。

航海術に長けたフェニキア人でさえ、品物を大量に船で輸出するのは、現在とは比べものにならないほど大きなリスクが伴ったに違いない。従って、これらの活動は領主や王など何らかの権威によって依頼され、それ相当の保証(収入や安全)を受けることでしか成立しなかった行為である。
以上、るいネット「フェニキア人の交易の移り変わり[1]~古代地中海の交易~」より一部引用

さて、一般に縄文時代に黒曜石の交易が盛んに行われていたと言われているが実際はどうだったか?

知りたいっと、思った方はポチッとお願いします。!
Blog Ranking  にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by simasan : | |

2008年03月30日

中国、母系→父系制への転換期①: BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制へ

 中国でいつ、どのようにして父系制に転換したのか?中国の社会の基本的な構造を押さえるにも、その後の東アジアへ父系制が広がっていったことを考えるにしても、そのことが非常に重要だと思う。またそれが東アジアの制度や観念・思想(ex儒教)のベースにもなっています。

 そこで、父系社会への転換時期の状況を押さえながら、できる限り追求してみたいと思います。

まず、ほぼ明確に父系に転換したのは、BC3000年頃に黄河流域に成立した竜山(ロンシャン)文化からと考えられてます。

posted by ihiro : | |

2008年03月27日

縄文時代の人口推算について

 
縄文時代のHPや書物などを拝見すると、よく同時代の人口推定があげられています。
また、この「縄文と古代文明を探求しよう!」ブログでも、人口推定を元にした、紹介や議論がなされたりしているのもよく見かけますね。
 
「東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000251.html 
 
「人口減少に憂う縄文人」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/000019.html 
  
 
今回は、この縄文時代の人口推定をされた、小山修三さんの人口推定方法について簡単に紹介してみます。
 
参考にさせていただいたのは、「縄文学への道」小山修三著です。
 
結構メジャーな本なので、既にお読みになられた方も多いとは思いますが、お付き合いの程、よろしくお願いいたします。
 
 
まずは、推算された人口の表ですが、
 
「日本人の起源」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12.html
 
で紹介されている表が、わかりやすいのではないでしょうか。
 
 
%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E8%A1%A8.jpg
  
                       <人口一覧表>
 
「日本人の起源」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12.html
 
 
 
人口密度を地図上に落としたものとしては、
  
%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%88%86%E5%B8%83%E5%9C%B0%E5%9B%B3.gif
 
                  <分布図>
 
「縄文基礎情報/人口分布」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/000014.html 
 
  
このもととなったデータは、どうやって作られたのでしょうか。
 
 
 
 ↓続きをごらん頂く前に、ご協力を!!

Blog Ranking     にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by yuyu : | |

2008年03月26日

私権社会への変遷(弥生庶民の状況分析)

縄文時代が終焉し、弥生時代を経て日本はいよいよ私権国家へと変遷していくのですが、分岐点である弥生時代がるいネットやこのブログを通じてまだまだ明らかにされていないように思います。

私権社会への変遷のキーワードはそれまでの共同体が解体し、渡来人が持ち込んだ私権社会の様式に染め上げられていく課程です。日本の場合は他国と異なり侵略、武力支配の明確な転換点はありません。渡来人が持ち込んだ水田技術や婚姻制を含めた社会統合手法、私権規範などを刷り込まれることで徐々に(ではあるがわずか500年弱)私権社会へ変化していった可能性があります。
一方で、その後の歴史においても日本人としてのアイデンティティーは各時代を経て残存し続けており、それらが縄文時代に培った本源性であることは明らかです。それが、日本人が世界史的に見ても特殊で稀有な存在として注目されている所以でもあります。

つまり、「日本は弥生時代に私権社会へ一気に移行していない」のではないかという仮説を立ててみたくなるのです。

私権社会への変遷とは一言で言えば自我を正当化した私権観念の支配度合いであり、同時に略奪部族に対抗する為の超集団の統合手段でも在ります。私権社会への移行が遅れた、私権観念の浸透度度合いが比較的少なかった所以は自我を封鎖するしくみを残存させていたからであり、そのまま縄文社会の共同体が庶民レベルではかなり後まで残っていた可能性があるのです。私達は歴史の便宜上、縄文―弥生と時代を切り分けあたかも弥生時代でスッパリと庶民の意識まで国家統合へ向かったかのように思いがちですが、庶民レベルではきっと縄文社会の連続性の中に農耕を受け入れていったのではないか、そういう可能性も決して捨てがたいものだと思うのです。

これから数回に渡ってこのテーマを追求していきたいと思います。
縄文時代から弥生時代に渡って果たして自我は封鎖されていたのか
このテーマを解明する為に弥生時代の基礎資料が必要になります。
今回はその1回目として弥生時代の庶民の社会構造を見ていきたいと思います。

ポチッとクリックして社会構造を覗いて見ましょう!
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by tano : | |

2008年03月25日

「自我」の壁を突き破ろう!

●新しい活力源をしめすことなく「市場社会」が壊れようとしています。
このまま世界は崩壊し、滅亡への道を歩むことになるのでしょうか?

この40年を振り返ってみると、'70貧困の消滅→私権の衰弱→自我の衰弱⇒本源回帰という大きな時代潮流は、誰の目にもあきらかになってきました。
このことは、新しい時代とは、私権社会から本源=共認社会への大転換であるということを示しています。

にもかかわらず、モンスター・ペアレンツや自己中殺人は残存し、マナー規制や労基法など、個人の権利を正当化する制度は、強化される一方です。
もはや弊害しか生み出せない「自我→私権」を最後の砦として守ろうとする社会。
何か根本的に誤っているとしか言いようがありません。

上記の時代潮流を、対象化し、新しい時代を実現しようとしたとき、真正面に立ちはだかるのは「自我」の壁です。

①この「自我」を縄文人は、どのように封鎖してきたのか?
②弥生人は、一気に「自我」を発現させてしまったのか?二層構造で、大衆は「自我」を封鎖し続けたのか?

過渡期の現在、②の追求も不可欠ではないでしょうか。
このブログでも、弥生時代の大衆に焦点をあてた投稿は、皆無に近い状態です。

今後、しばらくは、「自我をどう始末したのか?」という観点からの追求をしていきたいと思います。

できれば、皆さんの協働をお願いします。

   応援お願いします :roll:  
      Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by naoto : | |

2008年03月22日

帝国の構造とは?・・・軍事力+経済力+商業力そして支配観念

歴史上さまざまな帝国が存在してます。ローマ帝国、モンゴル帝国、そして現代のアメリカ帝国・・・・・。その他にもいろんな帝国がありますが、帝国には基本的な構造があるようです。
モンゴル研究の第一人者の杉山明氏が、モンゴル帝国のコンセプトについて解説している。

400px-Mongol_Empire_History.jpg

posted by ihiro : | |

2008年03月15日

中国文明:中国の地形と気候

今日は中国地図を記事にしてみたいと思います :-)

:m118: ということで、こんな地図をつくってみました :m118:

%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E5%9B%B32.jpg
中国地図vol.1 :m119: ここをクリックすれば大きくなります :m051:

中国大陸は広大っ :m051: :shock: 歴史を調べていても、場所がどこだがわからなくなる時もあります :confused:

その地の環境がイメージできると、歴史もより鮮明になると思います :o

若干、現代的になってしまいますが :m196: 、当時の自然環境を大きく捉えることはできるのではないでしょうか :m050:

:m118: 応援よろしくお願いします :m118:
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

byさーね :m044:

posted by sawatan : | |

2008年03月13日

古代エジプト文明の本源性の礎を築いた先王朝時代

こんにちわちわわです。

カッピカピさんに引き続いてエジプト文明の基礎を作った先王朝時代(石器時代)に目を向けてみます。
994giza06.jpg

古代エジプトはメソポタミアと違って本源性が残されていると思われます。

ころころと国家が入れ替わるメソポタミアに対して古代エジプトか前3000年からローマ帝国に支配されるまで、3000年間も王朝時代を維持し続けたのも、自然を崇拝し輪廻転生の宗教観も安定した民族の証だと考えられます。

恐らく父系転換した遊牧部族が移住して作り出したメソポタミアと違って、狩猟採集民が肥沃なナイル河畔に定住して農耕転換したエジプト人は共同体的体質を残存させた事に起因していると思われます。

エジプト人おおっと思った方↓↓ぽちっと
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

posted by tiwawa : | |

2008年03月12日

縄文集団はどのように争いを回避してきたのか?

前投稿で、集団規模の拡大→分割に伴う同類闘争圧力の増大について触れましたが、日常的に彼らはどのようにして争いを回避してきたのでしょう。
「贈与」以外の方法はなかったのでしょうか?

今回は日本社会システムの起源を参照させて頂きます。《一部編集》

他の単位集団との関係が問題になるとすれば,やはり生業をとおしてのものである。 すなわち,縄文社会の単位集団は狩猟・採集にかかわる領有圏,テリトリーをもっていたと考えられ,この領域の設定あるいは維持をとおして相互関係が不可避であった。
縄文時代に数千年にわたって人々が生活したことによって生まれた福井県の鳥浜貝塚の場合,「人口30人内外の集団を支えるために必要とされた領域は半径5キロメートル程度であったと思われる」と指摘している。 この領有圏内の植物資源,水産資源をそれぞれの季節ごとに多面的に利用しながら,この鳥浜貝塚の住人は豊かな生活を営んでいたことがわかっている。 この5キロメートルという領有圏は先土器時代と比較すれば小さな範囲となったことは確かだろう。 しかし,狩猟・採集・漁撈に良好な地域には単位集団が集中することは自然である。 したがって,この領有圏をめぐっては単位集団の自由な設定が困難であった可能性は高く,単位集団間の調整が必要とされただろう。

posted by naoto : | |

2008年03月11日

縄文人が水田稲作を始めなかったのはなんで?

こんばんわ。tanoです。
水田稲作は縄文時代には定着しませんでした。なぜでしょうか?

以前私は佐々木高明氏の著書から抜粋して、るいネットの縄文人と農耕技術で以下のような投稿をしました。

縄文人が稲作を拒否したのかについては・・・下記のくだりで説明できる。
”後期、畑稲作が始まった後も平行して網羅的食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかった。
それは、畑稲作は既存の共同体組織で充分に対応できたと思われるし、余剰を生み出さないイデオロギーが残存し、自然を大きく破壊しない、サイクルを変動させないタブーが存在したとさえ想定できる。
後期に登場した呪術の技術はそれ(自然との関係の破壊)を戒めるために使われたとも考えられ、そのことにより、縄文時代の農耕は伝統的な獲得経済の一部を構成したにとどまり、けっして支配的な食料獲得様式にはならなかった。”

稲作を拒否したのではなく、稲作による社会の変質を拒否したのである。

今日は、縄文人が稲作を拒否したのか、稲作ができなかったのか?について考えてみたいと思います。
:m117: まずは縄文人が稲作をできなかったという立場です。
仮説)
1.水田稲作は灌漑など高度な技術で渡来人が持ち込まなければ到底できないような技術だった。
2.水田稲作が可能な稲は陸稲とは異なり、多段階の品種改良が行われた上で栽培が可能になる。
つまり種や苗がなければ栽培ができない。

だから渡来人が技術を持ち込んで縄文人の集落に融合する事で水田稲作を伝える事ができた。
::::学説ではそうなっています。

本当にそうなのでしょうか?まずは仮説を疑ってみます。

:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by tano : | |

2008年03月07日

新大陸の文明は石器時代?金属の使用から文明を問い直す。

歴史学では、「石器時代」→「青銅器時代」→「鉄器の段階」という順で文明が発展したと捉えられています。
その視点でみるとインカ・マヤ・アステカといった新大陸の文明は(青銅の使用すらない)未発達な「石器時代のままの状態」で高度な文字や天文学、建造物をつくった不思議な文明という見方がされるわけです。
“鉄や銅を使う必要がなかった文明の不思議“ 2008/02/23参照

金属の剛性と靱性、そして加工の難度は、
銅<青銅<鉄
の順で、これは「武器」つまり、「殺傷能力」を向上させる必要性が、よりそれに適した金属の使用を生み出していった過程だといえます。
“旧大陸における鉄器の発達の歴史” 2008/02/25 参照

%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2.jpg

新大陸では、金属が、武器や道具に使われなかったのはなんで?を考えてみましょう。

posted by nandeya : | |

2008年03月06日

日本の長寿の源流は、縄文人にある?!

縄文のネタをネットで探していて、とても面白いブログを見つけました :o

沖縄の歴史・文化とは!

その中でも、このネタはなかなか縄文人ってすごいなと思わせる仮説です。

縄文人の謎・ロマン 日本人長寿の源流は縄文人に遡る!

日本が男女とも“世界一の長寿国”である記録は、今年も継続されている。
先日発表された日本人の平均寿命は、男性が79歳・女性がほぼ86歳と男女とも世界一の長寿王国が続いている。

現代医薬や医療機器の恩恵を欧米諸国ほど受けていない日本、又今日の環境汚染問題は先進国として恥ずべき社会問題化して久しい。社会環境的・物理的・医療的に日本人長寿の原因は見当たらない。

そこで日本人長寿の根源は、縄文人に遡るという仮説を立ててみたい。


根拠もしっかりあり、とても面白い仮説です。縄文人…自然の摂理にに学ぶべきっ!と改めて感じました :o

byさーね

:m118: 応援よろしくお願いいたします :m118:
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by sawatan : | |

2008年03月05日

星を見ていたら暦が生まれた。

こんにちは、カッピカピです。

 今回は、「ナイル川とアスワンハイダム」に引き続き、ナイル川にまつわる、あるお話を紹介したいと思います。

 テーマはずばり『暦』です。

 現在、国際的に使われている暦、いわゆる西暦は、太陽の年周運動を基準にした暦、すなわち「太陽暦」(The solar calender)です。わが国日本も、この太陽暦を1872年(明治5年)から採用しています。

 この世界中で慣れ親しまれている「太陽暦」、元を辿れば、古代エジプト文明まで遡れてしまうことをみなさんはご存知でしょうか。

続きはポチっと押してからどーぞ。

Blog Ranking

にほんブログ村 歴史ブログへ

posted by hi-ro : | |

2008年03月04日

東アジア文明という見方

中国の歴史観は、日本から見れば、自国中心の見方に偏っている様に見えるが、お隣韓国から見ても同様に見えているらしい。一方で、韓国の歴史観も、自国中心という観点では似たような限界を抱えているらしいが、最近の古代中国史の研究成果からは、この狭い見方を乗り越えて、新しい東アジアの歴史観が浮かび上がってきた様だ。

応援 :m092: よろしく。
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

以下、東亜日報から引用。

中国の東北工程は、韓国史への歪曲した見方だけを認識させたのではない。これまで韓国が関心を寄せてこなかった東北アジアの古代史に関する新しい見方をも目覚めさせた。韓半島という狭い空間に縛られ、文献資料だけに依存していた実証史学の限界を飛び越え、歴史研究の地平を満洲、モンゴル、中央アジアに拡張し、考古学と神話研究の領域まで積極的に取り込んだ。


小説家の李炳注(イ・ビョンジュ)氏は、「太陽にさらせば歴史になり、月光に染まれば神話になる」と書いた。東北工程の反作用を通じて、韓国歴史の研究で皓々たる月明かりだけが漂っていた分野に燦爛たる日の光が注ぎ始めた。その具体的な兆しとして、4大歴史認識の転換を紹介する。

      %E9%9F%93%E5%9B%BD.jpg

posted by maeyan : | |

2008年03月03日

中国の母系から父系への転換期はいつか?

古代中国では、生産性の向上をきっかけに、男女の役割分担が変わっていく中で、母系社会から父系社会に転換していくという説や、洪水の治水が父系への転換のきっかけになってきたという説等、いろいろ諸説ある様です。

じゃあ、その転換期はいつなんだろう :roll: と思っていたところ、こんな記事がありました。

中国における最古の国家 :m261: は夏、殷(商)、周に始まるというのが通説ですが、これ以前に中国の北方で栄えていた紅山文化(BC3000~4000)において、最近、気になる研究結果が提示されました。

%E7%8E%8B%E7%8C%AA%E7%AB%9C.jpg
写真は、紅山文化を代表する猪竜という玉飾りです。これは、中国で始めて登場した竜の原型とされています。

これからも、応援 :m092: お願いします。
Blog Rankingにほんブログ村 歴史ブログへ

posted by maeyan : | |

2008年03月02日

中国:巨大国家の成立構造・・・・・戦乱→人々の潜在的な思念が儒教と巨大国家を生み出した・・・・

紀元前6百年頃から相次いで、世界的な宗教が生まれています。ユダヤ教仏教、そして儒教

この時代に世界的な宗教が相次いで生まれたのは、なんでだろう?この時代は、巨大な国家が成立し徴税や身分制・奴隷制などの支配機構が、完成した時代。
特にユダヤ教、仏教の場合は、巨大帝国が成立していく状況で、異民族による支配と奴隷的な境遇の中で、なんとかしてその苦しみから逃れたいという人々の思いがあり、その思いを対象化した仏陀やモーゼが、なんとか頭の中だけでも救いを求めて、神への信仰や解脱への道を作っていった。

中国の儒教の場合は、状況が少し異なっていたようです。中国では、紀元前770年~紀元前221年の秦の成立まで、実に500年にわたって中国は戦乱が続き、諸国がせめぎあう不安定な状況が続いていた。(春秋戦国時代)

Map01.jpg
【戦国時代の中国】戦国の七雄よりお借りしました

posted by ihiro : | |

2008年03月01日

中国における龍とは?

唯一現存しない動物の干支=「龍」と中国について調べてみました。 :lol:

NHKスペシャル「四大文明」中国のエピローグに以下の記載があります。
以下抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中国で創造された龍という動物は、中国文明の象徴といえる。
中略
水中では魚のように鱗を持って自由に泳ぎ回り、空中では翼を広げて乱舞した。これほど水中から宇宙まで自由に飛びまわる動物はいない。龍の姿にはその時代の人々の思考が凝縮している。自然界の大河の流れ、天にかかる虹、天に広がる星宿、その姿に蛇や鰐に似た巨大な動物を見出した。そしてこの地上を治める人間にも龍の姿が重ね合わされた。
皇帝には自然界と人間社会を統率することが求められ、龍の化身となることによって権威を獲得したのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。ではこの龍はいつ頃から登場したかをみて行きます。 :shock:

続きを見たい人はポチットお願いします。
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ

Dragon_chinois%5B1%5D.jpg

posted by sakashun : | |