2008年03月03日

中国の母系から父系への転換期はいつか?

古代中国では、生産性の向上をきっかけに、男女の役割分担が変わっていく中で、母系社会から父系社会に転換していくという説や、洪水の治水が父系への転換のきっかけになってきたという説等、いろいろ諸説ある様です。

じゃあ、その転換期はいつなんだろう Rolling Eyes と思っていたところ、こんな記事がありました。

中国における最古の国家 m261 は夏、殷(商)、周に始まるというのが通説ですが、これ以前に中国の北方で栄えていた紅山文化(BC3000~4000)において、最近、気になる研究結果が提示されました。

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写真は、紅山文化を代表する猪竜という玉飾りです。これは、中国で始めて登場した竜の原型とされています。

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以下、北京週報からの引用です。

内モンゴル自治区赤峰学院紅山文化国際研究センターは近年、紅山文化部落を研究する中で、紅山文化社会において権力層、権力層内部の等級付け、葬儀の形成はいずれも夏、商、周の社会に似通う特徴を見せたのを発見した。

紅山文化時期に、数百キロの地域にまたがる部落連合体が現れ、この部落の域を超える社会組織は次の特徴がある。
1、女神崇拝を中心とする複数の神崇拝が流行る。
2、権力階層は現れる。
3、権力階層内に等級付けはある。
4、高い階層の管理権限は「神」権支配を通じて獲得する。
5、葬儀は出る。

席永傑主任は「紅山文化部落の形態特徴と夏、商、周の社会形成を比較して見て、紅山文化の部落連合体は一部の面で三代社会をはじめとする中国の早期国家の形態特徴に近いことを発見した。しかし、両社会の区別も明らかだ。紅山文化の女神廟は三代社会の男性先祖本位の宗廟と違う。牛河粱で、中心墓の主人をはじめとする最高階層は連合体と異なる社団から来て、三代社会の王様が同族であることと本質的に違う」と語った。

席永傑氏はそれに基づいて、「紅山文化社会の政治組織形態は三代社会をはじめとする中国の早期国家までまだ一定の隔たりが残り、前国家段階の社会に属するはずだ」と見た。
「東方ネット」2007年8月22日

中国では、前国家の形態を古国と呼んでおり、この段階では母系が残っていたが、夏、商(殷)、周と続く国家形成に伴い、完全に父系へと転換したといえる様だ。国家形成の時期と父系への転換は、ほぼ一致しているといえるだろう。

一方で、国家に近い部落連合の大集団の形態が、母系社会において形成されていたことも興味深い。
この紅山文化については、縄文文化との近似点や、朝鮮への影響も指摘されており、これまでの中国中心のアジア歴史観の見直しを引き起こしている様です。

次回は、この紅山文化に関連し、韓国の歴史研究者から見た中国史分析を紹介します。

投稿者 maeyan : 2008年03月03日 21:24

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コメント

紅山文化は、おおむねB.C5000~B.C3000くらいの時期ですね。

紅山文化は、中国でも北方でしょうか。遊牧部族との接触もあった可能性があると考えると、紅山の一部の部族は、父系に転換していた可能性も大いにありそうです。

この辺の地域が、父系への起点になっていそうですね。

投稿者 さーね : 2008年03月04日 00:22

興味深い記事です。部族連合が出来ていたということは、何らかの闘争圧力が働き始めたということだと思います。

BC3000~4000の時代とすると、ちょうどメソポタミアで略奪闘争が始まったころです。メソポタミア方面からの影響でしょうか?

投稿者 Hiroshi : 2008年03月04日 00:43

なるほど、ここまでは母系と捉えるのではなく、ここから父系がはじまったという考えもあるんですね>さーねさん

連合の意味は、闘争圧力発と捉えるのが自然かもしれませんが、集住の意味は他にもあるのかもしれません>Hiroshiさん

この辺りの視点も含めて、紅山文化を探ってみます。
ご期待を!

投稿者 maeyan : 2008年03月08日 22:00

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