2008年03月12日
縄文集団はどのように争いを回避してきたのか?
前投稿で、集団規模の拡大→分割に伴う同類闘争圧力の増大について触れましたが、日常的に彼らはどのようにして争いを回避してきたのでしょう。
「贈与」以外の方法はなかったのでしょうか?
今回は日本社会システムの起源を参照させて頂きます。《一部編集》
他の単位集団との関係が問題になるとすれば,やはり生業をとおしてのものである。 すなわち,縄文社会の単位集団は狩猟・採集にかかわる領有圏,テリトリーをもっていたと考えられ,この領域の設定あるいは維持をとおして相互関係が不可避であった。
縄文時代に数千年にわたって人々が生活したことによって生まれた福井県の鳥浜貝塚の場合,「人口30人内外の集団を支えるために必要とされた領域は半径5キロメートル程度であったと思われる」と指摘している。 この領有圏内の植物資源,水産資源をそれぞれの季節ごとに多面的に利用しながら,この鳥浜貝塚の住人は豊かな生活を営んでいたことがわかっている。 この5キロメートルという領有圏は先土器時代と比較すれば小さな範囲となったことは確かだろう。 しかし,狩猟・採集・漁撈に良好な地域には単位集団が集中することは自然である。 したがって,この領有圏をめぐっては単位集団の自由な設定が困難であった可能性は高く,単位集団間の調整が必要とされただろう。
この単位集団間の調整については二つの対立したとらえ方が存在している。
第一は,個々の単位集団をこえた上位クラス集団の自立した存在によってこの調整がおこなわれたとみる見方である。 藤間生大は上位クラス集団としての氏族社会が小集団を規制する力は絶対のものであったろうと指摘している。 和島誠一は縄文集落が中央広場を囲むように存在していることをもとに,集団の規制がおこなわれていたと指摘し,それが「濫獲を防ぐような統制力の存在が必要」であった結果としている。 また,近藤義郎は単位集団の縄文社会における自立性そのものが,それをこえる集団による規制を強化したと指摘している。 近藤は,単位集団をこえる共同体が全体の利益を擁護するために単位集団への規制をおこなったとしている。
第二は,単位集団の領域圏が関連する諸単位集団間の相互的な承認によって維持されたとする見方である。 一種の単位集団間の「棲み分け」の原理がはたらいていたと考えるわけである。 小林達雄は,単位集団の生活領域(領域圏)について次のように述べている。 「単位集団の独立性,排他性は,主として日々の食糧資源の確保にかかわる生活領域に具体的に結びつくのである。 そして,この生活領域の境界を維持する,あるいは侵犯させない,侵犯しない,そしてときには積極的に生活領域の一部を共有するという単位集団間の規制が了解される関係が,単なる単位集団の寄せ集まりの集合体ではなく,有機的な統合体として社会的な意味を持つのである」 都出比呂志も縄文時代における1個ないしは2個の単位集団による分散した領有圏による棲み分けを指摘している。
縄文社会における領有圏の棲み分けについて具体的形態をとらえるうえで,泉靖一による沙流アイヌにおける生活領域をめぐる集団間関係についての調査が重要な示唆を与える。 それは,基本的なアイヌの経済生活が明治にはいって,日本政府の政策によって根本的に変化させられる以前の集団生活の状況を,聞き取り調査などによってとらえようとした研究である。 この調査対象になった時代のアイヌの生活は農耕が始まっていながらも,基本的生業は狩猟・採集・漁撈である点で,縄文時代の集団関係に重要な示唆を与える。 沙流川は日高山脈から西に流れ落ち太平洋へそそぐ川である。 この川にそって17のkotan(アイヌのムラ)が存在していた。 共通の河川に分散するこれらのkotanの全体を常時統括する機構や首長は存在していなかったが,この流域を一つのまとまったiwor(生活の場,領域)としてとらえる共同意識は存在していた。 というのは,他の地方とのあいだに抗争があるときは,いずれかのkotanの首長が全体を統率する首長として選出され,全体がその統制に服したのである。 つまり,通常はこの全体性は集団の構成員の意識のなかにのみ存在しているが,非常時にはこの地域の一体性が顕在化したわけである。 このような地域は多く河川にそって存在し,それぞれが相互に棲み分けていたわけである。 また,沙流川のiworはその17のkotanによって分割領有あるいは共同利用されていたが,これらもまたiworとしてそれぞれのkotanの生活の場だった。 そして,すでに述べたようにそれらのkotanを統率する機構が存在していなかったという意味で,棲み分けがおこなわれていたわけである。 他のkotanのiworに侵入することはきびしく禁じられ,単に通過することも規制されていた。 実際には侵入はさまざまな理由によっておこなわれていたが,きびしい罰則が存在していた。 そして,あるkotanが自己のiworの資源の不足を補うためなどの理由で他のkotanのiworを利用する場合には,定められた手続きをふむ必要があったのである。
このアイヌの例で最も興味深いのは,それぞれの河川単位の地域が領有圏をもっていながら,恒常的な調整機関を有していない点である。 積極的に維持された棲み分けの原理によってそれぞれの領域の占有が可能になっていた。 そして,外敵の侵入があったときに「一体性が顕在した」ということは,個々の集落をこえた一体性,全体性が日常的には潜在化していたことを意味する。 このような社会の特徴は,(1)領有圏の調整における棲み分け的な原理と(2)一体性の潜在化にあるとみてよいだろう。
本能では適応できなかった人類は、共認機能・観念機能を進化させることで生存してきました。
具体的には、性闘争=縄張り闘争の本能を、共認の力で封鎖してきたということができると思います。
「棲み分けの原理」と「潜在的一体性」とは、この共認機能上に形成されている意識だと思います。
この意識により集団間の争いを制御してきたのではないでしょうか?
投稿者 naoto : 2008年03月12日 09:15
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コメント
「意識」が、集団の争いを制御してきたとするのは、正しくないと思います。
「北海道史」だったと思いますが、沙流川の領有権は、(あるいは、棲み分け)4人の首長の話し合いによって決められたとありました。
この、コメンティターの考えるような、「常設の統制機構がなければ、住民の意識の問題だ」とすることは、軽率も甚だしいと思います。
アイヌには、いつでも自由に、話し合いを申し入れる仕組みがあって、誰かが問題だと思ったときに、話し合いを持っていたわけです。つまり、「非」常設の、統制機構が存在していました。「議会」がなければ、「民主主義」がないわけではないことに注意ください。
投稿者 熊谷啓一 : 2008年07月25日 01:36
熊谷さん、コメントありがとうございます。
「争い」は、それが集団内であれ、集団間であれ、さらには国家間であれ、根本原因は「自我」にあると考えています。
したがって、「争い」を避ける為には、「自我」がいかに発現するのかを明らかにする必要があります。
その上で、いかにして「自我」を押さえ込むのかを考える必要があります。
>「意識」が、集団の争いを制御してきたとするのは、正しくないと思います。
「争い」=「自我の発現」を抑止してきたのは、集団内にあっては、「規範」(集団規範or共同体規範)だったと思います。
それが明文化されれば、法律なり制度になりますが、本質は「意識」であると考えています。
>「議会」がなければ、「民主主義」がないわけではないことに注意ください。
私は、現在の「議会」も「民主主義」も欺瞞でしかないと感じています。
むしろ、重要なのは「議会」に変わる「共通認識形成の場or機構」を創ることであり、イデオロギーとしての「民主主義」に変わる「事実認識」をみんなの手で紡ぎだしていくことなのだと思います。
熊谷さんもよろしければ、協働していただければと思います。
投稿者 naoto : 2008年07月29日 22:03
はあ?
自我意識で、東京大空襲が起きたのでしょうか? 自我意識で、函館戦争が起きたのでしょうか?
むしろ、集団の利益、名誉、幸福の追求権などの、権利の獲得競争が、戦争を引き起こすと見なすべきと思います。
「臣民」を、あなたの言う意識集団とすれば、日露戦争は正しい戦争で、それによって死亡した多くの中国人、ロシヤ人は、必要な「損失」であったということになりませんか?
私の言う事は、その「古代文明」になってしまったアイヌ民族のすごいところは、たとえ、悪質なテロ行為が伏せられていたとしても、その「非・常設の」会議には出席して、話を聞こうとする、ということなのです。
それが何を意味するか、わかりますか? 現代文明にとっては、それが、失われた、平和を求める最低のルールだと思います。
松前藩はそのアイヌの行動様式を熟知し、罠を仕掛け、暗殺することを得意にしていたのです。
投稿者 熊谷啓一 : 2008年08月03日 09:05
>むしろ、集団の利益、名誉、幸福の追求権などの、権利の獲得競争が、戦争を引き起こすと見なすべきと思います。
戦争の根本は大きく見れば、naotoさんが言うように自我の正当化にあると思います。
宗教の為の戦争=聖戦もそうですし、食糧獲得の為に他集団を襲う事もそうです。ましてや近代の戦争は全て自集団の利益を獲得する為に行われる極めて自己中なものばかりです。
自我は本来、個人の中に発生し集団を破壊する性質のものです。熊谷さんはそれで誤解されたのだと思いますが、自我は必ずしも個人の中だけに留まりません。
自我は本来は集団の中で抑制されるものですが、それが集団に拡大する事もありうるのです。自集団の正当化、他集団の否定は自我構造そのものです。戦争の拡大とは集団全体が自我を部分的に認め合う事で、それがどんどん伝播していったというのが本質ではないでしょうか?
逆に熊谷さんが出されたアイヌの事例は注目に値します。
>たとえ、悪質なテロ行為が伏せられていたとしても、その「非・常設の」会議には出席して、話を聞こうとする、ということなのです。
目には目を、刃には刃を!というように突きつけられた自我には自我で対応してきたのが西欧の戦争の歴史です。アイヌが最後まで報復の闘いを望まなかったのは熊谷さんが言うような姿勢があったからだと思います。アイヌの事をよくわからない私があまり多くは語れませんが、ひとつずつ紹介いただければありがたいと思います。
投稿者 案山子 : 2008年08月05日 01:22
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