/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2008年04月29日

中国古代:竜山文化期の遊牧民族動向

中国、母系→父系制への転換期①:BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制への時代は、やはりその後の王朝成立や春秋戦国時代への歴史過程を考えると、中国史上転換点 :m008: の時期であると思います :confused:

今日は、中国を調べるのではなく、周辺地域からこの時代の遊牧民族の動きを追ってみました :o

:m118: :m118: :m118: :m118: :m118: 地図でいうとこの辺り :m118: :m118: :m118: :m118: :m118:
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byさーね

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posted by sawatan : | |

2008年04月27日

中国最古の祭祀 ~その意味は?~

前回の記事では、紅山文化のあらましを紹介しましたが、今回は宗教センターについてその意味合いを追求してみたいと思います。

紅山文化(5000~6000年前)は採集、狩猟、漁猟を基盤としており、中国の他地域がすでに農耕、牧畜へと移行していることからすれば、紅山文化が縄文文化に最も近い関係にあるといえます。

紅山文化の社会では宗教が発達し、5000年前には空前の規模の宗教センターが出現します。
その祭祀遺跡は、女神廟、祭壇、積石塚群、金字塔形大型建築から構成されており、女神廟の中には数多くの女神土偶が奉納されていました。

この女神像はなにを意味する :roll: のでしょうか?

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写真は、東山嘴遺跡の祭壇跡から発掘された土偶です。(写真は考古用語辞書さんから拝借しました)突き出たおなかは、妊婦を表したものとされています。

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posted by maeyan : | |

2008年04月22日

弥生時代⇒家族の登場

当グループでは現在、縄文末期から弥生にかけての社会構造と縄文人の意識状況について調べています。と言ってもその決定打はなかなか見つかりません。先日naotoさんが末期の縄文時代の状況を諏訪地方の記述からエントリーされましたが、それも一つの事例紹介としては有効だと思います。
つまり人口が1000年間で1/3に減じた縄文社会の食糧事情とは滅亡寸前であったという事です。
縄文から弥生にかけての集団の変化とはそういった外圧状況の中で起こりました。

ただ集団規模や居住形態は縄文末期から弥生前期にかけてほとんど変わりません。集団規模は30人規模で、居住形態は竪穴式住居です。しかしミクロに見ていくと劇的な変化があるのです。
私はそれを大集団の中に登場した家族の存在だと考えています。家族の起源は考古学や人類学でもさまざまでここでは細かく紹介しませんが、人類は家族から始まったとされる極論から大集団と居住単位や婚姻形態を基にする家族とは構造的に異なる存在とする理論と考え方が分かれます。

家族とは一旦、以下の定義をします。
①共同居住 ②血縁がある ③婚姻形態がある ④生産と消費を共同で行う。 ⑤財産の私有権がある
①~⑤までを行う最小単位を家族と仮に呼ぶことにする。

縄文時代も5~6人で共同居住していたが、①~③を満足しても④、⑤は明らかに異なり、生産は集団全体で行い、消費も集団全体で行っていた。当然、財産の私有もなかった。
弥生時代になると子割りした農地を管理する集団が必要になり、5~6人の規模で①~⑤を概ね満たす小集団が登場した。当然経済的な自立は難しく、④、⑤はまだ緩やかなものであった。しかしそれがその後の家族の起源になったのである。

鷲田豊明氏は「環境と社会経済システム」の中でから弥生と縄文の集団に関して以下のように記述しています。は私の意見です。

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posted by tano : | |

2008年04月18日

“縄文気質”を考えてみよう-1

突然ですが、皆さん“縄文気質”って言ったらどんな気質のことを指すのか考えたことありますか?「何となくわかるようで・・・でもそれが本当にそうか分らない・・・」と言った感想を持つ人が殆どではないでしょうか?

“縄文気質”に近しいと思われるものに“日本人気質”って言葉があります。今日はいきなり縄文まで遡るのも大変なので“日本人気質”に焦点を当てたいと思います。

そこでますは日本人はどう見られているのか?=日本人気質とは何か?といった第三者(=外国人)にはどのように写っているのか?を紹介したいと思います。

『ぼやきくっくり』さんが『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』として文献に残っているものを紹介してくれていますのでそこから一部お借りして紹介したいと思います。

※今回当ブログで紹介するのは“日本人気質”に関係しそうな文献を選定していますが、純粋に過去の日本人が世界からどのような評価を得ていたのかを知る上で、非常によく纏ったブログですので、興味のある方は是非『ぼやきくっくり』に訪問して見てください。

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posted by mrran : | |

2008年04月17日

縄文:祭りの主宰者は女性だった?

縄文時代にも祭りがあったことは、このサイトでも紹介されており、考古学史料からもその存在は疑いのないものだと思います :wink:

縄文の祭り ~地域性と集団形態による差異~

土偶は縄文人が観た精霊の姿

ただ、精霊信仰の一言ではどうも、その姿がイメージできないというか…。そこで、今日は諏訪春雄のホームページを参考に、よりイメージできるよう探って見たいと思います。

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写真は、縄文の祭りの再現 :shock: 井戸尻考古館情報より

byさーね :o

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posted by sawatan : | |

2008年04月16日

ユダヤ教に繋がるメソポタミアの宗教

こんにちわちわわです。

古代エジプトの宗教観を探る前にメソポタミアの宗教の変遷を概略押えておこうと思います。
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■シュメールの都市国家
  それぞれの都市の市神(土着の神)
          ↓
  末端の神々を統合する天空の神アン=宗教の誕生
          ↓
■アッカド王朝時代
  王そのものが神になる。
          ↓
■アッシリア王朝時代
  神の一本化(一神教への流れ)英雄神マルドゥーク。
          ↓
■古代ペルシャ帝国時代
  ゾロアスター教(善と悪の二元論・一神教)
          ↓
      ユダヤ教の誕生
         
多神教から、今日のユダヤ教、イスラム教、キリスト教へ繋がる一神教への流れがメソポタミアのっ宗教の流れです。
概略すぎますんでまず↓↓これ押してから・・・
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posted by tiwawa : | |

2008年04月13日

中国古代母系集団は、父系軍事集団(遊牧由来)に服属することで吸収・解体されていったのではないか?

中国における母系集団から父系集団への移行について、その移行段階を大きく概観するため、調べてみました。

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 地図:紀元前5000年~3000年くらい前の中国   古代で遊ぼさんよりお借りしました。

posted by ihiro : | |

2008年04月12日

龍の起源~精霊信仰より生まれた守護神

こんばんは、etoです!

“龍の起源を考えることは、文明の起源を考える事に他ならない”とは、かの安田喜憲氏の言ですが、あらためて龍について考えてみます。

saahさんの『神々の変遷~自然神・・・水の神”龍”』においては、龍について以下のように書かれています。

>古代中国において、初めは純粋に水を自由に操る神として崇拝されていたものが、やがていつの間にかその自然を自由に扱う神秘な力を持った存在が、民を自由に支配する皇帝の呼称になり、、、

確かに龍といえば、大河で生まれた水の神、あるいは蛇信仰が原点になっていると思いますね。
でもちょっと違うようです。

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この写真は、約6000年前(新石器時代)紅山文化の牛河梁遺跡にて発見されたもので、玉猪龍と呼ばれている物です。イノシシ? そう、なぜに猪なのか、史実をもとに見ていきましょう。


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posted by nishipa : | |

2008年04月11日

ヒスイの広域に渡る存在は、交易か贈与か?

:D くまなです。

縄文時代の広域にわたる物の移動が贈与なのか、交易なのかについて、「ヒスイ」に注目して深めていきたいと思っています。

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写真は北海道美々4号遺跡の曲玉。EnjoyKoreaより。

過去、このブログでの記事には以下があります。
縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?
黒曜石の広がりは、交易か贈与か?
縄文の黒曜石の流通は、交易とは似て非なるもの

縄文時代において、黒曜石やヒスイが広範囲に出土する状況について、一般的には「交易」の結果だといわれています。一方、このブログでは集団間の緊張緩和のための「贈与」の結果であるとの提起がされてきました。

「交易」と「贈与」には大きい違いがあります。
縄文人が他集団、すなわち、集団を超えた‘社会’に接したとき、どのように捉え、どう対処しようとしたのか。交易は自集団の利益のために他集団と取引(≒騙し)をしようとしたのであり、贈与は争いを避けるために友好関係を結ぼうとしたということになります。

縄文時代の物の広域移動が「贈与」である根拠は以下の2点です。
A)交易であれば一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずであり、広域の広がりを説明できない。
B)自給度が高い歴史を積み重ねてきた原始共同体にとって、他の部族に自らの生活条件及び生存条件の一部を依存するという発想は極めて出てきにくい。

参照:黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②

上記を念頭に置きつつも、縄文時代における物の広域移動が「贈与」であるということが出土状況等のデータから検証できないか、というのが現在の課題意識です。

この間、いろいろ調べる中で、なかなかスッキリとした答えが見えてきません。
どのような状況がハッキリすれば贈与と断定できるのか…(あるいは交易と断定できるのか…)

現時点での疑問点=解明しようとしている課題を次に示します。

その前に :m118: ポチっと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : | |

2008年04月08日

絶滅の危機

縄文中期、温暖化とともに増加した人口は、その後、寒冷化により一気に8万人へと絶滅に近い水準にまで激減します。
そして、その後、弥生へと突入していくのですが、そのときの集団意識はどのようなものだったのでしょう?
今回は諏訪の縄文時代を参照させて頂きます。

縄文後晩期の中部山岳地帯の著しい遺跡の減少と、その後の壊滅は、気候の冷涼化によると一般的に言われますが、むしろ人為的な環境破壊による要因の方が大きいと考えられます。

えっ!?と思われた方は、ポチッと押してから続きをどうぞ :roll:
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posted by naoto : | |

2008年04月03日

中国文明のなんで? PART2

こんばんは、etoです。
いつも応援いただき、ありがとうございます!

さて、最近は主に中国文明を追求していますが、このところちょっと停滞気味(;^_^A
そこで、改めて追求テーマを設定してみました。

①中国第三の文明“遼河文明”(=興隆窪文化~紅山文化)って何?
長江、黄河以外に古くから文明が形成されていた遼河地域が注目されていますが、遼河文明の特徴として以下の点に着目してみたい。
 ・中国最古の玉文明~西アジアとの交流?を探る。
 ・中国最古の龍~守護神信仰の起源を探る。
 ・中国最古の祭祀~その意味を探る。
 ・三内丸山、アイヌとの関連を探る。

②父系に転換したのは、何で?
 (服属しながら父系に転換したとは、どういうことか?)
母系から父系への転換は、すでにihiroさんより投稿されましたが、継続テーマとして追求していきます。 

③市場の起源~地域間交流はあったのか?
黄河文明と長江文明の間で地域間交流があったとされていますが、それは交易(市場)なのか、贈与(友好)なのか、はたまた何なのか?

④道教の根っこはどこにある?
 ・母系共同体を源流とする道教の本源性を探る。
 ・東洋医学、気孔、漢方などの起源は?・・・道教に関係する?


以上のようなテーマに取り組んでいきます。
その前に、前回の追求テーマにどう取り組んできたか、見てみましょう。


ポチっと押して次を見てね!
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posted by nishipa : | |

ピラミッドはなぜ造られた?

こんにちわ。○です。

ちわわさんのエントリーから「ピラミッド建設の謎」の部分に関して調べてみました。

古代エジプトについて興味のある方から、「ピラミッドが三度の飯より好き」という方まで、ぜひぜひ読んで見てくださいな :m027:

もちろん :m118: をポチッとしてからね :nihi:

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posted by maru : | |

2008年04月02日

古代エジプトのノモスは村落共同体?

こんばんは~ :m017:
古代エジプト、がんばって明らかにしていきたいです! :m044:
さて、そもそもエジプト文明の舞台、ナイル流域 :m064: はどんな様子だったのでしょうか?

ナイル川流域では「都市なき文明」といわれるように,文字,金属器,壮大な建築物など文明の多くの要素は出現し,国は成立しますが,特殊な状況下を除くと都市と呼べるようなものはありません。ピラミッドや葬祭殿あるいは神殿など壮大な建築物はありますが,日常生活に関連する居住地のような遺跡ははっきりとしていません。初期王朝,古王国,中央国,新王国という古代エジプトの3千年にわたる歴史を通してこのような状況は続きます。そもそも都市的な性格のものがなかったのか,これまで調査された地点とは違った場所にあり見つかっていないのか,よくわかりません。どうも西アジアとは違った形で国が成立しているようです『都市の広がり』さんより

ふむふむ :roll:
昨日の記事でちわわさんの言うように、古代メソポタミア文明と比較できそうですね!
でもぉ、ノモス=都市国家と表現されているものもあったりして。。。 :m111:
うーん、古代エジプトに都市国家はあったのでしょうか :o ? 

うーん、気になる :D !って方、応援よろしくお願いします :m072:
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ありがとうございます :m022:

posted by mituko : | |

2008年04月01日

古代エジプトの謎に迫る。

こんにちわちわわです。

古代エジプト文明とは、エジプトで前3100年頃ナルムルによる統一王朝が起こってから、紀元前305年ローマ帝国に侵略されクレオパトラ7世の死により王朝が崩壊するまでまでをいいます。

これは、日本の縄文時代の頃の出来事で、前525年ペルシャの支配によりエジプト人の王朝が終焉し、外国人の支配下になる頃、日本でも、弥生時代に文化が移行しているのは全くの偶然でしょうか。
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古代エジプト文明は、日本に通じる部分が少なからずあるように思います。

:lol: ナイル川の氾濫による肥沃な土がもたらす農業社会。
:shock: 母系集団による共同体社会。
:roll: 自然崇拝から派生した宗教による国家統合。
:-( 侵略を受けにくい地形による,安定した国家運営のしやすさ。
:shock: 国家事業としてのピラミッド建設の謎。

最終的にはユダヤ人モーセの「出エジプト記」では奴隷制を非難され、エジプト軍は悪役にしたてあげられますが、奴隷社会の実態とはどんなものだったのか?

今、尚、謎に包まれた古代エジプト文明ですが、シュメールの掠奪文明メソポタミアとの比較も交えながら、古代エジプトの実態に迫ってみようと思います。

エジプトやるなっ!と思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa : | |