2008年04月17日
縄文:祭りの主宰者は女性だった?
縄文時代にも祭りがあったことは、このサイトでも紹介されており、考古学史料からもその存在は疑いのないものだと思います
ただ、精霊信仰の一言ではどうも、その姿がイメージできないというか…。そこで、今日は諏訪春雄のホームページを参考に、よりイメージできるよう探って見たいと思います。

写真は、縄文の祭りの再現
井戸尻考古館情報より
byさーね
諏訪春雄のホームページ~諏訪春雄通信298~310が参考になりそうです。
祭りにおける男女の役割分担の由来 伊勢の斎宮と宮中三殿における女性祭祀の実態の知識を得たことによって、祭りにおける男女の役割分担の本質が鮮明にみえてきました。日本の古代祭祀の専従神職は、 男性単独 女性単独 男女ペア の三種の形態があり、基本的にこの形態は現代にまでうけつがれています。このような三種の専従神職者の形態があったのは、祭りの原理そのものが多様だったからです。
沖縄や、日本の神道祭祀の総元締め伊勢神宮や賀茂神社、宮中で、のちのちまで女性が祭りで重要な役割をはたしつづけることができたのは、女性も生活物資生産に参加して役割を分担した経済原理と神と交流する神がかりの能力によって、女性が祭祀の主宰者となった古代の遺制をそのままにたもちつづけたからでした。祭祀に使用されたと考えられる土偶も、女性をモデルにしたものが多いことを考えると、女性には、何か神がかり的な能力が備わっていたと当時の人々が考えた。
日本の祭りにおける専従神職者の男女性差を決定してきた基本原理は、 A 経済原理(生業) B 神がかりの能力 C 仏教・儒教 の三つがありました。この三つを総合してかんがえないと、日本の祭りの本質はみえてきません。…(中略)…祭りの基本原理は、以上のABC三種を単独ではなく、総合することによって説明がつきます。縄文に現代のような経済原理はあるはずがなく、Aは生産様式。Cのような宗教観念はまだないと考えてよいでしょう。
生活物資生産形式または経済原理の相違によって、祭祀の形態が決定されるという法則は、日本にかぎらずほとんど汎(はん)地球規模で普遍的みとめられる現象です。日本でもつぎのような例をあげることができます。狩猟型 東北マタギの熊祭りなど
採集・雑穀型 沖縄八重山諸島のプールなど
稲作型 大阪住吉神社の御田植祭など
漁労型 沖縄本島国頭(くにがみ)のウンジャミなど
混合型 長崎県長崎市の長崎クンチなど
これは、縄文でも同様に分類されると考えてよいでしょう。要は、現代の祭りのように、生産様式と断絶した単なるイベントではなく、生き延びるために、各々の集団が生産様式の違いによって、様々な祭祀を営んだに違いありません。
そして、その主宰者は女性であった
今でこそ、男性の神主が多いですが、実は、仏教や儒教の男女差別観念が日本に入ってきて以降であると考えると、縄文時代に祭りの中心には常に女性がいたと考えるのが自然ではないでしょうか
投稿者 sawatan : 2008年04月17日 21:10 Tweet
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コメント
確かに!
生物学的に見ても右脳と左脳を使って思考する女性は直観力が優れていて男性より感じる力は強いという特徴があります。
現代でも女性の直感にはかなわないと、別の意味で世の男性は認めています。
縄文時代であれば尚更、女性のその特徴は集団の為に使われたことでしょう。
主宰者が男性になったのは明らかに男主導社会に転換して以降でしょう。そういう意味では邪馬台国は縄文の末裔であり、卑弥呼はその最後の主宰だったのかもしれません。
投稿者 案山子 : 2008年04月17日 23:44
案山子さん。コメントどうもです!
感覚なんですけど、祭祀の場は集団の充足の場だったと思うんですよね。そんな中で、やはり女性が発する充足はとても大事だったと思います。
祭祀というと、何か宗教っぽい印象を持ってしまいますが、追求していくと実は違うような気が最近してきました。
縄文の【祭り】追求担当になったので、まだまだいろんな視点で追求していきたいと思います!
投稿者 さーね : 2008年04月19日 21:50
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