/> 縄文と古代文明を探求しよう!
 
 

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2008年05月31日

木を通じて縄文気質を考える

縄文時代の気質とは何か?

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「国際派日本人養成講座」の「国柄探訪:地球を救う自然観」の抜粋の中の木を巡る意識を通じて縄文時代の気質とは何か?を考えて見ます。以下は抜粋です。尚、この抜粋先の投稿は日本人の気質を示しており全文を一読して見て下さい。

■4.木も人も自然の分身■
 木が命を持ち、その命を大切にしようという姿勢は、木も人も、
自然の中で生かされている「生きとし生けるもの」の同じ仲間だと
いう考え方に基づく。
:roll: ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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posted by sakashun : | |

2008年05月30日

マヤの国家間の闘争形態とは?

マヤ文明には、数多くの遺跡が残されていますが、その政体や規模や統治の仕組みについては、長年学者の間で議論されてきました。すなわち、広域的な都市国家連合のようなものが在ったのか、また、多数の小国が乱立していたのか・・・275px-Tikal.jpg

しかし、マヤ人自身が残した碑文の解読により、その政体が少しづつ解ってきました。例えば、古典期のマヤの王国は、複雑な階層序列や親族の絆を持ち、同盟との戦いを繰り返していたようです。
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posted by hiroshi : | |

縄文:祭りが生産活動=食の確保を確実にした!

先日投稿しました縄文:祭りは、集団を統合し集団を超えた?!のtanoさんからのコメント

>祭りって見るもの、楽しむものという解脱というイメージがありましたが、本来は生産なんですね。

実は、祭りそのものが生産活動=食の確保を確実にした?そんなネタがありました。

今日も先日と同じNPO法人国際縄文学協会カミの発生と縄文時代(萩原秀三郎先生)の論文を参考に投稿したいと思います :tikara:
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秋田県大湯遺跡の日時計状組石

:m059: byさーね :m059:

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posted by sawatan : | |

2008年05月29日

“縄文気質”を考えてみよう-3

縄文気質”を考えてみようシリーズ、久しぶりの投稿になりますが・・・
過去2回の投稿
“縄文気質”を考えてみよう-1 (2008年04月18日)
“縄文気質”を考えてみよう-2 (2008年05月01日)
から、本日は日本人気質として呼べるであろうキーワードを整理してみました。

128.jpg
↑これ なんで屋カード工房からお借りしました。おもいやりって大切ですね!

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posted by mrran : | |

2008年05月25日

縄文時代:共生と循環の文明

こんにちは。縄文文化に興味があって勉強してみました。
共生と循環の文明と言われているようです。以下は共生と循環の縄文文明から引用させていただきます。尚、ここで記載されている内容は実に興味深いことが多く是非とも全文を読んでいただければと思います。

画像の確認

以下引用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、一万年以上にわたって一つの文化を維持しえたことは、驚異というほかはない。 :shock: 縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。

東アジアの一小列島に開花した縄文文化は、こうした古代文明のような輝きはなかった。しかし、これらの古代文明は強烈な階級支配の文明であり、自然からの一方的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森を食いつぶし、滅亡の一途をたどっていく。 :roll:
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posted by sakashun : | |

2008年05月24日

人類の起源は東アジア地域、中国の青海チベット高原の東部地区かもしれない

これまでの考古学的発掘記録ではアウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンスなどを含む完全に系統立った化石系列が出土したのはアフリカ大陸だけで、そのため人類の起源はアフリカ大陸にあるというのが考古学界での見方でした。また、今まで各大陸でホモ・エレクトスの化石が比較的多く出土しており、特にアジアに多かったことから、学者たちは大体百六十万年前にホモ・エレクトスはアフリカから「放射」されてアジアや欧州およびその他の大陸に移っていったと推測しています。


 しかし長江中流の三峡地区の「巫山人」に関する一連の発見と長江下流流域の安徽省繁昌県における発掘調査から、この学説を覆す発見がなされた可能性がでてきました。人類の起源はアフリカではなくて、アジアの可能性もあるのです。雲南・貴州高原およびその東部の長江流域を含む青海チベット高原以東の広大な地域で二百万年ないし四百万年前の古人類の化石とその生活の遺跡を探すというもので、それによってここ数年来の古人類学界の「人類の起源が東アジア地域、特に中国の青海チベット高原の東部地区である可能性もある」という説が取り上げられています。


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posted by norio : | |

2008年05月22日

縄文と弥生の境目:共存のディテール

tanoさんの投稿に続きます。
どのように縄文から弥生に時代的に連続していったのだろうか。?

 これは今のところ有力な根拠とされているのは、発掘される土器や稲作をしていたかどうかだそうです。
土器は縄文時代を通しての芸術性豊かなものから、弥生時代には実用本位のシンプルなものに大きく変化します。
また、鉄器も登場し時を同じくして稲作が盛んになっています。

しかし、稲作が始まったのは縄文からと言う説があるくらい所によっては古くから作られていたようです。
今日は私がよく見ている産経ニュースの-文化-学術-に「試行私考 日本人解剖」と言うシリーズがあります。
今回はここからお借りして縄文から弥生へ移行していった詳細をお届けします。

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【九州の縄文系弥生人(左)と渡来系弥生人(右):土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムより】

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posted by mukai : | |

2008年05月21日

弥生社会はどのように縄文人を巻き込んだか

前投稿の続きです。

同じく、藤尾慎一郎氏のHPから紹介します。

>弥生Ⅰ期以降におこった狩猟採集民の農耕民化と位置づけた四箇遺跡タイプの出現過程は,早期のそれとはいろいろな面で異なっている。
まず狩猟採集民は後・晩期以来の土地で農耕民化することである。彼らは水田にするには好条件の場所をもちながら,長い間,水稲農耕に専業化しなかった。もし後・晩期のコメづくりを認めるとすればその期間は1200年もの長きに及ぶ。

しかしⅠ期になると情勢の変化が下流域から訪れる。
 

posted by tano : | |

2008年05月20日

弥生を丸裸にせよ!

こんばんわ!tanoです。

日本の歴史で最も大きな転換点は弥生時代であるとよく言われます。また中学の教科書などには文明の曙として弥生時代以降を日本の歴史としている件もあります。
この最も大きな転換点である弥生時代を私達はどれほど知っているでしょうか?

先日もいつもの縄文ブログの仲間と話していてこの600年間が全く持って茫洋としている事に気が付きました。
せいぜい、農耕の伝来、弥生人の渡来、戦争の始まり、クニのはじまりなどの社会の教科書に毛が生えた程度の情報しか押さえられていない、なぜこんなに弥生時代の事がわからないのか?そこに行き着いたのです。
縄文時代という本源集団が解体され、1000年後に大化の改新によって律令制度が敷かれるまで弥生―古墳時代の間はまさに私権社会への転換時期に当たります。その最初の弥生時代とは一体どんな時代だったのか?どのように縄文社会が駆逐されていったのか、どのように縄文から弥生に時代的に連続していったのか?縄文人は渡来人を受け入れたのか?反発したのか?
史実に即して明らかにしていけたらと思っています。
視点は教科書に出てくる表舞台の話ではなくできるだけ庶民、社会、意識という側面から明らかにしていきます。

「弥生を丸裸にせよ!」しばらくはこの企画で連続していきたいと思います。

丸裸にしたい人↓ :shock:
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初回は縄文人の農耕民化について扱ってみたいと思います。
藤尾慎一郎氏のHPから紹介します。
渡来人と縄文人の綱引きがよくわかる論説です。ちょっと長くなりますが、お付き合い願います。

posted by tano : | |

2008年05月17日

マヤの統合軸は私権による統合だったのか、それとも・・・・?。

メソアメリカ文明は私権闘争 :m252: の結果築かれたものか否か。
これを見てゆく為に当時の社会構造はどうだったのか。国家間の闘争はどのようなものだったのか。国家内における闘争、たとえばお家騒動のようなものはあったのか、といった統合と闘争の中身からの分析と、社会の更に底辺の婚姻様式はどうだったのか、などを見てゆく必要があると思います。
%E3%83%9E%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC.jpg(マヤ暦の概念図)

今回からしばらくメソアメリカのなかのマヤ文明に絞って上記を数回にわたって見て行こうと思います。まず今日は、マヤ文明の社会構造はどうだったのか?をみていきたいと思います。by saah :tikara:

posted by saah : | |

2008年05月15日

縄文:祭りは、集団を統合し集団を超えた?!

以前の記事 :m136:  三内丸山は語る(1)でも書かれていますが、

この御柱祭は諏訪大社という神道の祭事であり、それをはるか縄文時代、しかも社会構成の違う時代の人々が残した時代の人々が残した遺構と、ただちにくらべることはできない。しかし、巨木の山だしから建立までに投じられる人手とそのエネルギーは、縄文のそれを彷彿とさせるし、何よりも祭事をとおして、一つの共同体という意識のもとに人々を結びつける重要な役割をはたしていたということでは相通じるものがある。

諏訪大社の御柱祭 :tikara: は、の写真。よく話題になりますよね :o

kami_1.jpg

今日は、NPO法人国際縄文学協会小山修三先生の論文「巨木の祭り-御柱と縄文-」を参考に、縄文時代の祭りの様子を探りたいと思います :m051:

byさーね :o

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posted by sawatan : | |

2008年05月14日

古代エジプト人にとって、死は新たな人生へのはじまりだった

こんばんは!!
○さんが、ピラミッド、そして前回、カッピカピさんが古代エジプトの死生観について、書いてくれましたが、ピラミッド、そして死生観ときたら?

そう!ミイラですね!!
エジプトと言ったらミイラ

ということで、今回はミイラについてちょいと調べてみました。

興味のある方は(ない方も(笑)) :m118: ポチッと押して、進んでください!!

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posted by jomon10 : | |

2008年05月13日

エジプト人の死生観

こんばんは、カッピカピです。

 少し前に○さんが、ピラミッドについて書いてくれました。その中で

太陽って毎日昇ったり沈んだりを繰り返すでしょ?これを神の死と再生と見ていたようなんです。 つまり、王様が生き返るためにピラミッドというお墓を造ったっていうこと。

とありましたが、お墓として、あんなにも巨大なピラミッドを作った古代エジプト人の死生観とは一体どんなものだったのでしょうか。

エジプト文明の第一人者である吉村作治さんの「四代文明[エジプト]」という本を参考に考えてみたいと思います。

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posted by hi-ro : | |

2008年05月12日

中国文明の起源~興隆窪文化の概要報告

中国文明における“龍”の起源を探り、前回は紅山文化から興隆窪文化まで遡りましたが、ここで中国文明の起源のひとつと言われる遼河文明の興隆窪文化について押えておこうと思います。
(主にこちらより引用しながら紹介します。)


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この写真は紅山文化、牛河梁遺跡の碧眼女神像です。
何故に“碧い眼”の女神なのか? この謎も含めて調べてみました。


こちらは遼河文明の遺跡図です。
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posted by nishipa : | |

2008年05月11日

中国文明:遊牧部族が侵入したのはなんで?

先日、遊牧民族の動向を調べましたが、逆に、彼らはなんで度々中国へ侵入したのか?単純に、遊牧部族の戦闘性だけを理由付けにしても何か片手落ちな気がしました :m196:
:m118:
な の で
:m118:
彼らはどんな外圧に晒されていたのか?調べてみました。 :m193:
1463430754_8ccca5dba1.jpg
遊牧の生活はとても厳しい~ :m008:

byさーね

今日は、楽しい世界史~遊牧生活はキビシイを参考にさせて頂きました :m061:

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posted by sawatan : | |

2008年05月06日

中国:祖霊崇拝の起源

※西洋の遊牧父系制が、守護神信仰(後に一神教へ)に収束していったのに対して、東洋の父系制は竜山文化に見られるように、祖霊崇拝によって自部族の結束を強め(後に→儒教へ)に収束していったという違いがあり、その起源に違いがありそうです。中国、母系→父系制への転換期①: BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制へ
先日のこの記事。最近、日本の縄文と中国を調べていて、一つ共通点がある。多くが一神教であるのに対して、祖霊(祖先)崇拝(信仰)強いということだ。(日本の場合は、弥生以降ですが)

今日は、なぜ祖霊崇拝という信仰様式を獲得したか :m050:

そこを追求してみたいと思います :tikara:

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殷王朝でも、祖霊崇拝へと変わっていった…

byさーね

posted by sawatan : | |

2008年05月04日

水田・稲作に見る日本人の「勤勉性」

画像の確認
日本人は勤勉であるとよく言われますが、その一例で面白い記事がありましたので紹介します。

posted by dai1028 : | |

2008年05月03日

古代アメリカ文明

いま世界を見渡すと、戦争や紛争だらけです。科学技術も進歩し、豊かさを実現した現代にあっても、戦争=組織化され・正当化された人殺しはなくなる気配はありません。このことから、「戦争は人類の性である」といった諦めの声も聞こえてきます。しかし、人類500万年のうち、本格化した戦争の歴史は、多くの学者の研究や考古学的発見によって、過去5000~6000年程度のことであるということが、ほぼ共通した認識となっているようです。
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posted by hiroshi : | |

アンデスの古代文明に見る闘争とは?

古代アメリカ文明というと、どうしてもインカ・マヤ・アステカになってしまい。旧大陸と比較すると、非常に新しい文明と捉えられてしまいます。

しかし、南アメリカの先端に人類が到達したのが1万1000年前、もちろんもっと古い可能性もありますが。そのころから住み続けて生きた人々の、塗り重ねの結果が、インカ・マヤ・アステカなのです。

先に紹介のあった>モンテ・アルバン<は場所的には、マヤ・アステカの中間に位置しますが、ではインカはいかに?

という事で、古代アンデスを探ります。

さて古代アンデスも私権闘争に明け暮れたのか? それとも違うのか?

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ペルー2006探索の旅カラル(Caral)を訪ねるより http://www.y-asakawa.com/peru%202006/peru%202006.htm

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これも紹介がありましたが>カラル遺跡<まだまだ詳しい事は不明ですが、紀元前2800となると、旧大陸のメソポタミアやエジプトと大差ない時代です。


posted by dokidoki : | |

2008年05月02日

“真似・応用”:現在の日本人から縄文体質を探る

“縄文気質”を考えてみようのmrranさんに続いて現在の日本人から縄文体質を探ってみたいと思います。 今回は「真似、応用」です。

日本人はいつも、自分でものを考えたり造ったりせず、よそで生まれたものの真似、それも「いいとこどり」をして手本より優れたものを作ってきたと言われています。
この「真似て手本より優れたものを作り出す文化」はどこから来ているのだろうか?

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主に「縄文塾」というサイトからお借りして纏めました。

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posted by mukai : | |

2008年05月01日

古代アメリカ文明は私権闘争の結果築かれたものなのか?

ユーラシア大陸では、5~6000年前にメソポタミヤにおいて掠奪→本源集団が破壊され、私権闘争→(私有と身分をもとにした)私権社会が確立していきますが、これは人類にとって不可避な(必然的な)出来事だったのでしょうか?それとも別の道があったのでしょうか? この疑問は、山奥や海洋の一部の部族を除いて私権社会と化していったユーラシア大陸においては、「もしも」という仮定でしか考える事ができません。 ところがユーラシア大陸とは別に、つい500年前まで一定の進化を遂げた新大陸文明は別の道を辿って文明化した可能性があります。
古代アメリカ文明は(ユーラシア大陸同様に)私権社会だったのか?そうではなかったのか?この疑問こそ古代アメリカ文明を読み解く鍵になりそうです。

メソアメリカの本格的な城塞都市「モンテ・アルバン」から多量に発見されている「征服石板」の史実を見てみます。

posted by nandeya : | |

“縄文気質”を考えてみよう-2

“縄文気質”を考えてみよう-1に引き続き、今回も外国人から見た日本人像を紹介したいと思います。

20060619-00.jpg

今回も『ぼやきくっくり』さんの『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』からお借りしました。

今回は前回よりもう少し新しい文献(1920年代~2006年)を紹介します。

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posted by mrran : | |