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2008年06月26日
「縄文と弥生の境目」、朝鮮半島から「縄文人」が渡来した?
○「縄文と弥生の境界」についてmukaiさんの後を受けて、「試行私考 日本人解剖」からの紹介です

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posted by ryujin : 22:52 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月23日
ヨーロッパ製世界史とは、欧米による植民地支配のための情報・思想操作
こんばんは、Hiroshiです。今日は、古代史から近代史まで貫いて、歴史を見る場合に注意する点を一つ上げたいと思います。それは"歴史”や"史観”とは一種の支配観念(支配のための観念・思想)であるということです。
るいネットにも
> なんで日本の歴史教科書は内省的な内容になるのか?
という投稿がありましたが、これは日本の教育が、欧米白人支配派による植民地教育のための道具として十分に機能しているということを示しています。
ヨーロッパ製の世界史は、西洋の世界進出とともに始まり、植民地支配を正当化するための歴史が捏造されてきた事実があります。特に得意なのはイギリスでした。今日はその歴史経過と事実を辿ってみたいと思います。
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posted by ihiro : 18:33 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年06月22日
道教の本源性を探る~『道徳経』の教えより
>④道教の根っこはどこにある?
・母系共同体を源流とする道教の本源性を探る。リンク
さて、今回は道教について調べてみました。
以前に、『道教~母系氏族社会を源流とした共同体規範』においてその本源性を紹介しましたが、今回は『老子』から『道徳経』の紹介です。
『道徳経』とは、中国の春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』とも表記され、『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。
中国には数千年にわたって人々の心に大きな影響を与えた書として、『易経』、『論語』、『道徳経』の3つがあります。
『易経』は夏・商・周の時代の原始宗教が残したもので、その中に古い巫史文化の形跡を見ることができます。
『論語』は儒家の祖師孔丘の教えを伝えるもので、その中には周代の父権宗法社会の礼教の特徴が見られます。
『道徳経』は周代の史官老が著した道家と道教の典籍で、中国の最も古い母系氏族社会の原始宗教の伝統を受け継いでいる、と云われています。リンク
母系氏族社会の伝統とはどんなものか!?、覗いてみましょう!
posted by nishipa : 17:58 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年06月21日
中国の焼物の歴史(日本の縄文時代と同時期編)
日本の縄文時代は、年代でいうと今から約16,500年前から約3,000年前(紀元前10世紀)の約13500年間続き、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代です。その永い期間に日本は特別進化したわけではなく、逆に永い間に日本人の潜在思念を作り上げてきたということが言えると思います。縄文土器も同じく、その間特別に進化したわけではありません。
縄文時代と同じ時代、方や中国は黄河文明、長江文明、から殷、周と王朝支配まで時代が変わっていきます。そして中国の焼物は、日本の縄文土器とは違い、次々と進歩しました。窯と釉を発明し、施釉陶器を生み、さらに精製・選別した白色粘土による磁器を発明しました。この磁器が世界の磁器の牽引役となったのです。日本をはじめ、南北朝鮮・ベトナム・タイ・カンボジアなど、古代から中世にかけて、いずれも中国陶磁をその母体に持っています。また近世にいたっては、ヨーロッパの磁器の源となりました。人気の高いウエッジ・ウッドやロイヤルコペンハーゲン、マイセンなど、みな中国磁器を母体としています。
中国の焼物の歴史(日本の縄文時代と同時期編)を紹介します。
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posted by norio : 22:15 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月20日
農耕生産は私権闘争には直結しない
naotoさんからバトンタッチで、今回は 「農耕が戦争の引き金になるのか?」 を扱いたいと思います。
2つ前の当ブログの投稿で、くまなさんが「教科書の弥生時代」でも言われているとおり、
人間は余剰生産物ができると、それらの貯蔵を巡って所有関係が発生し、たくさん所有した人は別の品物と交換していろいろなものを手に入れたくなる。そこで、土地を巡って争いが始まる、というのが教科書を始め、歴史書に書かれている大筋の戦争の起源の話ですが、比較的豊かな暮らしができていた縄文人が、余剰生産物ができると戦争を起こしてまで、さらに豊かな生活を求めるのでしょうか?

図はhttp://www.saga-s.co.jp/yoshi_vol3.htmlより引用
疑問あり!と思った方はポチッとお願いします。
posted by simasan : 21:06 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年06月19日
【渡来人が弥生時代を創ったというのは誤りである】
弥生時代というと、渡来人が稲作技術を持ち込み、あっというまに日本を席巻し、本源的な縄文文化を破壊し戦争→私権社会を築いたという認識のもと、否定的にとらえていたのですが、これは固定観念にすぎないのかもしれません。
この気づきを与えてくれた投稿が、るいネットにあったので、紹介したいと思います。
渡来人が弥生時代を創ったというのは誤りである。るいネット:田野さん
弥生時代は多くの渡来人が稲作の技術をもって訪れ、たちまちに縄文文化を凌駕した。鉄器やガラス細工といった工芸が定着し、土器も縄文時代よりうすくて赤みをおび、模様がなく形も整った土器が使われるようになった。又、環濠集落に代表されるように、集落外周を堀で固め、戦闘、防衛が有ったことを伺わせ弥生集落の特徴的なことの第一義として挙げられている。これらは考古学的資料の少ない時代(根拠が薄い)に作り上げられた教科書的に言われている弥生時代への固定観の一つにすぎないことが、最近の縄文-弥生論争で明らかになりつつある。
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posted by naoto : 09:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年06月18日
教科書の弥生時代
:D くまなです
弥生時代とは何か?
学校の教科書でどのように記述されているのかを紹介します。
そのことで、世間で定説となっている弥生時代に対する認識がわかります。
日本の歴史について初めて学ぶのは小学校6年生の社会です。

今回、内容を紹介するのは、小学6年生の社会の教科書3冊(東京書籍、教育出版、大阪書籍)です。平成16年に検定をうけ、平成17年から使われています。
ところで、このブログの記事「小6教科書から縄文時代が消えた!」でカッピカピさんが紹介されているように、今の小学生の教科書に縄文以前は登場しません(一部を除く)。ゆとり教育以来、そのような状態が約20年続き、ようやく平成23年に縄文以前が教科書に復活します。参照「小学社会に「縄文」」
現在の小学6年生の学習指導要領では「農耕の始まり,古墳について調べ,大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ,国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。」となっています。(平成23年度から実施される新しい指導要領では上記の冒頭に「狩猟・採集や」が入ります。)
それでは、弥生時代の記述です。
その前に、 :m118: ポチっと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : 15:00 | コメント (8) | トラックバック (0)
2008年06月17日
弥生時代の概観
こんばんは。
少し前になりますがtanoさんからの「弥生を丸裸にせよ!」というエントリーを受けて、今後しばらくは、るいネットに投稿された多くの弥生に関する投稿文を使い、弥生シリーズとして追求していきます。そこで最初である今回は、弥生時代の歴史のおさらいを行なっておきたいと思います。
弥生時代前後の日本及び中国大陸・朝鮮半島の様子については、このブログ内でも、kumanaさんの力作である
「日本の私権国家への道すじ」
「日本の私権国家への道すじ(2)」
「日本の私権国家への道すじ(3)」
に詳しく追求紹介されていますのでそちらもあわせて参照願います。
今回は、るいネットに、弥生時代の歴史を紹介した投稿がありますので、この投稿を紹介します。
「弥生の侵略闘争」 (岡本氏の投稿より)
>私は弥生時代は総じて戦争前夜だと思うのです。条件がそろいながらも回避する工夫をしていた。(中略)戦争の引き金を引いたのは弥生末期に登場した騎馬民族の系統を引く渡来人の略奪行為が皮切りではないかと考えています。(田野氏25427)
弥生時代の戦争については、考古学的事実以外にも、中野さんが投稿されておられるように「魏志倭人伝」等で伺い知ることができ、遅くとも弥生中期後半には侵略闘争が激化しています(戦争前夜ではありません)。年代を追って記すと以下のようになります。
具体的な歴史内容をご覧になられる前にポチッと応援をお願います。
posted by yuyu : 23:58 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月12日
ヒト&縄文:難産という出産障害
最近、るいネットやなんでや劇場で熱い :m116: 生物史(参考投稿) :m193:
改めて、我々の細胞が形成している機能や免疫細胞等…生物~人類まで、いかに進化を積み重ねてきたか :m052: とても面白い :m051: 今日は、そんな生物史にちょっとヒントをえて、視点を変えてみました。
今までは、縄文人を取り巻く自然圧力などを対象に外圧状況を探ってきましたが、縄文人自身はどんな状態だったのか?古病理学を視点に探ってみたいと思います :m044:
byさーね :o

参考図書「骨から見た日本人~古病理学が語る歴史 鈴木隆雄 著」 :m061:
:m259: 応援よろしくです :m259:
posted by sawatan : 21:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
仮説:マヤ社会の成立と滅亡
マヤ社会は私権闘争の結果築かれたものなのか?
現段階の仮答えは、否です。
マヤ文字をひもときながら最新の仮説を提起します。 by tamura

posted by nandeya : 21:28 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月11日
シュメール人ってどんな人たち?
メソポタミアを調べていると、いつも出てくるシュメール人 :m003:
彼らが一体どういった人々なのか?
彼らについて、分かっている限りの情報を集めてみました :m026:
下記のボタンをポチッと押してから進んでください :m026:
posted by jomon10 : 16:18 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月10日
最古の戦争跡地!ガウラ遺跡
こんばんは~ :m017:
最近の若者は、「戦争はダメ :m252: !」で思考停止 :m097: するのではなく、「戦争はやめることができると思う」、だから、「どうして戦争が始まったのか?そこが知りたい :m103: :m051: 」 そうストレートに発信してくれます。
いったいいつから、略奪闘争が始まったのでしょうか?
それは、どのようなきっかけからなんでしょうか?
どの民族(?)からなんでしょうか?
以前、hiroshiさんが、メソポタミアでの戦争の起源について書かれた記事がありましたね :wink:
・ガウラではXⅡ層(ウバイド終末期※約6200年ごろ)から、XIA層(ウルク前期併行※約5800年前)にかけて、ウバイド期の平和的あるいは平等的性格とまったく異なり、争いや対立という面が強くでてくる(Tober 1950)。 ガウラXIA層の集落北端の施設からは、大量の土製投弾が出土していることから、この施設は集落北端の入り口を防御するための見張り台とされる。さらに別の円形の施設からは、多くの石斧、棍棒頭や石鎚などが出土しており内城とされる。
この、テル・ガウラ遺跡について今日は紹介します。応援お願いします :m023:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 22:46 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年06月07日
中国、母系→父系制への転換期③:強大な母系集団“三苗古国”vs父系集団“竜山文化”のせめぎあい
中国古代は、強力な母系集団(特に長江文明の三苗)が残り、黄河流域の中原に依拠した父系集団の竜山(龍山)文化と対峙し、数百年に渡って緊張した関係にあった。紀元前3000年~2500年前ごろのことです。

長江の中央部あたりに見える、屈家嶺文化のあたりが三苗と長江文明の中心部。石家河文化もこのあたり。
(図は、古代であそぼさんからお借りしました)
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posted by ihiro : 19:14 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月03日
マヤ文明の婚姻制度
マヤ文明も、他の4大文明と同じく父系と嫁取り婚であった。
しかし、かなり緩い父系制度の様である。
マヤの場合、強力な支配者が現れてその全域を掌握し、単独支配するのでなく、紀元300年から900年の間各地にそれぞれの王を頂点とする「約40の王朝」が興り、それぞれは、互いに交易や戦争などの接触を保ちつつ推移した事が解っている。王朝間は同盟や敵対、服属などの複雑な関係によって結ばれていた。その中には、ティカルやカラクルムのように属国を従える大国があった。

『マヤの宮廷写真』ナショナルジオグラフィック様よりお借りしました。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0708/feature01/gallery/22.shtml
posted by ryou : 23:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年06月02日
時に協力、時に対立していた渡来系弥生人集団
どのように縄文から弥生に時代的に連続していったのだろうか。?
前回、「縄文と弥生の境目:共存のディテール」で、近畿地方では縄文晩期の土器を使う縄文人系の集落と遠賀川系弥生土器を使う渡来系弥生人の集落が100~150年間併存していたことを紹介しました。
今回も同様に他の地域ではどうか見ていきたい。今回も産経ニュースの-文化-学術-に「試行私考 日本人解剖」と言うシリーズの中からお借りして届けします。

水稲農耕を取り入れた地方毎の「弥生」の始まり
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:m118: :m118:
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posted by mukai : 21:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年06月01日
マヤ文明「国内での“お家騒動”」はあったのかどうか。あったとしたらその結果どうなっていったのか。
お家騒動というと、江戸時代の大名家の家督争いのことですが、
マヤの都市国家においても、どうも似たような事が起こったようです。
コパンの石碑 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%91%E3%83%B3
マヤでは、優越国家、従属国家の存在が知られています。都市国家の数は最大80にもなったこともあります、確かに群雄割拠の言葉がぴったりですね。
さぞかし派手にやっていたのでしょうか?そしてその結果は?
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posted by dokidoki : 17:10 | コメント (3) | トラックバック (0)