2008年07月27日
インカの支配体制は?
ウィキペディアからお借りしました
婚姻制度の話から支配体制は
と問いかけがありました。
あれだけの広大な地域を支配したインカ。一体どのように支配したのでしょうか?
探ってみました。
さてどんな体制であったのか
その前に
まずはどのように統治されていたのでしょう。
タワンティンスーユと呼ばれるインカはその名のようにクスコを中心に4つ方向にスーユ(地域)を定めて統治されていました。
その中にいくつかのワマン(県に当たる)があり、その中に1万人単位のウニュ(さしずめ市ですか?)があります。
更に平民は、隣組のような、町会のような、10人・100人・1,000人ごとに集団としてまとめられていたようですね。
インカは征服した部族の首長達をクラカと呼ばれる貴族階層として位置づけ、ウニュレベルの支配を任せ、その上位のワマンやスーユの長には,インカの血をひく上層の貴族があたりました。
つまり、被征服地の平民を,全体としてはクラカ・インカの貴族階層によって統治したのですがウニュまでは、元々の集団のままということのようです。
よって共同体が壊されたわけではないようです。
インカ皇統記(二) より 引用しました
>インディオ一人ひとりにトウモロコシを栽培するための畑として、一トップの土地が与えられた。・・・・
一トップの土地は、まだ子のない夫婦の生活を支えるのに十分であった。子供が生まれると、それぞれ男子には一トップ、女子には半トップの土地が与えられた。そして息子が結婚すると、父親は、その子を養うために受け取っていた一ファネーゴ(注 トップと同じ)の土地を彼に与えた。・・・娘たちは結婚すると自分の土地を手放さねばならなかった。・・・・娘が嫁いだ後、その土地は、必要ならば親のものとなり、また必要なければ、地域共同体に変換された。なんびとも土地を売買することはできなかったからである。<
確かに土地は分配されましたが、私有ではなく、生きていくための必要な農作物を得るための土地でした。つまり鉱山・家畜などすべての生産手段は共同体に帰属し,貴族ですら私有を認められなかったようです。
次に、租税ですが,これも共同体を基礎にしています。
一つは,共同体の土地を,インカ・太陽神・人民の三つに分割し,インカと太陽神の土地に対する労働を行わせ,その生産物を徴収するもので,もう一つは,ミタと呼ばれる臨時的な賦役で,道路・建築・鉱山・戦争のために,成人男子を徴集したものです。
貨幣がなかったインカにおいては、税はほぼすべて、人の労働力にて支払われていたといえそうです。
インカに収められた食料はコルカ(国家倉庫)に備蓄され、ミタや戦争や国王の巡回(行軍)の際に配給され、更に飢饉の際に貧民に分配されたようです。結果的にインカでは飢えはなかったといわれています。
こう見てくると、インカには結局財産(私有)というものは平民にはなかったといえそうです。
では国王は?貴族は?どうだったのでしょう?インカの版図を広げたのは何のためだったのでしょうか?
次のテーマですね。
投稿者 dokidoki : 2008年07月27日 15:30 Tweet
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コメント
インカは「支配した」といっても、ヨーロッパ人の支配とは全く違うのですね。(むしろ、大和朝廷や徳川のような統治のような感じがします)
ヨーロッパ人の支配とは徹底的にむしり取るための支配であり、この方が特殊なのではないか?という気がしてきました。
ところで、インカは何のために支配したのでしょうか?
皇統記の記述からは、慈悲深いインカ王が獣のような暮らしの周辺部族に人間らしい暮らしをさせるためといったような事が読み取れますが、どうなのでしょうか?
投稿者 Quetzalcoatl : 2008年07月30日 23:58
Quetzalcoatl さん
確かに、ヨーロッパ諸国の血塗られた支配の歴史というより、なんとなく、日本的な感じがします。
徹底的な破壊を伴った支配でなく、支配層の序列が決定したら、争いは終わり。後は全体として秩序をどう維持するかに、頭を使ったように思えますね。
インカ王は与えられた使命として、次々と周りの諸国を従えて行ったのか?この辺はインカの宗教なども調べたうえで、展開したいと思います。
投稿者 Anonymous : 2008年07月31日 21:48
身分制度(格差社会)を持たない社会は未開部族であるような固定観念がありますから、国王、貴族、平民を聞くと、格差が非常に大きい身分社会のように思いますが、実際は格差は大きかったのでしょうか?
インカもアメリカインデアンの社会のような気がしますね。
投稿者 おじさん : 2008年07月31日 22:06
現在の日本も格差社会といわれるようになりましたが、どれを基準で格差と呼ぶか?難しいところです。
インカにしても、確かに王様は有り余る金、銀を所有していました。しかし、ヨーロッパ人の考える価値とインカの人々が考えた価値とはどうも差があったと思われます。
おそらく、私有という概念のなかったインカの普通の人々にとっては金銀の所有は格差とは捉えていなかったと思います。王=神の役割と分担を遂行するために必要なものぐらいに思っていたかもしれません。(これは仮説ですが)
つまり共同体の中での役割と分担があっただけなのだと思います。
ただし。貴族層や王族の中では違っていたかもしれません。この辺は 、また ですね
投稿者 dokidoki : 2008年07月31日 23:11
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