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2008年08月30日
ミトコンドリアDNAとは【基礎知識】
人類や縄文人の起源を探究していると必ず出くわす『ミトコンドリアDNA』ですが、今回はこの基礎知識を押さえなおしておきたいと思います。
ミトコンドリアが明かす-ヒトの起源とアイスマンの子孫-を参照させて頂きました。
ヒトの体は、およそ60兆個の細胞で構成されているが、その細胞の一つ一つに核があり、核の中には両親から由来する二組の染色体が収められている。染色体は23対46本あり、DNA(デオキシリボ核酸)と各種タンパク質から出来ている。
応援よろしくお願いします
posted by naoto : 21:30 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年08月22日
インカ帝国内における土地の所有形態から、蓄財意識は芽生えたのか?
今日はインカ帝国内における土地の所有形態と、そこから所有意識→占有意識、→蓄財は発生したのか?この点について再整理してみました。
ポイントは、土地の所有形態と、税の徴収の状況などから、支配層、庶民の蓄財や収奪の事実はどうだったのか、をみて行きたいと思います。
いつものように、しっかり応援ボタンを押してから次に進んでください♪
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posted by saah : 19:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年08月21日
古代オリエントの交易 海上編
こんにちわちわわです。
古代オリエントの交易編!今回は海上交易に焦点をあててみます。
アッカド王朝がメソポタミアを統一した前2300年頃から、「ディルムン」「マガン」「メルッハ」という国の名前がさまざまな文書に登場するようになります。
たとえば、初代サルゴン王の碑文には「メルッハの船、マガンの船、ディルムンの船をアッカドの波止場に停泊させた」とあります。「ディルムンの舟をその土地まで動かした、マガンの舟に天高く荷を積んだ」「メルッハから金、銀、銅、紅玉髄、黒檀などがもたらされた」などと記した文献もあります。

3つの国のうち、ディルムンは、「下の海」とよばれたペルシア湾に浮かぶバーレーン島。マガンはさらに東、現在のアラブ首長国連邦やオマーンにあった諸都市。ここでは銅を産出していました。メソポタミアからの距離は、ディルムンは700km、マガンまでは1300kmもあります。
そしてメルッハ国は、ペルシア湾を出てさらに東、インダス川流域やアラビア海沿岸の都市だとみられています。メソポタミアからは実に3000kmも離れています。
はたして、当時の船や航海術で、これほどの遠距離航行が行えたのでしょうか?
posted by staff : 23:21 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年08月20日
シュメール人の宗教って?~その2
こんばんは!!
前回からだいぶ日が経ってしまいましたが、シュメール人の宗教観について、その1で、彼らは自然の中に神々を観、その神々の意思を探り始めるまでを追ってきました。
今回は次いで、彼らが自然の中に神々を見出して、たどり着いた先とは?
について追っていきたいと思います。
続きは、下をポチッとしてからお願いします :m146:
posted by jomon10 : 20:45 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年08月19日
メソポタミアの婚姻制2~持参財って?~
こんばんは~ :m017: みつこ :D です
今日は前回のメソポタミアの婚姻制の続きで、メソポタミアの婚姻をめぐる「持参金」「婦人の対価」「支度金」のうち、女側から男側へ差し出された「持参金(財)」について :m036:
それは、ひつじなどの家畜○頭 だったりしたそうですよ :m101: 。
応援おねがいします :m106:
ありがとうございます :m022:
posted by mituko : 20:18 | コメント (5) | トラックバック (0)
2008年08月17日
文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~
こんにちは、カッピカピです。
今日は、「文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~」をみなさんにお届けしたいと思います。
前回、前々回と見逃した方はまずはこちらからどうぞ。
お盆休みも終盤にさしかかりました。ここいらで、しばし、古代文明の旅に出てみましょう!
っとその前にいつもの↓ポチッをお願いします
続きを読む "文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~"
posted by hi-ro : 14:01 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年08月16日
インカの王位継承権争い=私権闘争?
ここ最近は、南米の古代文明の追求を続けてきています。
アメリカ古代文明を旧大陸の文明と比較して見ると、人類の文明の普遍的な部分とそうでないところが見えてきて大変おもしろい。
「国家による支配?」「交易か?贈与か?朝貢か?」「婚姻様式は?」という切り口で調べてきていますが、もう少ししたら踏み込んだ分析とまとめをしていく予定です。
今回は、インカの「王位継承権争い」について見ていきたいと思う。

最後のインカ王 13代インカ「アタワルパ」(ウィキペディアからお借りしました)
南米の広大な地域を支配していたインカ帝国は、1532年スペイン人ピサロがインカの王を騙して殺害してしまった事で、あえなく崩壊した。 圧倒的少数だったピサロ軍がインカ王を容易く捕らえる事ができた理由は、当時2代にわたるインカ王位継承権争いがあり、ピサロはこれを上手く利用したからだとされている。
当時のヨーロッパにおける王位継承権争いは、お家騒動のレベルから謀反やクーデター、内戦、戦争といった血生臭い歴史が数え切れない。私権闘争の頂上部分の闘争の凄まじさをものがたっている。
:m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252: :m252:
インカでも「王位継承権争い」という言葉で語られる歴史があるが、これはもちろん征服者であるスペイン人の末裔が、スペイン人から見た史実として記載した文書によるものでしかない。
はたしてスペイン人が記録したような王位継承権争いがあったのだろうか?少し調べてみると、実はこれが疑わしいのである。
posted by nandeya : 20:54 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年08月15日
聖徳太子はいなかった?
:D くまなです

ひとむかし前の方々なら一万円札や五千円札でよくお目にかかった聖徳太子。
教科書で、一度に十人の人の話を聞き分けたということを習い、そんなすごい人がいたんだと思っていました。
ところが、歴史学では権威のある方が「聖徳太子はいなかった」という内容の著書を出し、これを最近マスコミが取り上げることで多くの方が知るところとなったのです。
その真相に迫りたいと思います。
今回は、まだよく知らないという方のために、基本を押えましょう。
まずは、聖徳太子はどんな人だったか。まずプロフィールを紹介します。
posted by kumana : 10:10 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年08月14日
中国結び
今週は北京オリンピックの真っ最中ですね。 そこで今日は「中国結び」という伝統工芸を紹介したいと思います。
中国結とは、現在は多く台湾で研究、発展し続けている伝統工芸です。中国における装飾結びの歴史は古く、古くは春秋時代の遺物にその原型が認められます。当初の使用は王侯貴族に限られていたそうですが、次第に一般にも広まっていきました。唐代と清代に流行し、特に清代のときは結びの種類が増えたこともあり様々な技法で作られました。
中国結では、 掛け飾りやバレッタ・ブレスレット等のアクセサリー、蝶々や亀といった動物など、平面的なものから立体的なものまで、 いろいろな物を作れます。中国結の基本結びは、雙銭結、雙聯結、平結、酢漿草結など、十数種類あり、それらを幾つか組み合わせていくと、 さまざまな作品が出来ます。

では中国装飾結びの歴史を紹介します。
posted by norio : 18:57 | コメント (0) | トラックバック (0)
古代中国の歴史構造図解にチャレンジ
こんばんは、etoです!
北京オリンピックも始まって毎日熱戦が繰り広げられてますね。
俄然、中国に対する関心も高まっているようです。
そこで、まずは↓↓コチラ↓↓をご覧ください。
ファイルを確認する
(サイズが大きいので縮小して見てください;)
これは、一昨年の【なんでや劇場:人類史シリーズ】において扱われた図解です。
本源集団から武力国家に至るまでの過程を、集団統合原理の観点から婚姻制と信仰観念の変遷として構造化したものです。
実によくまとまっていますね。
詳しくはコチラをどうぞ↓↓
『実現論7(前半)武力国家の統合様式』
『実現論7(後半)信仰・宗教観念の成立構造』
さて、中国文明研究チーム?においては、これまで古代中国の様々な疑問に対し挑んできましたが、ここらでひとつ古代中国史をまとめてみようということになり、先日から歴史図解の作成に取り組み始めました。そこで活用したのが、上の図解というわけです。
というわけで、武力国家に至る成立構造図解の古代中国版を作成していきます!!
簡単に図解化してみて分かったことは、これまで中国文明においては、私有婚や私有権について殆ど追及できていなかったこと、また守護神信仰の変遷における祖霊信仰との関係、などです。
時代毎に、黄河文明と長江文明でどのように関わりあいながら変遷していくのか、繫ぎ合わせる課題を追求しながら図解を完成していきたいと思います。
叩き台の図解をここで紹介できればよかったのですが、ちょっと間に合わなくて(汗)、、、
今後のお楽しみということで、乞うご期待!
posted by nishipa : 02:54 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年08月12日
インカ拡大路線のなんで?

All About より 現在のクスコの市外です
先回はインカの統治や租税について、話をしましたが、そもそも私有の意識は薄かったインカ。
しかしインカ自体は帝国と呼ばれるほどの広大な領地を持っていました。
ちょっと矛盾を感じませんか?
インカはなぜ領地拡大に走ったのか?
そもそもそのきっかけは? 戦争、争いはどうだったのでしょうか?
ここが見えてこないと、何かすっきりしませんね。
posted by dokidoki : 19:15 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年08月11日
縄文:再葬墓≒死者への同化⇒再生
今晩は、さーねです :o 先週と同じ、縄文の信仰を調べていたら、興味深い :m208: 埋葬の形を見つけました。
「再葬墓」です。
>「再葬墓」とは、一度葬送した後、骨になった段階で、人骨を納めて再度埋葬する方法です。
レアメモリー諏訪の縄文時代より
なんで、再葬したのか :m050: 考えてみたいと思います :tikara:

:m116: 土坑墓 :m116:
posted by sawatan : 20:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年08月09日
インカ帝国の交易
古代オリエントの交易についての紹介がありましたが、インカ帝国ではどうだったのでしょうか?
インカ帝国には、インカ道が張り巡らされ、交通網がかなり発達していたようです。クスコを中心に張り巡らされた道路網は、カパック・ニャン(インカ道)と呼ばれ、その総延長はなんと40,000kmだったそうです。これは、当時のヨーロッパにもない規模だそうです。
だとすれば、交易が促され、物流の発達とともに市場も発達し、利益を蓄積する商人達が溢れ、利益獲得のための私権闘争が繰り広げられたのでしょうか?そこから私権意識の拡大がもたらされたのでしょうか?
しかし、調べてみると、所謂「交易」で私権を拡大していくのとは、少しイメージが違うようです。
posted by hiroshi : 21:21 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年08月07日
古代オリエントの交易
こんにちわちわわです。
メソポタミアの交易の続編です。今回は国家の関りから、商人の誕生まで!

シュメール人は都市国家から成り、中央集権的な権力や巨大な軍事力ではなく、周辺地域や民族との交易によって繁栄を勝ち得ました。そこには、シュメールが栄えれば同時に周辺の国々も栄えるという相互依存関係がありました。
凶暴なアッシリアが帝国を築くまでは、交易によって安定を保っていたと思われます。
シュメールからの交易品は農民から租税により大量に集積された小麦です。当初は王権主導で交易がなされていましたが、前2000年頃(ウル第三~古バビロニア時代)には、私的な交易商人が登場し、現代の市場社会の礎を築くことになります。
posted by tiwawa : 15:05 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年08月06日
シュメールの余剰穀物、どこと交易してた?
ちわわさんの7月8日の記事で、シュメールが灌漑技術で手に入れた余剰穀物 :m146: によって発展した様子がわかりました :D
この地域は降水量 :m007: は少ないのですが、 :m005: 温暖 :m005: なため用水が確保されれば驚くほどの収量を上げることが出来たのです :m231: :m231: :m231:
このように、水をコントロールしたことで手に入れた大量の余剰穀物を手に、シュメール人は交易を始めます。
さて、その大量の余剰穀物、一体どこでどのようなものと交換されていたのでしょう :m052: :m052:
続きはいつものクリックの後で・・・・
:m118: :m118:
posted by pingu : 23:50 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年08月05日
文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~
こんばんは、カッピカピです。
みなさん、お待たせしました。文字の誕生シリーズの第2回目です。タイトルはズバリ、『文字の誕生②~トークンから絵文字へ~』です。
第一回を見逃してしまった人は、ぜひ、『文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~』を読んでから、今回の記事を読んで下さいね。
それでは、はじまりです。っとその前に、いつものポチッをお願いします。
続きを読む "文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~"
posted by hi-ro : 20:42 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年08月02日
人格神信仰の始まり~古代中国~
中国最古の都市国家が成立していた紅山文化では、大規模な祭祀センターの形跡があり、遺跡からは、女神像と、熊、猪、巨鳥崇拝を表す塑像や、大規模で複雑な建築物も発掘されています。
それぞれの信仰対象から、その宗教的特徴を取り出してみると、
女神 → 母系集団
熊、猪 → 狩猟民族
鳥 → 天・太陽への信仰
これだけ見ると、なんでもありな感じで、なんだかよく分りませんね。
実は人類の信仰対象は、段階的に移り変わっていく様です。
諏訪春雄さんのHPに、こんな記事があったので紹介します。

この写真は、現在の中国内モンゴル自治区に位置する紅山遺跡のものです。
posted by maeyan : 19:10 | コメント (1) | トラックバック (0)
2008年08月01日
新説「古墳はビビらす為に作られた!」
こんばんわ!
古墳は何の為に作られたのか? :shock:

古墳は3世紀後半から7世紀まで北海道、東北地方、沖縄を除く各地に作られました。
その数は夥しく近畿、関東、九州と凡そ人の居たところには古墳ありという状況です。
またその形も方形、円形、前方後円とさまざまで同じように古墳文化が発達した中国、朝鮮に比べてその数も規模も形態も著しく突出しているのです。
これは何を示すのでしょうか?なぜこんなに古墳が作られたのでしょうか?
①中国、朝鮮の文化伝来説~古墳は日本で作られる前から中国、朝鮮にあった!
②日本オリジナル説~前方後円墓は中国にも朝鮮にもない!
しかし :shock: これは現在の考古学の世界でも諸説がありまだ明らかになっていません。
というかこの時代にこれだけの古墳ができたのは謎であるとさえ言われています。
ではなぜ古墳はこれほどまでに作られたのでしょうか?
今日はこの問題に切り込んでいきたい 8) と思います。
posted by tano : 18:35 | コメント (5) | トラックバック (0)