2008年11月20日

日本になぜ天皇制が確立されたのか?

gomon.bmp

みなさん、こんばんは☆

以前に『古代から続く日本支配層の履歴・・・・・・でも、そろそろ代わらないとヤバイ』でも支配層について取り上げましたが、日本は天皇家という唯一王朝の中で、連綿と過去から現在まで歩んできた m083 とされています。

ここで日本は王や皇帝ではなく、なぜ天皇が確立されたのか?は日本という国を紐解いていく上で重要な視点になると思います。そこで今回は天皇という名称の成立過程と、時代状況を追いながらその謎 m252 m034 を突き止めていきたいと思います。

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まずは天皇の成立過程を辿る上で、古代日本の政策を追っていきたいと思います。

■古代日本は中国の舎弟だった
古代日本は対外政策として、中国に頻繁に朝貢を行っていました。
金印で有名な漢委奴國王、卑弥呼のいた邪馬台国、そして倭の五王もそれぞれ朝貢を行っています。

ではなぜ古代日本は中国への朝貢を行っていたのか?
それは中国の冊封体制が大きく絡んでいます。

<冊封体制>

近代以前の中国と近隣諸国との主従関係。起源は漢代にまでさかのぼり、清末に君主制が消滅するまで存続した。本来、冊封とは中国内で皇帝が王族や諸侯に爵位をあたえて封じる、つまり土地をあたえることをさしたが、これを対外的にももちいたのである。

近隣諸国の君主は、冊封されると次のような義務をおった。(1)中国皇帝に対して臣下の礼をとり、定期的に朝貢(ちょうこう)する、(2)中国皇帝から要請があった場合は兵を派遣する、(3)中国へ派遣されるいかなる国の使者をも、途中で妨害してはならない、などである。いっぽう冊封された国は、外敵に攻撃されたときには、中国皇帝によってまもられるという見返りをあたえられた。中国は、こうしたとりきめによって、皇帝を宗主とする主従関係を近隣諸国との間にむすんだのである。

MSNエンカルタ 百貨辞典より

つまり中国に朝貢し官位を受ければ、中国にその地域を治めるお墨付きを受けられるのです。この時の日本を端的に言えば、金バッチ(代紋)をつけたチンピラと一緒です。金バッチさえあれば、「うちに逆らうってことは、中国に逆らうってことやけど、それでもええんか?」と言えるわけです。(虎の威を借る狐という奴ですね Wink

ヤマト王朝以前であれば日本内の周辺諸国(王)への牽制、そしてヤマト王朝時代の倭の五王であれば、朝鮮侵略の権利を手に入れることになり、舎弟という屈辱を差し引いても多大な利益を手に入れることになるのです。

■天皇とは中国の位の高い舎弟である
ではその後、天皇はどうやって成立したのか?
まず天皇とはそもそもどういう位であるのかを調べていきます。

天皇とは、元々中国の三皇五帝(神代)に基づいています。

<天皇(てんこう)>

天地が初めて成立した時、天皇氏があって、十二人の兄弟が順番に王位についた。『みな無欲恬淡でなんら作為するところはなかったが、その徳のために民俗はおのずから化せられた』という。徳は木徳。木星が寅の方位にある年を基準に紀元を定めた。 在位は、十二人がおのおの一万八千年。

引用フブログ:幻想山狂仙洞


そして、天皇は秦王朝の時代に皇帝よりも下の位に位置付けられています。
秦の政王二十六年(西暦前221年)、秦は最後に残った斉の国を滅ぼし、天下を統一した。 この時、秦の政王は、丞相以下の家臣たちに指示していった。「……(戦国七雄のうち、秦以外の)六人の王はみなその罪に伏し、天下は大いに定まった。いまにして王という名号を改めなければ、この天下統一の功績をたたえて後世に伝えるよすがもなくなるであろう。なんじら、ともに帝号を議せよ」

この命令に答えて、丞相王綰、御史大夫馮劫、廷尉李斯らは、「むかし、五帝は支配した地は千里四方にすぎず、(中略)いま、陛下は、義兵をおこして民を傷害するやからを誅し、天下を平定し、海内を郡県とし、法令は一途より出るようになさいました。これは、上古以来、未曽有のことでありまして、五帝のおよばざるところであります。(中略) むかし、天皇があり、地皇があり、泰皇があったが、泰皇がもっとも尊貴であった。臣らはあえて尊号をたてまつろう。すなわち、王を『泰皇』と称し、王命を『制』と称し、王令を『詔』と称し、天子は『朕』と自称されること───と結論いたしました。」

これに対して秦の政王は、
「泰を取り去って皇をとどめ、上古の帝位の号をとって『皇帝』と号することにする。その他は、なんじらが議定したとおりにしよう。」と裁可した。(司馬遷『史記』秦始皇本紀より、趣旨を要約)

引用フブログ:幻想山狂仙洞


つまり天皇とは皇帝(中国)の舎弟の中でも、高い位に位置するのです。

このことから日本は同じ冊封体制の朝鮮の諸国(王または大王)よりも、優位に立っておきたいという意図があったと考えられます。(狙いは朝鮮の利権(鉄資源)だと思います。)

しかも日本で天皇が成立したとされる7世紀頃の中国は、高句麗と国境を接して緊張状態にあり、その状況を上手く利用したヤマト王朝のしたたかさが伺えます。(※ちなみに天皇という名称の成立が7世紀頃?なのかは、諸説有り今後も追及が必要な課題です。)


参考サイト:るいネット
百済の歴史(天皇家は百済の王族そのものでは?)
新羅の歴史(新羅の高官はいつ日本に入ったか?)
高句麗の歴史(高句麗は日本にどのように入り込んできたか?)
図解 天皇系譜の勢力争い(~800年)


参考図書:歴史のなかの天皇(吉田孝著)
参考図書:天皇家の誕生(井上辰雄著)

投稿者 staff : 2008年11月20日 19:56

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コメント

エッ

天皇制って日本と中国しかないのですか?
これまで当たり前だと思ってきましたがなにやら特殊ですね。

投稿者 邪馬台国人 : 2008年11月20日 21:21

 「金印で有名な漢委奴國王、卑弥呼のいた邪馬台国、そして倭の五王もそれぞれ朝貢」を云うなら、室町将軍も朝貢をしていたと思いますが、室町将軍が天皇になれなかったのはなぜでしょうか?
 

投稿者 高塚タツ : 2008年11月21日 21:01

本文読んでも天皇が皇帝より下という理屈がわからないのですが。。。
そもそも「皇」の字を使った時点でタメを張っているので理屈の上では対等になっちゃうのでは?
また冊封を国内支配の正当性につかった証拠はないのでは?朝鮮半島の利権の裏付けにはしたみたいだけど。

投稿者 きゃべじん : 2008年11月24日 14:59

>邪馬台国人さん

コメントありがとうございます。

>天皇制って日本と中国しかないのですか?
>これまで当たり前だと思ってきましたがなにやら特殊ですね。

実際に天皇制は日本だけで、中国は他にも唐代の皇帝のことを天皇と呼んでいたようです。日本の天皇制はもっと特殊性がある気がしますので、これからも追求していこうと思います。

投稿者 mitty : 2008年11月25日 22:59

>高塚タツさん

コメントありがとうございます。

>室町将軍も朝貢をしていたと思いますが、室町将軍が天皇になれなかったのはなぜでしょうか?

室町時代の朝貢は、古代とは意図が変わって、貿易自体による利益獲得を狙ったものと考えております。(また、さすがに室町将軍が天皇になるのは、血統的に困難だったと考えます。)

投稿者 mitty : 2008年11月25日 23:08

>きゃべじんさん

コメントありがとうございます。

>本文読んでも天皇が皇帝より下という理屈がわからないのですが。。。

すいません・・・補足不足でした。
『皇帝』は三皇と五帝の権威を持つ、より上位のものとして、『皇』+『帝』の造語をとして創られたという論理です。(つまり三皇のひとつである天皇よりも、上位にあたる。)

>また冊封を国内支配の正当性につかった証拠はないのでは?

証拠はありませんが、当時の日本は小国が乱立していました。その状況で遠方の中国が攻めてくるかどうか?という外圧より、近接他国との争いを有利に進めるために、朝貢した(中国の権威を上手く利用した)と考えております。

ただ天皇制については、なにかまだすっきりしません。道教と天皇制という切口からも、今後追求してみます。(この場合は、きゃべじんさんの仰る通り、中国との対等関係という路線になると考えられます。)

投稿者 mitty : 2008年11月25日 23:37

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