2008年12月01日
縄文時代の婚姻を解明するには?
今日のネットサロンにて、縄文時代の婚姻形態について調べていました。ネットを一通り探ってみたのですが、婚姻形態だけを捉えてしまっていると気付きました
概ね、縄文人の婚姻形態といえば「母系」で男側が婿入りするという形態でしょう
では、その形態をとっていたのはなんで?
そんな風に考えながら、記事を書いてみました(かなり直感です^^;)

女性器の形?
概ね、縄文時代の婚姻形態といえば、だいたい以下のような説明がよく掲載されています。
単系と双系の家族原理一般的に、食料確保が不安定な状況では、必要に応じて父方、母方の有利な集団に移ることがあった。
この点、小川修三氏は、「縄文社会のように人口の絶対量が少なく、生活基盤の不安定な社会では、双系と単系をあわせたような複系原理がとられた」と指摘する。春成秀爾氏は、「古い段階ではすべて母系的な妻方居住婚であったが、東日本では中・後期の双系的な選択居住婚の時期を経て、後期末・晩期には父系的な夫方居住婚が優勢な社会へと移行した」とする。縄文後期末には父方優勢な双系婚となったが、それ以前は母系社会であった。
(中略)
妻方居住婚
縄文社会が母系社会であったことは、茨城県取手市の中妻遺跡の縄文人骨のDNA分析から確認されるのみならず、縄文社会の特徴を色濃く残存させるアイヌ社会からも確認できる。
アイヌ家族は、「妻方居住婚」(夫が妻の世帯に同居)であり、夫は「妻の共同体に婿入りし、妻の両親の家に住んで、しばしば彼らのために何らかの労働を提供」した。従って、その先祖と思われる縄文人の婚姻も妻方居住婚であるといえよう。
父系への移行については、縄文後期~晩期は気候変動で外圧が高まった、あるいは大陸から渡来人がやってきて父系制が取り入れられたということも考えられる。
しかし、外圧という点で考えれば、草創期から縄文時代が始まって以降、実は高い。極端に言えば、いつでも父系に転換する可能性があるということにもなる。
むしろ、集団統合上どちらが良かったか?という視点で考えた方が良い。母系である方が、集団統合という点で安定する。父系の方が個人の自我が発現しやすい。(↓参考投稿参照)だから、母系であったのだと考えた方が整合する。
一方、前段で「婚姻」という言葉に捉われすぎている?と感じたのは、当時の縄文人は「種の保存」という意識が強かったのではないか?ということだ。もちろん、男女の関係で得られる深い充足もとても大事であったろう。しかし、土偶や土器に刻まれた”生殖”に対する意識のあり様は「種の保存」の意識を強く感じることができるのではないだろうか?
このブログでも何回か話題になっている”集団間交流”について、「婚姻相手を探すため」という一説もあるようだ。(証明はされていないようだが)このような状況認識から考えると、やはり、「種の保存」という意識の強さを感じることができるのではないだろうか。
投稿者 sawatan : 2008年12月01日 19:00 Tweet
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コメント
凄く充実しているブログですね。歴史は苦手だったのですが、縄文時代だけを見てもこれだけ考えられ想像させられます。
昔の人が「種の保存」を考えていたというようですが、自然と考えるようになったのでしょうか。変な疑問ですが…。今を生きる私は、種の保存のために子どもをなんて考えられません。今の家族感など対比して考えると興味深いです。
投稿者 編集部.K : 2008年12月02日 21:04
編集部.Kさん
コメントありがとうございます!
>凄く充実しているブログですね。歴史は苦手だったのですが、縄文時代だけを見てもこれだけ考えられ想像させられます。
こう評価頂けると嬉しいです。歴史をこのような実感を持っていけると良いと思い追求しています。
>昔の人が「種の保存」を考えていたというようですが、自然と考えるようになったのでしょうか。
当時の縄文人になったつもりで(なかなかなれないですが^^;)…恐らく、今の私たちの生活よりも格段に厳しかったのだと思います。「種の保存」という明確な言葉ではないですが、子孫をいかに残し存続させていくか?それは、きっと強い意識としてあったのだと思います。
投稿者 さーね : 2008年12月03日 01:29
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