2008年12月24日

稲の歴史(日本の稲作の起源は熱帯ジャポニカだった)

m002 世間はすっかり m034 m208 クリスマスモード m207 m034

m049 ですが m049

こんな時は思い切って日本回帰してみましょう m027


私は最近おもちについてしらべているのですが、今回はちょっと寄り道で稲の歴史について調べました。 m026
皆さんはお米はいつ日本に伝わったと習いましたか?弥生時代に渡来人によって水稲がもたらされたと習いませんでしたか?
実は縄文時代の後期にも稲作はあったんです m049 狩猟と採集で暮らしていたなんとなく野蛮な感じのイメージの縄文人がちょっと変わるかもしれません m027

ということで、今回は日本での初期の稲作について考えてみます。

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一般的に日本の稲作は弥生時代に渡来人によって水稲がもたらされたといわれていますが、佐藤洋一郎著『稲の歴史』によると、稲の栽培は現在から、約6000年前の縄文時代後期に始まっていたようです。しかし、縄文時代に使われた農具などは未だ発見されていません。縄文人はどうやって農具もなしに農耕をしていたのでしょうか。また、どうやって現在のような水田になっていったのでしょうか。

米の種類は従来では「インディカ米」「ジャポニカ米」の2つにわけられていましたが、そのジャポニカ米にも2つ種類があります。「温帯ジャポニカ」と「熱帯ジャポニカ」です。現在私たちが普段食しているのは温帯ジャポニカですが、以下で述べられているように、縄文時代に栽培されていたのは熱帯ジャポニカでした。


日本人の起源 

藤原宏志は「稲作の起源を探る」(p132~134)で 「宮崎県えびの市の桑田遺跡で縄文晩期の層からイネのプラントオパールが検出され、その形状解析から熱帯型ジャポニカである可能性が高いことがわかったのである。・・・・・ ・・・水田稲作の伝来以前にイネが存在していたとすれば、やはり、焼畑など畑作系譜の稲作を想定する以外にないとわたしは思う。水田稲作にともなう栽培イネが温帯型ジャポニカであるのに対し、畑作系のイネは熱帯型ジャポニカが多く、しかもこれが縄文時代のイネに多い。」 と述べている。  また佐藤洋一郎も「DNAが語る稲作文明」(p152)のなかで 「最近では、縄文土器の胎土から稲のプラントオパールが検出されているが、これも多くは熱帯ジャポニカの稲由来のものであると言われている。----ごく端的に表現するなら、温帯ジャポニカが水田稲作を代表とする集約的な稲作に支えられた稲。熱帯ジャポニカは焼畑を代表とする粗放な稲作に支えられた稲である。----熱帯ジャポニカは縄文時代に西日本に伝わり、粗放な稲作に支えられていたと考えられる。」 と、藤原も佐藤も縄文のイネは熱帯ジャポニカであったと述べている。
 


それでは温帯ジャポニカ・熱帯ジャポニカの違いは何でしょうか
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以上の図から、熱帯ジャポニカは成長が早く、どこでも育つ。つまり、粗放に育てられるほうがよく育つ、ということがわかります。実際、佐藤洋一郎著『稲の歴史』にも「肥料をやれば、収量が落ちるという、実に奇妙なことになってしまう」と述べられています。つまり、熱帯ジャポニカには丁寧に耕作された畑や小まめな手入れは必要なく、粗放農業でも育つということがわかります。

農具もなく、粗放で育つ熱帯ジャポニカが栽培されていたことから、縄文時代の農業は焼畑農業であるだろうと推測ができます。


焼き畑農業とは
リンク

焼畑は、畑にする部分の森林を伐採して乾燥してから火入れをし、1年目にソバとムギ、カブ、2年目にアワ、3年目にダイズ・・・というように地方ごとに決まった作物を順に栽培します。4~5年で地力が低下するので、森林に戻し次の場所に移る。20~30年で一巡して、成長した森を再び伐採して畑にする・・・といった流れです。

私達が生きる為にはミネラル分が必要です。作物を介して土中から収奪したミネラル分を焼畑により戻してあげる。灰に含まれるミネラル分 カリウムは作物の生育に欠かせない肥料です。

この焼畑によって栽培されていたのは米だけではありません。

日本人の起源

佐々木高明の「日本史誕生」によれば ・生物考古学の第1人者笠原安夫が岡山県の遺跡で、おびただしい炭化種子を調べた結果、 縄文晩期の層から焼畑によく生えてくる畑雑草を大量に検出した。 ・福岡市の四箇(しか)遺跡からヒョウタン・マメ・ごく少量のハダカムギとアズキの炭 化粒、焼畑やその周辺に生育する雑草や樹木類の炭化種子が数多く検出された。

 先述の彦崎貝塚の例や藤原、佐々木の叙述から見えてくるのは
 縄文のイネは主穀物ではなく“雑穀の中のひとつ”として位置づけられていた


このようにして、縄文時代の人々は焼畑農業によって、米だけでなくいろいろな雑穀などと一緒に熱帯ジャポニカを栽培していたことがわかります。そしてこの熱帯ジャポニカがおもちの原材料になっていくのです。

おもちを調べていて 熱帯ジャポニカ⇒稲作⇒栽培までたどり着きました。
栽培という広い視点で考えれば米だけに頼らない縄文時代の農業は興味深いですね。
イネのお話も調べだすとどんどん広がっていきそうなので今日はこの辺で。

メリークリスマス m207
今回初エントリーのカナでした。

投稿者 kana0444 : 2008年12月24日 20:53

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