2008年12月17日
坂東は出雲国?(1)
この間の記紀追及により、記紀編纂の大きな目的が、天津神=天孫系の優位性と正統性の確立にあったことは疑いようがないようです。
『古事記』に描かれる日本神話は、大きく高天原系と出雲系、それに海神系の話に分けられますが、それぞれが系譜でつながって一つのパンテオン(神界)を形成しています。 なかでも、天孫族と出雲族はアマテラスの弟がスサノオであるように、高天原出身の同じ一族とされているものの、両者を比べると、その性格はかなり違っています。 出雲の神々というは、始祖のスサノオと国土開発の英雄オオクニヌシを主人公にしていますが、最後には天孫族に屈伏し、国の支配権を譲るのです。 しかも、出雲の神々はどちらかというと、天孫族の敵役といった印象です。
『日本書紀』では、その性格はもっと強調されており、スサノオにいたっては、高天原をかき乱すただの乱暴者といったところ。 また、オオクニヌシの説話なども『日本書紀』ではほとんどカットされています。 国譲りの場面などもわりとスムーズで、いかにも朝廷側の思惑を反映したものになっています。 これは記紀に特徴的な「天つ神対国つ神」、「天的な概念対土着的な概念」という対立構造からいえば、当然のことです。 「天」というイメージを打ち出して、自分たちの優位性を主張したい記紀の編者たちにとっては、出雲や海神系の神々は無視することはできないけれども、どこか厄介者という扱いです。
しかし、何といっても忘れていけないのは、出雲族の祖とされるスサノオが出雲に天降ったのは、天孫族の祖ニニギが九州に天降るよりも前であったこと、そして、出雲族が国を造ったあと、天孫族はその国を譲り受けていることです。
上記の内容を前提にしたとき、ある疑念が湧き起ってきました。
「何故、記紀には東国の記述がほとんど見当たらないのだろう?もしかすると、東国にも国津神を祀る有力部族がおり、同じ論理で無視あるいは消し去られてしまったのではないだろうか?」
そんな疑念に肉薄する説を見つけましたので、2回に分けて紹介したいと思います。
坂東は「出雲国」だった?より抜粋
【東の国】
坂東は「東(あずま)の国」という。
それは「西国」という場合のように漠然とした東方の国々という意味ではなく、政治的・社会的な一まとまりの世界であった。
この坂東の東の国は、もしかして「出雲国」だったのではないか、という妄想をぬぐいきれない。
それはあの卑弥呼の邪馬台国を、何が何でも自分の生まれ故郷に引っ張り込む主知的な発想と異なり、いささか証拠がないわけでもない。
【聖地二荒山】
坂東太郎--利根川の東側の聖地、二荒山には古来から出雲神の大己貴命・妃神の田心姫命・御子神の味鋤高彦根神の三神を祭る。
二荒山の二荒山神社とどちらが古来からの本社かと議論のある宇都宮市内の二荒山神社の祭神も、大物主命・事代主命を相殿に豊城入彦命を主神とする。
宇都宮の二荒山神社の主神を豊城入彦命とするように、利根川の東側は豊城入彦命を祖とする毛野族、後の上野毛・下毛野氏の一大勢力が繁栄した地域である。
また利根川の西側は、出雲臣を先祖とする系譜をもつ武蔵国造が連綿と武蔵国を支配していた。
これをもってすれば東の国は「出雲国」に染めあげられていると見るのも、あながち妄想とはいえないであろう。
利根川の東側の毛野族は何故に出雲神を祭ったのか。 『常陸国風土記』の筑波の郡の条に「筑波の県は、古、紀の国といひき」とある。 筑波の県は茨城県の筑波山の西麓にあたる。 風土記はこの筑波の県の西側に「毛の河」が流れているとを再三にわたって記しているが、それは現在の鬼怒川のことである。 紀の国が毛野国となり、鬼怒川が「毛の河」すなわち「紀の河」なら、それは紀伊半島を流れる紀ノ川と同じ河名であり、紀伊国がそっくり東の国へ移ったかの様である。 毛野族の移住がなければ有り得なかったことである。
【紀伊国造荒河刀辧と名草戸畔】
紀伊半島にいた毛野族とは紀ノ川の河口から二十キロほど溯った、那賀郡桃山町案落川のあたりにいたと思われる荒河刀辧から系譜する。
『古事記』崇神段に「木国造、荒河刀辧」とあり、『日本書紀』の崇神紀には荒川戸畔とある。
『古事記』の荒河刀辧は木国造、紀国の国造とあるから、紀国にあって相当な実力者であったことがうかがえる。
ところが「紀伊国造系図」には、荒河刀辧の名は片鱗も載せられていないのである。紀国には別に紀ノ川の河口に名草戸畔なる者がいて、神武東征の折りに殺されたと記紀にある。
「紀伊国造系図」には大名草比古命の名があるから、名草戸畔の系譜を引くものと解することができる。
そしてこの系が紀伊国造となるのは大名草比古命の曾孫の紀豊布流の代で、このとき初めて紀直という姓と氏族名がついた。
つまりそれ以前、紀氏は国造ではなかった。国造荒河刀辧は種々の系譜や系図を照合してみると大名草比古命とほぼ同世代にあたるから、国造の地位は荒河刀辧の系から大名草比古命の系の子孫に移ったと見なすことができる。
あるいはまた、荒河刀辧と名草戸畔―大名草比古命の系は同族で、単に国造の地位が同族内で移ったのではないか、と解した方が合理的である。
というのも、荒河刀辧の孫の豊城入日子命は、崇神の皇子として皇位を継いだかもしれない地位にあったから、紀伊国造の地位は別な系統が継いだととらえることができる。
しかし豊城入日子命は皇位継承権を得ることができなかった。出雲神を祭る名草戸畔の一族は、天照大神を祭る天道根命の一族によって、暫時、紀伊国における主導権を奪われた。
それは名草戸畔が殺されたときに始まり、国造の地位は荒河刀辧の系から大名草比古命の系の子孫に帰したときが決定的だったのではないか。
その結果、荒河刀辧の子孫、豊城入彦命たちは出雲神を担いで紀伊国から東の国へ移住せねばならなかった。
そして聖地二荒山に出雲神が祭られたのである。
関東に、出雲神を祀る神社が多いことを不思議に思っていたのですが、その理由がようやくわかりました。
次回は毛野族の秘密に迫り、冒頭の疑念を明らかにしたいと思います。
投稿者 naoto : 2008年12月17日 23:21 Tweet
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コメント
紹介していただいたHPの坂東王国論面白いですね。
HPの最初に書かれてあった坂東の意味を紹介しておいた方がよいでしょう。
>坂東――坂の東、東山道の碓井峠と古東海道の足柄峠から東の、後に同じ場所に関所が設けられて関東と呼ばれた地域の呼称である。
投稿者 tano : 2008年12月19日 00:05
茨城県日立市の大甕神社は、天津甕星を服従させた建葉槌命を祭神としています。社伝では、「甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していた」とされています。さらに、「大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男の荒魂を封じ込めた石である」と伝えられています。
・・・ここにも秘密が???
投稿者 shigechanizumo : 2008年12月22日 15:32
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