2008年12月26日

ユダヤ教が誕生するまで

カッピカピさんが「なんでユダヤ人を追及するのか?」を投稿してくれました。今回は、ユダヤ民族の原点であるユダヤ教ができるまでの過程を確認したいと思います Very Happy


BC2000年頃、古代メソポタミアのウル王朝が滅ぼされ、ハランへと北上しカナンの地を目指すセム系半遊牧民族の中にアブラハムの一家がいました。アブラハム一家はカナンに半定住 m187
族長の位はアブラハムから子供→孫へと受け継がれて行ったが、孫のヤコブ(後にイスラエルと改名)の子ども達はそれぞれが部族を作り、イスラエル12部族と呼ばれるようになります。
その一部族であるのヨセフ族は、飢饉のためエジプトに移住。この頃エジプトを支配していたセム系遊牧民ヒクソスが倒されて新しい王朝に捕まり、この時からヨセフ族の奴隷時代が始まります。

ここからユダヤ民族波乱の歴史がはじまるのです。

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ヨセフ族の奴隷時代は長期に渡りました。その頃モーセという指導者が現れ、「カナンに戻りたい」と嘆願するも、ファラオは聞き入れようとはしませんでした。ところが、その頃天災が続き、ファラオはユダヤ民族がいるかだと考え、ついに出国が許されることに m044 (出エジプト記)

奴隷の身となり400年 m252 ついに自由の身となりますが、直後に心変わりしたファラオが追撃 m273 逃げに逃げて海にたどりついたユダヤ民族にここで奇跡が起こり、エジプト軍から逃げ延びることに成功 m051 (有名な海が真っ二つに割れる、あれです m010

その後40年にわたってシナイ半島やゲネブの砂漠をさまようことになるのですが、始めは指導者を信じてついてきた人たちも次第に不満が高まり、不満が頂点に達するころ、モーセが神から予言を受けるのです m034 m034
「十戒を守れば交換に私はユダヤの民を守り、イスラエルの地なる領土を約束する」
ここで初めて、神と人間との契約が交わされた。(原始ユダヤ教の起こり)

BC1200年、モーセの後継者であるヨシュアの時代、カナンに散っていたイスラエル諸支族を集めてカナンの土地を征服し、一応の定住を見ます m013
この一派がヤハウェを神とする宗教的な共同体を形成した、はじめてのユダヤ民族とされている。

BC1300年頃から、鉄器をもつぺリシテ人がカナンに進入し、イスラエル人と対立した m240 イスラエル人はぺリシテ人との戦いの必要から軍事的指導者のサウルを立てる。そしてその息子ダビデは南部のユダ族をまとめて王国をつくりその王となる。これに対して北部のイスラエル11部族はイシュバールを王として王国をつくる
この2国は内紛を続けていたが、ダビデが統一しイスラエル王国を築いた m261

イスラエル王国はダビデの子ソロモン王の時代全盛期をむかえエルサレムに神殿(第1神殿)を建てる。だが、その死後再び部族間の抗争が起こり統一体制は崩れ、10部族がイスラエル王国として分離するも戦争で国力は衰え、やがてアッシリア帝国に滅ぼされる。

そんな中でも南部のユダ王国はなんとか独立を保つが、BC586年新バビロニアがエルサレムに侵攻し、神殿が破壊され、ユダ王国滅亡 m002
多くのユダヤ人が連行され、バビロンで捕虜としての生活が始まる。(バビロン捕囚)

BC538年、新バビロニアを滅ぼしたペルシア王キュロスは、ユダヤ人を解放し、ユダヤ人はエルサレムに帰還 m071
同じくペルシア王ダレイオス1世治下のBC515年、エルサレム神殿(第2神殿)が再建される。
BC458年に2度目の集団帰還が行われ、この時期国の整備とユダヤ教の形式を固め、これが現代のユダヤ教またはユダヤ文化へ直接影響している。ユダヤ人の民族外結婚を禁じたものこの時期で、これによってユダヤ民族の独自性が今日まで保たれている。

ここでユダヤ教が確立されますが、その後ユダヤ民族がそうなったのかも押さえておきたいと思います。

BC333年、マケドニア王国のアレクサンドロス3世がペルシアを倒すと、ユダヤ地方もギリシアの支配下に入る。その後、シリア、ローマと変わり支配され続け、神殿での異教徒崇拝を強要されたり、政治的権威を与えられなかったり、ユダヤ文化を軽蔑されたりと迫害され続けた結果、66年ユダヤ人の不満が爆発し、独立を目指してユダヤ戦争が勃発 m240
結果ローマ軍がエルサレムを兵糧攻めにし陥落させ、神殿も破壊される m002

その後もユダヤ人の反乱が続き、手を焼いたローマ人はユダヤ地方からユダヤ色を一掃しようと考え、ユダヤ人が忌み嫌っていたぺリシテ人の名前をとり、この地方をパレスチナと名づけた。ユダヤ人は離散を余儀なくされ、ディアスポラ(ギリシア語で「流浪・離散」という意)という言葉が、その後2000年近くユダヤ人を取り巻く環境の代名詞となった。
こうしてユダヤ人国家が滅んだ後、1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ人国家というものは一度も成立することはありませんでした m112

今回はここまで m041
次回は、特異な集団を形成するユダヤ民族が作り上げた観念体系、ユダヤ教ってどんな宗教なの?
を追求したいと思います m027 m028

~参考サイト~
「ウィキペディア」
「パレスチナとイスラエル」

投稿者 pingu : 2008年12月26日 22:40

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コメント

>その後40年にわたってシナイ半島やゲネブの砂漠をさまようことになるのですが、始めは指導者を信じてついてきた人たちも次第に不満が高まり、不満が頂点に達するころ、モーセが神から予言を受けるのです

このあたり、ポイントだと思いました。
だって出エジプトの際の人数規模は6000人~2万人(文献によって違うらしい><)らしいじゃないですか。そんな大人数で40年間も砂漠を放浪するなんて!!
わがまま言い出す人とか出てきて、絶対集団を統合できなくなりますよね。

集団を統合するために、必死で編み出したのが十戒なのではないでしょうか。
とすれば、十戒って神との契約というよりも、成立時は集団規範の趣が強いのかも?
中身はどんなものなのでしょう?

投稿者 みつこ : 2008年12月26日 23:57

みつこさん、コメントありがとうございます^^
十戒の中身についてはリンク(Wikipedia)こちらを。

>集団を統合するために、必死で編み出したのが十戒なのではないでしょうか。
とすれば、十戒って神との契約というよりも、成立時は集団規範の趣が強いのかも?

はい、その通りです^^
40年も定住できず彷徨っているうちに、不満が噴出したり、規範破りが出てきたりと集団崩壊の危機に陥ったんです。
だから「神からの予言」だとして十戒を定め、集団を守るために集団規範・序列規範を確立させた・・・というのが本当のところだと思います。

投稿者 ぴんぐ~ : 2008年12月28日 00:18

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