2009年02月09日

人はなぜ移動したのか?(なぜ拡散したのか?)

皆さん こんにちは

年初にnandeyaさんが提示したテーマの中から、


2.アメリカへ移動したのは何で?(そもそも何で移動するの?)
・ 北方モンゴロイドはなぜ北方へ、なぜアメリカ大陸へ?
・ 南方モンゴロイドは海伝いにあちこち移動したのはなぜ?
・ 南方モンゴロイドが北方へ移動して北方モンゴロイドになった?

を考えてみました。その中で(そもそも何で移動するの?・ 南方モンゴロイドは海伝いにあちこち移動したのはなぜ?を中心に)を扱ってみます。

アフリカを出発点として、現生人類は地球上のあらゆる地域(南極大陸以外)に進出しました。
原人と呼ばれる人たちも、現生人類より約200万年前に、同様にアフリカを出発し、北京原人の事例のように、アジアのかなり北部にまで進出しています。

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360万年前のアファール原人の足跡(模型)の写真です。親子の2足歩行の足跡といわれています。

ブナ林と古代史

しかし、そもそもなぜ人は移動(移住)するのか?この理由、原因が知りたいところです。それがわかれば、ベイリンジアを通ってアメリカ大陸へ渡った人々以外にも、もっと古い時代に移住をした人々の存在もより鮮明になるかと思います。が

まずは、原人にしても、現生人類にしても、アフリカを出発したのはなぜ?ここからですね。

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そもそも何で移動するの?

原人たちにしても、現生人類にしても、アフリカでの生活は、洞窟に隠れ住む状況だったと言われます。

自然外圧=生存圧力が高く、採取を中心にして生きていました。当然食料(、狩猟技術が上昇した後も)は環境に支配され、同じ場所でいつも同様に採取、狩猟ができたわけでは無いと思います。

つまり食料を求めて、常に移動を繰り返す生活といえます。ですから、そもそも移動はお手の物なわけです。
さらに地上型の他の霊長類と比較しても、2足歩行するわれわれは、原人の時代からすでに、草原での移動能力が高かったといわれています。ちなみにゴリラはナックルウォークですし、チンパンジーにしても長距離の2足歩行は不得意です。

アフリカの熱帯地方に出現した私たちの祖先は約10万年前に現在とを違って水の豊かなサハリ地方により豊かな食料を求めて進出しました。しかしその後乾燥化が始まり、さらに海岸地域に進出したと考えられています。

8万年~5万5000年前になっていよいよアフリカを離れます。この時期は現生人類が認識能力を獲得した時代と同じか、少し古い時期と言えそうです。

つまり、より鮮明に情報を交換できる能力や、新天地に可能性を求める事が、互いに理解できるようになったのではないでしょうか。
現実の不全(食料不足?)をどうする?と考えたときに、新天地を求める思考になったのではないかと思います。本能を超えた共認、観念の地平で、可能性を求めた結果と考えられます。

南方モンゴロイドは海伝いにあちこち移動したのはなぜ?

モンゴロイドはアフリカを出発した人々がインドを越えて以降の人々をさしますが、この人々は移動の過程で水(海や河川)と深く付き合いながら移動したのではないかと思います。

以前にアフリカを出発した現生人類は2つのルートを通ってアジア、ヨーロッパに進出したと紹介されていますが、このうちのひとつが紅海を渡ったルートです。どうも移動の初めから海との付き合いがあったようですね。

さて、どうやって、海を渡ったのでしょう。
普通は舟でと考えますが、この時代に船があったとは考えにくい。そうなると、泳いで渡ったか?流木等を浮き代わりにしたかですね。

おそらく、海岸地帯まで進出した人の中から、水に浮かぶ物の存在を理解した人が現れ、それにつかまる事で、自分も水に浮く事が出来る事を発見したと思われます。もちろん、人もいざとなれば泳げたと思いますが、現在でも何も教えられずに泳ぎを習得するのは難しいことから、その当時はどうだったのでしょう。ちなみに赤ちゃんは水を怖がらず泳ぎますね。ただし息継ぎが出来るのかどうかは良くわかりません。本能に従えば泳げるのでしょうか。猿の中でも泳ぎが得意な猿とそうでも無い猿がいるようです。

話を移動手段にもどしますが、まずは流木などの浮き、そこから筏の様なものが作られたのではないでしょうか。

アフリカからスンダランドまでは紅海以外、渡らなければならない海はありませんが、その間に大河が無いわけでもありません。

チグリス、ユーフラテス、ガンジス、インダスといった名だたる大河があります。もちろん徒歩で渡岸出来る場所まで移動してから渡ったともいえますが、いかだのようなものを利用した可能性もあるのかと思います。
地上を徒歩で移動するより、水上を渡るほうが移動が楽だったのではないでしょうか。ですからインド東岸までは海岸沿いの移動が中心であったのでは無いかと思います。又食料にしても貝や魚、その他の海産物を採取する事により、内陸部より安定していたのでは無いかと思います。

さらにスンダランドまでやってきた人類はさらに太平洋の島々に移り住みますが、この段階では舟が使われました。

アウトリガーカヌーマニュアル より

ohanahoe.jpg これは現代のアウトリガーカヌーですが、古くからこうした形式の舟が利用されてきたようです


つまり、スンダランドまで移動した人々は、それまでに、海岸ベリや、大河を渡るといった経験をつみ、舟につながる技術を積み上げて行ったのではないかと思います。だからこそ彼ら南方モンゴロイドは太平洋に漕ぎ出していけたのでしょう。

実証できるデーターはほとんど無いのですが、このように考えてみました。


投稿者 dokidoki : 2009年02月09日 22:16  

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» BBC製作エイプマン<第5回>「アフリカからの出発」(前編) from にほん民族解放戦線^o^
さて、引き続きBBC製作のエイプマン<第5回>のレポートを。 今回は、「アフリカからの出発」ということで、現生人類の直系の祖先の特徴は何だったのか、どの... [続きを読む]

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» エイプマン第5回<人類の拡散>(後編) from にほん民族解放戦線^o^
さてさて、エイプマン第5回のまとめの続きをアップするよ。 続きを読む前にクリックで応援おねがい!    ↓         &... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2011年01月28日 22:36

コメント

>しかし、そもそもなぜ人は移動(移住)するのか?

23世紀くらいには、人類も宇宙に移住してる
のですかね?
理由はわかりませんが、ひとつの居住にとどまれない本能
が仕組まれているのかもしれません。

火星に移住できたとしまして、地球の歴史と同じように
どこそこの国の人間のルーツはなんて議論が
さかんになるんでしょうか。

投稿者 スバール : 2009年02月11日 00:35

スバールさん こんにちは

23世紀ですか、古代を知る以上に23世紀を知る事は、難しいかも知れません。でも、人の本質が変わらない限り、可能性はありますね。

なぜ人は移動するのか?

人は共認動物です。

未開の荒野を目指すのは、ひょっとして、先住の人を求めてなのかもしれません。

投稿者 dokidoki : 2009年02月13日 15:04

渡来人問題へのこだわりです

漢から魏、蜀、呉、五胡十六国、北魏、隋、唐、そして高句麗の滅亡に至る数百年の時代は大陸の情勢は波乱に満ちていました。牧馬畑作の北方民族の南下と朝鮮半島経由での北九州経由の日本列島への支配階層の渡来が注目されますが、そうでなくて、主として高句麗の時代に沿海州や南満州から日本海経由でリマン海流から対馬海流に乗って日本列島に渡来しただろう中国文明への同化以前の、書き言葉の無い普通のツングース系の人たちが多数の小波となって渡来してきたはずですよね。
彼らについては、自らの記録は北米「インディアン」同様全く存在せず、奈良京都の政権側は、これも北米に建国した西欧白人国家が先住民族を一絡げにインディアンと呼んだように、かれらを「エミシ」と呼んだのではないでしょうかね。
しかし、奈良京都の政権もエミシと呼ばれた人たちもその出自は北東アジアです。ですから、アジア系のアメリカ・インディアンと違って、エミシの大部分はこの数百年の間に急速に西日本の文化に合流、同化した結果その姿を消して、最後に残ったのがアイヌ系の人たちとなりました。
という考えはいかがでしょうか。
私は北米に30年近く住んだ期間に、いろいろと先住民族問題を研究しましたが、日本史の中でのエミシ問題は、北米インディアン問題への理解が私に新しい角度からの光を与えてくれました。
ご意見ください。

岡本 豊

投稿者 岡本 豊 : 2009年02月22日 11:32

>8万年~5万5000年前になっていよいよアフリカを離れます。
本当にこの時期の拡散の始まりについては謎が多いですね。私は南部アフリカのマラウイに住んでいますが、マラウイ湖沿岸にはカヌーを操る漁民が沢山います。そしてトトという漁村もあります。幼児語の日本語で魚のことをトトと言いますので、関連があるかもしれません。マラウイ湖からザンベジ川を下りインド洋に出て、北上すれば紅海になります。紅海を渡ってインド方面に向かうときにはすでにマラウイ湖で十分カヌーの操船技術は習得していたと思われます。その意味で南モンゴロイドの故郷はマラウイ湖と思われます。

投稿者 玉川陽平 : 2010年03月26日 19:25

玉川洋平様コメントありがとうございます。

非常に面白い記事をUPいただきありがとうございます。
マウライ湖が旧モンゴロイドのルートの始まりという視点を言葉で解析しているのはなるほどという部分があります。
これからも縄文ブログにぜひご参加ください。

投稿者 tano : 2010年03月27日 14:01

岡本 豊 様
>書き言葉の無い普通のツングース系の人たちが多数の小波となって渡来してきたはずですよね。
>かれらを「エミシ」と呼んだのではないでしょうかね。

このご意見には賛同できません。蝦夷(エミシ)は大和政権の蔑称であり、北海道、東北地方にあった続縄文時代の人々のことで、縄文時代からの連続性があり、稲作農耕の弥生人が渡来した頃と同時代に北方アジアから渡来した人々とは考えられません。

玉川 陽平

投稿者 玉川陽平 : 2010年03月29日 19:42

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