2009年04月15日

古代史を研究する意味

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ないとう@なんで屋です。
山之辺の道で遺跡めぐりの記事を書いてくれているカナちゃんと一緒に、半年に亙ってネットサロンで『古代日本史の研究』を続けてきました。

その成果はコチラ⇒古代史年表


1970年以降、何度も繰り返されてきたバブル発生とその崩壊、そして今回のサブプライム問題→リーマンショックに代表される借金経済バブルの破綻は、私たちの中に現行の経済システムへの不信感を発生させてきました。そして、この不信感は、経済問題の歴史的追求に繋がってきました。

現行の経済システム、いわゆる(金融)資本主義は、単に「金融家」の存在だけが資本主義を支えてきたのではありません。欧米の観念体系(≒個人主義思想、近代思想)や塗り重ねられてきた社会構造が資本主義を支えてきました。

特に、個人を利益蓄積に駆り立ててきたのは、キリスト教(カトリック)から派生したピューリタントの教義であり、金融資本主義の大元を辿れば、キリスト教に行き着いてしまいます。

この西洋的社会構造や観念体系に支えらてきた資本主義が、終焉を迎えようとする一方で、日本の可能性に着目する人が増えています。資本主義社会(市場社会)の隆盛の中あまり注目されることはありませんでしたが、資本主義に代わる社会のあり方を考える上で、今までの日本人のあり方に注目が集まり始めてきました。

日本人の可能性の中でも特に注目が高いのが、認識論(認識手法)の違いです。しかし、一神教世界の西欧と、多神教(八百万の神)の日本という理解だけでは、今後の日本人の可能性としては不十分です。人間の本質たる共同性に、略奪闘争の有無が大きく関わっている(日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い)ことは疑う余地がありませんが、残存する”共同性”を使って日本はどのような社会を作り上げてきたのかを具体的に追求し、今後の可能性を探ってみようとして始まったのが、『古代日本史の研究』であり「日本人の起源の追求」でした。

(日本書紀の捏造とされる)天皇の万世一系概念も、「そのような概念を打ち立てて何をしようとしたのか」「なぜ、その必要があったのか」、そして「後世の人たち(もちろん私たちも)、どうして万世一系概念を受容してきたのか」を考えれば、日本独特の社会システムが持つ意味が鮮明に分かり、そして日本人にはどのような社会システムが構築可能なのかが見えてくると考えています。


私は別の会議Gでも「なぜ、国会は機能しないのか?」という問題意識から、近代国家成立の歴史をローマ帝国にまで遡って追求してきました。

西洋と東洋で大きく様相は異なりますが、現在の社会問題を捉えたとき、それを「なんでこうなったんだろう?」と原因を考えるということは、結局は歴史を遡り、その構造を明らかにすることなのだという部分は共通しています。昨今の歴史ブーム、特に歴史を物語として(ストーリーとして)語る書物への人気は、この潮流を反映しているように思います。

現代社会問題の「なんでだろう?」の答えは、歴史構造の中にこそある。このことを常に意識しながら、引き続き日本古代史を追求していきます。
歴史探求の姿勢
古代史年表の作成を通じて感じたこと(ネットサロン運営のコツ)

(新しいテーマを設定して、追求して行こうと思っています。「こんなテーマを追求して欲しい!」というものをコメント欄に入れていってください♪)

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投稿者 staff : 2009年04月15日 17:38

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コメント

肝に銘じねばならないのが、歴史の奴隷に陥らないことだと
いえます。歴史家はおおにして、歴史(過去)は語る、歴史は
指し示していると、過去に依存(奴隷)してしまう癖が
あるようです。

日本人は過去を語らな過ぎですが、
反面今を生きれる特質があります。これが文化の多様性を
受け入れる、養える要素であるのかもしれません。

イスラエル・中国・韓国・・・・・・・。国家そのものが歴史の奴隷とかし、哀れに感じてしまいます。

難しいとは思いますが、歴史はあくまで過去の遺物であって
生命は宿ってはいないが一理ある程度で留めて、今現在を
受け入れることが肝要かと思います。

投稿者 スバール : 2009年04月15日 20:34

長い歴史の積み重ねの上に今の社会がある以上、現在の社会がどのように成立してきたのか、その歴史構造を紐解いていく必要があると考えています。これまでの歴史を振り返り、自然の摂理・人類の摂理を学んで、初めて現代のガタガタ現象に対する答えが出せるし、新しい規範も作っていけるのではないでしょうか?

現実逃避の先として過去を見るのではなく、現在の社会(現実)に対する「なんで?」を考える中で、歴史構造を明らかにしていきたいと思います。
あくまでも、現在直面している現実発で考えることが重要かと思います。

投稿者 ないとう@なんで屋 : 2009年04月16日 01:59

>歴史家はおおにして、歴史(過去)は語る、歴史は指し示していると、過去に依存(奴隷)してしまう癖があるようです。

歴史自体が、現在の問題意識から読み取った歴史ですから、最初から「歴史は何を物語っているか?」という指向性を持つのはさけられないでしょう。それはそうした観念の有用性と限界性(従って新しい事実が発見されれば時に書き換えが必要であること)を認識していれば、さして大きな問題にはなりません。

問題は、歴史決定論的≒運命論的な史観に陥ることで、これは、特に西洋に顕著な思考だと思います(これを生物史まで遡らせたのが偏狭な突然変異史観)

それに比べると、東洋の易姓革命史観の方が(一種の循環論ではあるが)まだ歴史観としてはまっとうではないかと思います。(易姓革命史観からヒロイズムを排してできたのが日本の諸行無常史観か???)

そのように、東洋の持つ思考の柔軟性をさらに突き詰めれば、「歴史には可変部分と不変部分があり、その見極めの中から可能性へと収束していく」という可能性への収束史観とでもいうべき史観が登場してくるのだと考えています。今西の棲み分け論もそれに近いし、網野史観も弱者のダイナミズムという視点から見れば、同じ系統ではないでしょうか。

とりとめもなくなりましたが、歴史決定論に陥らず、かといって歴史を軽視せず、ということですね。


投稿者 怒るでしかし~ : 2009年04月16日 11:12

>現実逃避の先として過去を見るのではなく、現在の社会(現>実)に対する「なんで?」を考える中で、歴史構造を明らか>にしていきたいと思います。

これって実は「未来」を見ているとゆうことですね。
こうなれば温故知新を正しく実現できるかと思います。

これからの日本経済は、世界第2位なんてプライドを
とっと捨てて、新たな経済システムを構築してゆく
ためにも、逃避ではなく、現状システムの長所・欠点を直視し、改良してゆければいいですね。

>とりとめもなくなりましたが、歴史決定論に陥らず、かとい>って歴史を軽視せず、ということですね。

皆さんが柔軟な方〃で安心しました。
日本人のこうゆう歴史認識がある限り、お隣の
国のように、生まれて死すまで固定観念のかたまり
になることはないように思えます。

投稿者 スバール : 2009年04月16日 22:03

歴史を振り返る時には、存分に注意を払わねばならない、というのは重要な視点だと思います。

私たちは、ややもすると歴史を振り返り、そこからある概念を抽出する際、私たちの持っている視点も歴史的に醸成されたものであるということを忘れがちです。(明治時代から見た江戸時代と、平成の次代から見た江戸時代は、持っている意味も抽出できる概念も違ってくる)

その意味で、現在の視点や切り口に絶対と言えるものはないのであり、現在の自分の存在をカッコに入れて、歴史を見る視点を忘れてはならないと思います。

投稿者 ないとう@なんで屋 : 2009年04月16日 23:11

>日本経済は、世界第2位なんてプライドをとっと捨てて、新たな経済システムを構築してゆくためにも、逃避ではなく、現状システムの長所・欠点を直視し、改良してゆければいいですね。

全く同意します。日本はもはや輸出大国ではない。今の日本が世界に誇れることは、トヨタでもソニーでもなく「世界で最初にバブル崩壊を向かえたということ」でしょう。この経験とそこから見える可能性をどうやって世界の普遍性に引き上げて発信できるかですね。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=196394

そのためにも、日本人の可能性と弱点を見極める歴史の旅は続くのです。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年04月17日 00:31

>(明治時代から見た江戸時代と、平成の次代から見た江戸時代は、持っている意味も抽出できる概念も違ってくる)

読書世代はTV世代を罵り、TV世代はインターネット世代を
罵り、インターネット世代は若者携帯文化を罵ります。
時代の要請とゆう目に見えない流れを踏まえて、歴史を
学んで行きたいものです。

>世界で最初にバブル崩壊を向かえたということ」でしょう。

核被爆国であり、バブル崩壊国であり、国家の存亡が危うい
少子高齢化の打撃を最大限被る国にもなりそうです。
しかし逆に言えば、興味深い研究対象となる国でもありますね。
将来的に、インドと中国は、人余りで内紛が激化し、国家が崩壊するだろうとの予測もあるくらいですが、日本は少子を逆手にとる超効率国家と生まれ変わらざるをえないのかもしれません。悲しい現実ですが、人がどんどん必要ではなくなる
経済システムが世界の潮流となるきがします。

投稿数も増えましたので、返事はよろしいです。ありがとう
ございました。

投稿者 スバール : 2009年04月17日 22:32

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