2009年10月02日

縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-1

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縄文のビーナス

Very Happy くまなです

前回までのテーマは宗教でした。今回からは「日本人の本源性」です。

現在の社会状況は、市場限界⇒サブプライム破綻発の経済破局への流れと、節約志向に代表される安定・充足志向の流れがあります。経済破局が起きた場合、国家体制の崩壊までいくのかどうか…この先の社会を考える上で日本人の本源性が重要になってくると思われます。

そこで、「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?」というテーマで参考となる記事を紹介しながら、議論の内容をグループで投稿していきます。

今回参考にした記事は『日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理』です。

欧米人が日本人を形容するとき、「勤勉」という言葉を使うことがあります。われわれにとって「勤勉」は当たり前に感じるところもありますが、欧米人は少し違う感覚を持っているようです。

その違いはどこから来るのか。そもそも「勤勉」とは何なのか。

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最近、婚姻史や共同体社会のことを調べています。→ リンクその中で思うのは、女性は「勤勉」だということです。 事例としては、自然豊かな(=自然外圧が低い)東南アジアでは多分にもれず女性がよく働きます。一方、男性はのんびり・ブラブラしている。

これがあらわしているのは、
闘争存在である男性は、闘争課題があるとがんばるものの、闘争圧力がなくなると途端に「怠ける」ということ。外圧依存型の闘争性や勤勉性はもっているものの、何もない時には怠けがちなのがオスという生物なのでしょう。

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一方、女性は外圧が高い場合は当然のこと、外圧が低い状態でも勤勉さを失わない。東南アジアの事例は、男性の怠け者ぶりが顕著であるため、女性の働き者ぶりが相対的に際立っているだけとみなせます。メスは基本的に勤勉な生物なのでしょう。

では、なぜ女性が勤勉なのか?
それは、充足・安定存在ゆえであると考えます。

子育て、炊事、掃除、縫い物・・・身近な周りの充足のために日夜勤勉に働くのが女性=お母さんの姿だったりします。どんな家でも女性=お母さんの勤勉さがなければ、日常的な充足・安定は維持できません。
これを逆に見れば、女性は身近な皆の充足・安定のために働いてくれているということです。自分の勤勉さが、皆の充足・安定につながるとわかるうえ、主体的に動いていけば、皆の充足・安定を高める課題(期待)は無数にかつ常に存在します。したがって、永続的に勤勉さが持続するということでしょう。

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このように考えると、「勤勉」は女原理なのだと思います。
特に、我々日本人が考える勤勉さは、この女原理発の勤勉さに根ざしているでしょう。

充足・安定を尊ぶ縄文体質とは、すなわち女原理。女原理で動いてきた我々日本人にとって、女性の勤勉さは肯定・感謝の対象であり同化対象です。そこを基点に、男性にとっての労働=闘争も認識して価値を見出していったのが日本人なのだと思います。(労働=闘争を男原理と直結させて理解する欧米人にとって、ここは理解しにくいでしょう)

今後、充足発の実現方針を出していくのは、男原理の闘争過程ですが、たゆまぬ努力の源泉である勤勉さは、女原理の勤勉さであると思います。
この勤勉さが、充足発の闘争を実現する日本人的基点になると思えてきました。

 『日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理』より


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日本人は農耕民族、欧米人は狩猟民族として暮らしてきたから違うのだと考えてみましたが、それよりも深い原因があることがわかりました。

女性は生殖存在としての基底的役割がある。哺乳類以来、子供を育てる行為は継続的で単純な作業の繰り返しです。そのような役割を担った女性たちは、役割規範の共認充足に導かれてその機能を伸ばしていったのです。だからそのような作業で充足できる特質を備えていったのでしょう。

一方、男性は闘争存在として狩猟を担いました。危険を冒し、動物の行動を予測しながら瞬発力を発揮して遠方まで狩に出かけます。男性もそのような役割の充足に導かれて、予測思考、空間把握力、瞬発力などを伸ばしていったのです。

男性はそのような役割を担って成果を出したあとは、することがありません。女性たちはせっせと日々の仕事を担っているのですから怠けているように見えます。しかし、役割を全うし男女相互に充足しあっているならば、何もしてなくても「怠けている」ことにはならないでしょう。

昨今では、男性も家事をすることが求められています。それは女性からみて男性が十分に期待に応えていないからではないでしょうか。ただ、だからといって家事をすべきともいえません。男女の役割規範が十全であれば、家事は女性たちにとって立派な充足課題になるからです。かつての「お母さん」がそれを体現しています。

必要なのは、男女の役割規範の再生です。

男は、経済破局とそのあとの社会づくりという予測思考のフル回転を要する課題へ向かう時が迫っているのです。

投稿者 kumana : 2009年10月02日 23:45

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コメント

日本は縄文時代から採集を主に、弥生以降は農業を生業としてきました。その生産基盤は女原理で、太古の昔から女も生産の主役として活躍してきたのでね。

おのずと、女性の勤勉さに感謝の念をいだきつつ、女の作る安定基盤を土台にして、男は重要な判断を下すといった双方の期待の中から充足した関係を維持してきたのだと思います。

男原理の強い狩猟を主としてきた西欧とは全く違った、男女共に勤勉な日本人の基礎は、女原理に基づいた「充足・安定・保守」の思いに培われてきたのでしょうね。

投稿者 犬 : 2009年10月03日 15:22

>男性も家事をすることが求められています。それは女性からみて男性が十分に期待に応えていないからではないでしょうか。

 女性がせっせと働いているのに、家で何もしないでいると、何か後ろめたさを感じてしまうのは、女性からの期待に十分に応えていないと感じてしまうからかもしれませんね。

 「男女の役割規範」をもう一度固定しないと、男女ともに中途半端な役割しか果たせそうにない気がしてきました。

投稿者 カッピカピ : 2009年10月06日 22:32

採取時代の女性がなぜ勤勉なのか?

ちょっとこれを追求してみたくなりますね。
メスが基本的に勤勉と決め付けるより、オスメスの役割分化の中で考えた方がよいように思います。サル、極限人類の時代に刻印されていたメスの役割不全はかなり大きく、弓矢の発明によって安全域を獲得した採取時代以降に始めてメスの役割不全が解消した・・・。そういう見方はできないでしょうか?

闘争役割と生殖役割に特化して進化した人類史ですが、その意味で採取時代のメスとはどのような能力を伸ばしていったのか、また集団におけるメスの役割とはどのように変化していったのか?縄文ブログの今後の追求を考える上でこの投稿はヒントになります。

投稿者 tano : 2009年10月07日 00:11

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