2009年10月21日
科挙の歴史 ~科挙にはどのような意義があったのか~
『官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る』シリーズ
今回は、中国の官僚制を維持存続させる基盤となった科挙制度について扱います。
現在では、『官僚は試験によって公平に選ぶ』というのは世界の常識です。しかし歴史的に見れば、このような制度を導入したのは、中国を除けばごく最近の話です。
中国でははるか隋の時代(600年前後)に、科挙という官僚登用制度を導入していました。現在の世界各国に見られる『官僚は試験によって公平に選ぶ』という常識は、科挙制度が原点になっています。
「庶民から官僚を登用する」という世界史的にも特異なこの制度は、どのような経緯で登場し、以後存続したのでしょうか?
また、長く続いた科挙制度も清の時代に廃止されました。なぜ、廃止に至ったのか?
これらの視点で中国史を俯瞰してみたいと思います。
■科挙導入の契機
中国の科挙制度は隋の時代に登場した。隋は、漢帝国滅亡以後長く続いた戦乱をようやく統一し登場したが、戦乱によって帝王権力に匹敵する力を持つ地方貴族(軍閥)が地方に根を張っていた。
力を持つ地方貴族群(地方軍閥)は、権力を行使しようとそれぞれに中央政府に進出する。中央政府としては、こうした貴族達の顔色を伺わなければ、満足に政治を執り行うことすらかなわなかった。
このような地方貴族支配に抵抗したのが隋の文帝であった。彼は中央政府及び地方政府に対する世襲的な貴族の特権を剥奪し、地方官庁の高等官僚は全て中央政府から任命派遣することに決める。しかし、これを実行するためには、大量の官吏予備軍を中央政府が握っていなければならない。隋の文帝は、大量の官吏有資格者を製造するために科挙制を樹立したのである。
即ち、 従来貴族が持っていた特権を剥奪し、改めて試験を行って及第した者だけを官吏有資格者とし、多数の官僚予備軍を手元に蓄えておき、必要に応じて中央、地方の官吏の欠員を補充する制度を樹立したのである。
科挙1(隋~唐) 地方有力貴族から実権を奪うために始まった科挙
■科挙はなぜ存続したのか
こうして、隋→唐を経て宋代に至ると、皇帝に刃向かうほどの貴族はいなくなり、科挙の全盛時代に入る。皇帝は自分の手足のように動かせる官吏を、科挙によって十分に補給することが可能だった。こうして、中国史上初めての文治派の政治が完成された。
以降のほとんどの王朝が科挙制度を取り入れ、1904年に清帝国が廃止するまで続く。
弊害も多かった科挙制度であったが、各王朝の初期においてはそれなりの効果を発揮した。武力によって天下を取った新王朝は、武力だけで国内統治を行う事はできず、大量の文官官僚を必要とする。その人材を広く集めるために科挙が利用された。このような場面では形式を度外視して、実質的に人を採用したので科挙及第者の中から優秀な政治家が現れていた。
ところが、朝廷(皇帝と官僚)支配が安定期に入ると、既に大量の官僚予備軍を獲得していたため、実際には人材は必要なかった。ただ慣例に従って科挙を行っていただけである。安定期に入り科挙を受ける人間が増える、一方で朝廷はこれ以上の官僚は必要ないため門戸を狭める、両者相まって試験の競争性が激しさを増していく。どの王朝でも、優秀な人材を”発掘”するはずのものであった科挙は、官僚希望者を”ふるい落とす”試験へと堕落していくのである。
科挙2(宋~元~明~清) ふるい落とす制度への堕落
■科挙の弊害→廃止へ
この科挙が有益な人材を発掘する上では不十分であることは、中国でも古くから指摘されていた。四書五経の丸暗記が、現実の政治にどれほど役に立つのかといった批判である。しかし、それならどうすればいいのかという段になると、他に適当な方法が見つからない。
そこで全国に学校を設立し、十分に教育した上で生徒の中から優秀な者を抜擢しようという動きが何度か実行に移された。しかし、あくまでも科挙のための学校であるから、学校においても試験だけの連続という制度へと劣化してしまった。
ましてや、そのような改革論議を受け検討すべき立場にいたのは、科挙によって選ばれたエリート官僚である。彼らは既成の枠組みを見直すこともできず、ひたすら現状維持を続けたのである。
しかし、産業革命を経た欧米列強からの圧力が強くなると、さすがに新しい知識・技術の習得が必要となり、新しい教育を行う機関が設立される。一方で科挙制度は残ったままであったため、ほとんどの人間が科挙による登用を目指す。そのため一向に新教育は発展しなかった。つまり科挙制度が新教育の発展を阻害していたのである。こうして産業革命に対応した新教育制度発展の必要から、1904年を最後にして科挙は廃止されることになる。
科挙3(明~清) 科挙の弊害と科挙の廃止
■科挙の意義
結局のところ科挙は、設立時には「既得権益を持った旧貴族階級を追い出すため」、王朝交代期には「(武力による王朝交代に伴って)官僚機構を確立するため」に作られ存続した。そのような時期には、”新しい官僚”が必要となり、また既得権益を持ってない者から選ばなければならないからである。しかし、ある王朝による官僚システムが安定期に入ると、科挙の意義は薄れ(∵システムが完成してしまうと、優秀な人間は不要となる)「(科挙を維持するような)官僚を登用するための科挙」へと堕落していった。後に残ったのは、大量の官僚希望者と、大量の不合格者である。中国各王朝末期の反乱軍は、このような不合格者(=朝廷への反感を募らせた知識階級)が束ねたものも多い。
これが意味するところは、権力闘争上の意義は科挙に存在しても、新しい時代(外圧)に対応する上で必要な能力(創造性など)を持つ人材は発掘できないということである。加えて、科挙のような「国家による試験制度」は、全国民的な意識がその制度の下に規定されてしまうという問題もある。
※「(試験)制度が意識を規定する」という問題は、現代日本でも同様のことが言える。私たちは国家公務員試験へと至る一連の試験制度の連続の中に放り込まれている。”試験”勉強が現実の場面でどれほど役に立つのかといった批判は過去から続いてきたが、それならどうすればいいのかという段になると、中国の科挙と同じく『他に適当な方法が見つからない』。新しい時代に対応した新しい教育が実践されることもあるが、試験制度が残っている限り、それが発展することはない。問題性を感じながら「他に適当な方法が見つからない」と皆が感じている間にも、試験制度が旧態依然とした体制を存続させ続けるのである。
(written by ないとう)
------------------------------------------------------------------
『官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る』シリーズ
・新テーマ「官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る」
・官僚制の起源『氏族連合から官僚制へ』~中国史1
・官僚制の起源『氏族連合から官僚制へ』~中国史2
・春秋戦国時代、何故、中国では邑(共同体)が解体されていったのか?
・中国史にみる官僚の誕生~武力統合の必要から官僚の肥大化へ
投稿者 staff : 2009年10月21日 15:56
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/943
コメント
動乱期には新しい血(人材)が必要、しかし、安定期にはシステムが完成するので無用の長物となる(アタマだけのひとは不要で、むしろ手足になって動いてくれるひとたちこそ重宝されれるべきということか?)・・。何だか幕末~明治維新後の日本社会を見るようです。
>権力闘争上の意義は科挙に存在しても、新しい時代(外圧)に対応する上で必要な能力(創造性など)を持つ人材は発掘できないということである。
現在の日本社会をもズバリ言い当てていると思います。
今は、バカみたいに試験勉強が解ける必要はないし、それはむしろ病的ですらあると思うですが(どっかが壊れている)、しかし、そうは言ってもただ明るく元気、ではどうしようもない(何も変わらない)。
やっぱりある程度のペーパーテストも必要で、どんな設問にするかが問われているのかな、とも思いました。まさに、じゃあ、どうする?ですね。
投稿者 うら : 2009年10月21日 18:40
日本の律令制はそのほとんどを中国の焼き直しで作ったが、科挙だけは全く根付かなかった。それはなぜか?この問題は日本を考える上で重要な問題です。
また、試験(科挙)制度とはそれに受かる為の大量の学校需要を作り続け、日本でも小・中・高・大学とその主たる目的は試験への合格にあるとも言えます。
これまで教育大国の日本も学校制度の拡大により試験制度が定着し、大量の官僚や官僚予備軍が作りだされました。しかし一方で多くの技術者や民間人も輩出しており、日本の試験制度が単に中国の科挙の取入れとは異なるものであることも言えると思います。
産業人を生み出した近代国家の試験制度と官僚のみを産み出すための中国の科挙制度、そこには何か違いがあるように思います。試験制度の是々非々は中国の歴史のあと日本へと俯瞰した後で改めてみていく事が必要でしょう。
ただないとうさんが指摘するように変化の時代には旧い主体である国家が作る試験は新しい仕組みを創造する人材能力の判断には使えないというのも事実のようですね。例えば、東大生は今やどの企業も必要と感じていないのではないでしょうか?
投稿者 tano : 2009年10月22日 00:50
→うらさん
今回の記事は、試験制度(ペーパーテスト)がもつ構造的欠陥について書きました。では、ペーパーテストを廃止して、面接のみにするのか?と考えたとき、「それでは客観的な判断ができない」「最低限必要な知識が保障できない」と実現不可能性が強く意識されます。
しかし、考えてみれば、そもそも「客観的」な判断がペーパーテストでも可能なのか疑問(そもそも「客観的」とは何のことか)ですし、何を持って「最低限の知識」とするのか?など、疑問や違和感はそれこそ山のように出てきます。
こうなってしまうのは、おそらく私たちが「平等に公平に客観的に選ぶ」という前提から逃れられなくなってしまっているからだと思いますが、科挙制度、官僚制度を通じて、これらの事も視野に入れなければならないかもと考えています。
(ちょっと、歴史系ブログの枠からはみ出ているかもしれませんが・・・)
投稿者 ないとう : 2009年10月22日 21:13
→tanoさん
科挙が日本で根付かなかったのは、(中国のような易姓革命がなく)「必要なかったから」だと言い切れますが、むしろ疑問なのは「必要なかったのに、(唐のマネをして)導入しようとしたのは、なぜか?」の方です。
日本の国際関係(古代・中世における対中国、現代における対アメリカ)に深く影響を及ぼしている集団意識がこの辺りに潜んでいるように思われてなりません。
旧帝大に代表されるエリート大学の卒業生が、現在の現実の場面では「使えない」という話はたびたび聞きます。しかし、試験制度は昔からあった訳で、現在の大学生~社会人の無能さの原因を、試験制度だけに求めるのは無理があるようにも感じます。
「なぜ、試験以外のことを学ぼうとしなくなったのか?」つまり学ぶ力の低下はどこから引き起こされているのかも考えたいですね。
投稿者 ないとう : 2009年10月22日 21:22
コメントしてください |

