2009年11月03日
「東洋と西洋」③~西欧と日本の階層意識の違い
こんにちは。
『東洋と西洋』シリーズ3回目です。
西洋人は、皆殺しの掠奪闘争により本源集団を根こそぎ解体し、自我に基づく独善性・排他性の極めて強い絶対観念(キリスト教など)をつくりましたが、その意識構造を前提に形成したのが現代まで続く絶対的な階層社会でした。
西欧と日本の階層意識の違い より紹介します。
欧米人の思想の根底にある人間中心主義とは 、けっして、人類一般を対象としたものではありません。あらゆる中心になるものは、もともとはキリスト教徒たるヨーロッパ人に限られます。人間と動物を断絶する論理は、同様にキリスト教徒とそうでないもの、ヨーロッパ人とそうでないものなどを断絶し、ヨーロッパ社会の内部においてはユダヤ人に対する迫害であるとか、非常に根強い階層意識などを形成してきました。また、ヨーロッパ社会の外部に向けては度重なる略奪・殺戮行為であるとか、人種差別などとして発現してきました。

(マルタ騎士団)
ところで、社会の階層意識について考えてみます。身分制社会であった時代の日本とヨーロッパで、支配者階級が総人口にどれくらい占めるかを比較してみると大きな違いがあります。たとえば、江戸時代の日本では、総人口の5~6%が武士であり、革命直前のフランスでは、僧侶・貴族は総人口の0.5~0.6%と算定されています。日本に比べてフランスでは支配者階級の割合は10分の1だったと推定されています。日本では支配者階級のなかに多数を抱え込んでいると、トップクラスといえども豪勢な生活はできません。ハリスをはじめ、幕末に来日した欧米人は口をそろえて、日本の支配階級のつつましさを指摘しています。
また、逆に日本人はフランスを訪れて、ヴェルサイユ宮殿などの壮大豪華な建築を見て、「なぜ、フランスで革命が起こったかはじめて分かった。」という意見をよくいいます。支配者階級に入る人数が少ないからこそ、人民の恨みが爆発するほどの贅沢ができるということです。
ヨーロッパでは、動物、非ヨーロッパ、非キリスト教徒などを順次疎外していき、さいごに「ほんとうの人間」として残るのは、ごく少数の支配者階級だけです。支配者はあくまで特権階級で、孤高であり、他を寄せ付けたりしません。
このことは、日本とヨーロッパでの支配者の理想を比較してみると、よくわかります。日本では名君とたたえられるのは、ほとんど例外なしに、質素な生活の実践者です。
ヨーロッパでは、些細なことにせこせこしないで、どんどん浪費することがむしろ支配者の美徳とされています。たとえば、名君とほまれの高いルイ9世は、側近に「君はもっと良い衣服を身につけなければならない。そうすれば、君の奥さんはもっと君を愛し、君の召使いは君をもっと尊敬するようになろう。」といっています。
また、イギリスでは、今でも貴族制度は生きていますし、フランスでは、1870年には貴族階級は消滅したはずなのですが、それまで貴族の家柄は依然として貴族の称号を保持しつづけています。さらに、婚姻関係や系図の偽造によって貴族を名乗りたがる連中があとをたたないので、ニセ貴族は15000家もあるそうです。

(ヴェルサイユ宮殿)
社会の根底に強い階層意識と上位の階層に対する強いあこがれがなければこのようなことにはならないといえます。日本では華族制度が廃止された途端に、もと公爵、もと伯爵などすべてに「もと」がつけられるのとは対照的です。明治維新以降の教育制度をみても、日本では上級学校に進み、社会の指導者になる者も初等教育の段階では、みんなと同じく机をならべました。ヨーロッパでは、上級学校に進む者は初めから別扱いの過程(パブリック・スクール、リセ、ギムナジウムなど)が用意されて、上層階級の独占物になっていたこととは対象的です。日本では戦前から続いていた「入学受験地獄」というのは、階層意識が弱く、また制度的にも立身出世が開かれていた日本だから起こり得た現象だといえます。
日本の場合も儒教に基づく序列意識はありましたが、どちらかといえば関係規範や役割規範であったように思います。西洋と決定的に異なるのは、庶民において充足の場である村落共同体が解体されることなく守り続けてきたことにあり、だからこそ階層意識ではなく、日本人は集団意識が極めて強い民族なのではないかと思います。
『東洋と西洋』シリーズ
●東洋人と西洋人との違いは「掠奪闘争による本源集団の破壊度」に規定される
●近代民主主義から見た西洋と日本
投稿者 nishipa : 2009年11月03日 17:53 Tweet
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/950
コメント
こんばんは、
なぜヨーロッパ人の階層意識が強いのか?少し分かったような気がします。
>欧米人の思想の根底にある人間中心主義
>人間と動物を断絶する論理は、同様にキリスト教徒とそうでないもの、ヨーロッパ人とそうでないものなどを断絶し、ヨーロッパ社会の内部においてはユダヤ人に対する迫害であるとか、非常に根強い階層意識などを形成してきました。
つまり、人間中心主義(しかし根底は差別主義であり、自己中)を強く持っているから、さらにその底には警戒心?があるからということだと思います。
彼らが、世界の思想を動かしているのは不思議です。
投稿者 Hiroshi : 2009年11月05日 22:32
貴族社会と氏族社会~自我収束と共認収束の階層意識の違い~と題してちょっと考えてみました。
社会の階層意識とは、序列意識。社会の身分ヒエラルキー構造。西洋と東洋において、方や貴族階級のように強固に現在まで維持され、方や一億層中流階級という言葉に代表される、ほとんど序列・階層が意識されないという違いを生み出したのは?
序列を強固にしなければならない社会は、人々の意識が個々にばらばらで、共有できないが故の強制的な力が必要な状況が見て取れます。また、人々がお互いに認め合えないという現実がみて取れますが、それでは、集団や国家として秩序維持できないので、現実には、認め合うあえないゆえに頭の中だけのフィクション(架空)を作り出し、収束させることで、社会をまとめようとするしかないのです。これが、宗教や近代思想です。
人々が疑心暗鬼に陥った理由は、肥沃といえない西洋の土地柄での環境変化による食糧危機に端を発した、度重なる掠奪、殺戮、戦争、収奪、皆殺しです。この無秩序状態で、安定を求めた人々は、強い者(支配者)につくか(=序列への依存)、架空観念(キリスト教等)へと収束せざるを得ない状況を作り出しました。
西洋では、その秩序を維持すべく、序列に収束して、この階層意識(=貴族階級ヒエラルキー)を維持せざるを得ない状況をいままで維持してきたのではないか?と思います。
東洋では、このような歴史体験が乏しいので、ともに共有し認め合い、序列意識に頼らない集団間や社会関係を作り上げたといってもいいでしょう。それが、氏族共同体社会であると思われます。
同じ人間でありながら、圧力状況とその歴史により、まったく方向性の異なる意識状況が生み出されました。それは、ともに求め合い充足を求め秩序形成したか、自我から行き場のない充足を架空観念と序列に求め秩序形成したかの違いであるように思います。
投稿者 2310 : 2009年11月07日 21:29
コメントしてください |