2009年11月10日

「東洋と西洋」④~モンゴル帝国にみる東西遊牧民族の社会統合様式の違い~

!2310★★『東洋と西洋』シリーズ4回目です。!★★
西洋の遊牧民族=イラン高原の白人(コーカソイド)東洋の遊牧民族=モンゴル高原の黄人(北方モンゴロイド)は、環境(外圧)の違いと掠奪闘争の違いにより、その社会統合様式(社会の秩序立ての方向)は、顕著に異なるようです。
土着縄文人の【受け入れ体質】騎馬民族の【柔軟な溶け込み体質】の融合した意識が出来上がった理由をモンゴル帝国に見ることが出来ます。

西洋では、
・社会秩序を破壊しつつ拠り所のない社会の統合を本源風の価値に収束することで社会を統合した
のに対して
東洋では、
・社会秩序を維持、発展させ、社会秩序を形成して、社会を統合した。

その記事をご紹介します。

【民族を超えた社会統合制度(観念共認)を確立したモンゴル帝国 (冨田さんの記事)】

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★圧倒的軍事力という可能性を開いたことにより、遊牧民は、さらに強く掠奪・征服・支配に可能性収束していったのではないだろうか?

同じ遊牧部族でも、東洋と西洋で違いがあるようです。以下は、実現論からの引用です。
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モンゴロイド(左)とコーカソイド(右)

~中略~
実現論参照

次は、2/10付産経新聞「誤解だらけのモンゴル帝国(杉山正明・京大教授に聞く)」からの引用です。

●モンゴル帝国というのはこれまで、粗野で野蛮な侵略国家といった「負」のイメージがありましたね。
●それは大きな誤解ですね。モンゴル帝国は人類史上初めてヨーロッパとアジアを結んだ国で、経済、文化交流が非常に盛んだった。銀の重さを基準にした銀本位制度の推進や同一暦、それに地図もつくった。十三、四世紀にはもう資本主義の粗型みたいなものをつくりだしているわけです。ここ百五十年間のヨーロッパを中心とした歴史で、表舞台から消えてしまっていますが、実は「世界史」というのはモンゴル帝国の出現とともに始まったと言ってもよいぐらいなのです。

●モンゴル帝国が史上最大ともいえる領土をもち得た理由はどこに?
●冷静に原典資料を調査しても、実はモンゴルはそれほど戦っていないのです。”戦わない軍隊”だった。
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チンギス・カーンと騎馬隊とモンゴル高原の様子
拡大の核心は「仲間づくり」のうまさにあるのです。他者を接収するデモンストレーション(示威運動)にたけていた。そうした小さな渦がいくつも広がっていったのです。だから当時の華北の武装勢力が彫った漢文の碑文でも「モンゴル」に加わったことを誇りに思うとする内容が書かれていたりするんです。コスモポリタンで人種差別もなく、チンギス・カーンの周囲は能力主義で、人材を抜擢していた。
●では、なぜ「歴史の悪役」にされたのですか?
●十九世紀半ばからの西欧諸国は自分たちの文明を至上としたため、当時の世界の各地域をさまざまに勝手に格付けした。特にユーラシアのような広大な内陸や乾燥地域に暮らす遊牧民には不当なマイナスを植え付けようとした。そのことがさらに十三、十四世紀の過去の時代にまで遡ってしまった。これが現在もつきまとうモンゴル帝国の「負」の理由なんです。今こそユーロ・セントシズム(西欧中心主義)の思想、価値観、歴史を再検討する必要があると思うのです。


遊牧部族である「モンゴル」が、大帝国を作り上げることができた理由として、騎馬による武力、そして殺戮による恐怖支配といったイメージが出来上がっていますが、事実は違うようです。

本当の理由は、①(掠奪闘争⇒皆殺しより)覇権闘争⇒服属・支配であったことに加えて、②銀本位制・同一暦・地図などの社会統合制度を確立したことにあるようです。互いに顔の見えない社会を統合するには、統合指標(評価指標)となる観念の共認が不可欠です。帝国全域に渡って、民族を越えた観念(貨幣制度・暦・地図)の共認を確立したことが、モンゴルが大帝国を作り上げた本当の理由ではないでしょうか。
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モンゴル帝国旧都、カラコルムのエルデニ・ゾー寺院 モンゴルの若者と子供たち

【コメント】
モンゴルはそれほど戦っていないようで”戦わない軍隊”とは面白い視点でありました。また、拡大の核心は「仲間づくり」のうまさというところは、遊牧民であっても、デモンストレーション(示威運動)にたけ、頭を使って、社会統合のシステムを作った民族であるということには、驚きました。「われわれは最初7人だった。そして70人になった、そして1000人になった。一代にして1万の兵を持つようになった、その次には10万になった。そして大きな国ができた」と碑に記載があるらしいが、そこには、共認形成があったと想定されます。婚姻制度や生産様式、軍隊や政治の場面で、「選民思想」らしきものや「私権制度」のような臭いはするものの、騎馬民族は柔軟で、好奇心が強く、どんな文化も人材も民族も血も関係なく必要であれば取り込んでいき、生産様式も変え、民族としてもその土地に溶け込んでいったためにユーラシア大陸を統合した巨大国家を成立させたのだろうと思います。日本の古代氏族連合体時代の社会統合様式に似ているように思います。既存の秩序を悉く破壊しないで、利用し、うまく、人々を安定させ統合していったのだろうと思います。社会統合観念の必要を強く感じていたのかもしれませんね。

関連記事
1】るいネット実現論
2】馬と遊牧民~先端兵器としての馬~ (井上さんの記事)
3】交易・事業と表裏一体のモンゴル征服活動(井上さんの記事)
4】匈奴に見るモンゴル遊牧民の本源性(辻さんの記事)
5】騎馬民族は来たのか?③ 江上氏騎馬民族説のバックボーン ~遊牧民族・騎馬民族の文化的特性・民族的気質~(知られざる人類婚姻史と共同体社会)
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イラン高原の遊牧(左)とモンゴル高原の遊牧(右)

『東洋と西洋』シリーズ
●1】東洋人と西洋人との違いは「掠奪闘争による本源集団の破壊度」に規定される
●2】近代民主主義から見た西洋と日本
●3】「東洋と西洋」③~西欧と日本の階層意識の違い

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イラン高原の遊牧民の生活風景とラクダに乗った遊牧民
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「月の砂漠」の歌は、遊牧民の歌なのですね。

投稿者 2310 : 2009年11月10日 08:00  

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コメント

モンゴルには新しい発見がありますね。
騎馬民族のイメージをいつも裏切られます。
なぜモンゴルは、頭を使って、社会統合システムを築き上げることが出来たのか、不思議に思います。

思うに西洋の遊牧民との違いで考えると、
何より外圧状況が違うこと。
加えて、古くから交易が盛んだったから、支配・掠奪という手段ではなく、廻りを生かして取り込んでは拡大していく手法を見つけていったのかな~と思いました。


投稿者 nishipa : 2009年11月12日 21:12

モンゴルは“仲間つくりがうまかった”という話を聞いたことがあります。
モンゴル帝国が拡大したのもそれがベースになっていたのかもしれない。統合観念だけあっても嫌われていたら続かないですよね。
現代の覇権国(米・中?)は、統合観念(グローバリズム,自由)も自己中的だし、仲間作りよりも騙しがうまいから長続きしない感じですね。
次の仲間つくりは日本が先導したら面白いですね。

投稿者 Hiroshi : 2009年11月12日 22:44

水を差すようで申し訳ないのですが・・・

モンゴルについて気になる点として

なぜあれだけの巨大国家があっという間に終焉してしまったのか?約100年しか続かなかった大帝国モンゴル。
流行したペストが一因とも言われていますが、外圧状況によって離合集散する騎馬民族の社会統合の限界を示しているのかもしれません。あるいは国家形成やその基盤に歴史や民族というものが何某か関連しているようにも思います。

そういえばあれほど強い元に攻め入られても当時の日本は互角以上に戦ったとされており、実際にはほとんど一方的に近い形で元の兵力は敗退していったそうです。
モンゴルの消滅過程も併せて見ていくと何かわかるように思います。

投稿者 通りすがり : 2009年11月14日 12:33

ある意味で、強固な中央集権にいかなかったモンゴルと日本はともに、中国の周辺国家としての共通項があるのだと思います。麻生元首相が掲げた「自由の繁栄の弧」というのは、この騎馬民族的連帯をトルコにまでつなげようとする発想ですが、米中二極体制への移行という社会情勢にあって、戦略論としてはありかな、と思っています。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年11月21日 20:41

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