2009年11月14日

新テーマ「アイヌ民族は縄文人の末裔か?」

こんばんわ。縄文ー古代ブログでは最近、様々なテーマを設定してシリーズ投稿しています。
この11月より、新テーマとしてアイヌ民族について扱っていきたいと思います。約2ヶ月の長丁場の追求になりますが、よろしくお付き合い願います。
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写真は社団法人北海道ウタリ協会より借用しました

アイヌ民族は縄文人の末裔であるという説は長らく定説と言われながら現在でも諸説があり決着していない。最近ではDNA研究や人種、言語の研究では縄文人とは別系統の部族であり文化としては独自に成立したとされている説が有力になってきている。

アイヌ人は現在でも2万人以上北海道に在住しており、変容はしているとはいえまだ色濃く独自の神話体系や共同体様式を残存しており、縄文人との何らかのつながりがあるとしたら日本古代史の有力な有形文化財である。
アイヌ文化は徹底して文字を持たない文化であり全ては口承で伝えられてきた。同じく一万年の歴史を持つ縄文文化も最後まで文字を持たなかった。
また、アイヌ民族の集団は近世まで首長を擁した共同体としての形態が取られており、縄文時代の集団形態を踏襲していたと推論が立つ。また、自然界の様々な対象をを神とするアニミズム的宗教もアイヌ文化の特徴である。アイヌと縄文、類似点は非常に多い。

七千年前の三内丸山の時代から北海道の南端と東北地方は同様な文化圏を形成しており、その点からも東北地方と北海道の文化的関係や人的交流は決して少なくはないと思われる。
DNA的関連がないというだけでアイヌは縄文人と何ら関係のないまったく別の文化であると切り捨てる事には抵抗がある。

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アイヌ人は縄文人とは必ずどこかで繋がっているのではないか。
例えDNA上での接点がないとしても、縄文時代以降続いた続縄文、擦文時代を通じて長く続いた縄文的共認を塗り重ねて以降のアイヌ文化が成立している。・・・・と仮定してこのシリーズを始めていきたい。

今年の4月のなんで屋劇場で提起された言葉を引用したい。
人類は、DNAで決まるのではなく共認・観念内容で決まる。そういう意味では日本人は明らかに単一民族(みんな一緒)だ。」
~大陸からの様々な雑多な部族がやってきたにもかかわらず、縄文の仲間として受け入れられたことにより“民族的な”融合がなされて、日本人として“みんな一緒”という感覚を持つに至った。元々の侵略部族も仲間として受け入れられたことにより、邪心や警戒心を溶解させていった。

09年6月6日 縄文ブログ記事より

私たち日本人の中にも当然縄文的要素は残っているが、別の形で残された北方狩猟民族―アイヌ人の共認内容を見ていけば、私たちには失われている縄文人の共認内容に迫れるかもしれない。

奈良、平安時代と続いた朝廷の東征、これによって敗北した部族が北海道に渡り、アイヌ系部族と混血し縄文的要素を残していったのではないか?東北地方の蝦夷(エミシ)と北海道の蝦夷(エゾ)は民族的には同一と見てよいのか否か?一般的にはつながりがないとされる東北と北海道の民族史にも触れておきたい。

また、現在的にはアイヌ文化保護の時代に入り、その文化や遺産から我々は何を学び取るべきか?アイヌ民族から縄文的要素をどれだけ重ね合わせ取り出すことができるか?
そこにも一定の試みをしてみたいと思う。
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記事は以下の順番で投稿していきます。
1.北海道の歴史とアイヌの歴史(基礎データー編) 
既存のデーターを調べて、アイヌを追求する為に押さえておくべき基礎データーを抽出します。

2.「アイヌ論争」諸説の紹介
~アイヌは縄文人の末裔か?既に50年以上続いてきたこれらの論争の一部を紹介し、現状のアイヌ論争の争点を抽出します。

3.オホーツク文化と続縄文時代 
~アイヌの前史にあたるこれらの時代を詳細に見ておきます。
 アイヌに引き継がれたもの、そうでないものを明らかにできたらと思います。

4.東北地方と北海道の交流史 
三内丸山の時代から鎌倉時代まで北海道と東北地方との間にどのような文化的交流があったのか追求していきたいと思います。

ここからはアイヌ人自体の研究に入っていきます。―
5.アイヌを言語から分析する 
日本語とアイヌ語の接点はどこにあるか、ないか?諸説がありますが、ここで一定の当ブログでの答えを出したいと思います。

6.アイヌの婚姻を見ていく 
アイヌは狩猟民族ですが、基本的に定住民です。母系制なのか父系制なのか、またそれらは時代を追って変化してきたのか?その辺を史実を見ながら追求して行きます。

7.アイヌの信仰から縄文人との関係を考察する。
 アイヌの信仰は熊で有名ですが、他にも多くの神話を持っています。出雲神話と類似しているという説もあり、アイヌ人の信仰と縄文人の信仰を比較していきたいと思います。

8.アイヌは縄文人の末裔か?
 このシリーズのまとめです。最後どのような結論に至るか・・・お楽しみに。 m028 m028


投稿者 tano : 2009年11月14日 22:59  

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コメント

うろ覚えの情報で失礼しますが、
確か、明治時代でしたか、日本滞在記
みたいな書籍を出版された西洋の女性の
方の感想として、
{日本にはよい印象しかありませんが、特に
 目をひき印象に残ったのが、アイヌの方〃の
 澄んだ瞳と、西洋人のような端正な御顔立ち 
 だった}
とあったように記憶してます。

そう考えると、アイヌ人とは元々は、今のロシア方面から
南下されたのではと思いますがどうでしょう。

投稿者 スバール : 2009年11月15日 22:36

スバールさん、コメントありがとうございます。

アイヌ人の起源をこれから解明してきますが、今の仮説は
古モンゴロイドである縄文人に北方適応した新モンゴロイドがオホーツク文化の時代に混血してアイヌ人が形成されたものと思われます。
ただ混血したのは8世紀以降でそれまでの縄文時代の人種の長さからアイヌの心底には縄文的な要素が強く残存していると思われます。

スバールさんが仰るように間宮海峡を中心に混血部族は入ってきていますのでアイヌ=ロシア説は遠からずだと思います。

投稿者 tano : 2009年11月17日 19:20

アイヌは決してロシアからの南下人ではありません。
ムー大陸以前より昔、日本が天日根国と呼ばれて
おりましたころより以前より5色人の黄人(黄人と王人に分かれる)王人として、この全世界を導き、その上に立つ
指導的民として創られました。
昔この日本にいました本当の日本人です。
後の世になり、黄人(中国、韓国、モンゴル)の方々が
入り混血しまして、今の日本人がありますが、
それは神か人か判らない時代より
長い間、世界の人々の上に立ち
導いてきました尊き民族です。
ロシア人(青人)とはまったく違います。

投稿者 ス ヒ : 2010年08月20日 15:28

 クマソと言われた人びとが大和朝廷に滅ぼされ九州から琉球に本拠地を移しましたが民族としては関東以北の蝦夷やアイヌ、カムチャッカ半島まで居住していた民族と同一と考えています。
彼らの本質は正直で騙すことが出来ず計略に嵌りやすい性格でした。
日本列島北部から南進してきた民族で言語はアーリア系です。
縄文時代の住民であることは間違いなく、大和朝廷と激しく闘った民族故に悲しい歴史に包まれています。
樺太では南部に集中しておりカムチャッカ半島と千島列島では厳しい自然環境の為に人口密度はかなり低い状況でした。
ロシア政府による強制退去で今は北海道に僅かに居住しています。
元々は彼らの土地で彼らの国であったカムチャッカも千島列島も樺太も全てロシア人に巻き上げられた悲劇の民族です。
日本国内においても迫害と混血により可也減少してますが、誇り高き民俗であると認知しています。
栽培農業はしてましたが、主体は採集と狩猟であり、穀物栽培で人口密度が高く戦争が得意な民族ではなかったのが悲劇の原因で精神主義だけでは勝利できなかったようです。
部族間の戦争でも相手を屈服さすだけで征服や滅亡に追い込むことは無く他の野蛮な民族とは一線を画している感がします。
私の知人にも純粋なアイヌ人がいましたが、決して嘘を言わず抜群の頭脳を有してました。
容貌は完全に東洋人とは隔絶しており、アーリア人とも違った印象を受けました。
髪は黒かったのですが、たま~に眼が碧眼の人もいて奇異であるとともに女性の場合は魅力的でした。

投稿者 sivbikku : 2011年08月21日 18:58

 アイヌ人の生活と居住環境ですが、上川アイヌのように内陸適応した部族もいますが、主体は海洋民族で丸木船で外洋航海もこなし漁獲、狩猟と採集で食料を確保してましたが。
川沿いに内陸部進出、拡大し主な部落は河川周辺と湖の畔や貝類が豊富な海沿いにありました。
食料が豊富な季節に貯蔵する技術も卓越しており案外食べ物には困っていなかったかと考えています。
米作に適した照葉樹林帯では狩猟する獲物の密度も低く南進した九州では適合することが出来たと思っています。
従って西日本ではアイヌ人の人口密度がかなり低く揚子江流域から米の文化を持ち移住してきた人びととの確執は無かったか、少なかったと考えます。
少数派が人口で先住民を超える可能性は充分考えられ北九州から関東まで縄文人を構成したと仮定しても不自然ではないと思います。
しかしながら第3の縄文人がいるとすればどんな民族なのか古代にロマンを抱きます。

投稿者 sivbikku : 2011年08月21日 21:34

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