2009年12月14日

「稲作伝播は私権社会の引き金か?」2~縄文人と農耕技術

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 シリーズ1「寒冷化適応により生み出された農業」で、農業を受け入れた外圧状況がよくわかりましたね。
 今回は日本における過渡期・縄文時代後期~弥生にかけての外圧状況についての投稿「縄文人と農耕技術」を紹介したいと思います。

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 縄文時代には後期始めより畑稲作による食料獲得方法の手段が一般化してきており、それは寒冷期に突入した時代にあってそれまでの縄文人の網羅型(自然共生型)食料体系の一翼を担ったものにすぎない。  縄文人の食文化は採取、狩猟、漁猟といった、自然資源を最大限、能動的に獲得する技術をもっており、それは栗林の管理やひょうたんやりょうとくの栽培植物を持つといった営みをすでに縄文前期から獲得していた。

 この現象からも見て取れるように畑稲作といった農業は「積極的に取り入れるべきもの」ではなかったということですね。

つまり、畑稲作はほかの植物性食料の獲得方法を駆逐して、みずからを選択的かつ集中的な食料獲得の手段に高めていったのではなく、旧来の食料獲得システムに新しい一つの方法を付け加えたにすぎない。  いうならば、植物性食料体系の幅を拡大したのであった。そういった意味ではけっして網羅的食料体系を破壊するものではなく、むしろそれを強化する役割を担った。”

 では、なぜ強化したのかというと・・・

おそらく、気候の冷涼化が大きく作用したのではないか。縄文前期と後期とでは約4度ほど平均気温が違う。それにより前期では充分に採れた木の実やそれを食料とした動物が激減し、さらに前期~中期にかけて増加した人口(約3倍)と相まって、それまでの安定調和的な共存関係の持続が困難になり、新しい植物資源の補充が渇望された。そうした条件が稲作受容の大きな要因となった。

 縄文人も例外無く寒冷化による外圧変化に対する適応が第一課題としてあったのでしょうね。

後期、畑稲作が始まった後も平行して網羅的食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかった。  それは、畑稲作は既存の共同体組織で充分に対応できたと思われるし、余剰を生み出さないイデオロギーが残存し、自然を大きく破壊しない、サイクルを変動させないタブーが存在したとさえ想定できる。 後期に登場した呪術の技術はそれ(自然との関係の破壊)を戒めるために使われたとも考えられ、そのことにより、縄文時代の農耕は伝統的な獲得経済の一部を構成したにとどまり、けっして支配的な食料獲得様式にはならなかった。

 ここでの見解には疑問を感じる部分もあります。
①「稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかった。」
→縄文時代後期にそういった私権社会が起こらなかったのは周知のことと思いますが、他文明においても、農業の発達が階層社会の成立や戦争の開始の引き金となったという事実はあるか?

②「余剰を生み出さないイデオロギーが残存し、自然を大きく破壊しない、サイクルを変動させないタブーが存在したとさえ想定できる。」
→このイデオロギーが発生するには、そもそも自然外圧をある一定以上克服した状態が必要不可欠のように考えられる。
 寒冷期への突入という、生産様式の変化を余儀無くされる程に厳しい外圧状況の中、果たしてこのようなイデオロギーが縄文人に発生する余地は無かったのでは?

③後期に登場した呪術の技術はそれ(自然との関係の破壊)を戒めるために使われたとも考えられ、そのことにより、縄文時代の農耕は伝統的な獲得経済の一部を構成したにとどまり、けっして支配的な食料獲得様式にはならなかった。
→呪術に対する見解は諸説あるが、当時の厳しい外圧状況を考えると、「自然との関係の破壊を戒める」といった発想が湧く余地があったかは疑問が残る。(どちらかというと制覇種よりの思想かな?)。

 まだまだ追求できていないことも多くありますが、当時の自然外圧・縄文人の意識にも同化して未明部分含めて解明していきたいと思います Very Happy

投稿者 dai1028 : 2009年12月14日 22:13  

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コメント

稲作を初めとした農耕生産の起源を知りたくなりますね。どのようにして、生産様式として定着したか。

確か、約5000年前くらいの略奪闘争が勃発=戦争が始まった以前に、農耕という生産様式はあった記憶があります。よって、農耕を開始した人々は、外圧状況によって、農耕生産という様式を生み出したのかな?と直感的には考えてます。

投稿者 さーね : 2009年12月17日 21:13

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