2010年01月01日
江戸時代に学ぶ
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(【夜明け前】画像はこちらよりお借りしました)
あけましておめでとうございます。
今年も当ブログでは、古代史を遡り、そこから今後の社会の導きとなるヒントを得られるように追及してゆきたいと思います。
さて、現代の日本、そして先進国世界における市場社会の行き詰まりは誰の目にも明らかですね。それに加えて特にこの数年は、官僚を始めとする特権階級の暴走によって、社会秩序が根底から無くなってゆくのではないかという不安を感じざるを得ない状況です。
そのような中で、日本では過去、特に江戸時代に目を向けてみようという動きがあるようです。これまでるいネットや、当ブログ「縄文と古代文明を探求しよう」でも、江戸を取り上げた記事がいくつか載っています。
これからの新しい社会の在り方を追求してゆく上でも、新年のこの機会に「江戸時代に学ぶ」いくつかの紹介記事を参考に、今後の社会の参考とすべき点を抽出してみようと思います。
この一年を、皆さんと一緒に新しい社会に向けての夜明けとしたいですね。
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■江戸時代の社会体制
(「江戸時代をどうみるか?」より)
(画像はこちらより拝借)
『市場主義の行き詰まりに日本人は江戸を想う』にあるとおり、日本人は江戸時代に可能性を見出している。これは、この記事を書いた外人記者の論調のような懐古的思考とは大きく異なる。明らかに、本源性に基づいた充足可能性が経済的充足を超えるという実感から来ている。
このように感じながら、江戸も含めた日本の社会構造の何が、充足をもたらしたのかを調べていくうちに、この外人記者と同じ思考法で分析された日本史が極めて多いことに気がついた。その思考法とは、西洋の歴史観をそのまま日本に当てはめたものである。これは、進歩的知識人といわれる戦後の研究者に共通のものなのだろう。
彼らは、古い封建的な支配に、自由と平等を手に入れる闘争を自ら起こして勝利したから、輝かしい西洋近代社会が出来上がった。それに比べて日本は遅れており、明治になってやっと近代国家への道を歩み始めたのだ、と。だから、江戸も含めた過去は悪であり、そこに帰るという発想は文明の後退でしかない、という観念である。
これは、単に万人が私権闘争に収束する市場社会の正当化でしかない。この様な視点を日本史に無理やり当てはめると、江戸時代は西洋私権社会と同様に幕府の理不尽な支配で、農民は徹底的に搾取されるだけの奴隷のような生活をしていた、ということになる。
このような例として、土地所有の分析がある。江戸時代の土地は現在的な意味での私有はなく、共有に近かった。ただ、年貢を納める代表としての名義は登録されていた。これをもって、西洋と同じ土地私有とみなし、社会体制を分析している文献が極めて多い。
(画像はこちらより拝借)これを前提にするから、社会関係はどのレベルにおいても支配者と被支配者だけとなり、昭和初期まで現存した村落共同体という体制は説明できなくなる。また、現実のこの共同体のおかげで、役割などの充足は十分過ぎるほどあったことも説明出来なくなる。
このように、多くの日本の社会体制分析がかたよったままだ。ここで、分析軸として忘れてはならないのが、大陸から来た支配層も、土着の共同体をうまく組み込まなければ安定支配は不可能だったことだ。
そうであるがゆえに、村落共同体を組み込んだ支配体制という、支配層と下層の共同体体制の二重構造になっていることだ。また、私権社会である中国から輸入した律令制度などの支配制度も、形は良く似ているが、実態の機能は先の二重構造から日本独自のものになっている。
この様な視点で江戸を見ていくといろんなものが見えてくる。例えば、江戸や城下町という都市間では、市場経済が発達していった。しかし、その後背地である村落共同体は、経済的には、米本位制度の中で自給自足に近く、共認充足が生きる糧であった。
この二つのバランスの中で、市場経済は高度になりながらも、現在の様な自分の消費行動が誰の制限も受けないという、異常な社会になることを抑制できていたのではないかと思う。
(画像はこちらより拝借)
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特筆すべきは、
支配体制の中にも共同体が残っていたこと。
人々の充足は、その共同体の中に(そこでの役割に)あったこと。
いずれの行動も共同体の中で、身勝手な行動は許されないという圧力が働いていたこと。(これは大きくは直接村落共同体を支配する藩を含めて言えるのではないか)
ではないでしょうか。
要するに、江戸回帰とはいってもただ単に過去に戻るのではありません。
江戸時代に何かの可能性を感じるとしたら何に、どうしてそう感じたのか、その構造をきちんと分析し、これからの社会に必要なものがあるとすればそれをどう取り入れるべきかをきちんと検討すべきだと思います。
少なくとも、いくつか投稿されている江戸関連投稿には、その参考となる事象が見て取れます。
それらを踏まえて、今後の検討につなげて行きたいと思います。
今年も宜しくお願いします。
以下参考投稿
【江戸時代の社会体制】
「廃県置藩」のすすめ~中央集権vs江戸的システム~
【江戸時代の生活・環境】
江戸時代のリサイクル業者
【江戸時代の教育システム】
江戸の教育~男は男の道を学び、女は女の道を学ぶ場
投稿者 saah : 2010年01月01日 09:00 Tweet
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コメント
あけましておめでとうございます。
江戸時代って農業生産を相当に高度化して、さらにかなり市場化を進めながらも、需給はほぼ国内で行っていた。
なにか西洋の略奪による市場拡大・近代化と対極にあるような感じがしています。
日本人の縄文的な体質がその元にありそうな気がします。
もっともっと解明を進めて盛り上げて行きたいですね、
本年もよろしくお願いしま~す。
投稿者 Hiroshi : 2010年01月03日 20:44
江戸時代は市場社会が形成されていく過程です。
西欧では市場化と併せて都市市民(やその背後の金貸し)が弱体化した国家を転覆させるという革命が何度となく繰り返されますが、江戸時代にはそういう革命は皆無でした。
市場社会の形成と歩を併せて儒教的な戒めの規範が浸透していったのが江戸の社会だったと思います。
面白い事に市場化が進み人々の意識が金だけになっていくことを賢人達はそれを先んじて戒めていきました。
士農工商という身分序列もそうですし、商人なども利益だけを求めると幕府からたちまち圧力が加わります。また、学問についても幕府は奨励はしていましたが、学問が出世や立身に繋がる事を戒めていました。試験制度などもその為最後まで登用せず、あくまで学問は人格を作るものとして通していたようです。
もちろん封建社会という秩序を維持し、武士が既得権を手放さなかったという側面はありますが、江戸時代を見ていく上で秩序を守りながら、社会の活力を上げていく事に注力していた為政者の発想は物事を裏表でじっくりと捉えるまさに賢人の発想そのものではないかと思います。
江戸の研究、2010年ももっとやっていきましょう!
投稿者 tano : 2010年01月04日 12:55
Horoshiさん、新年早速コメントありがとうございます。
江戸時代の「鎖国」という言葉から想像するイメージは、後に西洋から植えつけられた、閉ざされ遅れているというイメージですが、むしろすべてが自給自足でまかなっていたと考えるとぜんぜん印象が違いますね。
それでも経済が発展し、活気があったのはなぜなのか、そこはしっかりと追求していきたいですね。
投稿者 saah : 2010年01月04日 20:45
tanoさん、こんばんは。
江戸時代のいくつかの改革は、世の中の秩序が崩れかかり、利益のみ優先になりかけると必ず手綱を締めなおす為に起こり、自浄機能が働いていましたね。
現代において再び自浄機能を作動させるにはどうしたらよいか、とことん追求していきたいと思います。
投稿者 saah : 2010年01月04日 20:47
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