2010年01月12日
「稲作伝播は私権社会の引き金か?」5~自然観ではなく集団共認破壊が原因
このテーマも中盤に差し掛かりました
前回は、私権社会への引き金は、人々の意識が集団から個へ解体された辺りが原因であるという分析でした。生産様式自体が引き金ではなく、それを使う人々の意識ではないかということです。
⇒農耕生産は私権闘争には直結しない
今回は、なんでそんな意識構造になったか?るいネットの自然観ではなく集団共認破壊が原因を通して考えてみたいと思います

byさーね
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自然観ではなく集団共認破壊が原因から抜粋していきながら、考えてみたいと思います。
採集・狩猟生産=自然の恵み、農耕=自然の改変・支配、という考え方がそもそもおかしいのではないでしょうか。後世の学者がそのような価値観念を当てはめただけで、当事者としてはあくまで外圧に適応すべく、事実観念を駆使し自然界に働きかけているだけだったろうと思われます。農耕の本質を人工栽培とするなら採集・狩猟(縄文)時代にも存在していますし、何がしかの自然の改変も伴うことになります。事実認識の蓄積に応じて、より効率的な生産方法や道具類を発明していった結果と考えられます。日本の縄文時代では栽培だけでなく、貝の養殖まで行われています。争いがない縄文時代において農耕があるわけですから、既にそれが証明しているでしょう。
このような事実認識の蓄積による生産様式や道具類の発明も、自然圧力だけに帰することはできず(前提となる外圧を形成しますが)、むしろ人類は同類圧力=共認圧力を主活力源として進化してきました。ですから自然観が対人観を生んだとの説も怪しくなります。そもそも精霊信仰は、同類との間で成立する期待・応望の共認機能を自然に対して作動させて発見したものであり、さまざまな自然の摂理に関する事実観念も、本能や共認回路を充足させるために進化してきました。外敵・自然圧力をほぼ克服して、人口増による同類(縄張り)闘争圧力が最先端の課題になって以降も、共認圧力を主活力源としてきたことに変わりありません。この精霊信仰という観念が、様々な自然の法則を導き出し、自然の中で営む農耕生産の基礎となっていたはずです。これも、人類の唯一の武器=共認回路を使わなければ決してできなかった。それくらい、共認第一であり、集団第一であったわけです。
(⇒精霊信仰)
採集・狩猟生産時代、人口増による同類闘争圧力に遭遇した人類は、まずは分散・移住することで闘争を回避し、更なる人口増により縄張りを接するようになっても縄張りを侵犯することなく友好関係を維持します。これ以上の人口増に対応するには生産力を上昇させるしか方法はなく、この共認圧力に先導されて栽培技術も発見された。農耕も牧畜も遊牧も、このような潜在的な同類闘争圧力に促されて発明されたと見て間違いないと思われます。農耕発祥当時、生存できる状況とはいえ依然として外圧は高く、人口が増えていく中で、種の保存を実現すべく積み重ねられてきた生産様式であると考えた方がピッタリきます。ここまでの論考でわかると思います。「支配する」「改変する」などちっとも思わなかったでしょう。
従って、同類闘争圧力の止揚の仕方も、採集・狩猟部族が集団共認原理を他集団にも適用して友好関係を維持したように、集団統合共認の有り様が規定しており、闘争回避=友好関係から、闘争顕在化へと一転する鍵を握っているのは、集団統合共認の有り様の変化、または集団統合共認の破壊を契機にしていると想定されます。集団共認を破壊するのは、サル以来形成された性闘争→自我の顕在化しか考えられません。ここが重要な認識です。集団第一の人々が「個」の意識に解体された原因は、集団統合共認が破壊された⇒集団の人々の自我が顕在化したということ。それまで、集団の皆の期待に応え、精霊信仰をもって着実に生産様式を進化させてきた人々の意識が大転換したということです。
それには、それまでとは別の同類圧力なり、観念なりが必要になりそうですね。
次回をお楽しみに♪
投稿者 sawatan : 2010年01月12日 19:00 Tweet
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コメント
農業の発祥時期はわかるのですが、農業技術の発展過程で集約農業が起きた時に争いは勃発したのだと思います。
メソポタミアしかり、日本の北九州しかり、
そこには水の利権やより栽培に適した土地を争って戦いが発生します。
つまりこんな図式になるのではないでしょうか?
狩猟・採取生産
↓
人口増
↓
農業、牧畜の発祥
↓
人口増
↓
集約農業の開発・農業技術の進歩
↓
(土地と水が死活問題)
↓
争いの勃発
西洋では争いが玉突きになって負けた方は皆殺し、勝者はそのまま国家まで発展した。
一方、争いを止揚する為に日本では巨大な古墳が作られた。
そう考えることもできると思います。
集団統合のあり方も
西洋では国王を中心とした中央集権型に
日本では土地毎のクニの首長が集まり持ちまわる連合型に
いずれにしても階級が作られ、庶民はその下に組み込まれていきます。
>闘争回避=友好関係から、闘争顕在化へと一転する鍵を握っているのは、集団統合共認の有り様の変化、または集団統合共認の破壊を契機にしていると想定されます。集団共認を破壊するのは、サル以来形成された性闘争→自我の顕在化しか考えられません。
重要なのですが、この部分がよくわかりません。わかりやすい解説を御願いします。
投稿者 大阪の歴史ファン : 2010年01月13日 12:40
人口が増えたから農業・牧畜を覚えたのではないはずです。
縄文時代は、基本的に人口は増えていない。それでも、稲作をしていた。
縄文時代を「労働」というパラダイムで考えられるのでしょうか。
そこのところで、根本的な疑問があります。
人間の歴史をそんなパラダイムで語るのはいい加減やめてくれよ、と思います。
「労働」でなければ、「遊び」で始めたのでしょう。
人口増加に対応するためなら、縄文人だって川べりの広い平地に出て行って、もっと本格的にやっているはずです。
しかし、縄文時代の稲作跡なんか、「遊び」でやったとしか思えないようなかわいらしいものばかりです。
種を植えて芽が出てくるのが面白かったからとか、野生のそれを食ったらうまかったから栽培してみたとか、これを神のお供えにしようとか、そんなような動機で稲作りをはじめたとしか思えません。
稲の作り方を知っていたから稲を作り始めたのであって、人口が増えたからだなんて、論理的にありえない。人口が増えれば、稲のつくり方を知らない人間でも稲を作ることができるのですか。人間なんか、ひと月も食わないでいたら、みんな死んでしまうのですよ。人口が増えてからつくっていたのでは、手遅れなのです。
最初の弥生人は、農耕栽培を知っていたから農耕栽培を始めたのであり、そうやって定住していった結果として人口が爆発的に増えた。そして人口が増えたから、大がかりな集約農業も生まれてきた。
人口が増えたから大規模な集落が生まれたのではない。農耕栽培ができるような平地に人が集まってきて、大規模な集落になっていったのだと思います。
べつに人口なんか増えなくても、人が集まってくれば大規模な集落になる。
人口が増えてからでは、手遅れなのです。
投稿者 J : 2010年01月13日 15:06
大阪の歴史ファンさん
コメントありがとうございます。
>農業の発祥時期はわかるのですが、農業技術の発展過程で集約農業が起きた時に争いは勃発したのだと思います。メソポタミアしかり、日本の北九州しかり、そこには水の利権やより栽培に適した土地を争って戦いが発生します。
人口増による生産様式の変遷の中で、生産様式が起因となって争いが起きるという仮説は成立しないのではないでしょうか?利権や土地にしても、占有,私有という意識が人々になければ成立しません。少なくともこの意識がない時代は、各集団が共同体という占有や私有意識などない統合様式で皆が集団第一で生活していたはずです。人口増の場合も、まずは闘争回避だと推測されます。
メソポタミアは、それ以前に寒冷化→イラン高原の遊牧部族発で略奪闘争が発生し、争う=占有,私有が始まった。弥生時代は、渡来人により階級社会=私権社会が始まり、序列社会が始まった。争いは、決して生産様式が起点ではなく、社会の統合様式が私権をめぐって争う社会になってしまったことが原因であり、その私権の成果物として、利権や土地が対象となったのだと思います。
>重要なのですが、この部分がよくわかりません。わかりやすい解説を御願いします。
上記のような私権をめぐって争う意識は、我々自身も自覚できると思いますが、「自我」というもので形成されます。極端に言えば、他人を敵とみなす意識です。これが、人類に進化する前のサル時代に形成されたのですが、集団第一の意識の中では、この自我が発現してしまえば、集団が統合できない=みな、私権を争う方向に向いてしまう。このような危険性をもっています。
今回の私たちが取り組んでいるテーマは、私権社会の引き金は何か?ですが、人々のこのような自我=私権意識の発現が起点となり、それを強引に力=序列(身分制)で押さえつける社会に至ったのではないか?と大きく考えています。
投稿者 さーね : 2010年01月14日 20:17
Jさん
コメントありがとうございます。
>人口が増えたから農業・牧畜を覚えたのではないはずです。
これは同感です。人口増で始めたのではないと思います。同じように、人口が増えてからでは遅い。人口増で食料の確保が困難になれば、例えば、他のエリアへ食料を探しに行く等、その段階で持っている生産様式に賭けると思います。
>「労働」でなければ、「遊び」で始めたのでしょう。
これに関しては、同意しかねます。なぜなら、「遊び」ができるほど縄文人に余裕はなかったからです。
>種を植えて芽が出てくるのが面白かったからとか、野生のそれを食ったらうまかったから栽培してみたとか、これを神のお供えにしようとか、そんなような動機で稲作りをはじめたとしか思えません。
僕自身は、彼ら縄文人は常に自然外圧と対峙し、食料を確保に努力してきたのだと考えています。ですので、遊びではなく自然に同化し、常に観察し続け、様々な試行錯誤をしてきたということが事実ではないでしょうか?(僕らはこれを精霊信仰と呼んでいます。宗教ではなく、彼らは自然の背後に精霊を見出し、それを逃げずに受入れたからこそ、自然外圧を突破できた)
それを証明するように、縄文晩期では気候が寒冷化し人口も激減しています。さらに縄文草創期で考えれば、もっと過酷な状況であったに違いありません。
この辺は、Jさんも理解しておられるかもしれませんが、縄文時代は、あたかも豊かに語られるところがありますので、補足させていただきました。
>人口が増えたから大規模な集落が生まれたのではない。農耕栽培ができるような平地に人が集まってきて、大規模な集落になっていったのだと思います。
恐らく、この過程は自然であると思います。付け加えて、さらに大規模化した要因として、私たちは富=私権を巡り争う私権社会が、農業生産のさらなる大規模化へと向かわせたと考えています。古代の様々な征服王朝にとっての富=税を徴収するために、農産物が対象となったという事実があるからです。
投稿者 さーね : 2010年01月14日 20:43
農耕社会であっても、私権意識は高まっていくものと思います。
ただし、それがどれだけ高度化するかにもよるだろうと思うのです。
初期の段階ではまだ人々は助け合わないといけません。
防災でも農作業でも何でもです。
しかし、自然環境の悪化で生産性を上げないといけないと
農機具や品種の改良が必要になります。
村長一人だけでなく、左官、大工など専門知識、技術を持つ人がもっと沢山いるようになるのです。
そこでコンサルタント料や技術料が発生します。
専門職が増えるにつれて、私権が増えていきます。
また、大規模な天災が農業共同体を巨大化させていったと思います。
避難民は恐らく逃亡先で小作人になるしかなかったのではないかと思います。私権がまた増える訳です。ムラとムラの戦争で負ける場合も同様です。
ただ、いかに巨大な天災でも、これだけだといかに
広域防災首長会議が行われても、郡レベルのまとまりしかない事になる。
これで仮に各首長が専門的な大臣になっても、まだこのクニは大和朝廷より狭い。
まとめるのに馬が必要な国レベルのまとまりは?
鉄器生産、製陶、織機、金属加工、土木を馬が必要なほど遠く離れた農耕共同体に伝えたのは誰か?農民ではない。
この段階で掠奪騎馬民族なのかと思います。
この騎馬民族は支配私権にプラスして商業的私権も持つだろうと思います(イスラム教徒は支配者であるだけでなく、商人でもあった)。
投稿者 パルタ : 2010年12月26日 19:10
>西洋では争いが玉突きになって負けた方は皆殺し、勝者はその>まま国家まで発展した。
皆殺しには西洋に限りませんが、3パターンある思います。
①皆殺しのケース:遊牧民が都市を占領する
②ポリス同士
③開発独裁初期(植民地主義)
ポリス同士で見られた皆殺しですが、ローマはカルタゴに対しては殲滅、
エジプト、シリア、マケドニアには服属を重視したと思います。
対応が全く違う訳です。ペルシャ、マケドニア、ローマ、
ビザンツ帝国型支配とポリス型支配は違うと思います。
次に開発独裁の殲滅ですが、快適な生活邪魔だから
そこの動植物と住民を殺すという人間中心主義が
基調にあると思います。
>メソポタミアは、それ以前に寒冷化→イラン高原の遊牧部族発>で略奪闘争が発生し、争う=占有,私有が始まった。弥生時代>は、渡来人により階級社会=私権社会が始まり、序列社会が始>まった。争いは、決して生産様式が起点ではなく、社会の統合>様式が私権をめぐって争う社会になってしまったことが原因で>あり、その私権の成果物として、利権や土地が対象となったの>だと思います。
現在の土地争いでも、やはり現実の水利権などが問題となって引き起こされていると考えます。
投稿者 パルタ : 2010年12月26日 20:27
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