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2010年01月30日

「私権文明を問い直す」 シリーズ 2 パンドラの箱を開けた人類

「私権文明を問い直す」 シリーズ 1で、
【規範破り=集団破壊こそが潜在的な究極の目的=快感
この「邪心」が、掠奪集団と掠奪闘争を発生させ、掠奪闘争は農業地域にまで広がって、武力支配による国家=「文明」に到りますが、以降、その系譜は現在まで繋がっています。】
と述べられています。シリーズ 2では、現代文明(私権社会文明)はどの様な過程を経て形成されたかそして今感じている現代文明の異常さ?の原因を考えて見たいと思います。「禍いをもたらすために触れてはいけないパンドラの箱」を開けた人類は、性闘争から動物社会では類を見ない、略奪闘争を経て現代文明が成立した。そして歴史を影で動かす女の菩薩と悪魔となる必然的理由は、・・・・
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人類が五〇〇万年に亙って封印してきたパンドラの箱を開け、性的自我から性闘争を顕現させた遊牧派生の不倫→駆け落ち集団=邪心集団は、全集団間に警戒圧力を生み出し、遂に五五〇〇年前の乾燥期、彼らによってまずイラン高原(メソポタミアとインドの間の大高原)で、人類最初の同類闘争=掠奪闘争の幕が切って落とされ、次いで中央アジア高原に連なる遊牧部族の帯を介して、モンゴル高原(北方アジアの大草原)に伝播していった。

 

掠奪闘争は、部族から部族へと玉突き的に拡がり、勝ち抜き戦を通じて、次第により強大な武装集団の下に統合されてゆく。こうして、数百年に及ぶ掠奪闘争の結果、ほぼ全ての本源集団が破壊されて終った。元々、モグラの性闘争とサルの同類闘争は、性闘争=縄張り闘争の本能上でつながっていたが、性闘争の禁を破った人類も、本源集団を破壊し本源共認を解体してしまったことによって、いったんモグラ→サルと同じ本能レベルに後退し、性闘争を皮切りに同類闘争=掠奪闘争を繰り広げた事になる。

 

しかし、人類の同類闘争は、サルのそれとは全く異なる位相へと、人類を導いてゆく。サルは表情や身振りによって共認しているので、互いが見える集団内部でしか共認を形成することができない。それに対して、人類は観念共認によって集団を超えた共認を形成することが出来る。人類はバラバラにされた個体の私権闘争(その根源は性闘争)を、私権の共認に基づく私権の強制圧力によって統合し、観念共認による超肥大集団=私権統合国家を形成した。その点が、モグラやサルと違う点である。だが滅亡の危機を前にした今、それが人類の進むべき正しい道であったかどうかは、改めて根底から問い直されなければならないだろう。とりわけ、開けてはならないパンドラの箱を開けて性闘争を顕現させ、本源集団を破壊した性的自我については、充分に解明し総括しておく必要がある。

存在理由欠損を原点とする女の共認回路は、外圧が強く従って集団収束力が強い時には依存収束を強め、首雄や仲間の期待(=集団の役割規範)に応望収束して、集団の期待=役割に応えるイイ女を作り出す。女の性機能は、真猿以来その様にして形成されてきたものであり、またこの応望収束の強さこそが、順応性や肯定性という、男には無い女の秀れた資質を生み出してきた。要するに、この様に役割規範に応望収束すれば、女は菩薩となる。しかし、同じ女が集団否定に自我収束すれば悪魔となる。外圧→集団収束力が低下すると規範収束が弱まり、自我収束が強くなってゆく。そして、何かの契機で性的存在理由が充足されなくなると、性的存在理由欠乏の全てが自我に収束し、性的自我の塊と化して規範破りの私的な男女関係を構築し、集団を破壊してゆく。集団圧力や闘争圧力や規範圧力に対する反or 破をエネルギー源とするこの性的自我こそ、私権時代に固有の女の魔性の正体であり、それは(単に一人の男を破滅させるだけではなく)集団や部族や国家を破滅に導く、滅亡の元凶ともなる。

確かに現代文明の本質は、4大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)と全く同じである。しかし、その私権文明から遠く離れ影響が少なかった辺境の文明が、人類500万年の本源性を残している可能性を強く感じる。

投稿者 ryou : 2010年01月30日 List  

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コメント

こんにちは
この時代の国内外の状況を考えれば
鎖国は、理にかなっていると思いました。
ただ不思議なのは、こちらから一方的に鎖国が成立したという事です。
地理的条件はあるでしょうが、それ以外にも何かあったのか…
これは以前からとっても不思議なんですよ☆

投稿者 milktea : 2010年4月15日 06:30

鎖国によって封建社会が続いたとか、近代化が遅れたと言う事は日本にとって悪い事では無いようです。むしろ「日本は鎖国が出来て幸せだった」と、お聞きした事が有ります。世界中には無理やりこじ開けられて、隷属された国も多いものです。

投稿者 hangui : 2010年4月15日 11:01

milkteaさん、hanguiさん、コメントありがとうございます。
生命体における細胞同士の関係をみてもいえることですが、くっつきすぎず、はなれすぎず、というのが連係する上で絶対重要なことで、江戸の凄さは、ポルトガルを排除した上で、諜報システムとしてオランダを取り込んだというところにあるのではないか、と思っています。そのような戦略的外交が出来たのは、江戸幕府恐るべしであって、正直、明治政府以降は戦略外交という点では失敗しているんじゃないでしょうか。
そこで、鎖国したかった理由以上に、鎖国が可能だった理由が必要になるのですが、
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=197409
のような回答もありますが、今ひとつすっきりしない部分もあります。
素直に考えると、その後、欧州の主力は、ポルトガル、スペインからフランス、イギリスへと移っていくわけで、丁度、その過渡期にあって、ラッキーだった、という見方もできるかもしれません。そのあたりは開国への動きを引き続き検討して行きますので、お楽しみに。

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年4月15日 12:00

>●江戸幕府のとった「鎖国」の目的とはなんだったのか?
>「鎖国」令
などの表現は江戸幕府が鎖国という言葉使っていたような印象を受けます。当然、江戸幕府は正しいと思った政策を実行しているわけでその外交政策に「鎖国」などという卑しめた言葉使うわけがありません。「鎖国」という言葉は、江戸時代の蘭学者である志筑忠雄が享和元年(1801年)につくった新造語であり、最近の歴史学では
東アジア史を視野に入れて「海禁政策」という用語を使う傾向があります。

投稿者 玉川陽平 : 2010年4月15日 18:32

日本が鎖国することでメリットのあったのは、(日本以外に)どこの国か?
まず、オランダですな。
次に、イベリア半島の勢いを抑えて助かったところは、英国とか、イタリアなんかも…
ハプスブルグ王朝やら、アメリカ新大陸やら、インド、アフリカも関係してくるし、中国や朝鮮半島、東南アジア方面にとってのメリットももちろん検証する必要のありますし。
ニッポンの鎖国は、世界史の大事件だったのじゃ~! 
ニッポンの鎖国で、世界の歴史が一つになったのじゃ~(と言っても、言いすぎではないかもネ)

投稿者 タツ : 2010年4月15日 20:20

「てんやわんやライフ日本鎖国事情」で調べると本当の鎖国、長崎出島検疫居留地の開港のいきさつが書いてあります。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月17日 10:52

玉川さんはじめまして。鎖国ということばよりも海禁ということばを使う傾向が学会で強いことは確かですが、私は「鎖国」ってそんなに悪い言葉なのか?って思っています。なんか差別用語なみの扱いですよね。むしろ市場原理主義が横行している現在だからこそ「鎖国」という言葉を積極的に使ってはどうかと思います。
鎖国経済モデルから協働的グローバル経済へ
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=201292
上記の多田さんのご意見に賛同するものです。

投稿者 怒るでしかい~ : 2010年4月17日 20:00

タツさんこんばんは。
>ニッポンの鎖国で、世界の歴史が一つになったのじゃ~
逆説的ながらいいえて妙ですね。日本がポルトガルスペインを排除してオランダとつながったことで、南欧式の略奪型外交から、オランダ風のより狡猾な手法が主流になっていった、それによって、グローバリストが鍛えられていったというところはあるのではないでしょうか?また江戸時代は、江戸はアジアの図書館になったといわれています。東アジア経済圏構想の比較的健全なモデルが江戸にはあると思います。

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年4月17日 20:13

椿様、コメントありがとうございます。
「てんやわんや・・」みさせて頂きました。キリシタン宣教師の裏の顔は、阿片の密売人だったということなのでしょうか?そりゃー秀吉でなくても怒るでしょうね。ま、タミフルをせっせと買っている今の厚生省の役人たちは、当時の侍たちの爪の垢でもせんじてのませんとだめですね。

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年4月17日 20:39

密売ではありません。施薬院という日本の当時の厚生省は厳禁でしたが欧州では阿片はアヘンチンキとかアヘン含有剤は合法でした。
 特にパードレの中に医療宣教師という医療を行う者がおり医師でもない者が医療行為をおこなうことにかなりの抵抗があったと思われます。消毒薬のない時代外国船からの伝染病(邪気という)の脅威は抵抗力のない子供をかなり死に至らしめたと思います。秀吉の子鶴松、側近の侍医施薬院全宗の2人の子も時を同じく死んでおります。
 早急な検疫所の建設が求められ結果出島なったと思われます。
年55貫目のお家賃に応じたのはオランダあたりに本部をおく東インド株式会社でした。出張所、支店ですね。他の国は定期的にお家賃を
払うことができず撤退したのです。今でも昔も密入国は厳罰、ましてやアヘン持ち込みは死罪でした。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月18日 12:15

1652年イングランドとネーデルランド(オランダ)は貿易の覇権を巡り戦争を始める。1665年戦禍で荒れたロンドンに疫病が流行る。何者かによるロンドン市中への放火はロンドンを廃墟と化し戦いも終演を遂げました。
 その疫病を出島は完全に防いだのでした。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月18日 23:57

何かコメント下さい。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月20日 21:41

失礼します。
知っておられるかもしれませんが
50万にも及ぶ日本女性が奴隷として海外へ売られた事も
起因していた様ですが・・・

投稿者 FUJICO : 2010年4月21日 09:48

秀吉、徳川の現代で言えば厚生労働省のとった対策が長崎出島の開港でした。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月21日 16:30

 出島の扇形は易の陰陽学からとり、陽は貿易の振興を願う末広、陰は邪法(アヘンによる治療法)、邪気(伝染病)を防ぐ防疫。
 その坪数3924坪船着き場45坪は三千世界二十四節気九星人の世の吉凶を表す。長崎奉行高橋清相は崎陽群談にその坪数を記す。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月21日 16:45

>密売ではありません。施薬院という日本の当時の厚生省は厳禁でしたが欧州では阿片はアヘンチンキとかアヘン含有剤は合法でした。
合法的にもちこんだのですね。そういう意味では西洋医学自体が、問題ありだったということですね。
※椿さんへ~かなり勉強しておられるようにお見受けして敬服致します。ご自身のブログなどはお持ちではないのでしょうか?

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年4月22日 00:02

ブログはありません。西洋医学に問題があったのではなく、医療宣教師という医者でない者が医療行為を行ったことに問題があった。
 幕府施薬院(ブログあり)のシステム完成は平和の訪れと共に動き出す。秀吉側近の医師、施薬院全宗という法印という医師の最高位にある者がかなり影響をもったと思われます。俗に言う切支丹禁令は「定」として発布されておりこの全宗の筆によるものです。幕末イギリス公使オールコックは著書大君の都で徳運軒(全宗の別名。)の蛮行を鋭く戒めております。16世紀末ジェスイット派は宣教師の外国での医療行為を禁止しておりますが徹底しなかったと思われます。
 明治になって医療制度の変更から全宗は抹殺され歴史には登場しませんでした。インターネットで調べると秀吉側近としてかなり重要だったのがわかります。秀吉の代筆はすべて全宗でした。
 徳川になり出島開港後は欧州各地から医師が来て日本の医師と出島で交流したのは歴史的事実です。

投稿者 椿 博雄 : 2010年4月22日 08:06

椿さ~ん、はじめまして。
面白そうなご研究をなさってますね。わたくしの大好きな世界です。洋の東西を問わず、坊主が麻薬を扱うのは当然でしょう。だって、宗教自体が麻薬ですもの。
葬式に金をかけすぎるのは、アルコールの飲みすぎやチョコレートの食べすぎと同じく、不健全社会です。政治屋が親の法事で支持者集めをするなんぞ、もう最悪よ。
それはともかくとして、
>明治になって医療制度の変更から全宗は抹殺
なのに、厚生省が現在まで江戸時代の闇を引きずっているとおっしゃってるわけ? 闇が消えないのはなぜ? 
一般人には見えないところに、“出島”が存続しているのでしょうか?

投稿者 タツ : 2010年4月23日 19:36

 口蹄疫の進入も防いだ。

投稿者 椿 博雄 : 2010年5月19日 10:36

 鎖国,Wikに私の説が出ているよ~。

投稿者 椿 博雄 : 2010年12月12日 17:26

ヨーロッパではこのたぐいの港をQuarantineというみたい。あっちの文献にも長崎のQuarantine(検疫)として紹介されてるね。映画でクアランティンとかいうのがあった。
 それが何で宗教とか外交とか、難しいことになってしまったの?

投稿者 椿 博雄 : 2011年2月13日 16:47

何か止まった。

投稿者 椿 博雄 : 2012年7月20日 21:44

何か止まった。

投稿者 椿 博雄 : 2012年7月20日 21:44

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