2010年03月03日
日本古代市場の魁=修験道ネットワーク
tanoさんから「縄文ネットワークが古代市場の基盤をなすのでは」という視点が提起されました。他方で、ないとうさんからは「神道ネットワークを基盤とした徴税ネットワーク」が古代市場の基盤とする論考が提起されています。
「海洋民=縄文ネットワーク」「神道=徴税ネットワーク」「古代市場」・・・この3つはどのようにつながっているのでしょうか?
この3つの結節点こそ、「没落貴族と反体制海洋民による秘密政治結社=修験道ネットワーク」ではないでしょうか。今日は、「修験道ネットワークこそ、日本の古代市場の魁」という仮説を考えて見たいと思います。

↑今回参考とした「役行者―修験道と海人と黄金伝説」前田良一著
日本経済新聞社 刊 ※オススメです
日本の物流網は、どのようにして贈与=共認原理から市場=私権原理へと転換していったのか
「贈与」何を学ぶべきか?シリーズでも提起しているように、縄文ネットワークとは贈与を基盤とした物流ネットワークであり、それがそのままで市場としてのネットワークになる訳ではありません。同じ物流網であっても、「贈与=共認原理」「市場=騙しと搾取を方法論とする私権原理」では物流を突き動かしている原理が全く違うのです。
贈与は友好関係の構築を目的とした、多角的なネットワークであるのに対して、市場は武力支配=力の原理によって構築された序列体制のニッチから、なんとか、私権の旨みを取り出せないかと暗躍する闇世界的な暗躍こそが、その基盤です。
言い換えれば、力の支配→階級社会の成立を前提としない市場関係はありえないのです。ないとうさんの論考により、日本の場合、本格的な争い→力の支配がなかった代わりに、国家による徴税そのものが「弥生信仰」のベールを纏うという手法によって構築されてきたことが明らかになりました。実も蓋もない言い方をするならば、「稲作の司祭王」としての天皇とは国家権力による徴税を正当化するための道具だてだったのである。
そして、この「自然神への返礼」というベールをまとった徴税ネットワークが平安王朝に富の集積をもたらすと、平安王朝は、源氏物語や竹取物語に代表される、有閑階級が富を散財する一大消費都市となる。国家としては、国を閉ざし、闇商人たちの暗躍を防ごうとしたものの、有閑階級の消費欲が、それを許さない。かくして、平安王朝の豪奢と性愛は、一方で、徴税システムを強引なものに変えていき、他方で、有閑階級の消費欲を充たすための民間市場をつくりだしていく。
と同時に「神道=自然神への祈念」というベールの奥から支配権力の行使という国家=徴税ネットワークの本質が垣間見える時、人心は離れ、抵抗勢力となるネットワーク構築への企てが動き始める。それは、権力闘争故に必然的に発生する反体制の没落貴族と、同じく体制に納得の行かない人々をつないでいく。
そのような抵抗勢力の闇の政治結社的なネットワークが、他方で、支配階級に蓄積された富を回収するための仕組みとして、先駆的な古代市場は始まった、とみていいのではないだろうか。それを主導したのは、稲作になじめなかった海洋民たちであり、彼らの思想的支柱となったのが、修験道であったのであろう。
以下に、「日本古代市場の魁=修験道ネットワーク」という仮説根拠を挙げる。
※ そもそもの修験道の基礎が、新羅の没落貴族たちによる‘花郎集団’に遡ること、彼ら半島出自の没落貴族が西日本と半島を自由に往来する安曇族や宗像氏などの海洋民に手助けされて日本の各地に広がっていったことは「花郎集会と修験の発生にみる共同体の解体過程」で既に述べた。http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/12/000673.htmlを参照。勿論、葛城氏、大海人皇子、後醍醐天皇と日本史上、政治体制の重要な局面において、修験の総本山吉野が反体制の拠点として機能してきたことは疑うべくもない。
※ 修験道→山伏の習俗には彼らの出自が海洋民であることを物語るものがたくさんある。腰に付けたほら貝や鹿皮はその象徴。また修験総本山、吉野には、海洋民である安曇族や隼人族に連なる地名が多数ある。魏志倭人伝に出てくる「伊都国」を思わせる「伊都郡」が五條市の先にあり、そこには奴国王の金印のでた「志賀」を思わせる「志賀」という地名もある。その他にも那賀、海部、オオスミ、阿多、大山祇神、海神社・・と吉野は海洋民の名残を多くとどめている。
※ 何故、海洋民が山へ上がったのか、については諸説あるが、中央構造線の山間部からとれる朱が船の防腐剤として有効だったから、という説が有力である。船が朱塗りであったことは万葉集の歌謡からも伺える。
※ 道教は体制思想としての儒教のカウンターカルチャーとして、より旧い祖霊信仰・占いを中心とした宗教であるし、修験道は、八百万の神という縄文的≒海洋民的な信仰の名残を神仏習合という形でとどめている。
※ また修験道は、金・銀・水銀等の貴金属の発掘とそれを活用した冶金・製薬そして販売を活動資金としている。これら貴金属を使った仏像や薬品は、豪奢への欠乏に取り付かれた貴族階級を騙して、高く売りつけるには絶好の商品であった。実際、行基は金ピカの大仏を売りつけることに成功したし、役小角が使った妖術の正体とは、医術であり薬の処方であったようだ。
このように海洋民=縄文ネットワークは、徴税ネットワークの登場を契機に、そのアンチテーゼとして没落貴族と反体制海洋民による秘密政治結社=修験道ネットワークへと修練していった。この修験道ネットワークこそが日本古代市場の魁ではないか。
そして、徴税ネットワークに対するアンチテーゼとしての修験道=市場の拡大という流れは、貴族階級の暴走が加速する中世においては、密教ネットワークへと引き継がれていく。そして海賊を生み出し、民間の海外貿易ネットワーク網へと発展していったのではないだろうか。シリーズ中盤はそのような、平安王朝の豪奢と没落、他方で台頭する市場の住人たちの暗躍を見ていきたい。
尚、タツさんから「‘ポスト近代市場の可能性を日本史に探る’という大テーマのもと、5回までの論考を通読して、“可能性”がまったく見えんのです。」とのお叱りを頂いております。確かに・・・明るい未来は見えてきません。しかし、「主体的外交」や「贈与精神」といった可能性の萌芽は感じます。いましばらく、お付き合い下さい。
投稿者 staff : 2010年03月03日 00:01 Tweet
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/1021
コメント
当方が一方的にお邪魔をしておりますのに、“お叱り”だなんてとんでもない。多くの方がご覧になっているところでお名指しをいただいて恐縮です。
さて、伊勢神宮を頂点とする神道ネットワークが柳田民俗学の稲作中心国家観に頼りすぎて行き詰まったあと、海洋民の視点から列島史を再構築しようとした網野善彦も通史を描ききれず、国家アイデンティティの危機は続いています。まとまりの悪い集団に良い仕事はできないから、税収は減るばかり。
どうして、こんなことになったのか?
・『忠臣蔵』の芝居で景気を良くするなんちゅう愚策を繰り返したからです。
・シテ集団という中世の芸能人に株価操作をやらせたからです。
・そもそも、没落貴族が『源氏物語』(超イケメンの王子様が、平安王朝の闇を操作して、東日本の反逆者を退治したという少女漫画☆)を読んでいたからです。
街道の飯盛り女のセックスは、広域流通を活性しましたよ。変革期には有効でしょう。でも、必ず疲れが来るから、経済政策として永続できるものではない。
皆様のチームワークに疲れは来ないようですね。がんばってください。
追伸:まったくの私見ですが、役行者の使役した鬼神が、シェイクスピア作『テンペスト』に登場する野人であろうと思うのです。興味のある方は、「野人 キャリバン」を検索してみてください。
投稿者 タツ : 2010年03月03日 15:07
タツさん、早速のコメントをありがとうございます。
>『忠臣蔵』の芝居で景気を良くするなんちゅう愚策を繰り返したからです。
>シテ集団という中世の芸能人に株価操作をやらせたからです。
>そもそも、没落貴族が『源氏物語』(超イケメンの王子様が、平安王朝の闇を操作して、東日本の反逆者を退治したという少女漫画☆)を読んでいたからです。
全く、その通りだと思います。しかも最近はこれに坂本龍馬までがくっついてます。怒るでしかし~!!!と本気で怒ってます。
>柳田民俗学の稲作中心国家観に頼りすぎて行き詰まったあと、海洋民の視点から列島史を再構築しようとした網野善彦も通史を描ききれず、国家アイデンティティの危機は続いています
この点も、全くその通りですね。網野さんが取り出した事実自体はそれなりに有効だと思うのですが、明らかに史観としては偏りがあると思います。結局、左翼というのは自由主義に傾いて市場原理主義を無批判に肯定してしまいがちなんだと思います。私たちが、「国家も市場も超える」といきまいているのは、そのような右派・左派双方へのいらだちに起因しているのです。
>皆様のチームワークに疲れは来ないようですね。
一部からはややメンバー内は倦怠期という話もありますが(笑)新しい会員さんも増えて、ますますパワーアップ中ですよ。これからも、よろしくお願いします。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年03月03日 20:09
怒るでしかし~さん
tanoさんとないとうさんの記事を二軸でまとめた興味深い記事ですね。わかりやすい。
しかし、
>実も蓋もない言い方をするならば、「稲作の司祭王」としての天皇とは国家権力による徴税を正当化するための道具だてだったのである。
うーむ。ここまで言い切りますか。ちょっと、怒るでしかし~、になりそうです。
投稿者 うらら : 2010年03月06日 19:34
オオクニヌシ系弥生NW 安曇族etc海洋系NW
↓ ↓
稲作王=徴税NW ←→ 海と山の王=修験NW
↓ ↓
柳田史観 網野史観
│ │
└─→素人による統合史観←┘
てな感じですかね。
>「稲作の司祭王」としての天皇とは国家権力による徴税を正当化するための道具だて
というのは、確かにあまりにも単純化しすぎているかもしれませんが、他方で、天皇制というものをあまりにも神秘化しるぎるのも、本質に迫れない、という気もしています。
常に、大胆な仮説と検証・・これこそが素人の特権ですし。
うららさんもにも、ダイナミックな切り口を期待しております。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年03月06日 23:15
怒るでしかし~さん。
このハンドルネームを読むと故横山やすしさんの顔がいつも出てきますね。40代以上限定ですが・・・(笑)
さてこのシリーズも後半に差し掛かります。ここからがマラソンで言うと折り返し地点。平安時代から鎌倉~室町、いわゆる日本の中世史という段階に入るのですが、キーワードを整理しておきます。
贈与のネットワーク
神社ネットワーク
修験道ネットワーク
↓
を土台にして商人階級の発生、
さらにその拡大過程が中世にあたる
中世のポイントは
・平安貴族に代表される日本版宮廷サロンの発現
・その財源を支える荘園制度~地方の発展(受領の登場)
・武士の登場、発展が中央没落、地方繁栄の転換点か
一方、政治体制的には
・中央集権国家の没落(平安時代)
・封建制度の確立(鎌倉時代以降)
⇒地方の暗躍、民間貿易の発生(海賊、日宋貿易)
・その隙間で座を中心とした市場が成長・・・ex近江商人
注目すべきは民間貿易を支えた博多・堺・琉球王国
それら市場の発展と朝廷、幕府との関係はいかに・・・。
日本史的には応仁の乱(1467年)あたりが江戸以降につながる反転のポイントになりそうです。
読者からは「難しくて、よーわからん」という声も聞こえてきそうな展開ですが、私たちも暗中模索、五里霧中の状態で、かすかな江戸の灯台の灯を頼りに進んでいます。
次週以降、中世を担当する3名は頑張っていきましょう!
投稿者 tano : 2010年03月07日 12:26
>「稲作の司祭王」としての天皇とは国家権力による徴税を正当化するための道具だて
ふふ、言い切っちゃいましたね~
神秘化する存在ではないですよね、そのとうりだと思います。
それでもわたしは、天皇家の存在意義について肯定しているんです。
そのあたりは、わたしのシリーズで♪
(図々しくも宣伝してるし…)笑
投稿者 milktea : 2010年03月08日 19:35
>注目すべきは民間貿易を支えた博多・堺・琉球王国
中世の港町は結構、一杯あったみたいですね。津軽の十三港とか。
それを東側は源氏、西側は平家がおさえていったようですね。
中世のはじめのころは権門体制といいますが、寺社権門、武家権門、公家権門に権力が分散します。この隙間から、市場は独自の権力として成長していったのだというのが大きな流れでしょうか。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年03月15日 00:45
>神秘化する存在ではないですよね、そのとうりだと思います。それでもわたしは、天皇家の存在意義について肯定しているんです。
私も現在の国際社会における日本の国家としてのあり方、という視点では、天皇という仕組みは最大限、肯定的に活用すべきだと思っています。しかし、こんなふうにいうと天皇機関説みたいで、畏敬の念がたりないと右翼の方々からは叱られそうですが。
私は、最終的には、超越的なるものへの畏敬の念というのはなくならないし、なくすべきでもないと思っています。そういう意味では、唯物論者ではありませんので、右翼の方々とも分かり合えると思っています。
ただし、それが天皇という唯一の存在になるかというと、それは、違うだろうなとは思います。とはいえそれは未来の話ですので、当面は天皇肯定ということで、いこうと思っています。
ということで、milkteaさんのシリーズも楽しみにしています。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年03月15日 00:56
コメントしてください |