2010年03月26日
新テーマ「縄文体質を切開する」
こんばんは。
いきなりですが、縄文体質って何だと思いますか?
この縄文ブログでこれまで度々使ってきた“縄文体質”これが意外にスパッと出てきません。
日本人の基底には縄文時代1万年間に積み上げられた共認基盤の遺産である縄文体質を持っています。ではその縄文体質って何なんでしょうか?
読者の皆さんも一度1分くらい考えてみてください。
・・・・・・・

樹齢3000年の縄文杉
どうでしょう?
実は私達の探求グループでもこのテーマで少し議論してみましたが意外とポンポン出てこないという事に気が付きました。
ようやく出てきたのが
「和をもって尊しとなす」
「集団第一」
「勤勉」
「おおらか」
「寡黙」
・・・・などです。
うーん・・・。果たしてこれが縄文体質かどうかさえはっきりしません。
なにぶん毒された近代思想が混在した頭で考えている射程ではとうてい追いつかないのが縄文体質や縄文の本源性なのかもしれません。
考える上で2つの話を紹介したいと思います。
縄文体質を言い表した(と私が思う)表現に作家「棟方志功」の言葉があります。以前るいネットの方に投稿したことがあります。
「個性的な」作家としての「独自性」をつかみかけたところで、つまり一人の近代作家として成立しかけたところで、棟方志功は正反対の価値へと導かれ、開眼する。自分ひとりで成す世界の外側を覆う反近代のエネルギーに感応しはじめるのだ。。
「他力からいただいたものが仕事をしてくださる。それから見たら自分の見る世界など、たしかに小さなものだと思いました」
と彼は言っている。棟方が宗教がかって見える部分の多くが、実は宗教そのものより、自分の無意識に没入した結果としての表れなのだ。
棟方の作風は物事の理解をきわめて直感的に、一を知って十を創る。感覚のおもむくままに手が進み、ものに憑かれるように彫り、高揚し、興奮し、盛大な感動のうちに作業は大団円を迎えるというものだったらしい。


もう一つの話は神戸の震災の事例です。
15年前の神戸の震災の時に人々はどのように動いたでしょう。
記憶にまだ新しい震災の傷跡ですが、最近のチリの地震やハイチの大地震では、
強盗が常態化しその後の治安の悪化が社会問題になったのに対し神戸の震災では多くの人が助け合い、震災を受けた人たち自身が組織化し、自ら復興に力を尽くしました。
他国の混乱に比べ極めて高い自前の秩序が形成されていたのが神戸の震災です。
これら2つの事例がこれから縄文体質を探索していくあるヒントになると考えています。
つまり近代思想でいう個人や自分といったところと反対側にあるのが縄文世界であり、縄文体質ではないでしょうか?いわば自己と他者が融合した一体感、超越観、統合観、肯定観それらが縄文体質を紐解くキーワードになるように思います。
そして近代思想や現在の規範や法体系の中で生きている私達の中にもそれが存在しているとしたら、いざという有事の際、国民的危機の際に発言するはずです。常には眠っている意識ではあるが確実に日本人の中に刻印されている体質、それが縄文体質だとおもいます。
いわばそれが私たちを大きく動かしている潜在思念のありかであり、可能性ではないかと思うのです。
このブログではこれまで同様のテーマにいくつか投稿が重ねられました。
つい最近ではシリーズ投稿で「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは」という記事がありました。
今回、このブログではかなり使い古され、ほぼ空気化した「縄文体質って何?」という命題に再びトライしてみたいと思います。
それは新たな認識を作るというよりこれまでの当ブログの過去記事や母体となる「るいネット」、姉妹ブログである「知られざる人類婚姻史と共同体」等の中から秀逸な投稿を紹介し、併せて読者の皆さんとこのテーマについて一緒に考えられるような場を目指したいと思います。
それではシリーズこれからの記事の進め方を紹介していきたいと思います。
当ブログの精鋭が記者として毎週投稿を重ねていきます。
1)縄文時代の外圧って何?
2)縄文体質を作り出した生産様式を押さえる
3)縄文時代の集団はどうあったのか?
4)他地域での本源規範の実態調査
5)縄文体質って何?(縄文の男とは、女とは)
6)縄文体質はその後の時代にどう残っていったのか?
7)潜在思念とは何?
8)まとめ~日本人の可能性とは
3月から初めて5月末まで、ロングランの連載になりますがよろしくお付き合いのほどお願いします。
投稿者 tano : 2010年03月26日 21:33 Tweet
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コメント
たしかに縄文人の気質や意識も自分の色眼鏡で見ていて、なんとなく捉えている感じがしました。
>「他力からいただいたものが仕事をしてくださる。それから見たら自分の見る世界など、たしかに小さなものだと思いました」
周りにどんどん同化していくと、最後はこんな境地に至るのだろう。僕も縄文人になったつもりで記事を待っています!?
投稿者 Hiroshi : 2010年03月28日 02:49
こんにちは
わたしも自分のシリーズで「縄文体質」を意識しながら、私権文化の導入の際にも生かされている、そんな視点を含んで「王権の生産」を投稿しています。
一万年かけて構築されたものが、2000年くらいで根こそぎ無くなる、それはむしろ不可能なことだと感じています。
頑張ってください。
投稿者 milktea : 2010年03月28日 06:53
hiroshiさんコメントありがとうございます。
一番いいところをPICKUPしていただき、さすがですね。
>>「他力からいただいたものが仕事をしてくださる。それから見たら自分の見る世界など、たしかに小さなものだと思いました」
本当にこの境地で仕事をできている時が一番すばらしい状態です。大きな周りの力が自分を突き動かし、その勢いで大きな仕事ができる。まさに生かされているとはこういう事で、仏教が日本に導入されて登場した他力という力の本質です。
棟方氏は青森県出身の彫刻家です。まさに縄文人の末裔です。私は今、非常にこの方に注目していて先日は本まで購入しました。
まだ読み進めているのですがこの棟方氏を作ったのはこの時代の空気と強くて優しい母親の存在だったようです。
そのうちるいネットやこのブログでもUPしていきます。
このシリーズと併せてご期待ください。
投稿者 tano : 2010年03月28日 11:59
milkteaさん
いつもコメントありがとうございます。
>一万年かけて構築されたものが、2000年くらいで根こそぎ無くなる、それはむしろ不可能なことだと感じています。
これ大事な視点です。
さらに言えば縄文時代の自然体系をベースにした各種認識体系の構築とは1万年のもっともっと前、人類500万年の歴史から脈々と受け継がれてきた人類の認識手法を最大限進めてきたものだと思っています。だから縄文を解明することが、日本人だけでなく人類の根本意識を解明する事に繋がると考えています。
投稿者 tano : 2010年03月28日 12:05
>いきなりですが、縄文体質って何だと思いますか?
没個性。
国母選手を見ての日本人の大半は、国家の恥、腹を斬れ、
彼に関係するすべての人間も恥とするような雰囲気が
ありました。
全体の一部に過ぎない個が際立つを極端に嫌う
体質は、縄文から受け継いだのでしょうか?
だからあれだけの長期間、ひとつの時代が
継続したとしか思えません。
投稿者 スバール : 2010年03月29日 23:07
没個性!
ある意味当たっていますね。
むしろ個性という概念すらなかったのが縄文人の感覚ではないでしょうか?個性的とか個性豊かなどと評価されだしたのはほんのこの100年くらいですから。
そう言えば養老先生が仰っていました。現代の様々な問題は個人主義ー個性教育が誤りだった事に起因する。人は生まれたときはそもそも個別性があり、後からいかに後天的に回りに合わせていくかという個性を消していく方向に能力を伸ばす。
だから人間が集団動物として生きていくのは後天的な能力であり、個性が少ないというのは裏返せばより集団として生きている証ではないかとも思うのです。
全体の一部に過ぎない個が際立つを極端に嫌う
体質は、縄文から受け継いだのでしょうか?
⇒たぶんそうだと思います。極端に嫌うというより全体の一部になる事になんら抵抗がなかったという辺りだと思います。
投稿者 tano : 2010年03月30日 02:16
tanoさん
>むしろ個性という概念すらなかったのが縄文人の感覚ではないでしょうか?
縄文時には、個性を、色を出そうとする個に対し、集団リンチや一族郎党虐殺があったんだろと考えます。
掟に(全体の和)に縛られながらの表面的に穏やかな
時代=縄文だと認識しています。
そしてその感性は、今の日本に確実に受け継がれてますね。
いじめがなくならいのは、日本人は集団リンチを好む
民族性があるからだと考えます。
僕はこうかんがえます。アジア各国が、鬼畜日本と
揶揄するもの正解。戦時、集団で虐殺したのは
事実でしょうから。縄文感性ともいえます。
逆に、世界で一番おだやかで感性に満ちた民族とも
いわれるのも、縄文感性といえると考えます。
日本=極端=美しい感性に、凶暴な毒あり。
世界からみて、日本は不可思議に映ることでしょう。
投稿者 スバール : 2010年03月31日 23:11
スバールさんありがとうございます。
>日本=極端=美しい感性に、凶暴な毒あり。
確かにこの部分は説得力がありますね。
つまり集団性や共認力だけでは正しい方向に向かっているかどうかはわからないという事です。
むしろ誤った共認に向かった時のマイナスは計り知れない。
マスコミにいとも簡単におどらされ誤った情報を妄信している現代の日本人はその事例のひとつかもしれません。
これからの日本人である私たちはこの負の部分も心してのぞまなければいけないと思います。
投稿者 tano : 2010年04月01日 00:26
tanoさん
>これからの日本人である私たちはこの負の部分も心してのぞまなければいけないと思います。
以前、日本人は闘えるのか?とゆう議題でも
書きこんだ記憶がありますが、伝統・風習・仲間意識に
囚われた、自立できない日本に未来はないと考えます。
村社会構造の幼稚な日本人は、洗練された戦闘他民族に
手も足もでない時代となると考えます。
渡来人が縄文を破壊し、欧米が潰滅してきた日本、
これはもう、天の恩寵、日本の自立のチャンスと
捉えていますが、未だにおこちゃま体質(集団で傷のなめ合い根性)が抜けません。
残念ながら、日本人がチベット人状態となるのは
時間の問題だと考えます。
投稿者 スバール : 2010年04月06日 22:08
スバールさんコメントありがとうございます。
今回のスバールさんのコメントには返信が難しいのですが、プラス側のコメントではない事はわかります。かといって批判でもない。どちらかというと自分は別の位置にいて外から眺めているという感じでしょうか?悲しいかな自虐的という感じです。
>伝統・風習・仲間意識に囚われた、自立できない日本に未来はないと考えます。村社会構造の幼稚な日本人は、洗練された戦闘他民族に手も足もでない時代となると考えます。
>残念ながら、日本人がチベット人状態となるのは
時間の問題だと考えます。
だからどうするか?という事が問われています。
そして変化の芽は本当にないのかという検証が求められています。
その前に、スバールさんが言う時間の問題というのはどのような事実根拠からなのでしょうか?アメリカにいいようにやられてきた戦後の数十年がそれを物語っているのでしょうが、今のままではダメで、何とか変化をしていこうという機運は始まっていると思います。民主党はかんばしくありませんが、自民党を見限った日本民族はそれを求めました。
後は人にまかせるのか、自分達で作り出していくのか、批判だけでは一歩も前に進まない事だけはこの十数年間のマスコミの姿勢を見ても明らかだと思います。
スバールさんが批判する側から何かを作り出していく側に回っていただける事を期待しています。
批判でないように書いたつもりですが気に障ったらごめんなさい。
投稿者 tano : 2010年04月07日 21:15
tanoさん
ご迷惑おかけしたようで、失礼しました。
当ブログの趣旨に適っていないようですから、
もう書きこむことはないですが、色んな
考えに触れ勉強になりました。
ありがとうございました。
返事は結構です。(_ _)
投稿者 スバール : 2010年04月15日 23:07
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