2010年04月03日

宗教ってなに?~2.精霊信仰と守護神信仰の違いについて

こんにちは。カッピカピです。 Very Happy

 「宗教ってなに?」シリーズ第二回では、「精霊信仰」と「守護神信仰」について考えてみたいと思います。m034 m034

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 英語では「アニミズム」と訳される精霊信仰。その意味は、”生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方”とウィキペディアでは解説されています。

 一方、守護神信仰とは、古代都市国家において、各都市の市神と呼ばれる存在が、都市の守護神、または象徴として信仰されてきたことを指します。その市神の多くは土着の神であり、王がじきじきに行う儀式によってその地位が決められていました。その他にも、この世にある、ありとあらゆるものに神があり、王から農夫にいたるまで、人間生活にしみ通っていました。

 精霊信仰も守護神信仰も、「世の中の全てのものに霊や、神の姿を見ていた」という点では、同じであるようにも思えますが、この二つには決定的に異なる点が存在します。

 そこで今回は、この相違点を認識する上で非常に参考になる投稿を、るいネットの注目投稿から紹介したいと思います。 m041


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それでは、るいネットより「アニミズム(精霊信仰)について」を紹介します m034

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未開社会を見る場合、精霊信仰(アニミズム)の部族(or時代)と、守護神神話の部族(時代)はかなり様相が異なります。
 
 アニミズムは自然の諸力(万物)の背後に精霊を見た、ということになりますが,いわゆる融通無碍で、かつ自然対象のそれぞれ(例えば一つひとつの樹)の背景に精霊を見たわけですから、古代宗教特有の絶対的唯一性という性格は感じとれません。
 それに対して人格神や祖霊神の段階になってくるとアニミズム的性格を残しながらも、自部族を絶対化、(正統化)しようという意思が感じられ、これを広義のイデオロギーと見る見方が出来ると思います。しかし守護神神話は同じ未開民族でもかなり後期になって登場している様です。具体的には都市国家成立以前の部族間の戦闘の時代あるいは地域から登場した様です。地域にもよりますが約8000年前から5000年前。日本でも記紀登場以前はシャーマニズムの時代ですが、精霊の声を聴くという色彩が強く、記紀のような正統化、絶対化(のための観念)のベクトルはあまり感じられません。

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Confused ・・・・ Razz m244

 「精霊信仰」と「守護神信仰」の決定的な違い、それは、自部族を正当化あるいは、絶対化するための観念であるかどうか、という点です。この事実を分かりやすく解説してくれている記事がるいネットの佳作投稿にありますので、合せて紹介します。

  「一神教と多神教」と「精霊信仰」。その同一性と差異①   http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=105187

精霊信仰も多神教も観念機能の産物(統合観念)だが、精霊は万物の背後にある無数の現実そのもの=事実観念。人類の本能不全・共認不全を解消し、意識を統合するために人類が作り出した機能。従って精霊信仰を生み出した直接の原因は過酷な自然外圧。
一方、多神教はシャーマンが存在するように、ある特定の集団単位の宗教である。つまり、集団を統合し、秩序化する必然度が高まり、しかし共認統合が十全に機能しない状態が想定される。つまり、それは集団間の同類圧力の激化しか考えられない。古代私権国家の地は豊かな土壌の提供と同時に川の氾濫があり、一歩離れれば砂漠という死の地がある。

当然、限られた豊かな地には複数の集団が接触するようになる。しかも、農耕部族は土地に縛られる。同類圧力がたかまり、集団間の闘争が激化する。私権獲得のための集団自我が発生する。略奪闘争も起こる。共認不全は高まり、共認不全という現実を捨象した何らかの観念で統合する必要が生まれる。捨象するには対象を固定化したほうがいい。万物は多すぎる。特定の神々が選ばれて一柱に収斂していく。やがて特定の集団には「自分たちの」守護神が生まれる。特定の集団⇒都市は極めて一神教に近くなる。

しかし、やがて共倒れという絶滅の危機を回避するため略奪不可能の拮抗状態に陥り、都市間の共生適応の結果として都市国家が成立。秩序化のためにおのおの都市の守護神を認めるということで多神教が成立する。当然のことながら都市集団は序列化されていくわけで、それにあわせて神々のヒエラルキーが形成されていったのだろう。多神教を生み出した主圧力は私権闘争という集団間の同類闘争圧力(戦争圧力)である。


 「精霊信仰」と「守護神信仰」に決定的な違いをもたらしたものは、これらの観念が登場する時代の外圧状況だったのです。

 過酷な自然外圧を対象として、それを突破するための最先端機能として誕生した「精霊信仰」に対し、「守護神信仰」は、部族間の同類闘争圧力の高まり→集団自我の発生→共認不全という統合不全を突破するための最先端機能として誕生したのです。

投稿者 hi-ro : 2010年04月03日 22:00

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» 宗教ってなに?~3.不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰 from 縄文と古代文明を探求しよう!
こんにちわちわわです 前回はカッピカピさんが、精霊信仰と守護神信仰の違いを丁寧に解説していただき、カッピカピさんを思わず信仰してしまいそうになりました。 ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2010年04月20日 00:44

コメント

 今回の記事を読ませていただいて、なぜか「千の風になって」を思い出してしまいました。
 人は避けて通れない「死」というものがあるように、潜在的な不安を何かしら抱えて生きているもののように思っています。
 けれど、自然の摂理を受け入れ、それぞれの内面で尊重しながら折り合いをつけていけば、確固たる宗教がなくてもやっていけるものだと思っています。
 そのことを、今回再確認しました。(記事の内容とは直接関係なくてごめんなさい)

投稿者 milktea : 2010年04月04日 20:10

milkteaさん、コメントありがとうございます。王権シリーズ、いつも楽しみにしています。

>人は避けて通れない「死」というものがあるように、潜在的な不安を何かしら抱えて生きているもののように思っています。

 確かにそうですね。その不安の処理には2通りあるのだと思います。それは宗教のようなもので、その不安を捨象するのが一つ、不安の原因を突き止めて(現実を直視して)不安を解消するための方針を導き出すのが一つ。

 後者がより答えに近いのは言うまでもないと思います。

投稿者 カッピカピ : 2010年04月06日 22:43

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