2010年06月19日

シリーズ:「国家と市場」第3回 【私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である】

市場の起源は、生活必需品の物々交換でなく、莫大な利益を上げる事の出来る非日常品(宝石や絹や毛皮)の取引である。

と言うと、経済学をかじった常識人は、本当?と思うでしょう。

もっと言えば、市場は古代から一貫して、騙しの世界であり、被支配層の私権獲得の唯一の手段であったのです。

その事実を論じた記事(るいネット)を紹介します。

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交換取引は、武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの抜け道として登場した。それどころか、最初に交換関係が登場した動機は、額に汗して働くよりも、(相手にこの品物が大きな可能性を与えてくれると信じ込ませることさえ出来れば)交換によって得る益の方が、ずっと大きいからである。

実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)それに対して日常の主食品(米や麦やイモなど)に対しては、その様な幻想的な可能性など描き様がない。

この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。(異国の食品や、無農薬の食品は、幻想共認の形成が可能であり、だからこそ一定の市場化も可能なのである。)
そこでは当然、農耕の労働価格は、幻想商品の労働価格にくらべて、異常に低くなる。この価格格差(価格差別ともいえる)の秘密こそ、途上国が一貫して貧困状態に置かれ続けてきた真の理由であることは、いうまでもない。

★古代市場は日常品ではなく高級な飾りもの
参考記事「市場構造の歴史的整理<古代~長距離交易ルートの起源~>
「持ち運びし易く、高値で買ってもらえるもの」が交易品の条件であるという切り口からオリエントの交易品(絹やラピスラズリ・玉などの宝石類)を分析している。

参考記事:「交易文明トランス・エラムの商人がインダス文明を形成」
シルクロード(絹の道)だけでなく、「ラピスラズリの道」というのもあります。

参考記事:「アロマテラピーの歴史
香料も古代の主要交易品だった

参考記事:「国内最古のイスラム陶器出土
古代の「海のシルクロード」というのもあります。この陶器は「乳香」や「バラ水」が運ばれていたようです。

(なお、採取部族間の友好維持の為の贈り物と、私権利益を獲得する為の交換とは、共に共生(取引)適応の一種ではあるが、その発生基盤は片や共認原理、片や私権原理と全く異なっており、従って、贈り物は、決して私権時代の市場の起源なのではない。だから、「贈与」と「交換」は、厳格に区別されなければならない。) (同様に、生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話も、真っ赤な嘘であって、生存上の必需品を他部族に委ねる部族など存在しない。その様な物々交換は、市場(関係)がある程度日常的に存在する様にならない限り成立し得ないのであって、従って、市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての、快美幻想の共認、もっとはっきり言えば「騙し」をテコとする私益行為以外には考えられない。)

★贈与と交換

参考記事:「黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか①
 
参考記事:「黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②

参考記事:「交易と交易路
 


性幻想を高める為の毛織物やレースをはじめとして、私権圧力下の解脱回路(主にドーパミン回路)が生み出す快美幻想がはびこり、生活全般に亙って快美(快適さや便利さ)を求める快美欠乏が上昇してゆくにつれて、その幻想共認が作り出す価格格差をテコとする市場はどんどん繁殖してゆく。
そして次には、その生産効率を上げる為の科学技術が発達してゆき、市場の拡大競争が生み出した侵略戦争→軍備強化への期待圧力が、その科学技術を更に大きく発展させてゆく。
この科学技術の発達による快美充足の可能性(快適さ利便さ)の実現こそ、中後期の市場拡大の原動力である。

以上より、市場の本質(武力権力からの抜け道であり、騙しの世界)が理解できたと思います。次回第4回は、「市場(現在)は、何をするにも金がかかる」のは何故か?を考えたいと思います

投稿者 ryou : 2010年06月19日 20:57  

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コメント

◎以下の2つは記事に書かれてある重要ポイントです。この点は市場とは何かを押さえる上で常に念頭においておきたい事実ですね。

採取部族間の友好維持の為の贈り物と、私権利益を獲得する為の交換とは、共に共生(取引)適応の一種ではあるが、その発生基盤は片や共認原理、片や私権原理と全く異なっており、従って、贈り物は、決して私権時代の市場の起源なのではない。だから、「贈与」と「交換」は、厳格に区別されなければならない

生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話も、真っ赤な嘘であって、生存上の必需品を他部族に委ねる部族など存在しない。その様な物々交換は、市場(関係)がある程度日常的に存在する様にならない限り成立し得ないのであって、従って、市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての、快美幻想の共認、もっとはっきり言えば「騙し」をテコとする私益行為以外には考えられない。

現在市場に関わる誰しもが、この騙しのテコを使っているのだろうか?・・・と言われると答えに窮しますね。あるいはピンと来ない。

契約どおりやっているのだから・・・。
価格を決めてその上で取引しているのだから・・・。
そのような反論は直ぐに思い浮かびます。また市場がもしなければ多くの人はたちまち困る。これも正論でしょう。

騙しで始まった市場がなぜ現在必要不可欠なものになってしまったのか?その解明は別途必要に思います。

投稿者 tano : 2010年06月20日 14:02

市場の発生の起源が「騙し」であるというのはそうかもしれません。
それは「幻想共認」がベースになっているので、幻想によって高価な物と思い込んでしまえば高く買うわけだし、自分はそれを納得したんだと思い込むようになる。
そう思い込ませること自体が”騙し”そのものなのですからね。

一方売る側も、そのような価格格差のあるものを扱うほど利益が上がることを覚え、それが当たり前になってしまえば、互いに納得ずくと思って交換をする。

このように市場の住人になった(された)こと自体が、”騙し”の罠にどっぷり嵌ったということだと思います。

投稿者 火の鳥 : 2010年06月22日 22:46

究極の騙しの構造とは騙す側も騙される側も気がつかないという部分にあるようですね。

しかし最近の若者のように欲しい物がない、とか「もったいない」、ブランドは痛いなどという新しい潮流が出てくる事は既にこの市場の騙しの構造に気がついているのかもしれません。

後は騙す側がこれは騙しだと気がつくかどうかですな。

投稿者 tano : 2010年06月23日 01:40

tanoさん、火の鳥さん
返信が遅れて申し訳ありませんでした。

>究極の騙しの構造とは騙す側も騙される側も気がつかないという部分にあるようですね。

これまで、騙し側(欧米の証券会社等)の論理【「商品取引は、全て自己責任である。⇒これが自由競争社会の原則である。要するに「騙される方が悪い」】が通用していましたが、あの米国でもリーマンショックを契機に社会倫理(社会を維持する為の倫理規範)に反する行為は、バッシングを受けるようになって来たと思います。
刑事裁判としては、告発できなくても民事裁判で告発して責任を追及する風潮が出ているようです。


投稿者 ryou : 2010年07月15日 22:20

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