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2010年07月30日

シリーズ「インドを探求する」第9回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その1>~

インドにおいて誕生した仏教
アジア各地に広まり、日本に定着しました。
しかし、インドにおいて仏教は、13世紀以降その姿を消しました(現在は復活の兆しがありますが)。
学者からは、様々な説が出されており、定説では、イスラムによる攻撃となっていますが、だとしたら、仏教以外の宗教、とりわけヒンドゥー教が残ったのは何故なのか?
どうも、仏教徒だけを攻撃したとは考えにくいのです。
そこで、今回は、その仏教衰滅の謎に迫っていきます!
宗教ってなに?番外編~インドに仏教が根付かなかったのはなぜ?①~
の続編として、仏教誕生から衰滅までを見ていきたいと思います。
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インド仏教史の概略を下の図にまとめました。
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<その1>では、仏教が誕生する直前のインドの状況を押えていきます。
1.仏教成立の時代背景
○バラモンの思想
 紀元前15世紀ころ、西方よりインド西北部に進入したアーリア人たちは、先住民族と同化しながら定住し、農耕生活を始めました。その中で、次々とインドに進入してくる異民族との抗争を避けながら、アーリア人たちは西北インドからガンジス川の下流地域へ東漸するに従って、それまで経験したことのない厳しい気候・風土にさらされることになります。そこで、登場するのが呪術的信仰です。
 なぜなら、呪術的信仰は、人をして災いを逃れしめ、福を得させるという現実生活の直接的な欲求に応えようとするところに生まれるためです。
 インドの場合、東漸により、新しい環境・風土の厳しさがいや増してアーリア人に襲いかかってきました。
 ガンジス川流域のジャングルを切り開き、開墾しつつ、東漸していくアーリア人の前途は多難であったであったろうし、予期せぬ災厄や病気が、いつ降りかかるかも知れぬ危険にさらされていたでしょう。そのような状況により、人間に恵みと喜びを与える自然の諸現象を、人格的な神として崇め讃える、多神教的なおおらかで明朗な信仰は維持できなくなります。そして、いかにして予期せぬ災厄や病気が降りかかるのを防ぎ、生活上の直接的な福徳を招くかが課題となっていきました。
 そこで、土着の民が行っていた呪術的な信仰を取り入れていくことになります。そうやって、彼らは神々への祭式を発達させ、祭式を通して神々を動かし、闘いに勝利したり豊穣をもたらそうとしました。そして、その神々への讃歌や祭式の方法が述べられたヴェーダとよばれる聖典が編纂されました。
 そのヴェーダ哲学は、一言で言うなら祭式の意義、祭式の時唱える言葉についての哲学的考察、祭式の対象である神々についての考察などです。ヴェーダの祭式の伝統では、人生の節目、毎年の季節の節目毎に種々の儀式が行われていました。つまり、時間の経過とともに人生や自然からは、創造的なエネルギーが失われ混沌と化して行くので、種々の儀式によって力を補ってやり、再び人生や世界を調和へと導くことができる、と言うのです。
 人々が自然とともに生き、自然に畏敬を感じつつ生活していた時は、毎年毎年円を描きながら循環していました。
 ヴェーダ文明の最前線地帯、ガンジス河中下流域は、盛んだった稲作による穀物流通で、非常に潤っていました。
 当然、そのような時代状況では、富と財力を背景とした物質的、享楽的風潮も広がっていました。バラモンと呼ばれたヴェーダ祭式文化の中心者たちの中には、それを嘆かわしい堕落と考える人もいました。その人々にとっては、ガンジス河中下流域は「堕落の地」でしたが、彼らはただ、ヴェーダの伝統を墨守するだけでした。
 また、バラモンの中にも、物質的、享楽的風潮に流され、追従する輩が出てきました。
 そんな物質的繁栄をただ一つの目的として生きる人が恐れるのは、貧困、病気と老いと死です。自分の望みの追求が、それによって断絶してしまうからです。今の自分への固執は、他の状態、異なるものへの嫌悪、恐怖となります。
 それで、その人々は儀式を行い、財産・子孫・長寿を得る祈祷をバラモンに行ってもらうことで、功徳を積み、その望みの達成を願ったのです。ここで、「循環的な時間観」から「蓄積的な時間観」へと、大きな変化が生じ、祭式の意味について思索が深められ、前6世紀にはウパニシャッドと呼ばれる哲学的思索の書が形作られました。そのウパニシャッドの中で展開されたのが輪廻と解脱の思想でした。
○輪廻と解脱、カースト制度
 「輪廻」とは、生き物がそれぞれの業(過去の行為による報い)によって生と死をくり返すことをいいます。つまり、現在の生のあり方が次の生のあり方を決定するというのです。しかし、エジプトとは違いインドの過酷な自然のもとでは、生と死の繰り返しは苦痛だったのでしょう。この輪廻転生は、何とかして断ち切られるべきものと考えられたのです。
 この「輪廻」を循環的な時間観と捉えがちですが、輪廻が業報(がっぽう)思想と結びついた時、それは無限の因果の連鎖になってしまいます。もはや、人は元いたところには戻れず、善業も悪業も蓄積され、無限にその連鎖が続くのです。循環ではないのです。しかも、その場合の、善業は現実の欲望(自我)を満たすという目的にかなったものが、善とされているだけなのです。
 そして、祭式を司っていたバラモン(祭祀階級)たちは、祭式を行いその意味を知る者だけが、神秘的な智慧と儀式の力によってその善業を積み、輪廻から抜け出し得ると言い、その解脱の境地を、個々の人間の魂であるアートマン(自我)と宇宙の原理ともいうべきブラフマン(根本原理)との合一(梵我一如)であると説いたのでした。
 
 こうした祭祀の根底には、行う側、行ってもらう側双方に、自分を呪縛する「欲望(自我)」があります。それを釈迦は発見し、「祭式」を強く批判しました。『人々が祭式を行うのは、「今の自分」に執着しているからである。老いなど「今の自分」と異なるものに不安と嫌悪を抱くから儀式を行うのである』と。
 「今の自分」は「今の社会の仕組み」「今の世間の常識」に複雑に呪縛されています。「今の自分」「今の境遇」の延長に対する欲望は、「今の社会の存続」を何の疑いもなく受け入れることなのです。しかし、実際には自分は変化し、世間も、社会も変化する。変化する自分が変化する世界と出会う。その出会いの瞬間の多様なきらめきを如実に捉えようとしたのが、釈迦でした。釈迦の「慣習的祭式」批判は、祭式の深層に潜む「欲望(自我)」からの解放の運動だったのです。もちろんその批判の対象として、「カースト制度」も含まれてきます。「カースト制度」というものは、変わることを恐れるが故に、生涯固定の身分を作り出し、上層(バラモン)階級に至っては、そこに安住することを求めた結果なのです。
○女性蔑視の思想
 バラモンを頂点とするカースト制度に縛られたヒンドゥー社会においては、上記の輪廻観と、浄・不浄観の広まりによって、月経の際に血を流す女性は、本質的に「不浄」「邪悪」「軽薄」「淫ら」なものとされ、「女は出産の手段」「男児を産んでやっと一人前」「娘は厄介者」とされていました。
 そして、宗教的にはシュードラと同位相に位置づけられ、「三従(子供の時には父親に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従う)」が規範化されていました。
○商工業の発展→自由思想家の登場
 紀元前7世紀を過ぎると、先にも述べたように、農業の富が蓄積され、富と財力を背景とした物質的、享楽的風潮も広がっていき、次第に商工業が栄え、いくつもの都市国家が成立するようになり、いよいよ本格的に私権時代に突入して行くことになります。。
 
 私権時代になり、新しく力を持った王族や商工業者は、従来のバラモン的祭祀では、新たな貨幣経済においては、何ら役に立たないことを痛感し、これまでのバラモンの思想に代わる新しい思想を求め始めました。また、王族や商工業者に富が集中するに従って、人工的な貧富の格差が生じ、シュードラより下位の階級の民衆は、その苦しみからの脱出を願っていました。
 
 そして、それら脱出への勢力を代表する思想家が多数出現しました。その中の1人が釈迦です。彼らはヴェーダの権威を認めず、ウパニシャドが主張した、宇宙原理が実在するとは認めませんでした。そして独自に、この苦しみの世界からの脱出、輪廻的生存からの解脱を追求したのでした。それらの主張の中には、私権を肯定する快楽論を説く者や、徹底した唯物論を展開する者など様々でした。
 シリーズ「インドを探求する」第10回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その2>~につづく

投稿者 jomon10 : 2010年07月30日 List  

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コメント

ひとつ気になることがあります。生口の存在です。
縄文以降ですが後漢の帝に160人もの生口を献じて
ますが、どこでどうなったらそのような奴隷的な
人たちが出てくるのでしょうか、何千年も前に
多神教のわが国に何とか助け合って生きていた時代に
そのような存在があることの理由を知りたい。
人口の増加とか外部の侵入者論とかあるのだろうが
もっと本源的に長いものに巻かれない者は差別を
受けるのでしょうか。東洋の和の精神に反していると思います。大陸の侵入者
達に負けてそういった社会構造になるのでしょうか。

投稿者 小林健二j : 2010年11月14日 23:15

小林様コメントありがとうございます。日本は最新技術を中国や半島から得る見返りに塩と生口を送ったとよくいわれます。しかし、生口が奴隷だったかどうかは諸説あるようですね。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/03/000167.html
これは防人に蝦夷があたったというあたりのことも含めてですが、かならずしも強制的苦役労働だったかどうかは少し慎重に考える必要があるように思います。
例えば、南方の未開部族は白人に対し歓待し、未開部族の女性による性的歓待まで行ったといわれますが、それは色眼鏡で見れば、性的奴隷を献じたということになるわけです。しかし、贈与精神しかない場合、当人たちは苦もなくそのようなことをやってのけることもあるわけです。
生口の問題も、防人の問題もそういう次元にあるような気がしています。勿論、卑弥呼は渡来の王で土着日本人の奴隷売買を行ったという仮説もなりたちはするのですが(そのような仮説を考えたこともあるのですが)その場合でも、卑弥呼を含めた部族全体が渡来部族であり、往来を苦としなかったと考えた方がいいのかもしれません。
今後とも鋭いコメント期待しております。是非、いっしょに追求してまいりましょう。

投稿者 怒るでしかし~ : 2010年11月16日 22:04

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