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2011年12月17日

「支配者から見た属国意識」~4.支配者が作り出した天皇主義1

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 十六弁八重表菊紋  古代朝鮮半島勢力図  伊勢神宮宇治橋大鳥居
天皇主義を解明する目的は、【日本人はいつモノを考え始めるのか】という課題の答えを導く為であります。それは、社会のことを考えない=捨象している意識の根底には、私たちの「お上捨象意識」が存在し、お上捨象意識の根底には、縄文から弥生人に引き継がれた受け入れ体質と中国や朝鮮半島や騎馬民族が列島に持ち込んだ力の序列意識下の属国意識があります。縄文・弥生人のもつ受け入れ体質と渡来民からの属国意識が作り出す先端の統合観念が【天皇制】です。社会を正面から直視する=社会を考え始めるということは、このお上意識から抜け出すことです。
※この問題意識は、『なぜ、属国意識を解明していく必要が在るのか?~次代は庶民の変化にかかっている』参照下さい
1600年前、列島に支配目的で渡来した彼らは半島での属国意識(屈属意識)をどのような形で列島に持ち込んで来たのか?また、時間の経過とともに、それらの意識が、日本でどのように変わっていき、お上意識を生み出し、さらに、天皇制を作り出すことになったのか?を押えていきたいと思います。
いままでの記事の紹介です。

シリーズ「日本人はいつモノを考え始めるのか」~プロローグ
Ⅰ弥生時代の解明
1)弥生時代の解明1~倭人は、なぜ縄文人に受け入れられたのか?
2)弥生時代の解明2~倭人は、どのように縄文人と融合していったか? 
Ⅱ属国意識とお上意識の史的解明
Ⅱ-1)支配者から見た属国意識
1)「支配者から見た属国意識」~1.朝鮮支配者は日本に来てなぜ変化したか?
2)「支配者から見た属国意識」~2.朝鮮支配者が来る前夜の状況
3)「支配者から見た属国意識」~3.支配者層はなぜ庶民に配慮したのか?

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このシリーズで判明したことは、1600年前に、列島を支配・掠奪する目的で渡来した民族は、もともと列島に先住していた縄文人・弥生人の部族共同体と接するうちに、彼ら(支配層)の属国意識が変化して、民衆のことを考える(=土着の部族連合や村落共同体を残す)統治方法に変わったというのが主な解明点でした。受け入れ体質の南方系農耕民族に触れて、戦争や掠奪を回避する統治の仕方は、支配者、被支配者双方の秩序・安定収束の期待があり、お互い配慮しながら、過干渉せずに日本という国を作っていったのであろうと推測されます。こうして、民の「お上捨象」とお上の「民の生活第一」という日本人の特異な体質が出来上がったのです。
この秩序収束の潮流は、下記のサイトが参考になります。まずは、多くの民をまとめあげる社会統合の視点・共認形成という大きな視点で押えてみたいと思います。
◆基本構造
『共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造』
は、下記が詳しいです。このような根源的な意識の収束先が存在し、そこに収束した先端の観念が天皇制や神話の概念であるということが出来そうです。

◆10/17なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束
共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。(イスラム教は唯一神を掲げてはいるが、その実態は生活の隅々にまで及ぶ規範体系である。これは儒教もそうであるが、宗教と呼ぶべきなのか、大いに疑問である)
日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。そこでは観念性はほとんど見られない。先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。
東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。
 言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である

◆実現論:序2(上) 現実に社会を動かしてきた中核勢力
古代初期、王国が誕生した段階では、武装勢力を率いてきた部族長が王となり、将たちが貴族となって、国を治めていた。
ただし、部族長は、もともと祭祀を司る長でもあったが、王国が誕生する前後に、祭事は神官(後に教団)に委ねられてゆく。次に、国の規模が大きくなると、政治も官僚に委ねられていった。そして、教団勢力が大衆の共認支配を担い、官僚勢力が大衆の法制支配を担うことによって、現実に社会を動かすと共に、その権力をどんどん拡大していった。
その結果、王は、形の上では最高権力者だが、それは表向きだけで、実権は官僚や教団が握って好きなように社会を動かすようになり、王は彼らが進める彼らに都合のよい施策に、お墨付きを与えるだけの存在にまで形骸化する。要するに、名前だけのお飾りである(日本の天皇がその典型)。

実際、執政をとった天皇はどれだけいるのだろうか?日本の天皇で執政天皇は、天智天皇、天武天皇、桓武天皇、後白河天皇、後鳥羽天皇、後醍醐天皇、明治天皇、昭和天皇などが数えられるが、多くは不執政天皇であったようです。つまり、お飾り天皇であったようです。天智~天武天皇と藤原不比等による律令制とは、大陸や中国、国内の闘争に適応するために、天皇から実質権力を剥ぎ取る体制を作ったのではないか?と思われます。
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◆属国意識は上(支配者)と下(庶民)の合体意識である(1)
【お上意識を象徴するのが天皇制】
そしてこのお上意識の象徴が天皇制である。
天皇制は日本でしかない特殊な制度であるが、その制度の発初から支配者が意識したかどうかは別として、この天皇制が庶民と支配者の関係を表す象徴制度であることは歴史を見ても明らかである。
天皇制、それによって作られた天皇主義はまた支配者側の組織においても有効に作用する。支配者側の共通意識は強国に対する屈服意識であるが、強国中国が脅威でなくなった時には、この天皇制を用いて同様に権威(強国に代わるもの)に屈服するという意識を作り出した。いずれにしても、圧倒的な権威が庶民を押さえ込む側の支配者側にとって必要だったのだ。これは日本の支配氏族が武力によらない手法で統治したことと関係している。
つまり、困った時(有事)には天皇制を引き合いに出して庶民を従え、平時には支配者と庶民は切り離されてそれぞれが課題にあたる。天皇制とは有事の際に度々利用されてきた。戦争もしかり、明治維新もしかり、そして最初の王朝である大和、奈良王朝もしかりである。この力の原理ではなく権威に収束する構造はなぜか?天皇制=天皇主義とは日本にとっての最初の観念収束であり、支配階級が押し付け、大衆が従った、大衆と支配者を繋ぐ統合観念であった。
それにしても、なぜ支配者の信奉対象は日本に来て、「力」から「権威」に代わったのか?これは日本独自の現象だがこの説明をする上で天皇制を解明しておく必要が在る。

【お上意識を象徴するのが天皇制】
この力の原理ではなく権威に収束する構造をもつ天皇制または天皇主義とは、支配階級が押し付け、大衆が従った、日本にとっての最初の大衆と支配者を繋ぐ統合観念であったとされている。国家概念のない7C~8Cの日本では、大衆と支配層がこの統合観念で具体的に繋がっていたのか?の疑問が残りますが、時代を経るにつれて、神社や神話などで追共認されていきました。アマテラスと土着の神、双方を祀る例に見られるように南北文化が融合して下方拡散していき、民に浸透していったのであろうと考えられます。
また、庶民は「お上捨象」、支配者は「民の生活を配慮する」という意識は、世界でも稀な特異な体質で、下にも上にも安定・秩序収束が形成されたのは、日本人の縄文体質(受け入れ体質)の結果であるといわれています。日本の天皇制度がいままで存続してきたのは、上も下も秩序安定期待が第一で、最も無難だったからであります。天皇を奉っておき、実質の権力闘争の決着を武力ではなく天皇から権威が与えられることで権力者の上下関係を決定し、血縁関係を結ぶこと(天皇家と婚姻を結ぶ形)で力の序列を止揚することは、被支配層は、痛みを伴わないし、現実の共同体の充足を保つことができたのだろうと思います。双方とも安定し秩序が保たれるこの天皇制は、確かに日本の統合観念といってもいいかもしれません。

◆10/30なんでや劇場4 民の「お上捨象」とお上の「民の生活第一」という日本人の特異な体質 冨田彰男
◆このケースは欧州や中国には当てはまるが、日本ではどうか?
奈良・平安時代から日本の庶民たちは支配階級のことはどうでもよいと捨象してきた。
日本の庶民は縄文体質(受け入れ体質)であるが、長年中国に服属することでその地位を保ってきた朝鮮の支配階級は悪しき力の原理が骨身に染み付いており、上にはとことん隷従し下にはとことん横暴に振舞うという最悪の支配体質であった。
その後の朝鮮における両班と呼ばれる支配階級が中国や朝鮮国王には屈従する一方で、大衆からはエゲツナイ収奪を繰り返したことからもそれは伺える。
悪しき力の原理主義者である朝鮮発の支配者と縄文人の体質は水と油である。従って、縄文人は朝鮮から渡来してきた支配者を表面上は「お上」として奉りながら、心の底では「自分たちとは無関係なもの」として捨象してきた。つまり、日本人のお上意識とは正確には、お上を捨象する意識なのである。
その後の鎌倉~江戸時代の武士階級は縄文的な土着性を強く残していたが、この武士政権も基本的にお上(天皇家や公家)を捨象した。ただ政権を担う正当性を確保する必要から、天皇にお墨付きを出させたにすぎない。
他方、朝鮮から来た支配階級にとって、縄文人は信じられないくらい素直で従順であり、ほとんど戦争をすることなく、支配体制が受け入れられていった。世界の常識では当たり前の、力の原理に物を言わせて従わせるということが、縄文体質の世界では全く不要なのである。
これは世界的に見ても極めて特異なことである。すると、支配階級の側も力で制圧するのではなく、縄文人たちと仲良くやった方が得→庶民の生活が第一という意識が形成されてゆく。このように「みんなのため」「民の生活第一」という発想が日本の支配階級の間で形成されたのも、庶民大衆が縄文体質だったからである。
~中略~
庶民は「お上捨象」で、支配者は「民の生活第一」という世界でも稀な特異な体質が下にも上にも形成されたのは、日本人の縄文体質(受け入れ体質)の結果である。
そして、日本の天皇家が存続してきたのは、上も下も秩序安定期待が第一で、天皇家を奉っておくのが、秩序安定上最も無難だったからである。

 日本における天皇や神道、神社、天孫思想や神話などは、いままでの追求で判明した流れに沿って、7Cの天武天皇体制時代に形つくられ、日本と称し、中央集権国家という国家概念を形づくっていきました。これらの思想は、支配者にとっては、属国意識を強く残している朝鮮系渡来支配層どうしの闘争を止揚するため、中国や強国の『武力』に変わる『権威』としてもこの観念は必要であり、かつ、先住農耕民を観念・共認支配してゆく方法としても効果を発揮する方法でありました。さらに、土着の勢力を振るった部族を従えるためにも必要であったと思われます。この思想は、架空観念であるが故に、先住の土着部族の共同体を破壊することもないため、土着の有力豪族は、やむなく、この思想を受け入れていったのだろうと思います。
 しかし、そこに至るまでには、国内の権威をめぐる紛争や掠奪、国外の(特に唐の)同類圧力に晒され、多くの土着豪族と支配氏族、渡来支配氏族間の権力闘争が繰り広げられ、半島や中国の情勢も視野に入れながら、まとまったのは、7C頃であると言われています。次号以降では、その詳細を追求したいと思います。
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投稿者 2310 : 2011年12月17日 List  

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