2012年01月09日
弥生時代の解明4~神社に見る中国系から朝鮮系への転換、支配体制の確立
シリーズ前回投稿では、弥生時代の墳墓をみることで、「弥生時代は階層化していなかった」との結論が得られました。さて、今回は、集団統合の祭祀の場として重要な「神社」を扱います。
神社というと、正月にお参りするし、(また、歴史的には天皇家と関係が深そうで)多くの日本人は、日本古来のものと思いがちですが、実は起源は大陸にあります。参照るいネット
そして、今回のテーマに繋がりますが、大陸由来である神社にも2系統の神社があり、中国(江南)系の神社と朝鮮系の神社があります。


出雲大社(上)と伊勢神宮(下)
上段の大きな注連縄があるのが中国(江南)系、そして下段の注連縄の無いほうが朝鮮系の神社です。中国(江南)系の神社には大きな注連縄があり、それは、蛇が絡み合いながら性交する様子を象徴しているといわれ、より原始的な神社信仰を象徴しています。(実際、神社信仰の「原型」は、江南地方起源とされています。)
前回投稿まで、中国・江南人が日本列島に渡来、大きな争いも無く、縄文人と緩やかに融合し弥生人が形成されていく過程がレポートされました。その後、現天皇家につながる朝鮮系渡来人がやって来て支配体制を確立することになるのですが、今回のエントリーは「中国系神社」「朝鮮系神社」の分布や歴史をみることで、朝鮮系部族による支配体制への移行過程に迫ろうと思います。
出雲の国譲り
では、神社分析に入りますが、その前に、江南系弥生人の時代から、朝鮮系支配への移行の歴史はどのように考えられているか見てみます。(それを押さえた上で、後段で神社分析と突合せ、検証します。)
古事記や日本書紀を分析することにより、およそ以下のような、出雲系(江南系)から天孫系(朝鮮系)への転換があったと考えられています。古事記、日本書紀で「国譲り」とされている所です。(もちろん実際は、譲ったのではなく、武力を背景に譲らせたことは明らかと思われます。) 以下は出雲の国譲りとはより引用。
このように『出雲国風土記』では、出雲族は葦原中つ国そのものを天孫族に譲り渡しています。逆にいうと、天孫族は出雲族からそれを奪っている。列島の支配者としては最初に出雲族がおり、そのあとを天孫族が奪った構図が見えます。これを上でみた出雲文化圏という視点でみると、出雲族の支配域を天孫族が奪い取った。つまり大和朝廷は、列島を広く覆っていた出雲文化圏を、自分たちの色に塗り替えようとしたのではないか、と考えられます。すでに普及していた出雲の神々への信仰を、天照大神という新しい信仰へと、置き換えようとしたのではないでしょうか。
もともと出雲を中心に江南系・出雲族(おそらく江南から朝鮮南部を経由してやって来た越人)が列島に広がっていた。そこへ、朝鮮系・天孫族(恐らく満州から朝鮮を経由して南下した扶余族)が入り日本を支配するにいたった、そのように考えられています。
中国系神社と、朝鮮系神社の分布、展開の歴史
では、いよいよ、日本における江南系神社、朝鮮系神社の分布とつき合わせ検証してみます。「八雲ブログ」に、記紀分析と神社分布を検証しており、そこから引用します。
結論から言えば、神社の分布は上記、「江南・出雲系→朝鮮・天孫系への転換」の仮説を裏付けるものになっています。
現時点での全国の神社の主祭神がどうなっているのかを調べてみました。「平成祭データ CD-ROM」は現在の神社の本社・末社の主祭神、配神、合祀などを検索できますが、今回は全体の傾向を見るということで、本社に祀られている神を主・配・合祀も含めた数でカウントしています。合計ではアマテラス(天孫・朝鮮系)が11692社に対して、スサノオ(出雲・江南系)は9315社ということで、アマテラスが多いのですが、圧倒的に多いという訳ではありません。
さらに地域別で見てみると、アマテラスは東日本地区で強く、東北開拓が進んだ頃にはアマテラスが主祭神として扱われていたことが伺われます。ただ、関東地区ではスサノオが多く、武蔵國の開発には、出雲地区からの移民が多く携わったということが文献上にも見られるのですが、数の上からも伺えます。注目すべきポイントその2は、伊勢すなわち三重県でのスサノオの神社の数です。伊勢といえば、アマテラスを祭る伊勢神宮がある土地ですから、当然アマテラスを祭る神社の方が多いと思われがちですが、結果は逆になっています。つまり、伊勢、三重県でもアマテラスを祭る神社である伊勢神宮ができる以前にスサノオが多く祀られていたと考えるほうが自然です。
さらに注目すべきポイントその3は、琵琶湖から西の地域でのスサノオを祭る地域の多さです。大和國と言われる地域である近畿地方において、アマテラスの神社よりもスサノオの神社が多く見受けられます。
歴史的にも、スサノオとアマテラスでは、スサノオ系の人たちが古くから近畿すなわち大和の土地を治めていたと言われており、アマテラス系の人たちが近畿を治めたのは後年になります。日本書記・古事記が書かれた頃にはアマテラス系の人々が大和の地を治める時代になっており、それ以後はアマテラスを祀る神社が多く立てられたと推測されます。にもかかわらず、これだけスサノオを祀る神社が多いということは、日本書記・古事記に書かれた歴史とは異なり、日本はかつてスサノオすなわち出雲の人たちが日本という国を作り上げて行ったのではないかと考えられます。
以上見てきたように神社の分布は、記紀分析から導かれる中国系(出雲系)→朝鮮系(天孫系)の転換に完全に符合していることが分かります。私たちの日常の中にある「神社」からも裏付けられるということで、古代の大転換がすごくリアリティーをもって感じられてきす。
朝鮮系神社=天皇システム、すなわち徴税制度の確立
さて、このように、出雲系(江南系)から天孫系(朝鮮系)への転換により神社も朝鮮系のそれへと塗り変えられていきますが、それは神社の性質を根本的に変質させるものでした。
もとより、江南系→出雲系の民族は支配体制をもっておらず、集団統合は集団間を結びつける祖霊信仰=祭祀統合によって行っていました。そして、それを司る空間として神社が用いられました。
そして、天孫系・朝鮮系の転換に伴う神社の転換の本質は、祭祀統合の場でありながらも、序列を示す関係となり、大衆から徴税する為の地方拠点へと変質したという点です。
(なお、神社はもともと露天に鳥居があるだけの施設でしたが、おそらくこの頃、神社造りの「家屋」が生み出され、蔵→徴税拠点にも用いられるようになったと思われます。)
神道祭祀をつかさどる神祇官は、豊年祈願の祭りのほか、祈年祭や収穫を祝う新嘗祭を行うにあたって、まず全国の神社の神官を中央に集め、神に捧げ物(幣帛:へいはく)をした。その後、この捧げ物(幣帛)を地方の神官に配る。天皇が稲穂などの幣帛を、穀物の実りをつかさどる神に捧げるからこそ、神の加護を得られ、これを種籾として農耕に励むことで、豊作が約束される、というのである。言葉を換えると、捧げ物をしなければ豊作も約束されないわけだ。
るいネット「神社ネットワークから徴税制度へ」より引用
中央から地方へと広がる神社ネットワーク、あるいは徴税システムが整備され、中央のみならず地方諸国(の倉)にも、一定の生産物が蓄積されていく。神社や諸国の倉に貯蔵された生産物=米は、「貸し出される」ようになった。これが『出挙』と呼ばれるものである。最初に獲れた初穂は神に捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。この蔵の初穂は、次の年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、農民は蔵から借りた種籾に、若干の神へのお礼の利稲(りとう:利息の稲)をつけて蔵に戻す。
るいネット「徴税制度によって市場の基盤が出来上がる」より引用
当初の利稲は実際に農民からのお礼であったかもしれない。しかし、神社システムネットワークが整備され、そこから生まれた『出挙』は、やがて、律令時代には利息は50%にもなることもあったよう。高利貸しなみの租税です。ここに至っては根本的に変質したと言わざるを得ません。
支配を正当化するための神話
このように神社は、本来の機能に付加させた徴税機関となりますが、この転換はどのように成し遂げていったのでしょう。また、弥生人たちは朝鮮系による支配をどのように受け入れたのでしょうか。
そこで必要とされたのが、つまり、「国譲りの神話」ということでしょう。先にもおおよその構成を書きましたが、もう少し具体的にストーリを「スサノオと国譲り神話について」より紹介します。
所謂「国譲り神話」の中身、筋書きに関する事柄です。極々大雑把に「神話」を纏めると、まず、もともとカミサマの世界に住んでいたスサノオは、そこで、大変、乱暴な振るまいをしたので、神々が相談の上人間の世界(舞台は出雲)に追いやられた。スサノオは毎年高志(こし)からやって来て人々を困らせているヤマタノオロチを退治し自分の娘にオオクニヌシという婿を迎えて(彼にオオクニヌシに成れ、と言って)国の運営をまかせた(国を譲った)オオクニヌシはスサノオの六世の孫であると言う前段(一度目の国譲り、スサノオからオオクニヌシへ)があり、続いて、肝心のアマテラスとオオクニヌシの「国譲り」に場面が移ります。
その理由は、誰が考えても唐突に思えるのですが、スサノオの姉であるアマテラスは、スサノオから国の運営を任され「出雲」に居るオオクニヌシに使者を送り、この国は、もともと私の子孫が治めるべきものである、だから、貴方は速やかに国を明渡すべきである。との要求を突きつけ、再三に亙って使者を送り続け、最終的には「武力」でオオクニヌシ(正確には、彼の子供たち)を屈服させ、その支配権を獲得するのです。
弥生人たちが信じていた神「スサノオ」を、カミサマではあるが、乱暴もので人間の世界に追い出された「駄目な」カミサマと描いているところが味噌かと感じられます。スサノオをまるごと否定したり無視したりせず、その上に、より偉いカミサマがいるのだという話になっている。実際、弥生人が信仰していた「スサノオ」の神社はそのままでもあり、その上にさらに偉い(?)神さま=天皇がいるのだという話で納得させられていったのでしょう。
補足すると、このように(自らの信仰を押し付けるのでなく)先住の民族の信仰をそのままに、それを利用する形で潜りこむように君臨するのは、天皇家につらなる騎馬民族の典型的な統治手法で、受入れ体質の縄文人や弥生人は簡単に取り込まれていきました。
まとめに
さて、天孫族=朝鮮系支配民族は、ここまで見てきたように、(弥生人の風習を利用しつつ)徴税のための支配体制、徴税ネットワークを構築しました。
ここで、本シリーズの最終的な問題意識、「日本人はお上意識や属国意識からいつ目覚めるか」という点に立ち戻ると、重要なポイントが含まれているように思います。
天孫族は支配しましたが、あくまで弥生人の信仰、スサノオ信仰、スサノオを祭る神社を残したまま行われました。つまり徹底的に力づくで支配することはありませんでした。(天孫族のほうが圧倒的な武力を持っていたはずですがこうなったのは、迎えた縄文人、弥生人が従順で、素直、受け入れ体質であったからとしか考えらません。)
このように、縄文人、弥生人の共同体や信仰をそのまま残しつつ支配したことが、その後の、日本人に特有の「お上意識」や「天皇主義」に繋がっていったのではないかと思われます。この点は継続追求テーマとなります。
投稿者 fwz2 : 2012年01月09日 17:22 Tweet
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.kodai-bunmei.net/cgi/mt-tb.cgi/1328
コメント
>注目すべきポイントその2は、伊勢すなわち三重県でのスサノオの神社の数です。伊勢といえば、アマテラスを祭る伊勢神宮がある土地ですから、当然アマテラスを祭る神社の方が多いと思われがちですが、結果は逆になっています。
これ重要ですよね。私も先日、三重で正月の注連縄作りをしてそこに「スサノヲ」信仰が根付いていることや獅子舞信仰が根付いていることに気が付きました。
伊勢神宮は、ますます不思議な神社です。
投稿者 yama3nande : 2012年01月11日 00:37
満州から朝鮮を経由して南下した扶余族であれば、満州系と言うべき。
なぜ朝鮮系を連呼するのか。
朝鮮系を連呼する意図は?
投稿者 応援 : 2012年01月11日 11:42
確かに、扶余系でもいいきがするが、結局、今の朝鮮が扶余系かどうかにもよるんでしょうね。
投稿者 yama3nande : 2012年01月11日 13:25
Y染色体ハプログループの件はどう説明するのですか?
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/Y染色体ハプログループ
投稿者 匿名 : 2012年01月11日 17:20
元々朝鮮南部は倭人の国だからね・・・
大和言葉は、開音節。朝鮮語は、閉音節。
支配層が朝鮮系に変ったと言うのは朝鮮人が言いたがる。
倭人の一部が江南由来と言うのは徐々に認識されつつあるが、
古代日本人に置き換わったと言うのは全くの間違い!
可哀そうだが朝鮮人にそんな力が有った歴史は無い!
投稿者 yamato : 2012年01月12日 16:32
天皇システムって天皇制てことですかね。
朝鮮系や中国系といい、正確な表現ができていないような感があります。
せっかく面白い推理だと思ったのにさすがにポチッと応援はできない内容ですね。
投稿者 Anonymous : 2012年01月12日 23:49
↑
キモイ。
投稿者 Anonymous : 2012年01月13日 20:18
伊勢神宮を朝鮮系などと嘘を書くのはやめてください。不快です。
投稿者 ya : 2012年01月19日 20:56
**********大和民族大移動***********
書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治
失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんがった泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。
書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。
では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
②貴重な金石文を正確に読みましょう。
③地名や人名の起源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。
石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
(過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
及び 稲荷山古墳の鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
③地名人名の起源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ) ⇒誉田(ほむた)
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。
その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説を よくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。
しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。
なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。
結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。
続きは その②を読んでください
では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。
石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。
古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃
で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツ は典型例でしょう
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。
古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】
大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。
しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置きざりで、自ら大和民族大移動して来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。
隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんの妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。
まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。
石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書記です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。
石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書記の編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。
見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石綿説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』が眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。
私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』
とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』で ネット検索。
投稿者 むらかみからむ : 2012年01月23日 23:53
天皇は祭祀を司るシャーマンでは、そう考えると江南に繋がります。
長江文明に源流がある以上急に朝鮮半島の支配者とかおかしすぎ
人口も遥かに多い倭国を支配できない。へンテコな理論。
未開の人間を支配するんじゃないよ。馬鹿げている。
投稿者 縄文人 : 2012年01月25日 23:17
天皇は祭祀を司るシャーマンでは、そう考えると江南に繋がります。
長江文明に源流がある以上急に朝鮮半島の支配者とかおかしすぎ
人口も遥かに多い倭国を支配できない。へンテコな理論。
未開の人間を支配するんじゃないよ。馬鹿げている。
投稿者 縄文人 : 2012年01月25日 23:18
コメントしてください |