2008年09月21日
最初のアメリカ人とは?
現在のアメリカ人とは?と
問われると、白人、黒人、ネイティブアメリカン、インディオ、イヌイット・・・・・いろいろな人がいますね。
では、その中で最初のアメリカ人は?一体誰でしょう?
今まで、古代文明を扱ってきましたが、その文明の主体をなした人々の、祖先は一体どこから来たのでしょう。
そこで歴史をさかのぼり、アメリカ大陸の各遺跡の場所と年代を調べてみました。
さてそこから何が見えてくるか?

アメリカ大陸への人類の移住
さて その前に
posted by dokidoki : 11:09 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年09月18日
北方モンゴロイドって何?
これまで、アステカ・マヤやインカなど、西洋に破壊される以前のアメリカ大陸文明を探求してきましたが、これらの文明を興した人々は「モンゴロイド」であり、日本人とはとても近い存在です。(見た目にもそうですし、最近のDNA分析でも明らかになりつつあります)
一方で、「リーマン破産」、「メリルリンチ合併」、「AIG救済」などアメリカで金融破たんが始まり、世界的な経済破局の様相を呈してくる中で、われわれ日本人は何をすべきか?そして、その可能性を探るために日本人の起源の探索に関心が向かっています。
そこで、日本人とインディアン、インディオの共通の祖先であるモンゴロイドとは何か?どのようにアメリカに渡っていったのか?ついて探索していくことにしました。
詳しい方もちょっと関心があって調べてみたという方も、関連する史実があればどんどん記事にしていきましょう。
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九州大学ミニミュージアムからお借りしました。
posted by nandeya : 22:45 | コメント (3) | トラックバック (1)
2008年05月24日
人類の起源は東アジア地域、中国の青海チベット高原の東部地区かもしれない
これまでの考古学的発掘記録ではアウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンスなどを含む完全に系統立った化石系列が出土したのはアフリカ大陸だけで、そのため人類の起源はアフリカ大陸にあるというのが考古学界での見方でした。また、今まで各大陸でホモ・エレクトスの化石が比較的多く出土しており、特にアジアに多かったことから、学者たちは大体百六十万年前にホモ・エレクトスはアフリカから「放射」されてアジアや欧州およびその他の大陸に移っていったと推測しています。
しかし長江中流の三峡地区の「巫山人」に関する一連の発見と長江下流流域の安徽省繁昌県における発掘調査から、この学説を覆す発見がなされた可能性がでてきました。人類の起源はアフリカではなくて、アジアの可能性もあるのです。雲南・貴州高原およびその東部の長江流域を含む青海チベット高原以東の広大な地域で二百万年ないし四百万年前の古人類の化石とその生活の遺跡を探すというもので、それによってここ数年来の古人類学界の「人類の起源が東アジア地域、特に中国の青海チベット高原の東部地区である可能性もある」という説が取り上げられています。
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posted by norio : 21:23 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年01月13日
日本人の起源は北東アジアと判明!?
ゲノム解析で明かされる人類史の謎
ー人類史の起源は北東アジアと判明ー
これまで日本人の起源は旧人(縄文人)系と、北東アジアからの渡来人系との混血からなるという二重構造説が有力でしたが、最新のゲノム解析によると日本人の3集団はいずれも北東アジアに起源を持つということが判明したそうです。

クリックお願いします
posted by ryujin : 21:10 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年09月05日
火山活動から日本列島の成り立ちをみる~続編
さて、前稿に続き火山の歴史です。
火山のHPを回って検索してみました。
posted by tano : 22:04 | コメント (0) | トラックバック (0)
火山活動から日本列島の成り立ちを見る。
:shock: : こんばんわ。tanoです。
前回、3万年も前に神津島と伊豆半島で交易があったってホント?を投稿した際にmさんから>では火山活動のデータなどを探索してみる価値はありますね!というコメント(課題)をいただきました。 :-)
そこで今回は標題のテーマでひとつ投稿してみたいと思います。 :tikara:
日本には火山が200あります。活火山はその内100ほど、(活火山とは1万年以内に火山活動があったという定義になっています)実に多くの火山を持つ日本列島はその形成の歴史は火山と共にあるとも言えます。まずは日本列島の形成過程と火山活動の歴史を追いかけてみます。

posted by tano : 20:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月22日
3万年も前に神津島と伊豆半島で交易があったってホント?
こんばんわ。黒曜石のtanoです。
黒曜石は生産地が限られており、貴重な贈与品として古来から集団間を行き来してきました。
その最古の記録が3万年以上前に伊豆諸島にあります :shock:
。「黒潮圏の考古学」さんに掲載されていました。伊豆諸島の中に黒曜石の有名な産地として神津島があります。
>神津島産黒曜石の交易:約3万2千年前頃、東京・武蔵野台地の旧石器遺跡から、約180Km南の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が発見されている。本州島(伊豆半島)と神津島の間には海深200m、幅30Km以上の海が横たわっており、この島の黒曜石を入手するには渡航具(筏、丸木舟)を使用した海上航行が必要であった。
エッ、まさか3万年前に既に黒曜石が流通していたの? :confused: 神津島の黒曜石は交易なのか贈与なのか?
はたまた単なる採掘なのか?3万年前に遡って検証してみたいと思います。 :D

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posted by tano : 21:55 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年08月18日
雑誌ソトコト 9月号p107-9
4-5月に南アフリカのクラシーズ河口洞窟にいってきた写真と記事を、現在発売中の雑誌ソトコト 9月号に掲載してもらいました。
写真もたくさん使ってもらいましたので、どうかご一読ください。
得丸公明
posted by tokumaru : 08:07 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年06月16日
先史時代の精霊信仰 ~シベリアのマリタ遺跡と縄文~
シベリアのマリタ遺跡は2万3千年前に、マンモスを追ってくらしていた、当時の人たちが暮らしていた遺跡で、その後ここから日本やアメリカ大陸へも渡ったと考えられています。
この遺跡からも地母神像のような、女性の像が発見されています。

「日本人はるかな旅展」より 右は同遺跡の住居(マンモスの骨でできた住居)
↓応援よろしくお願いします。
![]()
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posted by ihiro : 20:59 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年06月14日
イヌとヒトは1万年以上続くなが~~~い お付き合い!
ニュースです。 :D
【縄文時代から「人間と犬」仲良し…乳児と子犬の合葬を確認】
>愛知県田原市の吉胡(よしご)貝塚(縄文時代後期~晩期)で、乳児と子犬が一緒に埋葬されていたことが同市教委の調査でわかった。こうした合葬は全国初のケースで、縄文時代の人間と犬との深いかかわりをうかがわせる事例という。
吉胡貝塚は大正時代から発掘が行われ、2001年度から昨年度まで実施した今回の調査では新たに乳児を含む12体の人骨を発掘した。そのうち墓穴とみられる直径50~60センチの穴から乳児の頭骨や手足、あばら骨の一部が見つかり、頭骨から約20センチ離れたところに子犬の下あご(長さ3センチ)の骨があった。乳児の性別は不明で身長50センチほど。生後間もなく死亡し、犬と合葬されたらしい。
田名部雄一・岐阜大名誉教授は「縄文時代は犬が唯一の家畜で、猟を手伝ったり、外敵を警戒したりしていたと考えられる。乳児と合葬されていたことは、それだけ犬が大事にされていた証拠」と話している。 (2007年6月6日読売新聞より)
この記事、驚きなのは縄文時代に人と犬が共に暮らしていたという事ではなく、犬と人間の合葬事例が見つかったのがこれが一例目であるという事です。縄文人は犬と共存していたという記録はたくさん聞きます。しかし埋葬は一例、なぜか・・・。これは後で。
今では多くの犬がペットして飼われています。犬を見るとかわいいーだけではなく、何か近しい、懐かしい特別な感情を抱きますね。さて、犬と人間の歴史はいつからかご存知ですか。 8)
←縄文犬のイメージ写真
ポチと押して続けて下さい。洒落じゃないよ :-) :m011:
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posted by tano : 02:06 | コメント (6) | トラックバック (0)
2007年06月03日
先史文明:地母神信仰って? ~地中海マルタ島の神殿より~
縄文と同じ遺伝子を感じる先史文明、その鍵となるのは地母神と言われるものではないかと思う。この地母神像は世界各地から発掘され、判明しているだけで3万年前ぐらいから連綿と続き、2000~3000年前、古代(私権)文明の成立とともに忽然と姿を消していくからです。
よく○○ビーナス像という地母神像を見たことがあるかとおもいますが、あれです。縄文も長野県から縄文ヴィーナスが出土している。

マルタ島のビィーナス像(BC3600年~2500年ころ?)
地母神って何?どんな信仰だった?
それを考える上でも、遺跡の状態がよく残っている地中海のマルタ島の神殿から紹介したいと思います。
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posted by ihiro : 13:40 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月29日
西アジアと日本の農耕の歴史の違い
こんにちは、simsasanです。
前回の「縄文時代、既に農業(稲作)はあったが、普及しなかった訳」に続いて、今回は、日本と比べて農耕が先に発達した西アジアはどうだったのか?比較してみました。
先ず、農耕の歴史に入る前に農耕と栽培の違いは何なのか?
「るいネット縄文前期の稲栽培」(細田さん)が分かり易く説明していますので、以下引用します。
>人類が採取・狩猟という生業様式(適応様式)を開始するのと同時に、植物の栽培や動物の飼育は方法としては見出されます。採取・狩猟時代の人類は、食料獲得の方法として風土に応じて狩猟・採取・漁労・栽培のいずれかあるいは全てが併用しているのが通常です。日本では三内丸山の栗林の菅理栽培が有名ですし雑穀の栽培は各地の縄文遺跡にその痕跡が発見されています。
一方農業(や牧畜→遊牧)という様式は、主要な食料のほとんど全てを人工的な栽培(や飼育)に頼るという様式で、相当大がかりな土地や土木施設を必要とします。そのような人工的な(多大な労力を必要とする)生産様式が必要とされる背景には、人の数がその居住する周辺の自然の生産力を超えてしまうという事態があると考えられます。その理由としては、同類緊張圧力による一定地域への集住や短期的な特殊寒冷期に移動もままならなくなった部族の生き残りのため等が考えられます。
では、具体的に古代、西アジアと日本では、どのような栽培→農耕の歴史をたどってきたのでしょうか?
posted by simasan : 23:06 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月21日
世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!?
この↓図版をみて、驚いた。1万年が一目瞭然!注目です。

※この図は佐原真氏の作成らしい、秀逸です。図は「国民の歴史」より
スキャンしたので、傾いて粗っぽい画像ですみません。
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posted by ihiro : 18:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年05月11日
人骨が示す過酷な生活
こんにちは、etoです。
tokumaruさんがクラシーズ洞窟を紹介していただきましたね。感激です!
はるか太古の人類がどのような生活をしていたのか、興味は尽きないですね。
そんなわけで今回は、日本で発見された人骨の紹介です。
下の写真、何だか分かりますか? こちらからお借りしました。

沖縄は港川で発見された港川人(1万8000年前の旧石器時代)の脛(スネ)のレントゲン写真です。
横に何本か線が入っているのが分かりますか? その線がハリス線と呼ばれるものです。
で、ハリス線とは何かというと、
栄養失調や病気などで一定期間成長が止まると、骨の両端に化骨作用が起きて、ハリス線と呼ばれる横線が現れるようで、縄文人の人骨にも多く見られるようです。
あと港川人の人骨は、咀嚼筋が発達し歯が著しく磨り減っていることから、硬い粗末な食物を食べていたことが推察されています。
沖縄といえば、暖かくて、食べ物も豊富に獲れそうなイメージがありますが、1万8000年前ではまだ氷河期ですから、相当に厳しい環境だったのでしょうね。
歯が磨り減るほどの硬い食物って、、、木の根っ子とか、それこそ人骨をも砕いて髄をしゃぶっていたかもしれませんね。
港川からは全部で9人分が発見されていますが、男性壮年が9人、女性壮年が2人です。
子どもは発見されていないんですね。なんでだろう?
人骨の分析からは、ワジャク人と類似していることから、スンダランドより移動してきた可能性が強いようです。スンダランドから移動せざるを得なかったのでしょうが、たどり着いた沖縄もまた、過酷な状況だったのでしょう。
彼らがどのような生活をして、どのように縄文文化と融合していったのか、沖縄圏を中心に少し調べていこうと思います。
posted by nishipa : 14:48 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年05月08日
人類が生まれた(ハダカ化した)洞窟 南アフリカ・クラシーズ河口洞窟(第3号)
写真は、南アフリカ共和国東ケープ州にあるクラシーズ河口洞窟(第3号)の内部写真です。ここの洞窟は、テーブルマウンテン砂岩層が海水侵食によってできたものです。
人類は、今から6万年前から13万年前のあたりの氷河期に、この洞窟の中で、寒さと飢えに闘いながら環境適応して、ハダカになったのではないかと思っています。ハダカになって抱き合うことで、体温の損耗を防ぎ、生き延びたのではないかという、人類ハダカ化おしくら饅頭仮説です。
世界の人類はみんな10万年か20万年前は、南アフリカに共通の先祖をもつ、親戚なのです。争ったり、差別したり、奪い合うことは、愚かなことです。
自然を破壊し改変することによってしか生きていくことのできない、文明の座敷犬である人類の悲しさを理解して、できるだけこれ以上自然を破壊しない文明のあり方を模索していきたいものです。

posted by tokumaru : 01:57 | コメント (7) | トラックバック (0)
2007年04月24日
屈葬とベンガラについて~その2
前回は、屈葬とベンガラの意味について、胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説を中心にした紹介でしたが、では、実際にどこからベンガラが使用された遺跡が見つかっているのかについて、少し調べてみた内容と、別の説を補足として、エントリーしておきます。

<屈葬:縄文文化の超自然観より>
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/area/ne_asia/Jomon/index
実はあまり全国的には発掘事例は多くはないようなのですが、日本では、北海道から東北部にかけて、また縄文後期から晩期にかけて、ベンガラがまかれた遺跡が発掘されているようです。
その内、代表的なベンガラがまかれた遺跡は、北海道の恵庭市カリンバ跡(縄文時代後期後半(約3500年前))のようです。
posted by yuyu : 23:58 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月22日
農業と文明と環境の関係
農業は産業革命と並んで文明発展の転換点となったといわれていますが、「人類は何故農業を始めたのか」、またその「農業が生んだ古代文明はその農業の失敗によって滅んだ」という視点から「ユーラシア1万年の農業史から人類の未来を考える 」取り組みをしている人を紹介しよう。
posted by ryujin : 21:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月06日
「贈り物」の起源?!アカに見る食料分配
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一日平均2~5時間で食料を確保することができ、農耕をしないのか?との質問に「ふんだんにモンゴンゴの実 :m078: があるのに、何でわざわざ作物 :m146: を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという狩猟採取民。あとの時間は、歌 :m027: や踊り :m113: など余暇?を過ごしていたりするそうです。
う~ん、うらやましいような。。。
でもでも、それで集団が統合できたの :m052: ってずーっと疑問だった、みつこ :D です。
外圧が低下した狩猟採集民がどのように集団を統合していたか?
その社会システムがわかる研究を見つけましたので、報告しまーす!
山口大学の北西功一氏のHPより「中央アフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民アカ」についての記事から引用させてもらいました。とても詳しくて嬉しくなりました~ :m106:
注目したのは、彼らの「食料分配」。
彼らは獲得した食料を成員に平等に(?)分配しているのですが、、。
さて、いかに?
ぜひ、読んでね :m001: その前に応援もよろしくお願いします :m072:
posted by mituko : 23:36 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年02月01日
地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった!
こんばんわ、tanoです。 :-) 今日は新聞ネタです。1月25日の毎日新聞に掲載されていました。
「今から3万年以上も前、地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった--。こんな学説を信じられるだろうか。 :roll: 」
いかにも新聞ネタっぽいですが我慢して読んでみてください。
後期旧石器時代(約4万年前~1万5000年前=注)の初めごろの遺跡から、関東地方を中心に「環状ブロック群」と呼ばれる遺構が見つかっている。石器が集中する地点をブロックという。そのブロックが円形を描き、直径10メートルほどから、大きなものは50メートル以上に及ぶ。下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(群馬県伊勢崎市)で初めて確認され、現在全国で約100カ所が知られる。

研究者は何らかの集落跡と考えている。例えば、下触牛伏遺跡に詳しい小菅将夫・岩宿博物館学芸員は同遺跡には20個の石器ブロックがあり、一つを1家族4、5人として70~80人から100人の集落を想定する。はるか後の縄文時代の一般的な集落よりずっと大規模だ。

なになに! :shock: って関心が湧いてきた人、ぽちっとお願いします
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posted by tano : 18:02 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年01月24日
直立二足歩行のプラスとマイナス
どうも、こんばんは。カッピカピです。
今日は、昨日のちわわさんの記事を受けて、類人猿の中で人類のみが獲得した「直立二足歩行」について書いてみたいと思います。
なぜ、人類のみが「直立二足歩行」をするようになったのだろうと不思議に思う方もいると思いますが、今回はその問題の前に「直立二足歩行」の利点(プラス)と欠点(マイナス)について調べた結果を書いてみたいと思います。
posted by hi-ro : 18:07 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年01月06日
黒潮に乗って
tanoです。今日から仕事始め。長い正月休暇をいただいて体調万全です。今年も頑張れそう~ :-)
さて今年最初の投稿は正月のマグロドラマに感動して海洋民の話から・・・
日本人の起源は、るいネットの「スンダランド海洋航海民」や「日本人の渡来経路(縄文時代以前)」などにあるように、スンダランドから黒潮に乗ってやってきた人々を基層に持つとされている。(柳田国男が唱えた「海上の道」。)今回このルートを確かめるべく、黒潮の海流調査が行われた。昨年の調査結果と共に紹介してみたい。
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2005年6月2日沖縄タイムス
日本人のルーツ解明手掛かりに/黒潮海流調査で考古学研究グループ
日本海流(黒潮)の流れを解明する海流調査のため1日、日本最西端に位置する与那国町からコマ1000個が投入された。今後20ヶ月間を通し合計1万個を流し、季節や気候の変動による海流の変化を長期的に調査する。コマと同時に人工衛星の端末を備えた漂流ブイも一緒に投入。日本海側の海流はどのように流れているのか、追跡調査が始まった。調査を企画したのは有志で考古学を研究する「グループ・ニライカナイ」(東京都)。米国の海洋学者カーティス・エッベスマイヤー博士の指導の下、黒潮に乗ってやってきたといわれる日本人のルーツ解明の手掛かりを得たいと話す。
日本海側の海流調査は太平洋側に比べほとんど実施されていないことから、近年増えている漂着ごみなど海洋汚染の実態解明や、水難事故捜索で必要な海流データなどにも役立てたい意向だ。
ニライカナイ事務局の綿貫信一さんは「近年は電子メールの普及により、国際的な通信が簡単になった。投入するコマに連絡先を明記することで、世界各地からの拾得情報がこれまでにない高い確率で得ることができる」と期待する。
初回投入が実施された1日、一行は・・・・
続きはワンクリックして進んでね。
posted by tano : 01:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年12月29日
縄文草創期の石器大量発掘!!
久しぶりの投稿♪さーねです^^
(先週はちょっとノロにやられましてお休みしてしまいました~すいません!)
今年も今日を含めて後3日。早いですねー
ただし、この縄文と古代文明を探求しよう!ブログに休みは関係なし!
逆に、冬期休暇中こそ、探求できる時間ですよ!
早速ですが、縄文草創期のイメージがだいぶ変りそうな発掘情報です :m051:
場所は、岡山県勝央町黒土、大河内(おおこうち)遺跡
>遺物は約30メートル四方の範囲でまとまって出土。東日本を中心に分布する神子柴(みこしば)型石斧2点(長さ17センチと15.1センチ)をはじめ、槍先に付ける尖頭器、弓矢の石鏃、動物の皮はぎに使うスクレイパー(削器)など、伐採や狩猟用の多様な石器が計45点発見された。(H18.10.6山陽新聞記事より)
草創期は、その生活様式含めて発展途上のイメージがありましたが、かなり変りそうな予感が… :m051: :shock:
:m118: :m118: 衝撃の発掘情報?はボタンを押してからどうぞ :m118: :m118:
posted by sawatan : 20:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年12月07日
二重構造モデルの補足の補足
カッピカピさんこんばんわ。 :D
tanoです。コメントにかけなかったのでエントリー投稿します。
さてカッピカピさんが補足していただいた二重構造モデルって一体なんなんでしょう?
少し調べて判ってきた事がありますので補足の補足をします。
二重というのは何かの上に何かが重なるという事ですね。(文字の通り :confused: )
この二重とは基層となる縄文人に渡来人(弥生人)の血が加わり現在の日本人ができているという理論です。なぜ二重構造モデルが必要になったのか?ネットで検索して拝借した下記の論文ではその事に少し触れています。
>縄文文化の担い手たちを「縄文人」、弥生文化の担い手たちを「弥生人」と呼ぶとすると、縄文人=弥生人というのが、この説の主張するところです。縄文文化の担い手であった日本人の先祖たちが、大陸や朝鮮半島の進んだ文化を受け入れて、弥生時代という新しい文明段階に進んでいった、というわけですね。
ところが近年、形質人類学や分子人類学、ウイルス学等の発達に伴い、骨格や頭蓋骨の形と歯形、そしてウイルスやDNAなどをより厳密に比較することが可能となり、縄文人と弥生人との間には、とうてい同一人種とはみなせない相違があることが明らかとなりました。
この問題を解決するため、人類学者の埴原和郎氏は「二重構造モデル」という仮説を提出しています。『日本人の骨とルーツ』という本から、少し長いのですが、引用します。この中で埴原氏は縄文系と渡来系という言葉を使っていますが、渡来系とは弥生人のことであるとお考えください。
さて、埴原氏の文献を見て見ましょう!。
『日本人の骨とルーツ』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31018072
「日本人の起源と形成の問題はいまだに研究者の興味を引き、論争の的になっている問題も少なくない。本書では、現代にもみられる日本人の地域性を、縄文系集団と渡来系集団の混血の濃淡によって説明し、地域性や自然環境、文化の発展などにも着目する。日本人の形成史を縄文系と渡来系の「二重構造モデル」で分析し、自然人類学の視点で日本人のルーツを探る。」~yahooブックス解説より

埴原氏の原文を読んでみたい と思った人はぽちっと押して次へどうぞ。
posted by staff : 23:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
