2008年05月30日
縄文:祭りが生産活動=食の確保を確実にした!
先日投稿しました縄文:祭りは、集団を統合し集団を超えた?!のtanoさんからのコメント
>祭りって見るもの、楽しむものという解脱というイメージがありましたが、本来は生産なんですね。
実は、祭りそのものが生産活動=食の確保を確実にした?そんなネタがありました。
今日も先日と同じNPO法人国際縄文学協会のカミの発生と縄文時代(萩原秀三郎先生)の論文を参考に投稿したいと思います :tikara:

秋田県大湯遺跡の日時計状組石
:m059: byさーね :m059:
:m118: 今日も応援よろしくです :m051: :m118:
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2008年05月29日
“縄文気質”を考えてみよう-3
縄文気質”を考えてみようシリーズ、久しぶりの投稿になりますが・・・
過去2回の投稿
“縄文気質”を考えてみよう-1 (2008年04月18日)
“縄文気質”を考えてみよう-2 (2008年05月01日)
から、本日は日本人気質として呼べるであろうキーワードを整理してみました。

↑これ なんで屋カード工房からお借りしました。おもいやりって大切ですね!
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2008年05月15日
縄文:祭りは、集団を統合し集団を超えた?!
以前の記事 :m136: 三内丸山は語る(1)でも書かれていますが、
この御柱祭は諏訪大社という神道の祭事であり、それをはるか縄文時代、しかも社会構成の違う時代の人々が残した時代の人々が残した遺構と、ただちにくらべることはできない。しかし、巨木の山だしから建立までに投じられる人手とそのエネルギーは、縄文のそれを彷彿とさせるし、何よりも祭事をとおして、一つの共同体という意識のもとに人々を結びつける重要な役割をはたしていたということでは相通じるものがある。
諏訪大社の御柱祭 :tikara: は、の写真。よく話題になりますよね :o

今日は、NPO法人国際縄文学協会の小山修三先生の論文「巨木の祭り-御柱と縄文-」を参考に、縄文時代の祭りの様子を探りたいと思います :m051:
byさーね :o
posted by sawatan : 21:23 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年05月02日
“真似・応用”:現在の日本人から縄文体質を探る
“縄文気質”を考えてみようのmrranさんに続いて現在の日本人から縄文体質を探ってみたいと思います。 今回は「真似、応用」です。
日本人はいつも、自分でものを考えたり造ったりせず、よそで生まれたものの真似、それも「いいとこどり」をして手本より優れたものを作ってきたと言われています。
この「真似て手本より優れたものを作り出す文化」はどこから来ているのだろうか?

主に「縄文塾」というサイトからお借りして纏めました。
ブログランキングUPにご協力下さい。
:m118: :m118:
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2008年05月01日
“縄文気質”を考えてみよう-2
“縄文気質”を考えてみよう-1に引き続き、今回も外国人から見た日本人像を紹介したいと思います。

今回も『ぼやきくっくり』さんの『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』からお借りしました。
今回は前回よりもう少し新しい文献(1920年代~2006年)を紹介します。
posted by mrran : 19:44 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年04月18日
“縄文気質”を考えてみよう-1
突然ですが、皆さん“縄文気質”って言ったらどんな気質のことを指すのか考えたことありますか?「何となくわかるようで・・・でもそれが本当にそうか分らない・・・」と言った感想を持つ人が殆どではないでしょうか?
“縄文気質”に近しいと思われるものに“日本人気質”って言葉があります。今日はいきなり縄文まで遡るのも大変なので“日本人気質”に焦点を当てたいと思います。
そこでますは日本人はどう見られているのか?=日本人気質とは何か?といった第三者(=外国人)にはどのように写っているのか?を紹介したいと思います。
『ぼやきくっくり』さんが『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』として文献に残っているものを紹介してくれていますのでそこから一部お借りして紹介したいと思います。
※今回当ブログで紹介するのは“日本人気質”に関係しそうな文献を選定していますが、純粋に過去の日本人が世界からどのような評価を得ていたのかを知る上で、非常によく纏ったブログですので、興味のある方は是非『ぼやきくっくり』に訪問して見てください。
posted by mrran : 21:30 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年04月17日
縄文:祭りの主宰者は女性だった?
縄文時代にも祭りがあったことは、このサイトでも紹介されており、考古学史料からもその存在は疑いのないものだと思います :wink:
ただ、精霊信仰の一言ではどうも、その姿がイメージできないというか…。そこで、今日は諏訪春雄のホームページを参考に、よりイメージできるよう探って見たいと思います。

写真は、縄文の祭りの再現 :shock: 井戸尻考古館情報より
byさーね :o
:m118: :m193: 応援よろしくお願いします :m051: :m193: :m118:
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2008年04月11日
ヒスイの広域に渡る存在は、交易か贈与か?
:D くまなです。
縄文時代の広域にわたる物の移動が贈与なのか、交易なのかについて、「ヒスイ」に注目して深めていきたいと思っています。

写真は北海道美々4号遺跡の曲玉。EnjoyKoreaより。
過去、このブログでの記事には以下があります。
縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?
黒曜石の広がりは、交易か贈与か?
縄文の黒曜石の流通は、交易とは似て非なるもの
縄文時代において、黒曜石やヒスイが広範囲に出土する状況について、一般的には「交易」の結果だといわれています。一方、このブログでは集団間の緊張緩和のための「贈与」の結果であるとの提起がされてきました。
「交易」と「贈与」には大きい違いがあります。
縄文人が他集団、すなわち、集団を超えた‘社会’に接したとき、どのように捉え、どう対処しようとしたのか。交易は自集団の利益のために他集団と取引(≒騙し)をしようとしたのであり、贈与は争いを避けるために友好関係を結ぼうとしたということになります。
縄文時代の物の広域移動が「贈与」である根拠は以下の2点です。
A)交易であれば一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずであり、広域の広がりを説明できない。
B)自給度が高い歴史を積み重ねてきた原始共同体にとって、他の部族に自らの生活条件及び生存条件の一部を依存するという発想は極めて出てきにくい。
参照:黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②
上記を念頭に置きつつも、縄文時代における物の広域移動が「贈与」であるということが出土状況等のデータから検証できないか、というのが現在の課題意識です。
この間、いろいろ調べる中で、なかなかスッキリとした答えが見えてきません。
どのような状況がハッキリすれば贈与と断定できるのか…(あるいは交易と断定できるのか…)
現時点での疑問点=解明しようとしている課題を次に示します。
posted by kumana : 22:18 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年03月31日
縄文の黒曜石の流通は、交易とは似て非なるもの
前回、 「黒曜石の広がりは、交易か贈与か?」では、温暖化と人口増に伴い部族間の接触が頻繁になり、お互いの緊張関係を緩和する為に、自分達が大事にしているもの(黒曜石など)を贈与するようになったのでは、という仮設を立てましたが、そもそも交易と贈与とはどう違うのかというところにスポットをあて今回は追及してみた。
市場の始まりは交易からと言われるが、古代にあっては現在のように価格差を源泉に商人たちが利潤を得るために市場で商品を裁くという形態ではなかったようだ。
例えば、古代地中海に於いて、航海術で名を馳せた民族、フェニキア人の代表的な輸出品は紫の布や木材であった。これらは当時、一般庶民の生活には通常必要のないもので、要するに贅沢品であった。
航海術に長けたフェニキア人でさえ、品物を大量に船で輸出するのは、現在とは比べものにならないほど大きなリスクが伴ったに違いない。従って、これらの活動は領主や王など何らかの権威によって依頼され、それ相当の保証(収入や安全)を受けることでしか成立しなかった行為である。
以上、るいネット「フェニキア人の交易の移り変わり[1]~古代地中海の交易~」より一部引用
さて、一般に縄文時代に黒曜石の交易が盛んに行われていたと言われているが実際はどうだったか?
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posted by simasan : 23:55 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月22日
「縄文」から引き継がれているものは何か?
当ロブログでちわわさんが『日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。』
で、それは 縄文時代の狩猟採集社会の精神世界 だ!と紹介されました。
私はそれが具体的にどのようなかたちで引き継がれているのかを調べてみました。
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↓ ↓ ↓
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posted by mukai : 18:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月12日
本源集団の生産ー消費にセットで必要な相互扶助のシステム
こんばんわ。tanoです。
今日は縄文時代の生産シリーズ第2弾をお送りします。
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。
2番目の過剰生産のない縄文社会です。
縄文時代の生産と消費活動はどうだったんでしょう?
生産と消費の間に蓄財というものがあります。とかく現代は不安が多い世の中。
ある程度貯金がなければ不安になってしまいますよね。
しかし縄文社会には蓄財という観念がほとんどありませんでした。
なぜ蓄財をしなくても生きていけたのでしょう?
:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
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2008年02月07日
縄文時代:アクセサリーの意味~集団統合のために
現在では、アクセサリー :m034: は女性のみならず、男性もシルバーアクセサリー :m034: などを身に付けるようになりましたね。縄文時代も、同じ様に身に付ける装飾というものが出土しています。
現在は、自分をキレイに見せたり…というような意味合いであると思いますが、縄文時代はどんな意味があったのか :m052: 追求してみたいと思います :m049: :m193:

今日参考にさせて頂いた縄文世界さんのサイトより~土製耳飾~土のピアス!
byさーね :tikara:
日本のアクセサリーの起源っ :m050:
:m118: 応援よろしくお願いします :m049: :m118:
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2008年02月01日
縄文人の労働とはどうだったんだろう?
こんばんわ。tanoです。
年末に三内丸山の特集記事を書いてから1ヶ月放置していましたが、第2弾を再開したいと思います。
>第2弾で三内丸山の大きな経過、発祥、周辺との関係を見てきました。
次回はさらにその社会構造に迫ってみたいと思います。(三内丸山は語る2)
社会構造をいきなり書くと大変なので以下の3つの記事を紹介したいと思います
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。
今日は第1回で縄文人の労働観についてです。
posted by tano : 21:48 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年01月29日
ストーンサークルは「生きるために死がある」を体現した祭り場
ストーンサークルは、 「縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?」でも紹介しましたが、約3,500~4,000年前、東北から北海道にかけて急速に広まった巨大な構造物である。

また、この時代は温暖化がピークを過ぎ、急速に寒冷化した時代であり、何故これほど大掛かりな構築物をつくる必要があったのか?
縄文の大集落、三内丸山遺跡は、ちょうどこのストーンサークルが登場する前である。このような大集落は縄文中期に姿を消し、その後は小規模な集落が増えてくる。
その原因は、気候の寒冷化による食糧の減少か?謎はまだまだ多いが、
哲学者である梅原 猛氏は以下のように述べている。
>分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。
これはいったいどういうことか?何故、そういうことが言えるのか?
知りたいっと思った方は、ポチッとお願いします。
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2008年01月16日
縄文人の死生観~埋葬のしかたの意味~
:D くまなです
自然の摂理に対する意識のありようは、生死にどう接したかによく表れると思います。そこで、縄文人の埋葬のやりかたから、縄文人の死生観に迫ってみたいと思います。
縄文人の埋葬の特徴は、屈葬、ベンガラ、乳幼児甕埋葬、抱石葬です。
すべてを一貫して説明できるのは、再生への願い です。
(再生とは「誰かがよみがえるのではなく、誰かの魂が戻ってくるのでもなく、充足や活力が再生され(続ける)こと」です。前回の記事を参照してください。)
縄文の埋葬についてスッキリしたいと思った方↓ポチっと応援お願いします。
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2007年12月29日
やはり勾玉は胎児!
mrranです。
まずはこれ↓読んでください。
>厳しい自然外圧に晒されていた彼らにとって、集団の存続=種の存続が第一。出産や医療の技術もほとんど無に近い状態で、子孫を残すこと自体、大変であったと思います。だからこそ、子を想う気持ちも一段と強かったのでしょうなんで子を大切にしたか?
>生まれた子どもが元気に健全に育ってほしいという願い、産んだ女性が健全であってほしいという願い、そして子どもが生まれたことを皆で祝い、女性をねぎらう状況がうかがえます。
>未だ飢えと隣り合わせの縄文人にとって、集団規模を維持することすら大変なことだったはずで、子どもが生まれなかったり、育たなかったりすることは集団にとっての死活問題です。だから集団の維持は最上位の課題だったはずです。 縄文人、再生への祈り
縄文人の子を思う気持ちがひしひしと伝わってきますね。 :cry:
そこで勾玉。勾玉は腎臓、三日月信仰からくる三日月説、説胎児をかたどった胎児説等様々な解釈が存在しますが、私は縄文人の子を思う気持ちの強さから胎児説が有力であると考えています。 :m044:
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2007年12月26日
黒曜石の広がりは、交易か贈与か?
前回、 「弓矢の発明前夜、日本の黒曜石が大陸に運ばれた理由!」では、黒曜石によって縄文集団の生活が劇的に変化した、ことを書きましたが、では、黒曜石が産地から何百キロも離れたところで多く見つかっているのは、何故か?多くの考古学者は当時既に交易があったと述べていますが、本当に物流のネットワークが存在したのか?
るいネット「黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②」では、以下のような見方が提起されています。
>結論から言えば私は「贈与」によるものであると思う。
何故なら、まずこれだけの広域かつ多方面の広がりからみて、交易である事は考えにくい。何故ならば上記の物品(原石)が採掘できる場所は限られており、かつ仮に交易であれば、一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずである。つまりこれだけの広域の広がりを説明できない。
逆に贈与であれば、潜在的な緊張関係のもとでかつ友好の意思を多方面に示す必要性が高く、広域に渡ることが説明がつきやすい。
●日本の代表的な黒曜石の産地

http://www.tiny.jp/~arugacom/suwakou/kokuyose.htmlより引用
今回は、黒曜石の産地と広がりについて紹介し、それは贈与か交易か?を探ってみたいと思います。
この先、知りたいっと思った方は、ポチッとお願いします!
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2007年12月25日
縄文人、再生への祈り
:D くまなです
前回の生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観」で案山子さんから
「僕は縄文人やアイヌの人たちが生死を自然の摂理から学んで人は死んでもまた生まれてくると考えたのは微妙だなと思います。自然の摂理からいけば死ねば土に戻るわけで、土から生まれてくるのは植物でしかないからです。自然の摂理における生命の循環の発想とは食物連鎖であり、決して生まれ変わることではありません。」という意見を頂きました。
仏教でいう“循環”と縄文人の世界観は違うと思いますので、言葉としては循環ではなく“再生”の方がふさわしいかもしれません。それを今後、検証していきたいと思っています。
自然の摂理に対する意識のありようは、生死にどう接したかによく表れると思います。そこで、まずは縄文人の埋葬のやりかたから、縄文人の死生観に迫っていきたいと思います。
と思っていたら、さーねさんが、縄文:なんで子を大切にしたか?で、縄文における子どもの埋葬について記事をアップしてくれました。そこで、少し調べてみると、その中で語られている「胞衣(えな)」の埋蔵は、戦後まで縄文と同じように行われていたということがわかりました。※えな:胎児が生み出されたのち、排出された胎盤・卵膜など
胞衣(えな)信仰は、縄文と現代を繋ぐ習俗として、縄文の精神性を掴む糸口になるのではないかと思います。
posted by kumana : 23:58 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年11月15日
生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観
:D くまなです。
今回は、縄文人の末裔と云われるアイヌの思想から、縄文人の世界観に迫ってみようと思います。
naotoさんが「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」のなかで“沖縄の人々やアイヌこそ、渡来系との混血が少なく、近縁性を保ち続けたようです。やはり、彼らこそ縄文人の系列といえるかもしれませんね”とおっしゃられているように、アイヌの人々が縄文人の文化を色濃く残していることは間違いないと思います。(ただし、アイヌは沖縄とは出自が違う北方系縄文人を継承していると考えられます。)
今回はアイヌの文化のなかでも、彼らにとって重要な儀式である「イオマンテ」に注目してみます。
:m118: イオマンテに行く前にポチッと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana : 21:40 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月08日
なんで縄文人は物を大切にしたのか?
最近、読んでいる本の中で、ふと気付いた一文がありました。
>縄文人は物を大切にした(環境考古学事始 安田喜憲著 洋泉社新書より)
それに比べて、現代社会はなんと物を無精に扱っているか?いかに無駄を生み出しているか?皆さん実感しているところだと思います :-(
環境問題が叫ばれている中、それら問題も市場拡大・利益第一の中で宣伝文句として利用されてしまい、問題は一向に解決する様子さえ見せない :confused:
置かれた状況は全く違うだろうが、なんで縄文人は物を大切にしたのか?そこに学んでみたいと思います :o
縄文早期の木器です♪
歴史事実から得るものはたくさんある :m051:
今日も応援よろしくです :m118:
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2007年11月01日
縄文人は自然と一体だった
:D くまなです
これから数回にわたって「縄文人の精神世界」をテーマに、そこから派生するであろう思想、言語、祭り、土偶などに関して追求し、その全貌を明らかにしていきたいと考えています。
縄文時代は1万年ものあいだ続きました。その基底部には、自然を畏れ敬う精神世界があったと言われています。
現代人は、自然の摂理を冒涜し、地球環境を破壊し続け、滅亡の道へまっしぐらです。
そのような現代人が、自然の摂理に適った生き方・考え方をつかむ上で、縄文人の精神世界が参考になるのではないでしょうか。

縄文人は、どんな世界観を持っていたのか?
そこに同化し、つかむことが出来れば、すべてが繋がっていく可能性があります。
精神世界をつかむ上で重要なのが、置かれた外圧状況の把握です。
posted by kumana : 22:30 | コメント (5) | トラックバック (0)
2007年10月31日
縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?
三内丸山遺跡などでも有名だが、ストーンサークルと呼ばれる遺構は、北海道から東北地方に集中している。
図・写真は「大湯ストーンサークル館」より引用

これらの遺跡は約3,500~4,000年前にできたと言われているが、何故、この時期に現れ、しかも、北方にしか発達しなかったのか?
また、当ブログでもnaotoさんが「縄文人にとってお墓とは何だったのか?」でも述べていますが、
>彼らが望んだのは、集団の永続的な安定と繁栄。成員の死に際しても、個人の死→埋葬という行為を超えて、集団の共同行為として墓制をとったのではないでしょうか?
と言うように、何故、この時期に集団統合力を強める必要があったのか?
考えれば考えれ程、ますます疑問が湧いてくるばかりです。
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posted by simasan : 20:19 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年10月30日
著書『縄文「ムラ」の考古学』からの新たな視点
こんばんわ :D
縄文担当のtanoです。
このブログも最近マヤ、中国に押されて日本(縄文)の影が薄くなってきています。 :-(
ということで、私のグループではしばらく縄文時代を分野毎に追求していくことにしました。 :tikara:
今日はその第1弾です。

最近読んでいる本で縄文「ムラ」の考古学という著書があります。川崎 保氏という長野県立歴史館専門主事学芸員の方が執筆・編集されています。⇒一部をネットで見れます
この本は長野県の縄文遺跡を長く調査してきた川崎氏がご自身の研究成果としてまとめられただけでなく、縄文時代のムラを長野県の遺跡を下敷きにして道具、居住、交流、男女の役割等の観点で再現しようとする壮大な試みです。
この書の優れている点は考古学的データーだけでなく考古学に長年触れてきた著者の直感や仮説が各所に展開されている点です。今日は考古学資料の転載まではできませんが、著者の捉えた縄文時代のムラのありようについて連続シリーズでいくつか紹介してみたいと思います。(著者の川崎氏には大変申し訳ないのですが、紙面の都合で一部私の文章でまとめなおしている部分があります)
「縄文ムラの誕生」
定住とはなんだろうか?竪穴式住居跡があってもそこに連続して住んでいたという根拠がなくてはならない。住居の中に石や炉があったとしても定住化への発展的段階である可能性も残る。やはり定住的という以上は住居跡群に明確な特徴が必要になる。直線的や環状配置など明確な意図をもって人間集団が構成されていることを定住的と呼べなくもない。しかし最も目安となるのが「モニュメント」や「ランドスケープ」を持ってムラが形成されている場合である。
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posted by tano : 22:52 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年10月25日
縄文の宗教

「自然人は、どこでもアニミズム、つまり超自然的存在、霊的存在への信仰をもっている。」と、言われているように、彼等の一切の行為は、経済的行為にせよ、政治的行為にせよ、芸術的行為にせよ、呪術・宗教的行為との混融を示し、宗教は未開人の生活の根幹をなすとされている。
では、縄文の宗教観はどういったものだったのでしょうか??「縄文文化と現代」に詳しく紹介されていますので、抜粋します :D
posted by dai1028 : 20:41 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年10月02日
沖縄の本源性の理由を探る~古琉球前夜の概況から
こんにちは。最近は、ちょくちょく、琉球の歴史のHPを見たりしていますが、「ニライカナイ」という言葉によく出くわします。確かに以前から、沖縄ソングの題名等にもなっていたりして、耳にのこってはいたのですが、あらためて意味を調べてみました。
万物の源・ニライカナイ
ニライカナイとは、神の住む海上はるかな遠い国であり、そこはあらゆる富、豊穣、生命の根源があるとされている。そして沖縄の伝統的村落には、ニライカナイから1年に1度神が訪れてきて、人々に祝福を与えて再び帰っていくという信仰があり、現在でも、その神々の来訪を演じる儀礼が、あちらこちらの祭りの中に残っている。
沖縄の穀物起源神話のなかのひとつに、次のようなものがある。
「海上はるか遠いニライカナイから、沖縄南部の東方海上に浮かぶ久高島に、麦、粟など五穀の種子が入った瓶が流れついた。しかし、その中には稲の種子は入っていなかったので、アマミキヨが天に祈り、鷲にニライカナイから稲の種子をとってくるように命じると、鷲は長い期間かかって3つの稲穂を口にくわえてきた。アマミキヨはそれをウキンジュ・ハインジュ(受け水・走り水)というところに播いた」
http://www.wonder-okinawa.jp/022/study/022_j46.html
理想郷のことを意味しているたんですね。
で、紹介されているように、沖縄の穀物起源神話の中に出てくる、「アマミキヨ」という神様が、ニライカナイからやってきて沖縄に穀物を伝えたという言い伝えがあるようだ。

<「アマミキヨ」が降り立った岬との伝説が残るハビャーン岬>
http://namoma.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_e8d8.html
では、この「アマミキヨ」という神様がやってきて、稲作を伝えたのは、一体いつの時代なんでしょうか。
↓続きはポチットの後で。よろしくです!!
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posted by yuyu : 23:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月28日
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か②
どーも、○です :m043:
以前、ちわわさんが投稿されていた『日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。』に、気づかされたことがありまして、今回は勝手ながら続編を投稿しようと思います :m101:
さて、ちわわさんの投稿に
「その原型を見ることが出来るアイヌでは、人間と動物に本質的な区別はなく、動物も植物も天の世界では人間と同じ姿格好をして、人間と同じ生活をしており、動物も植物もたまたま人間の世界に現れたときに、熊は熊になり、木は木になるに過ぎないといいます。本来皆平等なのです。人間同士の平等どころか、人間と動植物も平等なのです。」
とありましたが、日本人は動植物ばかりでなく、命なき物にも魂があると考えていました。
例えば、雷 :m008: が鳴れば
「誰かの怨念だ」 :m252: (菅原道真公の話は有名ですね)
とかね。
それ以外にも、あらゆる自然災害を神(精霊)の仕業としたり、とにかく何でもかんでも「人間以外の何者か」の存在を意識していたんですね。
・・・とまぁ、これまでは読者の皆様なら誰もが
「何を今さら :m196: 」
と思われることだと思います。
でも :m049:
それだけじゃないんです・・・
続きの前にポチッとな :m032:
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posted by maru : 21:30 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年08月09日
縄文人の性意識を探る(青森の民俗行事を通じて)
今回は、アイヌ民族にも受け継がれたであろう性意識を、青森の民族行事を通じて探ってみたいと思います。
縄文の世界・生活と文化より
《引用開始》
かつて、青森の集落のはずれの小高い丘に木製の大小の根精様を祭る祠があった。
また本家筋の家の祭壇に、蛯子、大黒と並んで根精様の小さな祠があった。
それらは、今はない。
縄文遺跡の祭祀的跡と思われる場所から男性の性器と思われる石棒が出土した。
石皿、くぼみ石等の陰石も出土した。
縄文時代の人々は、性をどのように捉えたのだろう。
続きを読む "縄文人の性意識を探る(青森の民俗行事を通じて)"
posted by naoto : 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月05日
古代文字
◎日本ではいつごろから文字が使われるようになったのでしょうか。
また、現代に繋がる「かな遣い」はいつごろから使われだしたのでしょうか
日頃何気なく使っている漢字とかなまじりの日本語は、いつごろから使われだしたのかまだはっきりしない様です。

「神代文字(アヒル文字)の一種」
posted by ryujin : 20:59 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年07月31日
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
:m015: :m014: :m014: :m015: :m052: :m015: こんにちわちわわです。
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
それは縄文時代の狩猟採集社会の精神世界です。

その原型を見ることが出来るアイヌでは、人間と動物に本質的な区別はなく、動物も植物も天の世界では人間と同じ姿格好をして、人間と同じ生活をしており、動物も植物もたまたま人間の世界に現れたときに、熊は熊になり、木は木になるに過ぎないといいます。本来皆平等なのです。人間同士の平等どころか、人間と動植物も平等なのです。
アイヌに残るこうした思いは縄文人から受け継がれた大切な思いです。縄文人すばらしいと思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa : 23:35 | コメント (5) | トラックバック (1)
2007年07月07日
【仮説】縄文:ふさわしい時代区分は?
こんばんは、さーねです :D
今日は、カッピカピさんが先日投稿された縄文時代のなんでの新テーマ①縄文時代を土器で時代区分するのはなんで?でカッピカピさんが言われている時代区分新基準に挑戦したいと思います :tikara:
僕自身も、去年縄文の時代区分を投稿しました。多くの歴史が権力支配の興亡によって、時代が区分されているのに対して、土器による時代区分はある意味新鮮でした :o
カッピカピさんの記事を読んで、るいネットの縄文・弥生論争への視点を改めて読んでみました :m027:
現在弥生時代開始が500年遡るのではないか?との論争が花を賑わせている。しかし私はこの論争自体に少し違和感を感じている… …つまりその背景にあるのは、マルクスの提起した、「生産様式が社会構造の根底にある」という見解である。従って必然的に各指標の中でも「稲作の開始」が決定的に重要なものとされている。 私はこの点において注目すべきは社会統合の様式ではないかと思う。人類社会は共認によって統合される…
このような、歴史構造そのものに対する認識転換が必要という気がします。極端に言えば、土器による区分は年代判断をするためのものであり、その時代の生活の様子や外圧状況を想起させるものではないと思います :confused:
まずは、集団のあり方や外圧状況に視点をおくような時代区分を設定してみたらどうでしょうか?素人的発想の【仮説】ですが、皆さんと一緒にテーマ付けをしていけたらなと思います :m194: :m051:
今日は、阿蘇ネットワーククラブ(日本超古代文明年表)を参考にさせて頂きました :m061:

このような、生活が想像できるような歴史を :m051:
:m118: :m118: みんなが認める歴史事実をつくろう :m051: :m118: :m118:
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posted by sawatan : 21:28 | コメント (6) | トラックバック (0)