2008年10月07日
縄文土器の変遷 その2
縄文時代は土器の様式により草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分されています。
前回の「縄文土器の変遷 その1」
では縄文初期である「草創期」のまだ文様のない時代の土器「隆起線文土器以前」を扱いました。
今回は「草創期」の終わり頃の土器「隆起線文土器」の生活様式に迫って見たいと思います。(この投稿は主に 比較文化史 というサイトから引用させて頂きました。)
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2008年07月30日
縄文土器の変遷 その1
縄文時代は土器の様式により草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分されています。
当ブログでも「 縄文時代はなんで土器で区分されているの? 」で投稿されています。
この投稿に各時代の代表的な土器と写真がありますのでご覧下さい。
今回は各時代をもう少し詳細に見ていき、土器の変遷とその時代の生活様式にも迫って見たいと思います。(この投稿は主に 比較文化史 というサイトから引用させて頂きました。)
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2008年07月12日
縄文土器に挑戦!No.2
今年の初めに 縄文土器に挑戦!No.1 で投稿したように土器を作ってみようと思ってからずいぶん
時間がたってしまいました。
色々調べていくと自然の全くないこの東京という場所では結構困難なことがわかってきました。
肝心な土が無いのです。土器を焼く時の重要な問題として 粘土の質と焼成温度 があります。
粘土ならおおよそどんなものでも使用できるようですが、その土にあった焼成温度を見つけるのが
難しく、探し出すのに試し焼きの繰り返しが必要なようです。
【手前(右)が白山の土、奥(左)が半々で信楽土+白山土】
この間、横浜市緑区の白山高校の近くの建設現場に行ったときに偶然に粘土が見つかり、持ち帰り
ました。そして陶芸教室の先生に相談してみると、先生も自宅近所の土を焼いたりして見たそうです
が、溶けてしまったり、ひび割れたりしてなかなか旨く焼けなかったようです。
色々試して焼成温度を決めていくしかないようです。
白山の土を教室の窯で“試し焼き”して貰えることになり、写真のように仕上がりました。
先生も驚いていましたが、一回でこんなに綺麗に仕上がるのはごく希なことのようです。
試し焼きが成功した事をこのブログの仲間に話しているとみんなで作ってみよう。
どうせなら力強い火炎土器を作りたい、とみんなの意見が一致しました。
と言うことで、「縄文土器に挑戦!」を進めていきたいと思います。
縄文と古代文明・・・ブログと縄文土器作成に応援していただける方はバナーをクリックして
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posted by mukai : 16:00 | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年02月26日
縄文と弥生式土器の焼き方の違い
○縄文土器や弥生式土器は一体どうやって焼いていたのでしょうか。
縄文式土器のまだらな黒斑
弥生式土器の丸い黒斑
posted by ryujin : 22:39 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年01月24日
縄文土器・模様の意味は!?

様々な模様が象徴的で有名な縄文土器。 縄紋土器の縄の模様で一般的に知られているのが単純に縄を撚っただけ、節が一つの「単節縄文」と言います。「複節」、「複々節」さらに、縄の真ん中を縛り、転がすと羽のような模様になる「羽状縄文」。また、棒状のものに巻きつけて転がして模様をつけたものがあるそうです。
余談ですが、縄にも右巻きと左巻きがあって、作った人の癖と言うか、古代の人が右利きか左利きどちらが多かったか分かるかもしれないですね。
模様をつける縄にも様々ありますが、模様の意味には色々な説があるようです。興味深いので少し調べてみましたので事例を挙げたいと思います !
posted by dai1028 : 21:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年01月10日
縄文土器に挑戦!No.1
前投稿の『土器の起源を探る』はなかなか興味深い内容でした。
縄文時代の象徴でもある『縄文土器』は様々な形をしていてとても魅力がありますね。
穀物を貯蔵する器、煮炊きに使う器、食物を盛り付ける器、水やお酒を飲むための器など生活に必要なものとして作られた器から、どうやって作ったのか、何に使うのか理解しがたい器まで多種多様です。縄目をつけた文様と装飾性の強さにもドキッとさせるものがあります。
この魅力に取り付かれた私としては縄文土器を実際に作ってみたいと言う思いが沸いてきました。縄文人の暮らしや食生活を支えた土器づくりを通じて、昔の人たちの知恵や文化が理解できるようになれば様々な「縄文の疑問」の答えに近づけるのではないだろうか。
と言うことで「火焔土器」に挑戦してみたいと思います。
皆さんも応援して下さい。 :m097: :m097:
ブログランキングUPにも協力して頂き、続きをお読み下さい。
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posted by mukai : 22:00 | コメント (4) | トラックバック (0)
2008年01月03日
「奥深き縄文ワールド」アンコール版
今週は「奥深き縄文ワールド」のアンコール版です
縄文アートの不思議さが一層深まります。出典はこちらのサイトです

人面獣(いわき遠野出土)
posted by ryujin : 02:10 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年12月20日
「奥深き縄文ワールド」第3弾
縄文ワールド第3弾です
今回も縄文アートの奥深さを堪能下さい

「動物土偶①」
posted by ryujin : 23:45 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年12月06日
「奥深き縄文ワールド」第2弾
さて「縄文ワールド」第2弾です。
今回も縄文アートを堪能してください

今にも動き出しそうなユーモラスな土偶です(「後期」青森」近野遺跡)
先に進む前にクリックを願います
posted by ryujin : 21:04 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年12月01日
日本にある縄文博物館
縄文時代を調べているうちに、縄文時代をテーマとしている博物館にいきたくなりました。 :roll:
そこで日本にある主な縄文の博物館を調べました。
:love: 各博物館のホームページを見ているだけでわくわくしてきますよ。 :love:
posted by norio : 20:56 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年11月27日
土器は男性が作ったか、女性が作ったか?
土器は男が作ったか、女が作ったか?これはよく議論されるテーマです。
川崎 保氏の縄文「ムラ」の考古学にこのテーマについて書かれていた部分がありましたので紹介します。
まずはG・Pマードックの調査による現存する世界224の民族(1989)の
男女比生業表を以下に示します。
男:女

この比率を見れば、土器の製作は女性である可能性が高いと言えます。
posted by tano : 23:21 | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年11月22日
奥深き縄文ワールド

「亀ヶ岡遺跡遮光式土器」の迫力ある巨大なレプリカ(亀ヶ岡駅前)
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」と、故岡本太郎がかつて表現した縄文土器の天衣無縫なデザインについては、おなじみの火焔土器の写真で見知ってはいましたが、ここで紹介するサイトを見て改めてその「激越さ」と、ユニークさに驚きを新たにしました。
是非皆さんもこの「縄文ワールド」をストレートに楽しんでいただきたいと思いますので、さわりの写真をいくつかシリーズで紹介させてもらいます。
posted by ryujin : 23:00 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年11月14日
縄文時代後期になぜ無文土器が登場したのか?
縄文土器には様々な文様が施されています。縄文土器と言えば必ず文様が描かれているよいうのは定説です。特に中期から晩期にかけて土器の文様も形も緻密になり一つの土器を仕上げるのにかなりの手間をかけていた事が容易に想像できます。
しかし、その縄文晩期にあたる長野県の大清水遺跡で大量の無文土器が発見されています。
なぜ文様のない土器が登場したのでしょう?
前回も紹介させていただいた、川崎保氏の「縄文ムラの考古学」から今回も報告させていただきます。
実は大量の無文土器にはトチの実が関係しているのです。

posted by tano : 21:48 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月21日
縄文の土笛
縄文というと「まつり」のイメージが強いのですが、縄文人はどのように楽器を使っていたのでしょうか?
私の縄文音楽雑記より
《抜粋》
土笛は、土器鼓、土鈴とともに「縄文の三種の神器」だそうですが、どんなに優れた笛だとしても、しょせん土笛は土笛。
素朴で温かみがある音色だとしても、演奏すれば、こもった音の単調な調べが繰り返されるだけだろうと想像していました。

posted by naoto : 21:22 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月17日
縄文時代“塩”はどこからどうやって採取してたのか?
いやー、ここ数日ホントに暑いですね~。北海道では建物の(防災機器)熱感知器が数百件も誤作動したそうですね。また15日には群馬県の館林で40℃を超えたとか・・・。全国では毎日数百件も熱中症で病院に運び込まれている患者がいるそうです!みなさんも熱中症にはくれぐれも気をつけてください。

ちなみに・・・、熱中症対策としては“失った水と塩分を取り戻す”ことが重要ですよ。
汗は体から熱を奪い、体温が上昇しすぎるのを防いでくれます。しかし、失われた水分を補わないと脱水状態になり、体温調節能力や運動能力が低下してしまいます。暑いときにはこまめに水分を補給しましょうね。また、汗からは水と同時に塩分も失われてしまいます。塩分が不足すると熱疲労からの回復が遅れますから水分と同時に塩分の補給が必要ですよ!覚えておいてくださいね!!
と、前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょうか・・・。
続きを読む "縄文時代“塩”はどこからどうやって採取してたのか?"
posted by mrran : 17:53 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年08月13日
縄文時代に栽培!?
前回の記事で、 縄文時代は「木の文化」 を書きましたが、それにHiroshiさんがコメントしてくださいました。アリガトー :blush:
木といえば、縄文人は大規模な栗林を栽培していたらしいですね。他にもいろいろ栽培していたらしいですよね。 どなたかか記事にしてくれるかな~。
縄文人が栽培 :shock: :m049:
栗とか猪とか魚や貝などなど食べてて、けっこうグルメだったのは以前記事で書きましたが・・・・・栽培ですか :m050:
早速調べてみますっ :m071:

posted by pingu : 13:15 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年08月11日
東北の縄文文化から学ぶ
このところ当ブログでは、 【仮説】縄文時代の都が1500年も続いたって本当?や、東北日本の源流・ナラ林文化vs西南日本の源流・照葉樹林文化など、東北地方を基盤に発展した都や、豊かな森と食糧資源に支えられた縄文時代の東北地方がクローズアップされていますね!
tanoさんが日本人の基層には西の文化がある!で触れていますが、弥生以降の稲作文化が浸透するまでは、実は、縄文文化は東北地方を中心に発展したのではないかと思うほど、そこから我々が学ぶべきものはたくさんある、ということが分かってきました!
東北地方の縄文文化について、かなり詳しく紹介しているサイトがありました。以下、 「研究調査報告書「縄文文化と東北地方」―東北の基礎文化を求めて」より引用です。
>東北地方の人々の心の中に現在も息づく自然との共生、生活文化習慣などは、気づく気づかないに関わらず、独自のものとして歴史の中でゆっくりと形成され、今日も人々の心の中に潤いを与えている、地域性の最たるものであると言えよう。そして、それを形成したのは、現在の経済システムを形作ってきた稲作農耕文化とは異なる狩猟採集を生業とした縄文時代という歴史なのである。そして、現在のシステムが綻びを見せ、新たな社会システムが模索されはじめている今日、このような歴史を持つ東北地方は、新たな価値観による・新たな社会の旗手となる可能性を秘めていると言えよう。
posted by simasan : 18:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年08月08日
縄文時代の図鑑?

縄文時代の遺跡から見つかったこれは何? 画像は「こまきのいせきものがたり」http://www.komakino.jp/index.htmlからお借りしました。
こんばんは :m030: bunchanです :m034:
今日は縄文時代の遺跡からの出土品の中からみつかった土製品をとりあげてみたいと思います。
「こまきのいせきものがたり」より「縄文時代のきのこについて」工 藤 伸 一 (日本菌学会会員)からの要約・引用をご紹介します。
東北地方および北海道の縄文時代の遺跡からの出土品の中に、円盤形の裏面につまみ状の突起が付いいるものが発見されています。
さてこれは一体何でしょう?
:m281: スタンプ説
:m282: 表面が平滑なことから縄文クッキーを平面に仕上げるための用具説、
:m283: 柄の部分はつまみで傘の部分は蓋!土器の蓋説、
:m281: 土器を作成するに当たって土器の内側を滑らかに仕上げるための用具説
などなど、さまざまな説があり、用途については考古学的には一致していません。
「きのこ形土製品」と言われるものの出土例は報告書等によると、1999年現在、青森県で13遺跡58点、秋田県で10遺跡60点、岩手県で19遺跡51点、山形県で1遺跡2点、福島県で13遺跡24点、北海道で4遺跡4点で、合計60遺跡から199点が出土していますが、その形態は様々です。(中略) これらの「きのこ形土製品」を注意深く観察しますと、ある特定の「種」を意識して模倣したと考えられるものと、単に「きのこ」の一般的な形状を模倣しただけと考えられるものの二つのタイプがあることがわかります。前者は、そのつくりがとても丁寧であり、ひだや管孔の表現はないものの形状も極めてリアルです。また、後者は、そのつくりが一般に粗雑であり、「きのこ」であろうと推定できる程度です。この後者の存在が、今まで「きのこ形土製品」を「スタンプ」や「土器の蓋」などと混同させてきた原因と思われます。これら両者の時代背景は不詳であり、また、両者がすべて明確に区分できるものではありませんが、典型的な両者を区分して比較研究することは、これらの用途および変遷などを探るうえで重要なことと考えられます。
でも・・・きのこを形どった土製品は何に使われていたのでしょう??
ぽちっ :m023: と押して、続きにいってみましょう~ :m149: ・・・ :m149:・・・ :m149:
posted by bunchan : 23:27 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年07月07日
【仮説】縄文:ふさわしい時代区分は?
こんばんは、さーねです :D
今日は、カッピカピさんが先日投稿された縄文時代のなんでの新テーマ①縄文時代を土器で時代区分するのはなんで?でカッピカピさんが言われている時代区分新基準に挑戦したいと思います :tikara:
僕自身も、去年縄文の時代区分を投稿しました。多くの歴史が権力支配の興亡によって、時代が区分されているのに対して、土器による時代区分はある意味新鮮でした :o
カッピカピさんの記事を読んで、るいネットの縄文・弥生論争への視点を改めて読んでみました :m027:
現在弥生時代開始が500年遡るのではないか?との論争が花を賑わせている。しかし私はこの論争自体に少し違和感を感じている… …つまりその背景にあるのは、マルクスの提起した、「生産様式が社会構造の根底にある」という見解である。従って必然的に各指標の中でも「稲作の開始」が決定的に重要なものとされている。 私はこの点において注目すべきは社会統合の様式ではないかと思う。人類社会は共認によって統合される…
このような、歴史構造そのものに対する認識転換が必要という気がします。極端に言えば、土器による区分は年代判断をするためのものであり、その時代の生活の様子や外圧状況を想起させるものではないと思います :confused:
まずは、集団のあり方や外圧状況に視点をおくような時代区分を設定してみたらどうでしょうか?素人的発想の【仮説】ですが、皆さんと一緒にテーマ付けをしていけたらなと思います :m194: :m051:
今日は、阿蘇ネットワーククラブ(日本超古代文明年表)を参考にさせて頂きました :m061:

このような、生活が想像できるような歴史を :m051:
:m118: :m118: みんなが認める歴史事実をつくろう :m051: :m118: :m118:
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posted by sawatan : 21:28 | コメント (6) | トラックバック (0)
2007年06月28日
東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?
こんばんは bunchanです。
カッピカピさんがいろんなテーマをひろってくれましたが、その中で、新テーマ④ 東北地方に遺跡が多いのはなんで?
を考えてみたいと思います。
まず、縄文時代の遺跡が多かったのは・・・
ウィキペディアで縄文遺跡一覧で遺跡数を数えてみました。
北海道 ・・・6
東北地方・・・35
関東地方・・・37
中部地方・・・20
北陸地方・・・10
近畿地方・・・16
中国地方・・・11
四国地方・・・9
九州・沖縄地方・・・21
けっこう中部や関東も多い・・・遺跡数でいくと、中部・関東・東北あたりが多いようです。
人口のほうはどうなっているかというと・・・

画像は授業で使えるQUIZ日本史さんよりお借りしました。
日本列島の中部より東や北のほうが遺跡数、人口密度が高いですね~!
なぜなんでしょう :m052:
posted by bunchan : 02:07 | コメント (8) | トラックバック (1)
2007年06月27日
縄文時代の言語の変遷と土器文様との関係
simasanです 「縄文と古代文明」ブログへの投稿、久しぶりですが、
今日は、カッピカピさんが提案している 「新テーマ」 について考えてみました。 :P
新テーマ③縄文時代の言語体系ってどうなってたの?を調べていくうちに、実は
新テーマ⑤中期以降の縄文土器の模様が複雑になったのはなんで?
と繋がっているのではないか?と思うようになり、両方考えてみました。
posted by simasan : 20:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年06月22日
縄文時代のなんで
こんにちは、カッピカピです。
いつも、このブログを読んでくれているみなさん、ありがとうございます。みなんさんの応援のおかげで、ここ最近は人気ブログランキング一位をキープし続けてることが出来ています。今後もみなさんの期待に応えるべく、そして、ランキング一位にふさわしいブログにしていくために、改めて、縄文時代についての追求テーマを設定してみたいと思います。
その新たなテーマは・・・・・
その前に、ポチッ↓とよろしくお願いします。
posted by hi-ro : 09:23 | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年06月16日
先史時代の精霊信仰 ~シベリアのマリタ遺跡と縄文~
シベリアのマリタ遺跡は2万3千年前に、マンモスを追ってくらしていた、当時の人たちが暮らしていた遺跡で、その後ここから日本やアメリカ大陸へも渡ったと考えられています。
この遺跡からも地母神像のような、女性の像が発見されています。

「日本人はるかな旅展」より 右は同遺跡の住居(マンモスの骨でできた住居)
↓応援よろしくお願いします。
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続きを読む "先史時代の精霊信仰 ~シベリアのマリタ遺跡と縄文~"
posted by ihiro : 20:59 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年06月11日
縄文人は3000年前に朝鮮人と交流していた、稲作もそのころ伝わったと考えられる?
◎日本で稲作が開始されたのは従来言われていた2000年前ごろから遡り3000年前ごろではな
いかというのが最近の説です。
3000年前にすでに稲作の始まっていた朝鮮半島と縄文人の交流があった。

続きを読む "縄文人は3000年前に朝鮮人と交流していた、稲作もそのころ伝わったと考えられる?"
posted by ryujin : 22:43 | コメント (5) | トラックバック (0)
2007年05月31日
世界最古の土器☆★☆縄文土器がもたらしたものは
←豆粒文土器
こんばんは~ :m017: bunchanです。
naotoさんに続いて土器の発明は何をもたらしたのか、考えてみたいと思います。
ところで、世界最古の土器って縄文土器 :shock: だということを知ってました?
http://homepage2.nifty.com/singingsand//////////miwa/dokijomon.htmlより引用(画像もお借りしています)
人類文明の発祥地はエジプトとメソポタミア、インド、黄河流域の中国が四大文明発祥の地とされているが、古代人の生活において画期的発明は縄文土器だという(志村史夫著『古代日本の超技術』(1997,講談社)。いままで食べにくかったものをたべられるようにし、食物資源の範囲を広げて人類の生存圏を広げた。 また縄文土器の文化史的意義について、縄文土器の専門家:小林達雄は次のように書いている。「それまでの道具(石器や木、竹など)は、用意した素材を割ったり削ったりしてしだいに大きさを減らし、目的とする形態に仕上げる減量型であった。ところが土器は、掌にした一塊の粘土に次々と増量しつつカサ上げしていくという正反対の方向をとる増量型である。しかも石器などでは、いったん打ちかいてしまった部分は、たとえ不本意であっても、もはや修復不可能である。けれども土器は、加除修整は自由自在である。このように土器は、それまでの人類史には絶えて見ることのなかったまったく新しい造形学的性質をもつ。やがて縄文人は道具としての土器の形態を実現するだけでなく、その造形の自由さを利用して縄文人の抱く世界観を表現するキャンバスにしていった。言い換えれば、縄文土器は日常什器の一つというにとどまらず、いわば文化的な機能の重責をも果たすようになったのである。」(小林達雄著『縄文人の世界』(朝日選書,1996)
土器の出現は調理革命を起こした。煮て食べることが可能になったので、堅いものを軟らかくして、いままで食べられなかったものが食べられるし、味つけも可能となった。人類の食文化の開花であった。
世界最古の土器は縄文土器だったらしい。(2002年4月現在これは動かない事実だ。
現在までのところ世界最古の土器とされているのは、12000年前の土器が佐世保市瀬戸越町泉福寺洞窟から出土した 豆粒文土器である。
土器が可能にしたのは、水分を一つのところにためておく・火にかけることができるようになったということなんです。つまり、煮炊きできるようになったということ。
ところが縄文土器は釉薬などをかけない「素焼き」です。普通、素焼きのものは、水をしみこませて逃がしてしまうのですが、どうやって水を逃がさないようにしたのでしょう??
続きを読むまえに、ぽちっとお願いします! :m034:
続きを読む "世界最古の土器☆★☆縄文土器がもたらしたものは"
posted by bunchan : 20:16 | コメント (4) | トラックバック (0)
縄文土器の発明
土器の発明は、どのように行なわれたのでしょう?
縄文文化と東北地方を参考にさせていただきました :shock:
[2]縄文土器の発明
日本における土器の出現は、先史文化の展開の中でも、世界的に見て最も早い時期に行われたことが確実視されている。
日本列島における土器の出現は、その生活環境の変化からもたらされ、必然的に容器として確立し、生活の必需品として大きな役割を果たしていくのである。
土器の発明は、人類が最初に応用した化学変化である。
そのきっかけは推測の域をでないが、火の利用という技術を獲得した人類が、長い遊動生活から定住生活に移る過程で、湿気防止のために炉に貼った粘土が火を受けて偶然硬くなった事にヒントを得たとか、液体を入れるため粘土を塗りつけた編み籠が偶然火をうけて硬化したことに端を発するとも言われている。
小林達雄は、草創期の隆起線文土器や新潟県壬(じん)遺跡出土の円孔文(えんこうもん)土器に見られる口縁部付近の文様が、皮籠の口縁の紐かがりを表現していると説いて、縄文土器の初源が“編み籠”の模倣にはじまる可能性を指摘した。
土器の発明は縄文人に多くの恩恵をもたらした。
その最大のものは、従来は “なま”か“焼く”しかなかった食文化に、はじめて“煮る”という調理法を加えたことである。
これは、単に味覚のバラエティーを拡大したという以上に、食べることの出来る動植物の種類を飛躍的に増やし、かつその栄養摂取効率を大きく向上させた。
その結果、人々は、食料確保にかける労働力を大幅に軽減することに成功し、その余剰エネルギーを他の文化活動に投ずることが可能になったのである。
縄文文化に不可欠な、定住的要素としての竪穴住居の構築、呪的遺物としての土偶の発生などはすべて、こうした文化的活動力の向上がその前提条件として必要だった。
最初の土器の創出が、発明なのか発見なのかは断定できません。
ただ、環境の変化がもたらした食料の変化という外圧に対し、食の確保という集団の期待が強烈に働いていたということだと思います。
期待に応える為に、日々の生活上の出来事を注視し続ける。
それが、みんなの期待に応える発明に繋がるのだと教えられました。
posted by naoto : 13:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月21日
縄文土器の文様が中期に多様化したのは...
縄文土器の話が盛り上がっていますね。
私も、みなさんが、紹介されている「縄文心象」のHPを手がかりに考えて、見たいと思います。
まずは、問題提起の一文の紹介から。
いったい縄文時代前期と中期の境の時間帯で何が起こったというのだろうか。そして何故縄文文様は突如として複雑になったのだろうか?
考古学に詳しい人間であれば誰でも知っているこの事実。しかしこの謎は未だに誰にも確定的に解明されてはいないのだ。
(「縄文心象のHP」-謎-縄文時代中期の大きな変化より引用)
http://www.joumon.jp/kaidoku/kaidoku1/kaidoku1.htm
中期の複雑化は、縄文土器ファンの間では、有名な話。しかし、その謎は、未だ解明されていなかったとは...
確かに、中期に土器の種類が増え、文様も複雑になっているようです。





(岩手県立博物館HPより)
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/a/031.html
では、なぜ縄文中期に土器の種類が増え、文様も複雑になっていったのか、少し考えて見たいと思います。
posted by yuyu : 02:10 | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年05月17日
巨大噴火がひき起こした円筒土器文化
火焔土器が話題になっているようですね。
私には、あれは、とてつもなく大きな炎=火山噴火あるいは火砕流による大火災を表しているように見えてしかたありません。
そこで、縄文時代の火山噴火を調べてみました。
「変転する大地が生み出す新しい文化」 リンク より引用させて頂きました :m208:
《引用開始》
三内丸山からの大量の土器発掘で明らかになった円筒土器文化は、縄文前期の中頃、突然現れ、東北地方北部から北海道南西部に広がった。津軽海峡による分断もものともしない広がりである。
円筒土器に先行してその地域に存在したのは、表館(おもてだて)式や早稲田6類、大木1式など、それぞれ互いに関連性をもちながらもまとまりのない土器群であり、どれも円筒土器へ直結するような形跡は認められていない。
円筒土器の不可解な出現は、長い間問題にされずにきたが、三内丸山遺跡の発見も一つのきっかけとなり、円筒土器と大木式土器が並存する岩手県を中心に、これまでに集積された考古学の資料が見直された。
その結果、最初の円筒土器である円筒下層a式土器が大木2a式土器の直後に現れること、二つの土器型式の間に十和田火山の巨大噴火による火山灰(十和田中せりテフラ)が挟まっていることが確かめられた(下図)。

噴火によって広域におよんだ山林火災が、周囲の生態系を壊滅状態に追いやり人間社会に甚大な影響を与えたことは間違いない。一次生産者である植物に依存する動物社会にとってもその存続を脅かす大事件だったろう。いわば東北北部の広大な地域の生態系の構成員であるさまざまな生物の様相が災害で変化し、それが人間の暮らしに影響を与えていく状況が読み取れる興味深い事例である。
posted by naoto : 23:09 | コメント (0) | トラックバック (0)
土器の文様は共認を表現したのではないか?
縄文土器と言えばその豊富な文様に注目されます。
しかし、その文様の意味は学術的にはいまだ明らかになっていないそうです。
縄文心象のHPを見ていく中で、ふと気が付くものがありました。これだけの土器の複雑な文様は何の為にあったのでしょうか?無文字文化であった縄文人は文様で何かを伝えたかったという事はほぼ間違いないでしょう。
しかし、縄文人の文様は誰が誰に何を伝えたのでしょうか?
縄文時代の文様の意味を考える中で、文様自体が持つ普遍的な必然性についても触れてみたいと思います。
posted by tano : 18:20 | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年05月16日
縄文土器に見る雌雄和合の模様
こんばんは :wink: bunchanです。今日は縄文土器の文様から、縄文人の世界観を垣間見てみたいと思います。「縄文心象」よりの引用を紹介します。
雄と雌の和合
地球上の原子がプラスとマイナスで安定しているように、彼らは世界のすべてが雄と雌の霊魂が和合してできていると固く信じていた。この和合を示す『交合文(和合文)』は、対で構成されていることが特徴である。 『交合文』は雄を意味する三角・菱形・十字・矢印と、雌を意味する渦巻・円・二重円から各々1つないし1つ以上が対(ペア)になってつくられる。それらは一見ただの装飾文様のようだが、それは彼らの心の世界『雌雄和合』そのものなのだ。
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そういわれるとそんな気が・・・♂♀記号にもにてますよねっ :m049:
んん~でも♂が三角・菱形・十字・矢印で♀が渦巻・円・二重円なのはどこからきてるの?? :roll:
気になる人はぽちっと押してもらって、続きをどうぞ :m026: :m027: :m028: :m029: :m030:
posted by bunchan : 21:00 | コメント (6) | トラックバック (0)
2007年05月15日
燃え上がる?火焔土器の意味
:D くまなです
Hiroshiさんの投稿を受けて、縄文土器の中でも、ダイナミックでエネルギッシュな、通称「火焔土器」について紹介したいと思います。とくにその文様の意味について、ネット上で、さまざまな説が展開されているので、それを紹介してみます。
火焔土器

みなさんも、この魅力的な形態や文様が何を表すのか、製作者の意識に同化してみましょう。
posted by kumana : 22:29 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年05月13日
火炎土器の国から
Hiroshiです。今日は縄文番外編。
連休の間、火炎土器の国、越後の中越地方・魚沼へ行ってきました。・・・と言っても実家のある生まれ故郷ですが。この地方は、長い冬の間、深い雪に閉ざされますが、4月になると雪が解け、山々に一斉に緑が吹き出し、野山に草花が咲き乱れます。あちこちでカエルが合唱しています。
山々には雪がまだ残って、白い山々と新緑がすごい鮮やかな季節です。そういえば、風景の写真とってくるの忘れてしまいました。残念。花の写真があったので添えときます。
裏山で撮ったカタクリ なんの花かな??
posted by ihiro : 17:06 | コメント (2) | トラックバック (0)